徳川家を支えた武将

徳川二十八神将

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「徳川二十八神将」(とくがわにじゅうはちしんしょう)とは、「徳川家康」に仕え、江戸幕府の設立に大きな貢献をした、28名の功臣のこと。この28名は、栃木県日光市にある「日光東照宮」において、徳川家康と共に配祀(はいし:同じ神社の中に主祭神以外の神を祭ること)され、信仰を集めています。

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江戸時代を語る上で欠かせない徳川十五代将軍の姿を紐解きます。

徳川二十八神将に数えられる武将

徳川家康

徳川家康

「徳川二十八神将」(とくがわにじゅうはちしんしょう)に数えられる28名のなかには、「徳川四天王」として名が知られている、「酒井忠次」(さかいただつぐ)、「本多忠勝」、「榊原康政」(さかきばらやすまさ)、「井伊直政」の4名が存在。この4名に「大久保忠世」(おおくぼただよ)、「大久保忠佐」(おおくぼただすけ)、「高木清秀」(たかぎきよひで)、「鳥居元忠」(とりいもとただ)、「鳥居忠広」(とりいただひろ)、「内藤正成」(ないとうまさなり)、「蜂屋貞次」(はちやさだつぐ)、「服部正成」(はっとりまさしげ:2代目・服部半蔵)、「平岩親吉」(ひらいわちかよし)、「松平康忠」(まつだいらやすただ)、「米津常春」(よねづつねはる)、「渡辺守綱」(わたなべもりつな)の12名を合わせて「徳川十六神将」と称されます。

徳川二十八神将は、この16名から、さらに12名の功臣を合わせた呼び名だと言われますが、正しくは、徳川十六神将に数えられる鳥居忠広と内藤正成は、除外されています。

ここに、「安藤直次」(あんどうなおつぐ)、「本多忠俊」(ほんだただとし)、「伊奈忠政」(いなただまさ)、「岡部長盛」(おかべながもり)、「大久保忠教」(おくぼただたか)、「大須賀康高」(おおすがやすたか)、「奥平信昌」(おくだいらのぶまさ)、「酒井正親」(さかいまさちか)、「菅沼定盈」(すがぬまさだみつ)、「内藤家長」(ないとういえなが)、「内藤信成」(ないとうのぶなり)、「本多康高」(ほんだやすたか)、「松平伊忠」(まつだいらこれただ)、「水野勝成」(みずのかつなり)の14名を合わせて、徳川二十八神将と呼ばれているのです。

この28名の武将は、日光の大権現とされる主君「徳川家康」と共に、「日光東照宮」(現在の栃木県日光市)において祀られるようになりました。

徳川二十八神将に数えられる武将
徳川
二十八神将
徳川
十六神将
徳川
四天王
 酒井忠次 本多忠勝
 榊原康政 井伊直政
 大久保忠世 大久保忠佐 高木清秀 鳥居元忠
 蜂谷貞次  服部正成      平岩親吉 松平康忠
 米津常春     渡辺守綱
 安藤直次  本多忠俊 伊奈忠政 岡部長盛 大久保忠教
 大須賀康高 奥平信昌 酒井正親 菅沼定盈 内藤家長
 内藤信成  本多康高 松平伊忠 水野勝成

※除外とされる武将:鳥居忠広、内藤正成

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  • 本多忠勝のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

  • 榊原康政のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

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徳川二十八神将における著名な功臣

徳川家康に仕えた28名の武将のうち、特に高名な5名の武将をご紹介します。

安藤直次

安藤直次は、幼少期より徳川家康に仕えた三河武士。主な戦功として、1584年(天正12年)の「小牧・長久手の戦い」では、「鬼武蔵」として恐れられる猛将「森長可」(もりながよし)と、織田家の重臣であった「池田恒興」(いけだつねおき)を討ち取る大功を立てました。

安藤直次はそのあとも武功を挙げ、「関ヶ原の戦い」ののちは江戸幕府の老中として、江戸幕府開設期の幕政に携わりました。

徳川家康から厚い信任を受け、紀州徳川家の治める親藩である紀州藩の付家老(つけがろう:幕府から親藩、もしくは本家から分家に監督・補佐として付けられた家老)となると、徳川家康の十男で紀州藩の始祖「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)を補佐し、支えています。

教育者としても優れ、若い徳川頼宣が乱暴を働いた際には、安藤直次が押さえ付け、諫言。徳川頼宣の体に傷を残しましたが、徳川頼宣は戒めとして傷跡の治療を辞退したという逸話が残されています。

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奥平信昌

奥平信昌

奥平信昌

奥平信昌は、徳川家康の娘である「亀姫」(かめひめ)を正室としたことで有名な武将ですが、奥平氏は、元々今川氏の家臣の家系。

桶狭間の戦い」で敗れた今川氏が弱体化すると、三河国(現在の愛知県東部)の武将であった奥平氏は一時徳川氏へ帰属しますが、「武田信玄」の三河侵攻により、武田氏の傘下となります。

