忍者のイメージと実像

忍者の成り立ち

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忍者は、室町時代から江戸時代に大名や領主に仕え、戦においては独立部隊として諜報活動、破壊活動、浸透戦術(強力な少数部隊を作って、部分的に攻めていく戦術)、謀術(ぼうじゅつ :相手を油断させて、隙を作り出す)、暗殺などを行なう役割を担っていました。日本で有名な忍者としては伊賀忍者、甲賀忍者などが挙げられます。

諜報員の歴史

忍者は隠密行動を得意とし、現代で言う「諜報員」(ちょうほういん)のような活躍をしていました。諜報員の存在は古代から確認されており、世界各地の神話や古文書にも、しばしば描写されています。

例えば、ギリシャ神話で描かれた「トロイの木馬」などが世界的に有名です。また古代中国の兵法書「孫子」(そんし)では、兵法のひとつとして離間工作の方法、敵の間者を二重スパイとして活用する方法などが記載されています。

近代以降、世界各国で情報機関が組織されており、各地でスパイの活動が展開。英語では諜報員を「Spy」(スパイ)と「Agent」(エージェント)の2種類で区別し、「スパイ」は敵側の諜報員、「エージェント」は味方側の諜報員を指します。中国語でも、敵側を「間諜」(かんじゃ)、「細作」(さいさく)、「姦細」(かんさい)、味方側を工作人員や政治指導員などと区別します。

忍者の歴史

忍術の起源には多くの説があり、他の武術のように始祖もはっきりしていません。一説には、聖徳太子に仕えた「大伴細入」(おおとものほそひと)が優れた軍術をもって、様々な功績を上げ、聖徳太子より「志能便」(しのび)という称号を与えられたという逸話から、「大伴細入」が最初の忍者であるとされています。

忍者の存在が歴史的に確実に確認できるのは、南北朝時代以後。その起源は13世紀後半の悪党(寺院や貴族などの荘園領主に対して反抗的な行動を取った人々)にあると考えられています。

当時の忍者は、「乱波」(らっぱ)・「透波」(すっぱ)・「草」(くさ)・「奪口」(だっこう)・「かまり」など、地方により様々な名前で呼ばれていました。

室町時代に入り、荘園を経営する寺社の勢力が弱体化するにつれて、悪党の活動は徐々に減少していきますが、悪党の血を引いた「地侍」が頭角をあらわしたのです。

戦国時代になると、彼らは足利家、織田家、徳川家などの戦国大名の傭兵となり従軍して、京都や奈良、滋賀、和歌山へ出陣していたことが分かっており、その戦術は夜襲や密かに忍び入り火を放つことが中心でした。このころより、地侍は「忍者」と呼ばれるようになります。

1590年(天正18年)徳川家康が江戸に入府すると、忍者は江戸城下に住み、大奥や無人の大名屋敷などの警備、普請場の勤務状態の観察などを行なう他、鉄砲隊として甲賀百人組、伊賀百人組が編成され、江戸城大手三之門の警備を行ないました。このように江戸時代になって平和な時代が訪れると、だんだんと戦闘をすることは少なくなり、情報収集や、警護をすることが主な任務となります。

江戸幕府から明治新政府へ政権が移ると、日本陸軍、日本海軍、警察が創設され、忍者もその役目を終えることになりました。活躍できる場を失った彼らはその後、陸軍や警察関係の職業など、技能を活かすために新たに創設された職に就いた者や、明治になって職業選択が自由になったことから、全く違う職に就く者が増え、忍者は消滅します。

忍者が消えていく一方、江戸時代ごろから小説や芸能に、虚像としての忍者が描かれるようになっていきました。江戸時代初期の忍者は忍術を使って敵のアジトに忍び入り、大切な物を盗んでくるというパターンで描写されていきます。

この手の話でよく知られているものが、「石川五右衛門」(いしかわごえもん)の物語です。ここで用いられる忍術は、読者を喜ばすために派手で摩訶不思議な術に変化。この結果、巻物を加えて印を結ぶとドロンと消えたり、ガマに変身する妖術を使う忍者が誕生しました。

また、江戸時代後期になると、歌舞伎や浮世絵などにおいて黒装束を身に付けて手裏剣を打つという現代につながる忍者のイメージが形成されたのです。

忍者が愛用した道具・忍具

忍具(にんぐ)

忍者が活動に用いた道具のことを言います。

手裏剣(しゅりけん)
手裏剣

手裏剣

手裏剣(しゅりけん)は手投げの刃物で、形は棒状の物から十字型、円形の物まであります。

重くかさ張るので、実際に携帯していた数は1枚から、多くても3〜4枚だったと言います。

くない
くない

くない

くないは両刃の道具で、「苦無」あるいは「苦内」とも表記されました。

武器としての用途以外にも、壁や地面に穴を掘るスコップのように使われている、現代で言う「サバイバルナイフ」に近い道具でした。

忍刀(しのびがたな)
忍刀

忍刀

忍刀(しのびかたな)は携帯性や機能性向上のために工夫された刀です。

刀剣独自の反りは少なく、「直刀」(ちょくとう)に分類される刀身形状でした。

(かま)
鎌

鎌(かま)は日本の農具として一般的に入手が容易である刃物です。

農民が携帯していても不自然ではなかったため、農民に変装したときの武器として隠密活動時に重宝されました。

撒菱(まきびし)
まきびし

まきびし

撒菱(まきびし)は鋭利なトゲがあるため、逃げる途中に地面にばら撒き、踏んだ追っ手の足を傷付ける武器です。

どのように置かれても刺が上を向くように、三角錐の形状をしています。

五色米(ごしょくまい)
五色米

五色米

五色米(ごしょくまい)は赤・青・黄・黒・紫の5色に染めた米。

色付きなので野鳥に米だと認識されにくいのが特徴です。

食べられる恐れが少ないので、屋外でも色と個数を組み合わせて地面に置き、仲間へのメッセージを残すことができました。

忍装束(しのびしょうぞく)

