武士と日本のマナー

神紋とは

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日本の多くの家に「家紋」があるように、神社にも紋があり、これを「神紋」(しんもん)と言います。神社の神紋にはどのような種類があるのでしょうか。神紋が用いられるようになった起源と、代表的な神紋について紐解き、また刀剣が奉納されている神社を併せて解説していきます。

神紋のなりたち

「神紋」(しんもん)が用いられるようになった理由や、その起源はひとつではありません。大きく3つの項目に分けて見ていきましょう。

  1. 神木・祭具が由来に

    ひとつ目は、その神社に祀られている神様に縁のある物や祭具、または神社ゆかりの神木などの植物を意匠とした神紋です。奈良県桜井市にある「大神神社」(おおみわじんじゃ)の神杉(かみすぎ)が起源の「杉紋」が例として挙げられます。

  2. 伝説や言い伝え

    2つ目は、伝説やその土地の言い伝えに基づく神紋です。平安時代の学者で政治家の「菅原道真」(すがわらのみちざね)を祀る「天満宮」の「梅紋」は、生前の菅原道真が梅の花をこよなく愛したという言い伝えがもとになっていると言われています。

  3. 家紋からの転用

    3つ目は、家紋がもとになった神紋です。これは「徳川家康」を祀る「東照宮」が、徳川家の家紋である「葵紋」を神紋としている例など、歴史上の偉人が祀られている神社でよく見られます。さらに、神社を守っていく上で後ろ盾になってくれる公家や武家の家紋を用いることも珍しくありません。

これら3つの他には、神仏習合(しんぶつしゅうごう:日本古来の信仰である神道と、外国から伝来した仏教の信仰をひとつにした宗教の思想)によって使われるようになった仏教由来の紋や、天文・気象にかかわる紋などがあり、人々の信仰と、その歴史的背景を示す象徴と考えることもできます。

また神紋は、ひとつの神社にひとつとは限らないのです。複数の神紋を使う神社がある他、執り行なわれる祭事に合わせて神紋を変える神社もあります。

次の項目では、いくつかの有名な神紋を取り上げ、それらの神紋を掲げている代表的な神社をご紹介します。

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  • 徳川家の来歴をはじめ、ゆかりの武具などを紹介します。

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葵紋

起源は賀茂神社

徳川家の家紋「三つ葉葵」

徳川家の家紋「三つ葉葵」

徳川家の家紋として余りにも有名な葵紋。

葵紋は、フタバアオイの葉を図案化した紋ですが、フタバアオイの葉は通常2枚。3枚の葉を持つフタバアオイはほとんどなく、徳川家の「三つ葉葵紋」は、架空の意匠です。

徳川家が家紋とした葵紋のルーツは、古くから賀茂氏の氏神を祀る「上賀茂神社」(京都府京都市北区)と「下鴨神社」(京都府京都市左京区)の神紋「二葉葵紋」にあるとされています。

賀茂氏とつながりの深かった三河(現在の愛知県東部)の武士も葵紋を用いていましたが、同じく三河武士の家系であった徳川家も使用。「豊臣秀吉」亡きあと、徳川家の威信が上がるにつれ、葵紋は別格と位置付けられるようになりました。

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葵紋を神紋とする久能山東照宮

葵紋は、徳川家に縁がある、または徳川家の支援を受けた神社が用いる場合が多く、徳川家康をご祭神として祀っている「久能山東照宮」(静岡県静岡市)は、その筆頭として挙げられます。久能山東照宮は、徳川家康の遺言により、徳川2代将軍「徳川秀忠」が創建しました。

徳川家康が自らを埋葬する場所として久能山を選んだ理由は、徳川家康が残した「久能山は駿府城の本丸である」という言葉から読み取れます。久能山には、かつて「武田信玄」が築いたとされる砦「久能山城」があり、徳川家康はここを駿府にとっての守りの要と考えていました。久能山東照宮は、この久能山城の跡地に建てられたのです。

徳川家康の天下泰平への想いは、愛刀「ソハヤノツルキ」を久能山東照宮へ安置したことにも表れています。ソハヤノツルキは、筑後国(現在の福岡県北部)の刀工「三池典太光世」(みいけてんたみつよ)の傑作で、徳川家康はソハヤノツルキを久能山に納め、西国大名が謀反を起こさないよう鋒/切先(きっさき)を西へ向けておくようにと言い残しました。

遺言通りに安置されたソハヤノツルキが神通力を発揮したためか、徳川家が治める平和な時代は、265年の長きに亘って続いたのです。

ソハヤノツルキ
ソハヤノツルキ
妙純伝持 ソハヤノツルキ/ウツスナリ
鑑定区分
重要文化財
刃長
69.6
所蔵・伝来
徳川家康 →
久能山東照宮

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葵紋のバリエーション

葵紋を掲げる神社の神紋は、賀茂神社が二葉葵を用いているように、一様ではありません。

久能山東照宮の神紋は、江戸徳川家の家紋「徳川葵紋」に似た三つ葉葵ですが、静岡県沼津市にある「城岡神社」(しろおかじんじゃ)の神紋は、三つ葉葵に「抱き稲」と「二重亀甲」組み合わせた「抱き稲に二重亀甲に丸に三つ葉葵紋」です(※名称については異説あり)。抱き稲は稲荷神(いなりのかみ)を、二重亀甲は「大国主命」(おおくにぬしのみこと)を表すと言われています。

