実在した忍者

明治時代以降の忍者や諜報員

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激動の戦国時代を暗躍したイメージの強い忍者。太平の世が訪れると、その存在は少しずつ姿を消していきましたが、現代においてもわずかに忍者の息吹を感じ取ることができます。そんな現代に生きる忍者や、忍者のように人知れず暗躍する諜報員の存在にスポットライトをあてて、ご紹介します。

陸軍学校で忍術を教えた「藤田西湖」

甲賀流忍術14世を名乗った「藤田西湖」(ふじたせいこ)は、1899年(明治32年)に警察官の父親のもとに生まれました。甲賀流13世を名乗った祖父から忍術を学ぶと、1910年(明治43年)に祖父の死去を受けて、甲賀流忍術を継承したとされています。藤田西湖は、習得した忍術を駆使して、ガラスのコップを食べる、針を全身に刺すなどのパフォーマンスを観衆の前で披露して、知名度を得ていきました。

忍者として知られるようになった藤田西湖は、警察官や軍の関係者と親交があったこともあり、のちに陸軍学校となる「後方勤務要員養成所」に忍術の教官として招かれます。

藤田西湖は、節を抜いた竹で水中に潜る術、腕や脚の関節を外して縄から抜ける術、音を立てずに歩く術、壁や天井を移動する術などを実演。

藤田西湖は「武士道では、死ということを、立派なもののように謳い上げている。しかし、忍者の道では、死は卑怯な行為とされている。死んでしまえば、苦しみも悩みも一切なくなって、これほど安楽なことはないが、忍者はどんな苦しみをも乗り越えて生き抜く。足を切られ、手を切られ、舌を抜かれ、目をえぐり取られても、まだ心臓が動いているうちは、何が何でも敵陣から逃げ帰って、味方に敵情を報告する。生きて生きて生き抜いて任務を果たす。それが忍者の道だ」と陸軍を目指す学生に向けて講話し、死ぬことよりも生き抜いて味方に情報を届けることが大切だと伝えました。

戦後にかけても、日本古武道復興会常任理事を務めるなど精力的に活動。1964年(昭和39年)の東京五輪に向けた陸連選手強化本部のコーチ会議にて忍術を披露するなど、忍術や忍者の教えを伝え続けました。

世界に忍者を広めた「初見良昭」

初見良昭(はつみまさあき)は1931年(昭和6年)に千葉県に生まれました。

幼少の頃から空手や柔道、古武道などのあらゆる武術を学んだ初見良昭は、27歳の頃に「戸隠流忍術」(とがくれりゅうにんじゅつ)の使い手「高松寿嗣」(たかまつとしつぐ)に入門。15年間の修業の末、以下の九流派を受け継いだとされています。

  • 戸隠流忍法体術玉虎流骨指術(ぎょくこりゅうこっしじゅつ)
  • 九鬼神伝流八法秘剣術(くきしんでんりゅうはっぽうびけんじゅつ)
  • 虎倒流骨法術(ことうりゅうこっぽうじゅつ)
  • 神伝不動流打拳体術(しんでんふどうりゅうだけんたいじゅつ)
  • 高木揚心流柔体術(たかぎようしんりゅうじゅうたいじゅつ)
  • 義鑑流骨法術(ぎかんりゅうこっぽうじゅつ)
  • 玉心流忍法(ぎょくしんりゅうにんぽう)
  • 雲隠流忍法(くもがくれりゅうにんぽう)

その後、受け継いだ九流派を統合して「武神館」(ぶじんかん)という道場を創立。初見良昭は、国内だけでなく海外での忍術指導にも積極的に取り組み、武神館の扱う実践的な忍法体術はアメリカや南米など世界中の警察官や軍隊に広く受け入れられていきました。

また、初見良昭の教えは自身の力に頼らず、相手の力をうまく利用して制することを極意としており、女性の忍者も多く輩出。海外の一部医療現場では、薬物依存症などの患者の暴力から看護師を守る護身術として武神館の教えが取り入れられ始めています。

現在では世界50ヵ国以上に道場が存在しており、初見良昭の活動と武神館の広がりにより忍術は柔道、剣道と並ぶ日本の武術として世界中に知られるようになりました。初見良昭の弟子の8割が外国人。外国人の弟子の数は10~20万人ともされ、世界各国では「忍者と言えば初見良昭」と言われる存在になっています。

現代に生きる最後の忍者「川上仁一」

「川上仁一」(かわかみじんいち)は1949年(昭和24年)に福井県で誕生。

両親ともに忍者の家系ではありませんでしたが、6歳の頃に甲賀流伴党21代目宗家の「石田正蔵」(いしだまさぞう)に出会い、甲賀流忍術の一派である伴家忍之伝(ばんけしのびのでん)を学び始めました。

