歴女について

歴女に人気の戦国武将

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戦国武将と言えば、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」の三英傑を思い浮かべる人も多いことでしょう。しかし、戦国時代には三英傑だけでなく、多くの武将が戦乱の時代を鮮烈に生き、足跡を残しました。憧れとなるその生き様は日本人の心に刻まれ、その史跡は多く残されているのです。そんな歴女に人気の戦国武将達を、ゆかりの地や食べ物と共にご紹介していきます。

戦国三英傑戦国三英傑
戦国時代の三英傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康についてご紹介します。

石田三成

石田三成

石田三成

石田三成」は、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」における中心人物として知られており、その人物像は、横柄で人望に欠けるとされるものの、友情に篤く、義を貫いた忠臣であったという二面性を持った武将。

ひと昔前までは、「豊臣秀吉」の佞臣(ねいしん:主君に媚びへつらう家臣)として、悪事の黒幕にいたとされることが多い人物でしたが、最近ではそのイメージも払拭されつつあり、切れ者でありながら、偉業を達成することができなかった薄幸の武将として、歴女の人気を集めています。

なお、石田三成は、色白で華奢、目が大きく、睫毛の濃い美男だったとされ、その容貌の美しさも、歴女人気の一役を担っているのです。

石田三成と言えば、豊臣秀吉に仕官するきっかけとなった「三献の茶」というエピソードが有名です。この話の舞台は、滋賀県米原市にある「観音寺」というお寺。

石田三成がこの観音寺で学問に励む小僧であった頃、領主の豊臣秀吉が喉の渇きを癒すために観音寺に訪れます。石田三成は1杯目にぬるめのお茶をたっぷり、2杯目に少し熱めのお茶を半分ほど、3杯目には熱く濃いお茶を少しだけ、と順番に出しました。これをきっかけに、豊臣秀吉は石田三成を取り立てたと伝わっています。

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上杉謙信

上杉謙信

上杉謙信

上杉謙信」は、戦上手として知られる越後国(現在の新潟県)の戦国武将です。その天才的な戦術は、戦国最強を謳われ、「軍神」という呼び名が付くほど。

手取川の戦い」で「織田信長」を打ち破った際には、同じく戦術家として知られる織田信長を、「案外弱い」と言ってのけたと言います。

毘沙門天を篤く信仰していたことでも知られ、「生涯不犯」(しょうがいふぼん:戒律を犯して、妻子を持たないこと)を貫きました。

なお、上杉謙信に領土欲はなく、戦う理由は天下統一を目的としたものではなかったとされます。上杉謙信の目指した、秩序の回復や義を重んじる心が、歴女人気に繋がっているのです。

上杉謙信の居城「春日山城」の天守閣は喪失していますが、その跡地は現在も「春日山城跡」として残されています。近くには上杉謙信が7歳の頃に預けられたという「林泉寺」があり、境内には、上杉謙信の墓や「川中島の戦い」の供養塔が存在。

春日山の頂上から市街地を見下ろすと、上杉謙信が見た当時の風景に思いを馳せることができます。

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織田信長

織田信長

織田信長

尾張国(現在の愛知県西部)から「天下布武」を掲げ、天下統一に手を掛けながらも、「本能寺の変」によって志半ばで討たれた織田信長。

尊大で短気、残虐というイメージがあるものの、それを上回る圧倒的なカリスマ性によって、歴女だけでなく男性からの支持も多く集めています。

若い頃は「尾張の大うつけ」と称され、その徹底した戦術から「第六天魔王」とも称された織田信長は、常に新しいことに挑戦をしていく、生まれながらの革命家でした。厳格な規律を重んじつつも、能力のある者を積極的に登用した姿勢は、歴女達から上司になって欲しい戦国武将として、人気を集めているのです。

織田信長がうつけと称されたエピソードのひとつに、父親「織田信秀」(おだのぶひで)の葬儀で、位牌に抹香を投げ付けたという話があります。礼儀作法に欠いたこの行為は、一段と織田信長に対する評価を下げましたが、父・織田信秀は生前より織田信長の能力を見抜き、織田家の次期当主は織田信長にと決めていました。

この話の舞台となったのは、愛知県名古屋市にある「万松寺」。現在も大須商店街の中で、織田家ゆかりの寺社と共に佇んでいます。

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真田幸村

真田幸村」は、「日ノ本一の兵」として知られる戦国武将で、その知略と勇猛さに、多くの歴女が心を奪われました。

実は、「幸村」という名前は、後世の創作によって付けられた名前で、本名を「真田信繁」(さなだのぶしげ)と言います。

真田幸村は、青年期を人質として過ごしたため、華々しい活躍をしたのは、1614年(慶長19年)から1615年(慶長20年)にかけて起きた「大坂冬の陣・夏の陣」でのこと。夏の陣では「徳川家康」の率いる本陣に突撃し、徳川家康に2度も自害を覚悟させたほどの猛攻を見せました。

