美濃伝の名工

関の孫六(兼元)

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歴史上多くの名工と名刀を生み出してきた5つの流派「五箇伝」(ごかでん)の中で、「折れず、曲がらず、よく切れる」という優れた特徴を持ち、実用的な日本刀を作っていたことで知られるのが、現在の岐阜県関市の「美濃伝」(みのでん:関伝とも言う)です。関市は今、日本最大の刃物産地であるとともに、世界的にもゾーリンゲン(ドイツ)、シェフィールド(イギリス)と並ぶ刃物の世界3大都市のひとつ。その礎を作ったとも言えるひとりが、2代「兼元」(かねもと)である「関の孫六」(せきのまごろく)です。

美濃伝の刀剣 関市
世界でも有数の刃物の産地である美濃伝の岐阜県関市についてご紹介します。
刀剣写真・日本刀画像
刀剣写真・日本刀画像の五箇伝から検索で、刀剣ワールド財団所蔵の美濃伝(岐阜県)の刀剣がご覧頂けます。

「関の孫六」とは

美濃伝」では、「兼定」(かねさだ)ブランドが有名ですが、その兼定と人気を二分し、美濃伝隆盛の原動力となったのが、2代目「兼元」を筆頭とする孫六ブランド。特に、この2代目兼元が名工として名高く、単に「孫六兼元」という場合にはこの2代目を指し、別名「関の孫六」としてもよく知られています。

孫六ブランドの成り立ち

美濃は、すでに鎌倉時代には日本刀を作る産地として動き出しており、日本刀を作る職人は「関鍛冶」と呼ばれていました。

その中で、初代・兼元は、美濃の刀工達が形成していた「関鍛冶七流」(せきかじななりゅう:関鍛冶の7つの門流)のひとつ、「三阿弥派」(さんあみは)の出身。「孫六」の名は、三阿弥派を成した「三阿弥兼則」(さんあみかねのり)の「孫」であることと、「六郎左衛門」(ろくろうざえもん)という父を持つことに由来すると考えられています。

その後、代々「孫六」を屋号としており、「兼元」の名とともに、今も継承されているのです。

15世紀には関は日本における刃物産業の一大拠点に

関鍛冶の系統

関鍛冶の系統

「せき カミソリ也」―これは、1407年(応永14年)の公家の日記に記されていたもので、さらに1461年(寛正2年)に関を訪れた僧侶の日記には、「関の民の過半は鍛冶で、その作品は天下に名高い」と書かれていました。

これらは、15世紀の関が、すでに日本における刃物産業の一大拠点になっていたことを物語っています。

関鍛冶の系統書などによると、室町時代には関の春日神社を本所とする「鍛冶座」を結成。関鍛冶七流の代表によって構成された「七頭制」の合議により、自主・自律的な運営がなされていたと考えられているのです。この自治的な組織が、全盛期の関鍛冶を支えた力でした。

さらに言えば、この時期に始まる日明貿易では、多量の日本刀が輸出されており、関鍛冶との関連があったであろうと言われています。

「実用性」に重きを置いた美濃伝(関伝)

室町時代後期にあたる戦国時代は、当然のことながら戦場で役に立つ実用性の高い日本刀類の需要が高まります。その中で関鍛冶は、「折れず、曲がらず、よく切れる」という、非常に実用性に優れた刀を大量に生産し、この需要に応えていくのです。

「三本杉」の刃文と切れ味の良さで全国に名を馳せた「関の孫六」

そうした中から生まれたひとりが、「関の孫六」と称され「三本杉」の刃文で知られる2代目兼元。確認されている作刀は、1521年(大永元年)~1531年(享禄4年)頃の物ですが、1504年(永正元年)頃から活躍した名工と言われ、この時期は、美濃伝とのちに呼ばれる関鍛冶が最も栄えた、末関鍛冶(すえぜきかじ)の時代にあたります。

