日本刀は、塗鞘(ぬりさや)を筆頭に、刀身、鍔に至るまであらゆる箇所に「漆」(うるし)が施されています。それは、一体なぜなのでしょうか。日本刀と漆では、漆の性質や芸術性、機能性など、日本刀にまつわる漆仕上げについて詳しくご紹介します。
日本刀のほとんどの鞘には「漆」が使用されています。どうしてなのか、その理由をご存知でしょうか。それは、日本刀が武具としてはもちろん、権威や権力を誇示するための「装飾具」であったことと、深く関係しています。
日本刀は、刀身だけあれば良いという物ではなく、よく斬れる刀身を保護し、安全に携帯するための「拵」(こしらえ)が必要です。
拵とは、「鞘」(さや)、「柄」(つか)、「鍔」(つば)など、刀身を保護し装飾する、外装の総称。特に、鞘は、刀の「刃」の部分を保護するための筒状の容器のことで、刀身を持ち歩く場合、雨、風などから守るには、欠かせない物です。
アジア・ヨーロッパなどには、金属製や革製の鞘がありますが、日本ではほとんどが木製でした。この鞘が木製というところに、漆が塗られた秘密があると言えるのです。
日本ではじめて漆が使用されるようになったのは、「縄文時代」と言われています。漆とは、漆の木から搾取した樹液(生漆)のこと。現在では、主成分がウルシオールと言われるフェノール系の天然樹脂で、石炭酸性脂の一種と分かっています。
漆の木は中国から伝わり、広く各地で栽培されました。縄文時代の遺跡からは、縄文土器の接着や、木製品に漆を塗った「櫛」(くし)などの装飾品がいくつも出土しています。漆は、古くから、接着、木製品の防水、耐久に優れていると言われてきました。
装身具を身に着けた土偶
ところで、土偶や埴輪を見ても分かる通り、縄文時代や弥生時代、古墳時代は、男性や女性の「装飾具」は、首飾りや耳飾りなどの体に身に着ける「装身具」が主でした。
しかし、奈良時代以降は、装身具は見られなくなり、代わりに鏡や銅剣など「宝器」へと変化します。さらに、平安時代後期から鎌倉時代には、男性の装飾具は、刀剣や甲冑などの「武具」へと移り替わるのです。
日本刀の鞘の素材は「朴の木」(ほうのき)。朴の木は、油分が少なく、固くて強度があり、鉄を錆から守ると言われています。
しかし、白木のままでは、雨風に耐える防水効果や火を避ける断熱効果はありません。そこで、考え出されたのが、昔からあった木製品に漆を塗るという補強方法。これが、「塗鞘」(ぬりさや)なのです。塗鞘とは、文字通り、漆が塗られた鞘のこと。鞘の材料である朴の木に漆を塗ることで、防水、防腐、耐熱、耐久効果を補強できることが分かりました。
さらに、漆を重ねて塗ると、光沢が増して華麗になるうえに、「蒔絵」(漆で模様を描き、その上に金、銀などの金属粉を蒔くことで華美にする漆工芸の装飾法)まで施せるようになり、美しく装飾できるようになります。
このように、日本刀の鞘は、漆工芸の発達によって補強・装飾され、持ち主の権威や家柄にふさわしい装飾具として、実用的に発展していったのです。
さらに、江戸時代には、大小(打刀と脇差)二本差しが武士の正装となり、拵は黒蝋色(くろろいろ)の漆塗と定められ、塗鞘は一般的な物となりました。
なお、漆の語源については、確実なことは分かりませんが、中国の文字をそのまま当てたという説の他、「麗しい」から来たという説もあります。
漆は「色」を付けることが可能です。漆の木から採れる樹液は「乳白色」ですが、すぐに酸化し「茶色がかった透明」に変色。これに鉄や顔料を加えることで、いろいろな色を楽しむことができるのです。
代表的なのは、「漆黒」(しっこく)と呼ばれる黒色の「黒漆」。生漆から水分を取り除いた「透き漆」に、「鉄」や「油煙」などを混ぜて色を作ります。朱色に染められた「朱漆」は、透き漆に「朱」(硫化水銀)や「ベンガラ」(酸化鉄)、「辰砂」(鉱物)を混ぜて作り、青色に染められた「青漆」は、「藍草」から取り出した藍蝋から作り出すのです。
また、塗り方も工夫されています。石の肌のようにデコボコを付けた「石目塗」(いしめぬり)や、貝殻の真珠質の部分を文様に切って、漆にはめ込む「螺鈿」(らでん)のように、塗鞘は、「色」と「塗り方」の組み合わせで、様々な種類が存在するのです。
名古屋刀剣博物館 – メーハク「名古屋刀剣ワールド」の塗鞘をご紹介します。
名古屋刀剣ワールドが所蔵する刀剣
黒蝋色塗家紋描上鞘 肥後太刀拵
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代後期 | 特別保存刀装 | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
黒漆花菱紋散蒔絵鞘 糸巻太刀拵
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代後期 | 保存刀装 | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