左三つ巴

左三つ巴

また、賀茂神社のご祭神とゆかりの深い「山王日枝神社」(さんのうひえじんじゃ:東京都千代田区)の神紋は「変わり二つ蔓葵の丸紋」。

山王日枝神社の神紋はひとつではなく、「三つ巴紋」(みつどもえもん)と「菊紋」も社殿の随所に見られます。

三つ巴紋は渦巻く水を表しており、火災除けとして屋根瓦などに施されました。あるいは、「三種の神器」のひとつ「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)が巴形であることから、神霊の象徴として、神紋のなかでは最も多く用いられています。

菊紋は、天皇・皇室の紋として有名です。明治時代以降は、格式の高い一部の神社以外は使用を禁止されたため、山王日枝神社と皇室との深い縁を示していると言えます。

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桐紋

皇室が使用した格式の高い紋

「桐紋」(きりもん)は、「巴紋」の次に神社で多く使われている紋です。

桐は、鳳凰(ほうおう)が止まる木として、古代中国で神聖視されていたことから、日本でも菊紋に次ぐ格式の高い紋とされました。はじめは、皇室のみが使用できる家紋でしたが、戦国時代以降、豊臣秀吉をはじめ、諸侯も用いるようになります。

五三桐

五三桐

豊臣秀吉は、「織田信長」の家臣であったとき、葉の上に花が3-5-3と付いた「五三桐紋」(ごさんのきりもん)を家紋としていました。

しかし豊臣姓を下賜されたのちは、花が5-7-5と並ぶ桐紋で最も位が高い「五七桐紋」(ごしちのきりもん)を使っています。

豊臣秀吉を祀る「豊国神社」(京都府京都市東山区)の神紋も五七桐紋です。

この他、桐紋を神紋としている有名な神社は、愛知県名古屋市熱田区にある「熱田神宮」。五七桐紋に笹竹を配した「五七桐竹紋」を掲げています。鳳凰は桐の木に棲み、笹竹の実を食べるという伝説から、桐と笹竹はおめでたい印と考えられました。

また、熱田神宮のご神体は、三種の神器のひとつ「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ)です。それだけに刀剣とのゆかりも深く、熱田神宮の文化財を集めた「熱田神宮宝物館」では、数多くの名刀を収蔵展示。刀剣ファンならずとも、足を運ぶ価値のある施設となっています。

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梅紋

菅原道真を祀る太宰府天満宮

梅紋は、「天神様」こと菅原道真が愛した梅を図案化した紋です。

平安時代中期、「宇多天皇」(うだてんのう)に重用された菅原道真でしたが、これを快く思わない藤原氏の策謀により、太宰府(だざいふ:九州北部に置かれた地方行政機関)へ左遷(させん)されてしまいます。菅原道真は京へ戻ることなく、その地で没することとなりました。

ところが菅原道真の没後、藤原一族に様々な災厄が降りかかります。これを菅原道真の祟りと考えて恐れ、御霊(みたま)を鎮めるために太宰府に社殿を建立。菅原道真をご祭神として祀ったのが「太宰府天満宮」(福岡県太宰府市)のはじまりです。

また、太宰府天満宮には、菅原道真が佩用したとされる刀剣「毛抜形太刀 無銘」(けぬきがたたち むめい)が納められています。「毛抜形太刀」とは、の部分に貴人が使う毛抜きに似た透彫(すかしぼり)があることから名付けられました。

刀身にわずかな反りがあり、平安時代中期以前に主流であった直刀(ちょくとう)からの変化が見て取れます。附属のには梅紋があしらわれていますが、これは「梅鉢紋」(うめばちもん)と呼ばれる家紋です。

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各地の天満宮が用いている梅紋

菅原道真をご祭神とする天満宮は、全国におよそ12,000社。なかでも、太宰府天満宮と「北野天満宮」(京都府京都市上京区)、「防府天満宮」(ほうふてんまんぐう:山口県防府市)の3社は代表的とされ、「日本三大天神」と称されています。

梅紋

梅花・星梅鉢・梅鉢

太宰府天満宮の神紋は、実際の梅の花に近い意匠の「梅花紋」です。北野天満宮は「星梅鉢紋」で、星を表す呪符(じゅふ:災厄を避けるためのお守り)としての「六曜」(ろくよう)と、梅を組み合わせた紋と考えられています。

防府天満宮の神紋は、菅原道真が佩用した毛抜形太刀の鞘と同じ梅鉢紋。この「鉢」とは器ではなく、太鼓を叩くための「バチ」を意味し、梅の花の中央にある雄しべがバチのように見えることから名前が付けられました。

亀甲紋

縁起の良い生き物から生まれた

旧暦の10月になると、日本中の八百万(やおよろず)の神々が集うとされる「出雲大社」(島根県出雲市)。そのため、神様が留守になる他の土地では10月を「神無月」と呼びますが、出雲だけは「神在月」と呼んでいます。

