古事記、日本書紀ほか

布都御魂(ふつのみたま)

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日本の古代神話には、様々な神剣が登場します。なかでも特に重要な物に「神代三剣」(かみよさんけん)と呼ばれる3種の剣があります。三種の神器のひとつにも数えられる「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)、「タケハヤスサノオノミコト」(建速須佐之男命)の大蛇退治で使われた「十拳剣」(とつかのつるぎ)、そして「布都御魂」(ふつのみたま)。いずれも「古事記」や「日本書紀」に神々が使ったとされる伝説が記され、長い歴史を経て現在まで受け継がれている物です。

タケミカヅチノカミによる国譲り

神話の世界では日本と言う国が作られ、数多の神々が生まれ、やがてその神々のなかから「アマテラスオオミカミ」(天照大神)の孫である「ニニギノミコト」(邇邇芸命)が地上に降臨し、国を治めるようになります。天孫降臨(てんそんこうりん)と呼ばれるその物語の前には、国譲りと言う話があります。

アマテラスオオミカミの弟神タケハヤスサノオノミコトから国造りを命じられ、出雲で豊かな国を作り上げていたのは、タケハヤスサノオノミコトの子孫で「オオクニヌシノカミ」(大国主神)でした。

葦原中国とよばれる、その地上の豊かな様子を高天原(たかまのはら)から見たアマテラスオオミカミは、この国は自分の子孫が治めるべきであると宣言します。

そこで次々にオオクニヌシノカミのもとに、交渉のための使者を送りますが、懐柔されてしまったり殺されてしまったり、ことごとく失敗に終わります。そこで最後の遣いに選ばれたのが、武力に長けた神「タケミカヅチノカミ」(建御雷神)でした。

タケミカヅチノカミ

タケミカヅチノカミ

出雲の伊耶佐の小浜(島根県稲佐の浜)に降り立ったタケミカヅチノカミは、持っていた十拳の剣を抜き、鋒/切先を上にして波に刺し立てて、その上にあぐらをかいて座りました。

そしてオオクニヌシノカミに国を譲るよう告げるのです。オオクニヌシノカミは2人の息子に判断を任せると答えます。答えを託された長男「ヤエコトシロヌシ」(八重言代主神)は、あっさりと国譲りを承諾してしまいました。

しかし次男の「タケミナカタノカミ」(建御名方神)は納得せず、タケミカヅチノカミに力比べを挑みます。しかし、雷神であり剣の神でもあるタケミカヅチノカミはこれを難なく倒し、国譲りを成し遂げるのでした。

こうして葦原中国を平定したタケミカヅチノカミが高天原に戻ってアマテラスオオミカミに報告し、物語は天孫降臨へと続いていくのです。

そして、このタケミカヅチノカミによる葦原中国の平定に使われたとされる剣こそが、布都御魂です。

神武天皇の東征

タケミカヅチノカミは葦原中国を平定すると、布都御魂を携え高天原に戻ります。

一方で地上に降りたニニギノミコトは高千穂(現在の宮崎県)の地に宮を建てて国を治めることになります。

やがてその曾孫であるカムヤマトイハレビコ(のちの神武天皇)は天下平定のため、高千穂から東征の旅に出ます。

筑紫(現在の九州北部)で1年、安芸(現在の広島県)に7年、吉備(現在の岡山県)に8年滞在するなど長い時間をかけながら、東へ進軍を続けました。途中、大阪での戦いで大きな被害を受けた一行は進路を南へ変え、熊野の村(現在の三重県和歌山県の境の村)へと辿り着きます。

そこで「熊野の荒ぶる神」(くまののあらぶるかみ)と呼ばれる、荒々しい霊力を持った巨大な熊と出会います。熊はすぐに消えますが、一行はその妖気に当てられ、気を失って倒れてしまいました。

そのとき、熊野のタカクラジ(高倉下)と言う男がやってきて、1振の剣をイハレビコに献上します。その剣を受け取ったかと思うと、熊野の荒ぶる神は手を下すまでもなく、逃げていきました。タカクラジにその剣について尋ねると、不思議な夢を見たのだと言います。

「アマテラスオオミカミとタカギノカミ(高木神)の2柱(神の数え方は柱)がタケミカヅチノカミを呼び出し『葦原中国が騒がしく我が御子達が苦しんでいるから、葦原中国を平定したなんじが降りて助けてあげなさい』と仰せになられました。するとタケミカヅチノカミは『自分が降りずともその国を平定した剣さえあれば事足ります』と答えました。『タカクラジの倉に落とし入れるので、目が覚めたら倉にある剣を天つ神(高天原の神々のこと)の御子へ差し上げなさい』と私に仰せになられました」とタカクラジは語りました。

布都御魂

布都御魂

朝、倉へ行くと夢のお告げの通り剣があったので、剣を持ってイハレビコのもとへと馳せ参じたのです。

そのタカクラジが献上した不思議な剣こそが布都御魂、またの名を布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)や佐士布都神(さじふつのかみ)とも言われる神秘の剣だったのです。

その後、イハレビコは天が遣わせた八咫烏(やたがらす)の導きにしたがって進みながら、次々と荒ぶる神々を征伐し服従させ、大和の地に畝火之白檮原宮(うねびのかしはら)(現在の奈良県橿原市)を建立し、天下を治めることとなりました。

こうして初代天皇、神武天皇が誕生したのです。

石上神宮と鹿島神宮それぞれのご神体に?

石上神宮

石上神宮

神武天皇は即位後、宮中で布都御魂を祀ります。

その後、第10代崇神(すじん)天皇の頃に、現在も奈良県天理市にある石上神宮を創建し、布都御魂をご神体として祀ることになります。

いつの時代か拝殿の裏の禁足地に埋められましたが、明治時代になって大宮司である菅政友(すがまさとも)が発掘を行なったところ、平造りで少し内反り、環頭の剣が出土。本殿に遷され祀られることになりました。

また、このとき著名な刀工である初代月山貞一(がっさんさだかず)により2振の複製が作られ同じく本殿に。

一方で茨城県にある鹿島神宮にも布都御魂は祀られています。神武天皇により創建された鹿島神宮は、タケミカヅチノカミを祭神(さいじん)としています。

国宝に指定されている、日本最古で最大の直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)。

これこそが本物だとも、布都御魂の複製として作られたとも言われています。

国を平定し、初代天皇の国づくりを不思議な力で助けた神剣・布都御魂。草薙剣と並び、日本にとって国づくりにかかわった重要な意味を持っている伝説の剣なのです。

直刀・黒漆平文大刀拵
直刀・黒漆平文大刀拵
-
鑑定区分
国宝
刃長
223.4
所蔵・伝来
鹿島神宮

布都御魂(ふつのみたま)

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