幼少期は比較的難易度の低い、呼吸法や音を殺して動く歩行法などを鍛錬。その後成長するにつれて、体の関節の外し方や、火薬や薬草の配合、絶食の経験を積み18歳の頃に石田正蔵から伴家忍之伝を継承し、甲賀流伴党21代目宗家になりました。

川上仁一は一般企業に勤める傍ら、忍者としての鍛錬に励み、忍者・忍術の広報や研究を目的とした「神道軍伝研修所」を設立。

現在では、伊賀流忍者博物館名誉館長や、日本忍者協議会顧問を務めています。

2012年(平成24年)三重大学にて、地元伊賀にルーツがあり海外にも広く親しまれている忍者の、史料の撮影・調査・解読を行ない、どのような存在だったのか、また現代に至るまでどのように変容してきたかを学術的に扱うべく、上野商工会議所や伊賀市と連携して忍者に関する調査・研究・講演会を実施する組織「伊賀連携フィールド」を設立しました。

川上仁一は忍者継承者として取り組んできた、忍者研究の実績が認められ三重大学社会連携特任教授の招聘を受け、伊賀連携フィールドでの共同研究に参加。忍者継承者が国立大学の教授になったというニュースは国内だけでなく海外でも大きく取り上げられました。

川上仁一は現在も、国内外で忍者にまつわる講演会、本やテレビ番組の監修など、現代に生きる忍者として、多方面から忍者を今に伝える活動を精力的に行なっています。

現代の隠密行動を担う「スパイ」

隠密行動により情報の収集をするという点では「スパイ」は現代の忍者と言える存在です。

現代では情報の価値が跳ね上がり、軍事情報や産業情報を諜報活動から得たり、諜報活動から情報を守ったりすることが重要となっています。

現代の諜報機関で言うとアメリカ合衆国の「CIA」(中央情報局)が有名。アメリカ合衆国の安全保障政策の決定に必要な諜報活動を行なうために組織されたCIAは、軍隊や警察から独立したアメリカ合衆国大統領直属の機関です。活動には膨大な国家予算がかけられていますが、その活動は機密性が高く詳細は明らかにされていません。

そんな隠密活動をするスパイの中で、もっとも活躍が多くの人に知られている人物は「ジェームス・ボンド」ではないでしょうか。ジェームス・ボンドは作家「イアン・フレミング」が生み出したイギリスの秘密情報部(MI6)に所属する空想上の工作員で、映画「007」シリーズの主人公として全世界で愛されています。

高級スーツを着こなすクールな凄腕諜報員ジェームス・ボンドが、世界を股にかけて活躍する007シリーズはこれまで24本の作品が公開。世界興行収入総額は163億ドルにも上ると言われています。ジェームス・ボンドというヒーローが、映画を通してスパイをより身近なものへと昇華させました。

スパイは忍者と同じく空想上での活躍により超人的なイメージが付いていますが、諜報という表に出ない活動内容ゆえに実際の姿はベールに包まれています。

現代の諜報員が使用した道具

忍者のように暗躍する現代の諜報員は、任務遂行のために日用品にカモフラージュされた道具を用いてきました。一般市民に紛れ込んで秘密裏に諜報活動を行なうためのアイデアの詰まったスパイ道具を紹介します。

  • 口紅型のピストル

    口紅型のピストル

  • ペン型のカメラ

    ペン型のカメラ

女性スパイが日用品にカモフラージュしてピストルを所持するために作られたのが「口紅型のピストル」です。ターゲットに怪しまれずに近付くことを可能にすると同時に、不意の荷物チェック時にピストルの所持を隠すことができました。

機密文書の撮影を怪しまれずに行なうために考案されたのが「ペン型のカメラ」です。

書斎やデスクに持ち込んでも違和感のないペンにカメラを内蔵することで、機密文書を怪しまれることなく撮影することができます。これらのアイテムは現在は、国際スパイ博物館(アメリカ合衆国)に展示されています。

時代の流れと共に姿を消していった忍者ですが、その教えは武道や学問に形を変えて現在も世界中に継承されています。

また、いつの時代も諜報活動を行ない暗躍する集団は必要とされ、現代の諜報員は世界中で密かに活動しています。誰にも諜報員ということを気付かれないように、姿や身分を変えて社会に溶け込み諜報活動を行なっている現代の諜報員は、一般社会に生きる私達の身近にすでに潜んでいるかもしれません。

明治時代以降の忍者や諜報員

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