「江/郷と化け物は見たことがない」と、よく例えられるのが「江義弘」(ごうよしひろ:郷義弘)の作刀です。その理由は、江義弘(郷義弘)が27歳という若さで亡くなったため、作刀数が少ないから。しかしそれ以上に、誰もが見たいと切望するカリスマ性があったからなのです。
そんな江義弘(郷義弘)の刀剣のなかから、刀剣女子に人気の高い作品をピックアップ。
「刀剣ワールド財団」が所蔵する、江義弘(郷義弘)の刀剣もご紹介します。
刀剣にまつわることわざを題材とした4コマ漫画をご紹介します。
江義弘
「江義弘」(郷義弘)は、鎌倉時代末期から南北朝時代に掛けて活躍した、生年不詳の名工です。本名が「大江」なので「江」、あるいは在住した越中国松倉郷(現在の富山県魚津市)の「郷」から、「ごう」と呼ばれたと言われています。通称は「右馬允」(うまのじょう)。
江義弘(郷義弘)は、松倉城城主「桃井」氏の家臣で鍛刀を好み、21歳のときに、相州国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)に上って、「正宗」の弟子となりました。
作風は、やや細身で直刃調の大人しい鎌倉様式のものと、刃文が盛んに乱れた豪壮な南北朝様式の2種類があります。特に、地鉄(じがね)が詰んで明るく冴えて美しいと賞賛を浴び、「正宗十哲」に選ばれるほどに腕を上げ、越中へ凱旋して作刀しました。しかし、27歳という若さで早世。死因は不明です。
正宗の子と言われる「貞宗」と同様に、在銘の作刀が1振もないのも特徴。
しかし、優秀な正宗の高弟、江義弘(郷義弘)の名前は天下に知れ渡り、目の利く戦国武将にはたいへん愛され所望されました。その証拠に、「上杉江」は「上杉謙信」、国宝「稲葉江」は「稲葉重通」、国宝「富田郷」は「富田一白」(とみたいっぱく)など強者に所持され、所持した武将名が付けられています。
後世、刀剣鑑定家・本阿弥家によって江義弘(郷義弘)と極められた刀剣は、たった12振のみ。江義弘(郷義弘)の刀剣はとても希少で、刀剣女子も驚きのカリスマ性を持つ刀剣です。
松井興長
重要文化財「松井江」(まついごう)とは、「松井興長」(まついおきなが)が所持したことにちなんで名付けられた1振です。
松井興長の父は、「松井康之」(まついやすゆき)。松井康之は、室町幕府13代将軍「足利義輝」に仕え、足利義輝の死後は「織田信長」に仕える「細川藤孝」(細川幽斎)と、その子「細川忠興」に属した人物です。
松井興長も父と共に細川家に属しましたが、細川忠興の娘と結婚し、八代城の城主となったときに、松井江を徳川将軍家に献上したと考えられています。
そののち、5代将軍「徳川綱吉」は、長女「鶴姫」が紀州藩主徳川家3代「徳川綱教」に嫁ぐ際、松井江を引き出物として贈与。刀剣鑑定家「本阿弥光常」が江義弘(郷義弘)の作刀であると極め、金200枚と記した折紙を発行しています。以来、松井江は、紀州徳川家に受け継がれてきたのです。
地鉄は小板目肌がよく詰み、地沸厚く地景入り、明るく冴え、刃文は広直刃文調に浅く湾れ(のたれ)交じり、匂口冴えて小沸よくつき、足・葉頻りに入る逸品。
刀剣女子に人気が高い「刀剣乱舞」では、松井江はおかっぱヘアーの刀剣美男子として登場します。元主の松井興長と同じく優秀で、武力も頭脳も万能。舞台では注目の若手俳優「笹森裕貴」さんが好演し、たいへん話題となっています。
本多忠政
重要文化財「桑名江」(くわなごう)は、「本多忠政」(ほんだただまさ)が所持した打刀です。
