日本の歴史と日本刀

3度の刀狩り

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日本において、武具という意味を超えて信仰の対象ともされた日本刀は、現在まで連綿と伝わる日本の文化的財産ですが、後世に伝わるまでに、日本刀はおよそ3度の危機を乗り越えてきました。大小2本差しの日本刀が武士の象徴とされていた歴史は現在でも広く知られていますが、かつては身分の隔てなく、庶民も同じように日本刀を所持することができていたのです。日本刀が国に厳しく取り締まられ、庶民にとって非日常となる原因となった、3つの「刀狩り」をご紹介します。

豊臣秀吉の刀狩令

刀狩りが行なわれた背景と目的

戦国時代、農民をはじめとするほとんどの日本人男性は成人に達すると、「刀指[かたなさし]の祝い」として、刀と脇差を帯刀。1467年(応仁元年)に勃発した「応仁の乱」以降、日本中に戦乱が広まったことで、農民達は村の自衛や運営に日本刀を扱っただけでなく、戦がおこると、各々の日本刀や槍を持参し、兵士として戦に参加していました。

また日本刀は、武器として扱われただけでなく、当時の共通認識として、すべての成人男性にとっての象徴であり、責任や誇り、名誉を象徴する精神的な意味合いを持っていたのです。

豊臣秀吉

豊臣秀吉

そうした中、1588年(天正16年)、天下統一を目前とした「豊臣秀吉」は、農民や主要寺社に向けて日本刀や槍、鉄砲などの武器を持つことを禁止する条例「刀狩令」を発布。刀狩令とは、武士以外の農民や僧侶から、日本刀をはじめとする武器を放棄させる政策で、地方領主に向けた刀狩令の内容とその理由、庶民に向けた内容とその理由を記した3つの条例からなっていました。

当時は豊臣秀吉自身がそうであったように、才能があれば農民であっても戦国大名となることができる「下克上」の風潮が強い戦国時代。そのため、各地の戦国大名に向けられた刀狩令の目的として、戦働きに重きを置いて年貢を怠る者や、肥大化した寺社勢力、一揆を排して、農業や仏道に専従させるためであると説明しました。

また、庶民や寺社勢力に対しては、大仏建立に使用する釘や鎹とするため、大量の鉄が必要であると大々的に説明し、武器を大仏に寄付することで今生とあの世での救済を説いたのです。

しかしながら、豊臣秀吉の本来の目的は武士と農民の階級を明確に分ける「兵農分離」にありました。武装を解除して一揆を起こさせず、農業に従事させることだけが目的ではなく、名誉や責任を表象する日本刀を帯刀できる者を特権階級とすることで、兵農分離を行なったのです。

刀狩りの影響

刀狩り

刀狩り

人口の大半を占める農民と、寺社勢力を武装解除することにより、豊臣秀吉は兵力を使わずして各地の治安維持を図り、天下統一の一助としました。また、刀狩りを行ない、兵農分離が進められたことで、農民は武士よりも低い身分の者として明確に区別がされるようになり、この政策は近世封建体制の基礎となったのです。

現在では、刀狩りが行なわれたことで、武士以外の農民をはじめとする庶民の武装を解除し、すべての銃や日本刀が没収されたと思われがちですが、実際は日本の農村には多くの銃や日本刀が残されていたとされます。これは、全国の大名達が、現地の刀狩りを村ごとの有力百姓達の責任として任せて上納させたり、害獣駆除の名目で鉄砲等を免許制にさせたりするなどの特例が許されたため。

そのため、刀狩令に記された、「百姓の持つすべての武器」が農村から没収されたとは言えず、多くの武器が様々な名目で村に残されていたのです。

明治政府の刀狩り

廃刀令の目的とその影響

大小二本差

大小二本差

明治政府によって行なわれた刀狩りとは、明治維新後1876年(明治9年)に発布された、大礼服着用の場合、及び軍人や警官以外の帯刀を禁止する法令、通称「廃刀令」のことを指します。