真田家の家紋は六文銭と呼ばれ、三途の川の渡し賃を模して作られました。真田幸村は兜の前立てに六文銭の装飾をし、いつでも命を捨てる覚悟で戦場に臨んだと言います。

この、真田幸村が身に付けた「鹿角脇立朱塗兜」(しかつのわきだてしゅぬりかぶと)の巨大レプリカが、長野県上田市にある「真田神社」の境内に存在。真田神社は、真田幸村が祭神となっている神社なので、真田幸村好きの歴女は必見です。

  • 真田幸村

    真田幸村

  • 鹿角脇立朱塗兜

    鹿角脇立朱塗兜

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島津義弘

島津義弘」(しまづよしひろ)は、「鬼島津」と呼ばれるほど圧倒的な勇猛さを誇った薩摩国(現在の鹿児島県)の戦国武将。

「朝鮮出兵」では、20万の大軍をわずか7,000の兵で打ち破り、国内外にその武勇を轟かせました。また、家臣からの人望が厚かったことでも知られ、「関ヶ原の戦い」では、「捨て奸」(すてがまり)という戦法を使って窮地を脱しています。

この捨て奸戦法とは、小隊をひとつずつ道中で切り離し、その小隊は死ぬまで戦って本隊を退却させるという、言わば捨て駒戦法。この戦法は島津義弘が命じたのではなく、家臣自らが、島津義弘の命を守るために立候補していったのだと伝わっています。

家臣に慕われた島津義弘は、かつて負傷をした兵のために、宮崎県にある湯治場を整備し、戦の労をねぎらいました。島津義弘自身もこの湯治場を利用し、以後島津家御用達の湯治場となります。

幕末の薩摩藩士「西郷隆盛」も足繫く通ったとして知られるこの湯治場は、「吉田温泉鹿の湯」として現在も営業中です。

  • 島津義弘

    島津義弘

  • 吉田温泉

    吉田温泉

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  • 江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

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伊達政宗

伊達政宗

伊達政宗

奥州の独眼竜と称される「伊達政宗」は、「伊達者」(だてしゃ:派手な服装や風流、粋を好む人)の語源ともなった戦国武将で、その型破りな行動は、伊達者という言葉に恥じない魅力があり、歴女から圧倒的な人気を集めています。

また、伊達政宗は「遣欧使節団」を結成し、スペインやローマなどに家臣らを派遣。積極的に西洋世界との関係を結び、文化を取り入れようとするなど、日本で初めて能動的な外交交渉に臨んだ武将としても知られています。

料理研究家としても才能を発揮し、いまや仙台の名物となっている「ずんだ餅」は、伊達政宗が考案した物。「陣太刀」(じんだち)を用いて細かくつぶしたことから、「じんだ」、「ずんだ」と訛って現在に伝えられていると言います。

伊達政宗は、江戸幕府将軍「徳川秀忠」や「徳川家光」に自ら手料理を振る舞ったこともあり、「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理してもてなすことである」という名言を残しました。

この伊達政宗の心意気は、歴女だけでなく、宮城県の市民からも深く愛され続ける、類稀な武将と言えます。

  • 伊達政宗のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

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本多忠勝

本多忠勝

本多忠勝

生涯における57回の戦闘で、かすり傷ひとつ負わなかったとされる猛将「本多忠勝」は、徳川家康の忠臣として、「徳川四天王」に数えられる武将です。

本多忠勝の武勇伝は枚挙に暇がなく、天下三名槍のひとつに数えられる笹穂の大槍「蜻蛉切」(とんぼきり)と共に、戦国最強のひとりとして語られます。

素朴で無骨とされる本多忠勝は、何よりも忠義を重んじましたが、いざというときは主君に対して諫言することもできる、「花も実もある武将」として、歴女のみならず、歴男達の心も掴んでいるのです。

本多忠勝は関ヶ原の戦いののち、伊勢国桑名藩(現在の三重県桑名市)へ移封され、桑名城を築城。城下町の整備を進めると同時に、宿場町や港町としての基盤を造り、桑名藩の名君と呼ばれました。

現在、桑名城の遺構は残されていませんが、本丸跡と二の丸跡は「九華公園」として整備され、三の丸跡には甲冑姿の本多忠勝像が鎮座。本多忠勝好きな歴女必見の撮影地となっているのです。

  • 本多忠勝のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

  • 江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

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