説話、伝承、古記録(平安前期)

騒速(そはや)

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古から語り継がれる刀には、史実とされる歴史から、長い時間の中で人々によって伝承されてきた伝説まで、数々の物語があります。特に名刀や神刀、宝刀などと呼ばれる刀には、様々な伝説があるものです。例えば平安時代の公卿(くぎょう:国政を担う職位)にして武官だった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が所有し、戦で使用したとされる「騒早」(そはや)と言う刀。ソハヤノツルギ、側速、素早丸などとも呼ばれ、各地に様々な伝説を残す名将・坂上田村麻呂とともに、今に語り継がれる刀です。現在では、ソハヤと称される刀は日本各地に複数伝わっていて、様々な説が語られています。その謂れ多き刀の歴史と伝説をご紹介します。

坂上田村麻呂と騒早

平安時代の初期、大和朝廷の支配力を東北地方にまで広げるために活躍し、名を馳せた征夷大将軍(蝦夷を征伐する軍の大将)の坂上田村麻呂

代々、武人の名家として帝からの信頼も厚く、54年の生涯において、二度にわたり征夷大将軍に任命された、歴史上とても重要な人物です。

大和朝廷にとって、東北平定事業は長年の大きな課題となっていました。788年(延暦7年)には桓武天皇のもとで第一次蝦夷討伐が始まります。

しかし、蝦夷(えぞ)の首長である大墓公阿弖流為(たものきみあてるい)の前に大敗を喫することに。そこで桓武天皇は、第二次征伐に坂上田村麻呂を登用し、794年(延暦13年)に第二次討伐を開始します。

当時、朝廷軍が使用していた刀は無反り直刀で、斬り付けた際に反動を吸収できない脆いものでした。対して蝦夷軍は「蕨手刀」(わらびでとう)といって、反りがあるために馬上から斬り下げることが可能な刀でした。

第二次討伐で征夷副使に任命された坂上田村麻呂は、「蕨手刀」にも引けを取らない剛刀を携え、討伐に赴いたのです。その刀は「騒速」と呼ばれ、わずかに反りがある大刀でした。

坂上田村麻呂の活躍により、二次討伐は多大な戦果を挙げることになります。その功績が認められ、桓武天皇から征夷大将軍に任じられて、全軍の指揮を任された坂上田村麻呂は、801年(延暦20年)に、第三次討伐を敢行。100,000の軍を率いて戦い、遂に蝦夷を平定し、阿弖流為と盤具公母礼(ばんぐのきみもれ)と言う蝦夷二大首長を降伏させるに至ります。

こうした20年もの桓武朝の蝦夷征討が、坂上田村麻呂の活躍によって成し遂げられたのです。

坂上田村麻呂のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀についてご紹介します。

坂上田村麻呂伝説に登場する立烏帽子と騒速

坂上田村麻呂伝説に登場する立烏帽子と騒速

坂上田村麻呂伝説に登場する
立烏帽子と騒速

坂上田村麻呂は、日本各地に数々の伝説を残しています。

東は東北から関東、静岡県三重県など、西は兵庫県岡山県まで、坂上田村麻呂に関する様々な物語が広く語り継がれています。

各地の鬼や賊を討ち取ったと言う英雄譚(えいゆうたん:英雄の活躍を描いた物語)が多く、紹介する物語はそのうちのひとつ、伊勢国と近江国の境にある鈴鹿山の鬼退治伝説の話です。

室町時代以降に成立した、お伽草子「鈴鹿の草子」や「立烏帽子」、室町物語「田村の草子」、また江戸時代には奥浄瑠璃「田村三代記」などにも鈴鹿山の坂上田村麻呂伝説は描かれています。どれも、登場人物やストーリーに違いが見られ、当時、鈴鹿峠は盗賊がはびこる鬼の住処とされていました。

立烏帽子(たてえぼし)は、その鈴鹿峠に住む美しい女盗賊で、文献によっては鈴鹿御前(すずかごぜん)とも記され、神女や鬼、天女、魔王の娘など、その正体も様々に描かれています。なかには、悪路王(あくろおう)や大嶽丸(おおたけまる)と言う、鬼神の妻だったとされる物語もあります。

峠を通る人々を襲い、物を盗むなど悪さをする立烏帽子の討伐を、朝廷から命じられた坂上田村麻呂。鈴鹿山の山中を探しまわり、立烏帽子の住む御殿を見つけ出します。

そして立烏帽子と刀を交じえるのですが、そのとき坂上田村麻呂が使った刀が騒速だとされています。

「田村三代記」では、坂上田村麻呂が騒速を投げると、立烏帽子は大通連(だいとうれん)と言う刀を投げ返し、その2振の刀が空中で戦います。

騒速が鳥に姿を変え、立烏帽子に向かえば、大通連は風になってこれを防ぎ、騒速が火になれば大通連が水となり、激しい戦いを繰り広げたと言う場面が描かれています。

その後、紆余曲折を経て坂上田村麻呂は立烏帽子(静御前)と夫婦になり、小りんと言う娘をもうけ、夫婦で力を合わせて鬼退治をし、幸せに暮らします。

現代に伝わる騒速

現在、騒速とされる刀は複数存在しています。諸説ありますが、いずれも歴史を経て受け継がれてきた貴重な刀です。

騒速 播磨清水寺(兵庫県加東市)所蔵 東京国立博物館保存

「桓武天皇の頃、征夷大将軍坂上田村麻呂丹波[京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部]路より参籠、蝦夷の逆賊高麿[主君に背いた安倍高麿]を討取り、鈴鹿山の鬼神退治を遂げたが、聖者[聖なる境地に達した]大悲観音[観世音菩薩の総称]の霊験[神仏などが示す霊妙不可思議な力]を受けその報謝[神仏の恩に報い、感謝して供え物や念仏などの善行を行なうこと]として佩刀騒速[腰におびている騒速]、副剣の2振を奉納す」

寺伝には上記のように記載があり、3振の大刀が伝承していますが、そのうちどの刀が騒速なのかは分かっていません。

いずれも僅かに反りがある大刀で、当時直刀から湾刀に至る過渡期にあり、日本刀が誕生する直前の刀として高い資料価値が認められています。

昭和56年(1981年)に重要文化財に指定されており、腐敗が進んでいるため東京国立博物館で保管されています。

騒速(播磨清水寺所蔵)

騒速(播磨清水寺所蔵)

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黒漆大刀 鞍馬寺(京都府京都市)所蔵

坂上田村麻呂佩用(はいよう:身に帯びて用いること)とされる「黒漆大刀」(こくしつのたち)として伝来。明治44年(1911年)に、重要文化財に指定されています。

蝦夷の蕨手刀と戦うために、坂上田村麻呂が作らせた細身で重ねの厚い剛刀。鞍馬寺に坂上田村麻呂が戦勝祈願に訪れ、無事に凱旋したときに奉納した大刀、として口承で伝わっていますが、鞍馬寺は騒速と同一のものとはしていません。

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ソハヤノツルギ 久能山東照宮(静岡県静岡市)所蔵

坂上田村麻呂の騒速を写したものとされる、徳川家康の愛刀で重要文化財。

鎌倉時代の筑後国の刀工・三池典太光世作と言われ、ソハヤノツルギ ウツスナリと銘が切られています。しかし湾刀であることから、どの騒速を写したものなのかは分かっていません。

徳川家康が自らの死を前に、不穏な動きのある西国に対して、自分の墓所にソハヤノツルギの鋒/切先を西方にして置くように、遺言したと言われています。

ソハヤノツルギ(久能山東照宮所蔵)

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