朱色塗家紋金蒔絵鞘 半太刀拵
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代後期 | - | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
青貝微塵笛巻塗鞘 半太刀形打刀拵
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代後期 | 特別保存刀装 | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
金梨子地家紋散 蒔絵鞘 飾太刀拵
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代後期 | 重要刀装 | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
黒石目地和歌金蒔絵鞘 太刀拵
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代後期 | 特別保存刀装 | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
飾太刀 金沃懸地花喰鳥文螺鈿飾剣
時代 | 鑑定区分 | 所蔵・伝来 |
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江戸時代末期~ 明治時代 |
重要刀装 | 刀剣ワールド財団 〔 東建コーポレーション 〕 |
神社に奉納されている刀剣には、刀身全体に漆が塗られている物があります。
これが「漆掛け」(うるしがけ)。戦時中、日本刀の手入れがきちんとできなくても、刀身が錆びつかないようにする一時的な保護の意味合いがあると言われてきたのです。
漆塗りされた刀剣(太刀 銘 勢州桑名藤原千子正重 寛文元年十二月及び同二年正月)
「桑名宗社」(春日神社)
三重県の「桑名宗社」(春日神社)には、長い間、刀身部分に漆が塗られた刀剣がありました。
それは、「太刀 銘 勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作 天文十二年五月」と「太刀 銘 勢州桑名藤原千子正重 寛文元年十二月及び同二年正月」の2振。
1939年(昭和14年)から1945年(昭和20年)の「第2次世界大戦」中に、当時の桑名宗社・宮司「不破義幹」さんが、戦災から刀剣を守るため、サビ止め用の漆を塗って、刀剣を当時の宮司宅に疎開させたとのこと。
戦争が終わり、刀剣は神社に戻りましたが、サビ止め用の漆が塗られたままでした。茎に書かれた銘は読めるものの、このままでは地鉄や刃文を観ることができません。しかも、2振共に地元・桑名市に由緒のある名工「千子村正」と、その一門の「正重」が手掛けた、郷土の宝と言うべき名刀でした。
桑名が誇る名工の技術を観ることができないのは、残念の限り。しかし、2019年(令和元年)、74年の時を経て、不破義幹宮司の孫「不破義人」宮司により、漆が塗られた2振の刀剣が、もとの姿に戻されるプロジェクトが動き出したのです。
刀剣の漆を取り除いたのは、日本刀研師「松村壮太朗」氏。
錆が付かないようにと塗られた漆ですが、本当に錆が付いていないかどうかは剥がしてみないと分からないことでした。漆の下で、錆が進行しているかもしれないのです。
しかし、実際に漆を研いでみたところ、錆はほとんどなし。地鉄も刃文も、もとに戻り、同年10月に行なわれた「御大典記念事業[村正]特別公開」で、漆をはがした美しいもとの姿に戻すことができたのです。
漆には、昔から「防水性」、「防腐性」、「耐熱性」、「耐久性」があると言われていました。
それが、「桑名宗社」(春日神社)のこの一件で、刀剣に漆掛けをすることには効果があると証明されたのです。なお、奉納刀の他にも、かつて刀剣に薄く漆を塗ることが行なわれていました。それは、暗闇で人を斬る場合に、闇夜で刀身が光らないようにするため。
刀身が光ると、位置を特定されやすかったから漆を塗ったと言われています。なお、漆を塗っても、刀剣の切れ味に変わりはないとのこと。しかし、実際に漆塗された刀剣を使用していたという人の記録はありません。
鍔とは、刀身と柄の間にある金具のことです。柄を握る手を防除するためにある物ですが、刀剣を美しく見せる、要となる装飾品でもあります。
鍔の素材としては、鉄、真鍮、金、銀、銅が使用されることが多いですが、平安時代から戦国時代にかけては、「練革鍔」(ねりかわつば)という太刀鍔が使用されていました。
練革鍔とは、牛の皮など数枚を貼り合わせ、表面に漆を塗って、固めた物です。漆には、革を保護する役割があります。練革鍔は、金属よりも軽くて堅固であるうえに、漆が使用されているという高級感もあったため、多く使用されていました。
ただし、経年による耐久性に問題があり、次第に廃れていったのです。