忍者の使った術

武術

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忍者の最大の役割は「諜報」であり、敵側の情報を生きて味方のもとに持ち帰ることが何よりも大切。敵陣で敵兵に襲われても、戦わずに逃走を図ることが優先されていました。ですが、見張りの兵がいてどうしても倒さなければならなかったり、そもそも任務が要人の暗殺だったりと、敵と戦わなければならない場面も多々訪れます。そのため忍者は日々の鍛錬で武術も習得し、技を磨いていました。忍者の武術ではそんな忍者に伝わっていた武術をご紹介します。

忍者の武術 手裏剣術

「手裏剣術」(しゅりけんじゅつ)は、忍者の用いる「忍具」のなかで、最も有名な物のひとつである手裏剣を使った武術です。

不意に「手の裏」(手のひら)に隠し持っていた手裏剣を打ち込んだり、物陰に隠れて離れた場所から敵を攻撃したりと、逃走中に敵を撹乱する際や、ひっそりと暗殺を遂行する際にも手裏剣が使われました。

手のひらに収まる大きさで容易に隠し持つことができる「暗器」(隠し武器のこと)であることも、暗殺に好んで使用された理由のひとつです。

一口に手裏剣と言っても、多種多様な形状があるのも手裏剣の特徴。馴染みの深い十字型などの「平型手裏剣」には、「三方手裏剣」、「四方(十字)手裏剣」、「八方手裏剣」といった種類が存在しました。刃が多いほうが投げ付けた敵を負傷させる確率が高まるため、暗殺を遂行する際には、八方手裏剣が多く用いられたのです。

棒手裏剣

棒手裏剣

針や釘のような棒状の「棒手裏剣」は、「直打法」(じきだほう)、「半回転打法」、「回転打法」と様々な打法がありますが、どの打法でも敵に当たる瞬間に棒の先端にある刃が敵側を向いていなければなりません。そのため実戦で使用できるほどの腕前になるまでに、多くの修練が必要でした。

ですが、修練が少なくて済む平型手裏剣には、重くかさばる「携帯性の悪さ」や、他の武器と比べ刺さりが浅く致命傷を負わせづらいという「殺傷力の低さ」、回転する刃が発する「風切り音」といった欠点が存在します。それらの欠点を補える棒手裏剣は、多くの修練を積んででも好んで用いられました。

江戸時代以降も手裏剣術は古武術として発展し、50以上の流派が生まれたのです。江戸幕府最後の将軍として知られる15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)も、幼少期から護身術として手裏剣術を修練し、名手として知られました。現代では、「伊賀流」、「甲賀流」といった流派が全国各地に存在し、手裏剣の技を現在に伝えています。

忍者の武術 剣術

忍刀

忍刀

「剣術」(けんじゅつ)は、主に「忍刀」(しのびがたな)を使った武術です。

一般的な剣術と違い、忍者の間で広まっていた剣術は太刀のような長く反り返った日本刀ではなく、直刀と呼ばれる種類の忍刀を使っていたとされます。

忍刀は、反りが小さく短くなっており、敵陣に侵入することの多い忍者の任務の性質も考慮された工夫になっているのが特徴です。

広い合戦場で振るう太刀と違い、忍者は侵入した屋内での戦闘も想定しなければなりません。

そのため振るった際に天井や壁に当たらないよう、忍刀は短く設計され、剣術としても「斬り付ける」よりも「突き刺す」ことに長けた技が生み出されていきました。

忍刀の特徴である長い「下緒」(さげお:に付けてある紐)を使った「下緒七術」には、忍刀での戦闘のための剣術があります。

そのひとつが、「坐さがし」(ざさがし)という術。夜目も利かない暗闇に忍び込んだ忍者が、鞘を鋒/切先(きっさき:刀の先端)に引っ掛け長い下緒を口にくわえて周囲を探索するもので、鞘に人が当たると忍者は下緒を離して鞘を落とし、抜身となった忍刀で敵を刺し攻撃しました。