2代目兼元を筆頭に、孫六一派が作った日本刀は、戦国時代に「武田信玄」、「豊臣秀吉」、「黒田長政」、「前田利政」、「青木一重」など、多くの戦上手の戦国武将が帯刀(たいとう:刀を腰におびること)し、その実用性には大きな信頼が寄せられていました。

「折れず・曲がらず・よく切れる」美濃伝の日本刀の秘密

日本刀鍛錬

日本刀鍛錬

関の孫六達が作った美濃伝の日本刀が、実用面で特に優れているのは、「切れ味を増せば折れやすくなり、折れにくくすれば曲がりやすくなる」という「鉄の本質」をも覆して生み出されていることです。

これは日本刀が世界に数多くある刀剣類の中でも、「世界に比類なき存在」と高い評価を受けている要因のひとつでもあります。

日本刀の素材は鉄ですが、よく切れる物にするには鉄を極限まで研(と)ぎ落した非常に鋭い刃でないといけません。しかし、そうすれば折れやすくなってしまうのです。

逆に、折れにくくしようとやわらかくすれば、今度は曲がりやすくなります。この鉄の本性を覆し、鉄の道具の可能性を開いたのが日本刀なのです。

その非常に高次元の工程を端的に紹介すると、「折れず・曲がらず・よく切れる」という、互いの相反する要素を満たすために、やわらかい鉄を硬い鉄で包むという手法が取られています。これにより、外側の鉄は硬いために曲がらず、中にくるまれたやわらかい鉄が衝撃を吸収し、折れにくくなるという構造です。

これは美濃伝では「四方詰め」と呼ばれる特徴的な作刀方法のひとつ。日本刀は、硬度の異なる地鉄を組み合わせて作られますが、これは「造込み」と呼ばれ、この造込みにも何種類かの手法があります。

美濃伝で行なわれているのが「四方詰め」(しほうづめ)。刃を断面でみると、「刃金」(はがね)、「皮金」(かわがね)、「心金」(しんがね)、「棟金」(むねがね)に分かれており、それぞれ全部、硬さが異なります。

例えば、刃金は炭素含量が多く硬い物を、内側の心金には炭素含量が少なくやわらかい物を用いてクッション的な働きを持たせているわけです。いわば、このハイブリッドな構造により、「折れず・曲がらず・よく切れる」は実現されています。

関の孫六(孫六兼元)の代表的な日本刀「青木兼元」

関の孫六(孫六兼元)は、知名度においても「正宗」(まさむね)などと並ぶ、紛れもなく日本を代表する名工の1人ですが、実用性の高い日本刀を数多く作った刀工であったため、重要美術品として残っている作品はほとんどありません。

関の孫六の作品として唯一、重要美術品に認定される物として現存するのが、「青木兼元」(あおきかねもと)です。名の由来は、所持者であった青木一重に因んでいます。

青木一重が亡くなったあとは、青木一重の遺言により、青木一重のもとの主で、「本能寺の変」ののちに豊臣秀吉とともに明智光秀を討った「丹羽長秀」(にわながひで)の子・「丹羽長重」(にわながしげ)に贈られました。その後、丹羽家に代々伝来し、現在は個人蔵となっています。

兼元/孫六(かねもと/まごろく)が制作した刀剣

刀 銘 兼元
刀 銘 兼元
兼元
鑑定区分
重要刀剣
刃長
75.7
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 兼元(孫六)
刀 銘 兼元(孫六)
兼元
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
71.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 兼元(三代)
刀 銘 兼元(三代)
兼元
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
68.6
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 兼元(孫六初代)
刀 銘 兼元(孫六初代)
兼元
鑑定区分
保存刀剣
刃長
67.0
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

美濃国の地図

美濃国の地図

刀工・刀匠「孫六兼元」YouTube動画

刀工・刀匠「孫六兼元」
美濃伝の日本刀
美濃伝の日本刀をご覧頂けます。

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