刀剣乱舞では、前髪で目を隠したクールな容姿で描かれています。性格は理屈っぽい農業系男子。舞台では「福井巴也」さんがニヒルに熱演し、刀剣女子にも大人気です。
本多忠政は、徳川四天王のひとり「本多忠勝」の嫡男。本多忠政がまだ美濃守と称していた時代、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)に鷹狩りに行き、休憩を取るために農家に立ち寄りました。そのとき、神棚にあったのがこの刀剣。
本多忠政はこれをとても気に入り、懇願して譲り受け、農家のあった場所から桑名江と名付けたのです。これを刀剣鑑定家「本阿弥光徳」が、江義弘(郷義弘)の刀剣と極め、金象嵌を入れました。
これが良いご縁となったのか、父・本多忠勝は1601年(慶長6年)に伊勢国・桑名藩藩主となり、本多忠政も父と共に転封。そのあと、本多忠勝が1610年(慶長15年)に死去したため、同年桑名藩主に着任しています。
本刀は、地鉄が小板目肌で詰んで柾が交じり、地景、沸付き、刃文は小湾れに互の目が交じり、沸深く、足より入り金筋かかる名品です。
脇差「篭手切江」(こてぎりごう)は、江義弘(郷義弘)の刀剣の中で唯一、切れ味から名付けられた1振です。篭手とは、剣道では指先から肘あたりまで覆う道具で、手首から肘あたりを討つ決まり手のこと。
実は、篭手部分には大動脈が流れており、刀剣で狙って切れば間違いなく致命傷を与えられる部位だと言えるのです。篭手切江は、刀剣鑑定家・本阿弥家の折紙が3枚付くのも特徴。篭手切江を最初に所持したのは、足利義輝のお供衆「細川藤孝」(細川幽斎)です。
しかし、「稲葉正勝」(春日局の3男・小田原藩主稲葉家初代)へと渡り、1662年(寛文2年)、金百枚の折紙が発行され、刀剣鑑定家「本阿弥光温」の金象嵌銘が施されました。ところが、再び細川家「細川忠利」へと渡り、1631年(寛永8年)本阿弥家に再鑑定が出され金百参十枚の折紙を発行。
さらに稲葉家「稲葉正往」(江戸幕府老中)へと渡り、1719年(享保4年)金二百枚の折紙が発行されています。
地鉄は、大板目肌流れて柾目となり、地沸よく付き、刃文は湾れに乱れ、互の目交じり、物打ち付近に激しく砂流しかかり、沸厚く付き、金筋入る逸品。裏に彫り「不動の種」が施されているのが特徴です。
刀剣乱舞では、黒髪にめがねをかけた刀剣男子として描かれ、刀剣女子に大好評。脇差だけに補佐役で、如才ない性格とのこと。舞台では、「大見拓土」さんが好演しています。
刀剣ワールド財団が所有する江義弘(郷義弘)の刀剣も、かなり魅力的。刀剣女子におすすめの1振をご紹介します。
刀剣ワールド財団が所蔵するのは、特別重要刀剣「刀 無銘 伝江」。大磨上げ無銘で江と伝えられている1振です。
鎬幅やや広く、反りがやや深めで、中鋒/中切先。地鉄は小板目肌が詰んで杢が交じり、地沸が細かに厚く付き、地景がよく入っています。刃文は浅い湾れを基調に、互の目、小互の目などを交え、匂深く沸よく付き、金筋、砂流、匂口明るく冴え、飛焼、湯走りも入っています。
帽子は沸崩れて小丸、裏は焼深く乱れ込んで沸崩れ見事です。伝江の中でも、特に優品と言われているのです。よほどの幸運でもない限り、観ることはできないと言われ続けてきた希少な江義弘(郷義弘)の刀剣。
ぜひ、化け物の刀剣を観に、名古屋刀剣博物館 – メーハク「名古屋刀剣ワールド」にお出掛け下さい。