忍装束

忍装束

忍者が着用していた服のことを言います。

戦闘用に山着、野良着を改良した物で、現代で描かれる忍者は黒い物を身に付けていることが多くありますが、実際は闇に紛れるための黒色ではなく茶色(柿渋色やクレ色)に近い物を着用していたそうです。

日中は目立つので、この格好で動くことはなかったと言われています。

代表的な忍者

服部半蔵(はっとりはんぞう)
もっとも有名で実在する忍者としてまず挙げられるのが徳川家康に仕えた「服部半蔵」です。

服部半蔵とは、実は世襲の役職で12代にわたって世襲されていきました。服部半蔵として一般的に知られているのは、2代目当主であった「服部正成」(まさなり)です。

服部正成は16歳の時に三河宇土城の夜襲で戦功を挙げ、徳川家康から褒美として槍を贈られ、伊賀忍者150人を預けられました。

1582年(天正10年)の本能寺の変では、明智光秀軍に退路を断たれた徳川家康を無事に堺(現在の大阪府)から岡崎城へ送り届けます。

徳川家康はこの功績を評価し、伊賀忍者300人を「伊賀同心」として正成に支配を許可しました。それ以降も1590年(天正18年)の小田原征伐などで戦功を多く立て、遠江国(現在の静岡県西部)に8,000石の領地を得ます。江戸城の半蔵門は、門外に服部正成の屋敷があったことから名付けられました。

猿飛佐助(さるとびさすけ)
架空の忍者ですが、文学・講談などでは抜群の知名度を持つ「猿飛佐助」。

佐助は幼少期「信濃」(現在の長野県)の山の中でひとり修行をしていたところ甲賀流忍術の開祖「戸沢白雲斎」(とざわはくうんさい)に見いだされ、その弟子となります。

佐助は角間渓谷(真田忍者の修行場だったと言う伝説がある)で3年間忍術を修行。その後「真田幸村」(さなだゆきむら)に見いだされ、猿飛佐助幸吉(さるとびさすけゆきよし)の名をもらい、「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)筆頭になったと言うのが一般的によく知られた設定です。

裏の舞台で活躍し続ける忍者に迫る

世界的にも人気のある忍者、摩訶不思議な術で敵をくらますイメージがありましたが、根本は、山伏の使った術が悪党や地侍へと引き継がれたものでした。

現存する忍術書には、交際術・対話術・記憶術・伝達術・呪術・医学・薬学・食物・天文・気象・遁甲・火薬など多様な研究が行なわれていた記述がなされており、その総合的な知識量は目を見張るものがあります。

最後は時代の流れと共に消えていった忍者ですが、その知識は現代にも生き続けています。

忍者の成り立ち

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忍者の役割

忍者の役割
「戦国時代や江戸時代に忍者がどんな活躍をしていたか」と聞かれたとき、みなさんはどのような姿を想像するでしょうか?黒い忍び装束で闇夜にまぎれ、屋根の上を走り回って敵の城に忍び込み、悪事を企む密談に聞き耳を立てる。敵に出会えば手裏剣や忍び刀で戦闘し、劣勢と見るや煙幕を張って煙のように消えて逃げ失せる。しかしこのイメージの多くは後世に生まれた創作で、実際には町中を歩き回ったり敵を見たら戦わずに逃げたりすることが忍者には求められていました。

忍者の役割

創作上の忍者

創作上の忍者
歴史と創作の狭間にある謎の存在「忍者」。戦国時代には、数多く実在したとされていますが、その実像は定かではありません。江戸時代には、「賊禁秘誠談」(ぞくきんひせいだん)に登場する「石川五右衛門」(いしかわごえもん)や「百地三太夫」(ももちさんだゆう)、同時代の読本(伝奇小説)や歌舞伎狂言に登場する「自来也」(じらいや)などが忍者として創作されました。また、800年代に遣唐使として密教を持ち帰った空海をはじめ、実在した人物の中でも実は忍者だったのではないかと語られている人物もいます。創作上の忍者では物語や歌舞伎などで創作された忍者の他、歴史上に実在しながらも実は忍者であったとされている人物をご紹介します。

創作上の忍者

海をわたるNINJA(海外の忍者像)

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日本国内では頻繁に映画やアニメで取り上げられ、子どもから大人まで知らない人はいないであろう「忍者」の存在。では、海外の人々には、忍者はどれほど知られていて、どのような存在だと認識されているかご存知でしょうか?海をわたるNINJAでは、海外での忍者の知名度や、どういったイメージで捉えられているかなど、海外の「NINJA」像をご紹介します。

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