しかし、有力な武将が欲しいと考えた徳川家康は、自身の娘・亀姫と奥平信昌を婚姻させることで、奥平氏を徳川家に帰参させました。

そののち、奥平信昌は「長篠の戦い」での奮戦を認められ、武田氏と同盟を結んでいた「織田信長」から「信」の字を賜ったとされています。徳川家康もまた、長篠の戦いの功績を称し、名刀「大般若長光」を奥平信昌に贈与。なお、奥平信昌は剣術の達人であり、徳川家康を剣術に目覚めさせた武将としても知られています。

以後、徳川家の軍制改革に携わり、関ヶ原の戦いののちは、その戦功が認められ、美濃国加納藩(現在の岐阜県岐阜市)10万石に転封されました。

大般若長光
大般若長光
長光
鑑定区分
国宝
刃長
73.6
所蔵・伝来
足利家 →
織田信長 →
徳川家康 →
伊藤巳代治→
東京国立博物館

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大久保忠教

大久保忠教は、松平家(徳川家康の生家)に仕える大久保氏の八男として生まれ、のちに講談などで、通称「彦左衛門」の名が「天下のご意見番」として広く知られた武将です。特別大きな軍功はないものの、関ヶ原の戦いでは徳川家康本陣の槍奉行を務め、活躍しました。

そののち、大久保本家のお家騒動が勃発し、一度は改易の憂き目に遭うものの、功績を認められ、徳川家康の直臣として復帰。以後、徳川家康、「徳川秀忠」、「徳川家光」ら3代に亘って徳川家に仕えました。

なお大久保忠教は、徳川氏と大久保氏をはじめとする譜代家臣団の生活思想を示す資料となる「三河物語」の作者としても有名。なかには幕政に対する庶民の不満等も記されたことから、大久保忠教がことあるごとに徳川家光に対して諫言し、天下のご意見番と称される一因となりました。

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内藤信成

内藤信成は、徳川家康の異母弟だとされる武将で、徳川家康の父「松平広忠」(まつだいらひろただ)とその側室の間の子として誕生。一説では、高齢出産及び、難産だったことで父・松平広忠から忌み嫌われ、内藤家の養子となったとされています。

内藤信成は13歳のときに、当時「松平元信」(まつだいらもとのぶ)と名乗っていた徳川家康と会談し、「信」の1字を与えられ、内藤信成と改名しました。

徳川家康最大の危機ともされる「三方ヶ原の戦い」では殿軍を務め、長篠の戦いでは織田信長に称賛されるなど、武功を立てます。多くの合戦で活躍し、関ヶ原の戦いののちは、駿河国(現在の静岡県中部、及び北東部)にある「駿府城」を与えられ、4万石の領主となりました。

戦国の世を生き抜いた武将の合戦戦略について解説します。

水野勝成

水野勝成

水野勝成

水野勝成は、その型破りな性格から「名将言行録」において「倫魁不羈」(りんかいふき:あまりに凄すぎて、誰も縛ることができないこと)とされた人物で、多くの武勇伝を持った武将です。

元々は織田家の陪臣(ばいしん:家臣の臣下)の家柄であった水野勝成は、「本能寺の変」ののちに徳川家へ帰属。多くの合戦で首級を挙げ、小牧・長久手の戦いでは一番槍を挙げています。

なお、徳川四天王のひとりで「井伊の赤鬼」と称された猛将・井伊直政とは、武勇を競う間柄でした。

1584年(天正12年)、水野勝成は無謀とも取れる型破りな行動を実父に見咎められ、水野家を勘当されます。全国の武将のもとを転々としたのち、豊臣政権が揺らぐと徳川家康の家臣として帰参。そのあとも次々と軍功を立て、「大坂冬の陣・夏の陣」では、「真田幸村[真田信繁]」(さなだゆきむら/さなだのぶしげ)が徳川家康の本陣まで迫った際に駆け付け、真田隊を壊滅に追い込む活躍を見せました。

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徳川二十八神将が描かれた浮世絵

徳川二十八神将は、日光東照宮において徳川家康と共に配祀(はいし:同じ神社の中に主祭神以外の神を祭ること)されていることから、書画や錦絵などの題材となったものの、一般的には徳川十六神将の図像の方が多く描かれました。刀剣ワールド財団にも、徳川二十八神将のうち、十六神将が描かれた浮世絵が所蔵されています。

武将浮世絵「東照宮十六善神之肖像連座の図」は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師、「歌川芳虎」(うたがわよしとら)の手による物で、中心に「神君」徳川家康を配座し、周りを徳川十六神将が囲んだ絵図。この配置は仏教絵画において、釈迦如来を十六善神が取り囲んだ図像を模した物と考えられています。

刀剣ワールド 浮世絵刀剣ワールド 浮世絵
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