江戸時代、大小2本の日本刀を帯刀することが武士の象徴とされていましたが、豊臣秀吉の刀狩令に基づいた厳しい刀剣類の所持規制はなく、庶民が日本刀を持つことも認められていました。

しかし、幕末の動乱期を経て明治時代に移行すると、治安維持のため、廃刀令に先駆けて農工商階級の帯刀を禁じる法案が可決。そのあと、江戸時代の封建的な身分制度を廃止し、「兵農合一」を図ろうとする動きが強まると、武士とそれ以外を分ける表象を取り除くことが必須となります。

つまり、豊臣秀吉の刀狩りの時代から武士という階級を象徴していた日本刀を、武士から剥奪する必要があったのです。日常的な日本刀の帯刀を、明治政府は「部門武士の虚号と殺伐の余風」であると主張し、廃刀令ののちに帯刀ができる者は、軍人や警官など、治安維持の公務に携わる人間に限定。

しかし、この廃刀令の内容は、単に士農工商の帯刀を禁じる法律であったため、豊臣秀吉の刀狩りの際のように、日本刀を没収することはなく、各々の家で日本刀を所有すること、懐中に入れて持ち運ぶことなどは許されていました。

ただし、法律に反して帯刀をすれば刑罰があり、日本刀は没収されることとなったのです。

しかし、武士という特別な階級を表した帯刀を禁じられることはかつての武士達の誇りと名誉を傷付ける行為でもあり、様々な特権を明治政府によって剥奪された武士の不満が噴出。廃刀令は、1877年(明治10年)に起こった「西南戦争」の原因のひとつとなりました。

昭和の刀狩り

GHQによる刀狩り

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦で敗北した日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下となります。GHQは、日本の非武装化の一環として、「民間の武装解除条項」を指示。この条項は、「一般日本国民の所有する、一切の武器を蒐集し、かつ引き渡しておくための準備をなしておくべし」という指示で、一切の武器とされる物の中には日本刀も含まれていました。日本政府は日本刀を、日本人の魂であり、代々受け継がれている民間人の家宝であると主張し、日本刀の接収を拒絶。

しかしこの主張は、日本刀を含むすべての武器を日本の軍国主義の表象であると見るGHQからは受け入れられませんでした。

そこで日本政府は、すべての日本刀の保護を断念し、一部の日本刀に美術的価値を付与することで、日本刀は日本の美術品であり、文化的財産であることを主張。これは、1934年(昭和9年)に可決された、衆議院議員であり、日本刀鍛錬所の創設者である「栗原彦三郎」の建議案である、「帝展第四部ニ刀剣追加ニ関スル建議案」を典拠とするものです。

この法案は、日本刀を「帝国美術院展覧会」の第4部、美術工芸の部に日本刀の出品が可能とする法案で、日本刀の美術品としての価値を周知させるものでした。日本側の粘り強い説得により、GHQは美術刀の保有を認めましたが、美術的価値がないと判断された日本刀はすべて接収されることとなったのです。

このとき、全国で接収された日本刀の数はおよそ100万振にもおよび、一説では略奪された日本刀も含めると、およそ300万振がGHQによって失われたとされます。接収された大量の日本刀の処分先は、海外に流出したり、機関車の動輪などに鋳直されたりする物もありましたが、大半は海中に投棄されました。これまで日本の民間に普及していた日本刀は、戦争の終結と、日本人の非武装化と同時に失われていったのです。

まとめ

現在、武器の所持や取り扱いを規制している「銃砲刀剣類所持等取締法」は、第二次世界大戦後、GHQの方針に基づいて成立した法案。日本は3度の大きな刀狩りを経験し、日本刀は3度の危機を迎えました。現在、多くの日本人が日常的に日本刀に触れる機会が少なくなった発端は、豊臣秀吉の刀狩りではなく、戦後の政策によるものだと言えます。

3度の危機を経験しながらも日本刀が現在にまで伝えられているのは、日本人にとって日本刀が単なる武器ではなく、信仰の対象や、精神性の象徴とされた証でもあるのです。

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