名家に代々伝えられた日本刀

中島家伝来・鎌倉時代の太刀 吉房

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「太刀 銘 吉房」は「御番鍛冶」(ごばんかじ)であった刀工「吉房」(よしふさ)によって鎌倉時代に作られ、航空機メーカー「中島飛行機株式会社」(なかじまひこうきかぶしきがいしゃ)で有名な「中島家」にて所持されていた刀剣です。本刀は、第2次世界大戦後に連合国から刀剣を救うきっかけにもなった1振。今回は、そんな本刀を取り巻く歴史について解説すると共に、刀工・吉房と中島家についてご紹介します。

刀剣を救うきっかけを作った中島家

中島知久平の人物像と中島飛行機の創立

「中島飛行機株式会社」(なかじまひこうきかぶしきがいしゃ)の創業者である「中島知久平」(なかじまちくへい)は、1907年(明治40年)に士官養成校である「海軍機関学校」を卒業後、海軍大尉になり、「海軍大学校」まで進んでいます。

海軍大学校は、旧日本海軍における上級将校の教育機関でしたが、中島知久平が入学したのは、士官を大量養成することになる第2次世界大戦前の1911年(明治44年)のこと。そのため難関校であったとされており、その難易度は当時の「東京帝国大学」(現在の東京大学)に合格するよりも困難と評されていました。中島知久平は、その難関を突破したエリートだったのです。

中島知久平氏宅

中島知久平氏宅

中島知久平は、大学校を卒業すると渡米し、日本人として3人目となる「飛行士免状」を取得して帰国しました。

そののち、1917年(大正6年)には「飛行機研究所」を設立し、戦闘機の開発を開始。そして同研究所は「日本飛行機製作所」、「中島飛行機製作所」への改称を経て、1931年(昭和6年)12月に中島飛行機株式会社となりました。

聡明な人物であった中島知久平は、その前年に衆議院議員として政界へ進出。

そのため、この中島飛行機の経営トップの座を、1931年(昭和6年)1月より弟の「中島喜代一」(なかじまきよいち)に譲り、その一切を任せています。これ以降、中島飛行機は東洋一の規模を誇るエンジン製造の大工場を備え、世界屈指の優れた技術力を持つ航空機メーカーへと成長を遂げたのです。

会社の成長を支えた中島知久平は、日本における航空業界のパイオニアと呼ばれていました。それは、1935年(昭和10年)に出版された「現代業界人物集」のなかで、「航空事業の発展向上のため、貢献したる功績たるや甚大なものである」と高く評価されていることからも窺えるのです。

また、同書において弟の中島喜代一は、上州人(群馬県民)らしい豪快な性格であるだけでなく、長年における中島飛行機での叩き上げによって貫禄を持ち、社内外からの信頼が厚い人物であると伝えられています。中島喜代一もまた、中島飛行機のトップにふさわしい有望な人材だったのです。

戦後の刀剣を救うために中島喜代一が取った行動とは?

東京国立博物館

東京国立博物館

中島飛行機の2代社長となった中島喜代一は、戦後「東京国立博物館」(現在の東京都台東区)に、国宝重要文化財重要美術品指定の刀剣を多数寄贈しました。

刀剣を含む日本の美術品の保存に対して、強い関心があったことが分かります。

あるとき、戦後に商工省大臣となった兄の中島知久平から、「閣議で刀剣などの武器は全部没収という話が出ている」という噂を耳にしました。刀剣が没収されてしまえば、保存されず破棄される可能性は高くなってしまいます。

兄から噂を耳にした中島喜代一は、刀剣研究家である「本間順治」(別名:本間薫山)と共に対応を協議しました。本間順治は以前より「刀剣は武器として連合国に取り上げられないように交渉して欲しい」と陳情していた人物です。

この協議がきっかけとなり、刀剣を美術品として保存する運動が国内に展開されました。つまり、中島喜代一らの活動が発端となり、刀剣が救われることになったのです。

東京国立博物館の特集コンテンツ
刀剣をはじめ貴重なコレクションが豊富な国内で最も長い歴史をもつ博物館をご紹介します。

太刀 銘 吉房の刀剣情報

美術品としての刀剣を存続させるために尽力した中島喜代一には、どうしても手放すことができず、最後まで残した中島家に伝来する刀剣がありました。

それは、鎌倉時代中期頃に制作された、「太刀 吉房」。これは、本太刀が松平家に伝来した由緒ある1振であっただけでなく、1942年(昭和17年)に重要美術品の指定を受けた、愛刀家に絶賛される大名刀であったことが理由であったと言われているのです。

本太刀を制作した「吉房」(よしふさ)は、備前国(びぜんのくに:現在の岡山県東南部)「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)の刀工。流派名の「一文字」は、(なかご)に「一」の銘を刻んだことに由来。この一文字は、「後鳥羽上皇」(ごとばじょうこう)に「天下一」の名工と評価され、それを名誉としたことから刻むようになったと伝えられています。

同派を代表する名工のひとりであった吉房は、華麗な重花丁子乱(じゅうかちょうじみだれ)を得意とし、作刀を嗜んでいた後鳥羽上皇の補佐役である御番鍛冶に抜擢されているのです。

本太刀の刃文は、乱れの小さい小丁子が美しい小互の目(こぐのめ)で、華やかな作風になっています。刀身は、全体的に強めに反った勢いのある造りになっているのが特徴です。

太刀 銘 吉房
太刀 銘 吉房
吉房
鑑定区分
重要美術品
刃長
70.2
所蔵・伝来
松平家→
中島家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

中島家伝来・鎌倉時代の太刀 吉房

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