二重亀甲に剣花菱紋

二重亀甲に剣花菱紋

この出雲大社の神紋は、「二重亀甲に剣花菱紋」(にじゅうきっこうにけんはなびしもん)です。

「亀甲」とは、亀の甲羅を模した意匠で、亀は古くから長寿の象徴とされる縁起の良い生き物です。

また、東西南北のうち、北を守る中国の霊獣「玄武」(げんぶ)の姿であるとも言われています。

玄武は、亀に蛇が絡み付いた形で描かれ、亀は「長寿と不死」、蛇は「繁殖」を表すとのことです。

そして、二重に描かれた「亀甲紋」は、出雲大社のご祭神である大国主命の象徴となっています。「二重亀甲紋」の内側に入っているのが「剣花菱紋」です。剣花菱の芯にあたる円形は「鏡」、花びらは「勾玉」、剣の部分はそのまま「剣」を意味し、三種の神器を表現するとされています。

  • 一重亀甲

    一重亀甲

  • 二重亀甲

    二重亀甲

古来、縁結びの神様として信仰を集めている出雲大社ですが、実は刀剣と深いつながりがある神社なのです。出雲地方は、良質な砂鉄が採れる一大産地として知られ、平安時代にはすでに実力のある刀工集団が拠点を構え、刀剣の制作が盛んに行なわれていました。

そんな出雲大社には多くの刀剣が奉納され、現在も「宝物殿」に貴重な名刀が所蔵されています。なかでも代表的な名刀は、出雲からも近い備前国(現在の岡山県東南部)で栄えた「長船派」の祖とされる刀工「光忠」(みつただ)の太刀。この「 光忠」は、豊臣秀吉の佩刀でしたが、1609年(慶長14年)の遷宮に際して、「豊臣秀頼」と、その母「淀殿」により寄進されました。

国の重要文化財に指定されている名刀で、参拝者の注目を集めています。

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木瓜紋・桜紋・藤紋

木瓜紋

織田家の家紋「五瓜に唐花」

織田家の家紋「五瓜に唐花」

他に、代表的な神紋として挙げられるのが「木瓜紋」(もっこうもん)です。

織田信長の家紋としてよく知られており、織田家ゆかりの「劔神社」(つるぎじんじゃ:福井県丹生郡越前町)の神紋となっています。

劔神社のご神体は、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)の神霊が宿る神剣です。織田信長は神官の子孫とされ、織田家が劔神社への崇敬の念を忘れることはありませんでした。

三盛亀甲に五三桐

三盛亀甲に五三桐

木瓜紋は、京都府京都市東山区の「八坂神社」、尾張国(現在の愛知県西部)の「津島神社」(愛知県津島市)、筑前国(現在の福岡県西部)の「櫛田神社」(くしだじんじゃ:福岡県福岡市博多区)なども用いています。八坂神社は、三つ巴紋も使用。

また、櫛田神社の神紋は3つあり、木瓜紋以外の2つは、「三盛亀甲に五三桐紋」と「大和桜紋」です。

戦国大名の来歴をはじめ、ゆかりの武具などを紹介します。

桜紋

大和桜紋は、100種類以上あると言われる「桜紋」のひとつ。桜という名前は、日本神話に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)の「さくや」がなまったとも伝えられ、櫛田神社の他にも木花開耶姫を祀る神社の多くが用いています。

富士山を神格化した「浅間神」は、しばしば木花開耶姫と同一視されるため、富士山を信仰する全国の「浅間神社」(あさまじんじゃ/せんげんじんじゃ)は、木花開耶姫をご祭神とし、桜紋を神紋としているのです。浅間神社の桜紋は同じではなく、各神社によって種類が異なります。

一方、「平野神社」(京都府京都市北区)の「山桜紋」や、摂津国(現在の大阪府北中部、兵庫県南東部)「生田神社」(兵庫県神戸市中央区)の「八重桜紋」は、境内にあった桜の木にちなんだ神紋です。

藤紋

「藤」は長寿で繁殖力も強いことから、おめでたい植物とされ、昔から日本人に親しまれてきました。そして、藤原氏と縁の深い神社は、藤の花を意匠とした「藤紋」を神紋としています。

  • 下り藤

    下り藤

  • 上り藤

    上り藤

奈良県奈良市の「春日大社」や、京都府京都市左京区の「吉田神社」は、藤の花が下に垂れた「下り藤紋」。「談山神社」(たんざんじんじゃ:奈良県桜井市)の神紋は、藤の花が上を向いた「上り藤紋」です。

藤紋は文様としても美しく、神社をはじめ、公家や武家、庶民へも広まり、およそ150もの種類が生み出されました。

  • 刀剣が奉納・展示されている神社・仏閣や宝物館をご紹介!

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神紋から見える歴史

神紋は単なる文様ではなく、その神社の起源や歴史、そして時の権力者との切っても切れない関係も見えてくる、たいへん興味深いシンボルです。神社を訪れるときには、境内の至るところに施された神紋を探してみることをおすすめします。

神紋とは

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