防御のための剣術として、敵兵が槍で攻撃してきた際に、下緒を槍に絡めてそのまま奪い取る「槍停」(やりどめ)という剣術も存在します。

忍者の武術 鉄砲術

「鉄砲術」(てっぽうじゅつ)とは、戦国時代に伝来した火縄銃を用いた武術です。

元来、薬の知識に長けていた忍者の里は、火縄銃とともに伝わった西洋の最新技術で作られた火薬の分析・研究にも積極的に取り組み、「火術」として効果的な火薬の使用方法を確立しました。「伊賀流忍者」、「甲賀流忍者」といった忍者の里は、当時まだ一般的でなかった火薬の扱いをいち早く習得し応用することで、火縄銃をはじめ火矢や狼煙といった多くの火器・火を使った道具を誕生・発展させていきました。

なかでも、戦国時代に紀伊国(きいのくに:現在の和歌山県三重県南部)を中心に勢力を拡大した「雑賀衆」(さいかしゅう)や「根来衆」(ねごろしゅう)といった忍者集団は、早くから集団全体を銃で武装させ、高い武力を誇る傭兵部隊として名を馳せました。

戦国の世が終わった江戸時代以降も、伊賀流忍者・甲賀流忍者・根来衆などは「百人組」と呼ばれる江戸の警備を担当する鉄砲部隊として徳川幕府に召し抱えられており、このことからも彼らの持つ鉄砲術が高度で重要な技術であったことが分かります。

忍者の武術 槍術

服部半蔵の槍

服部半蔵の槍

「槍術」(そうじゅつ)とは、鎌倉時代に薙刀から誕生したとされる槍を使った武術です。

槍は日本刀よりも間合いが長く、刃で突くだけでなく長さを活かしての部分で打ち倒すこともできるため、戦闘を有利にできました。

また徳川家康に仕えた伊賀忍者「服部半蔵」の2代目「服部半蔵正成」(はっとりはんぞうまさなり)も、槍の名手として有名。

服部半蔵正成が戦で功績を挙げ徳川家康から拝領したと言われる「服部半蔵の槍」が現存し、有形文化財として西念寺(さいねんじ:東京都新宿区)に収蔵されています。

忍者の武術 弓術

「弓術」(きゅうじゅつ)は、飛び道具である弓矢を使った武術です。

剣術や槍術の比にならない間合いから対象物を狙撃できるため、戦闘に限らず様々な場面に応用されました。

代表的な物では敵陣に火を放つための「火矢」や、矢に文書を結び付けて打ち込む連絡手段の「矢文」、目盛りの書かれた縄を矢に結び対岸に放つことで敵陣の堀や川の幅を知る「糸矢」などがあります。

また通常の弓は比較的大きく隠し持つことが困難ですが、忍者は編笠の内側に仕込めるほど小型の弓・半弓(はんきゅう)を使ったり、蝶番で折り畳める弓を開発したりと、弓の小型化にも力を入れていたことが分かります。

忍者の武術 鎌術

鎖鎌

鎖鎌

「鎌術」(かまじゅつ)は、農具である鎌を武器として使用する武術です。

当時は、農民が農具である鎌を持っていても目立つことはありませんでした。

そのため農民などに扮した忍者も、堂々と鎌を持って移動ができました。鎌自体も両刃であったり折りたたむことができたりと、殺傷性や携帯性を向上させ忍者が武器として取り回しやすいよう改良を加えた物もありました。

2本の鎌の柄を短い縄でくくって両手に持ったヌンチャクのような「二丁鎌」や、鎌の柄と分銅を鎖でつないだ「鎖鎌」(くさりがま)など、鎌術から派生した武術も存在します。鎖鎌術では、分銅を敵に投げ付けて負傷させたり、鎖を敵に絡めて身動きが取れない状態にしました。

分銅は遠心力で加速させ大きな力も必要としないため、女性忍者「くノ一」もよく用いていたとされています。

忍者の武術 骨法術

「骨法術」(こっぽうじゅつ)は、忍者が素手で敵と格闘する際に用いた武術。現代の相撲の原型と言われる「手乞」(てごい)を源流とした古流武術の骨法術は、突きや蹴りなどの当て身技が主体であることが特徴です。

現代に残る忍者として有名な戸隠流忍者の「初見良昭」(はつみまさあき)氏によれば、どの流派であっても忍者になるためには骨法術・気合術(気を使用する武術)・剣術・槍術・手裏剣術・火術・遊芸(芸能)・教門(知識・教養など)の8項目からなる「忍者八門」を修める必要があったと伝えています。

今回ご紹介したような武術は当然ながら、一般教養や伝統芸能も修めた忍者は、文武両道を極めたまさにエリートな存在であったと言えるかもしれません。

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