書画・美術品の基礎知識

戦国武将の書状・朱印状

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博物館などで古い書物を目にしても、そこに書かれた「くずし字」を読んで意味を理解するのは至難の業。しかし、実はくずし字が読めなくても「古文書」を楽しむことができるポイントがあるのです。ここでは、戦国時代から江戸時代に書かれた「中世文書」を中心に、「古文書」を楽しむポイントをご紹介します。

古文書とは

古文書とは、受取人がある文書

「古文書」(こもんじょ)とは、広義では「歴史研究の史料になる文書」。一方、より厳密に言えば、「差出人」と「受取人」が存在している文書を意味します。つまり、ある人物が別の人物に意志や想いを伝えることを目的とした文書が本来の古文書。受取人のいない文書は「記録」です。

なんでもありの「近世文書」

古文書のうち、近世(戦国時代から江戸時代)に書かれた文書を、特に「近世文書」(きんせいもんじょ)と呼びます。「近世文書」に関しては、書状や手紙だけでなく、商売で使った「帳簿」や「借用書」などの記録類もすべて古文書として扱うのです。

例えば、役人が領主の通達を書き留めた文書は送り先がないため、単なる記録になってしまいます。しかし、歴史研究の史料としての価値が高いことから、こうした文書もすべて古文書として扱うのです。

「書状」と「消息」

差出人と受取人がある本来の古文書は、2つに分類できます。

ひとつ目は「書状」。政(まつりごと)における報告などに使われる物で、「純正漢文」と呼ばれ、漢字だけで書かれます。

一方、書き手のプライベートな伝達事項などを記した手紙などは「消息」と呼ばれ、こちらは漢字仮名交じりの「変体漢文」で書かれるのです。

くずし字は読めなくても大丈夫

古文書を読む上で最大のハードルとなるのが、変体漢文などで出てくる、あの「くずし字」です。くずし字の難しさに関しては、

  1. 句読点がない
  2. 送り仮名がない
  3. 仮名に濁点がない
  4. 助詞に漢字を用いることが多い
  5. 誤字や脱字・当て字が多い

など、枚挙にいとまがありません。しかし、「くずし字の史料をすべて読みこなすのは、熟達した人でもなかなか困難なことである」とある歴史学者が言っているように、すぐに読めなくても問題ないのです。分かる文字から読んで、分からないところは、「筆路」(筆づかい)をなぞり書きしていると、少しずつ分かってきます。極端に言えば、分からなくても良いというのが、くずし字の面白いところでもあるのです。

古文書の紙について知る

くずし字を読まずに古文書を楽しむには、いくつかのポイントを押さえなくてはなりません。ここでは、古文書を楽しむために知っておくべき紙に関する基礎知識と、文章を書くときの書式や暗黙のルールなどについて、ご説明します。

古文書に使われる紙

古文書で使われる「料紙」(りょうし)は、「楮」(こうぞ)を原料とする「楮紙」(ちょし)や「雁皮」(ジンチョウゲ科の落葉低木)を原料とする「斐紙」(ひし)などが有名です。

「楮紙」は光沢がなく、やわらかい手触り。いわゆる和紙の風合いで、墨が滲みやすいと言う特徴があります。一方の斐紙は光沢があり、滑らか。墨の乗りも良く、滲みにくい紙です。

紙は2枚入れるのがルール

料紙のサイズは、時代や紙の漉(す)き方によってまちまちですが、大別すると「半紙判」(約24cm×33cm)と「美濃判」(約27cm×39cm)があります。

手紙を書く場合、必ず紙を2枚使うことがルールでした。まず、1枚目の「本紙」に用件を記入し、それで足りなければ2枚目の「礼紙」(らいし:書状の文言を書いた紙に重ねて添える白紙)を使用。しかし、仮に1枚で収まっても、必ず「礼紙」を白紙のまま同封するのが礼儀でした。これは、紙が貴重品だった時代に、「返信用紙」を入れたことから来ているのです。

紙は2つ折りにして使う

横長の紙をそのまま使用することを「竪紙」(たてがみ)と言います。

やがて時代が進むと、ひとつの用件で2枚の紙を用いるのがもったいなくなり、紙を2つに折って2枚と見なすようになりました。これを「折紙」(おりがみ)と言います。また、2枚に切って使用する物が「切紙」です。

美術館などに展示されている古文書のなかに、横に長い紙を見かけることがありますが、それはのちの時代に手を加えられた物。手紙を鑑賞用に「表具」(ひょうぐ)にしたときに折り目を切り、繋いだ紙が大半なのです。

基本的な古文書の構成

「古文書」には書いた人の隠れたメッセージを読み取るためのポイントがあります。まずは、「古文書」の構成を見ていきましょう。

紙の部分の名称

紙の部分の名称

紙の各部分の名称

古文書に使用する紙には、その部分に応じて名前があります。まず右端を「袖」(そで)、左端を「奥」と言います。上を「天」、下を「地」と呼ぶのは今と同じです。

文書のレイアウトについて、一般的には、古文書は以下のような構成で書かれます。

古文書の構成

古文書の構成

  1. 端裏書(はしうらがき)

    ここに文字があれば、受取人または作成者が、文書全体を広げなくても内容が分かるように要点を書き入れたメモです。

  2. 追筆(ついひつ)

    袖や奥の端に書かれた文字を「追筆」と言います。文章を書いたあと、付け足したいことがあれば、ここに書くのです。脱落した文字を本文の端や行間などに書いた文字も「追筆」。後年になって書かれた文字は「後筆」、明らかに筆跡が異なっている場合は、「異筆」などと呼ぶこともあります。

  1. 表題

  2. 一つ書

    箇条書きにするときの行頭に置く「一、」の文字

  1. 本文

  2. 日付

  3. 差出人(発給)

  4. 受取人(宛所)

書き方に敬意が表われる

中世文書では、差出人と受取人の身分や階級の違いで、書き方やレイアウトが微妙に変化します。そのポイントを見れば、差出人が言外に込めた敬意や恭順の気持ち、あるいは相手に対する尊大な態度まで見えてくるのです。

闕字・平出・擡頭

前述した⑤の本文中に相手の名前を書くとき、尊敬の意味を込めて名前の上を1~2文字開けておくことを「闕字」(けつじ)、文の途中でも改行して名前を文頭に上げることを「平出」(へいしゅつ)。平出をした上で、さらに他の行より1~2文字上げることを「擡頭」(たいとう)と言い、このなかでは、「擡頭」が最も尊敬の気持ちが強いことを表しています。

結びの言葉

⑤本文の「書留文言」(かきとめもんごん:結びの言葉)にもこだわりがあります。通常は「恐々謹言」(きょうきょうきんげん:恐れながら謹んで申し上げる)を使いますが、格上の人には「恐惶謹言」(きょうこうきんげん:恐れかしこまり謹んで申し上げる)を使うのです。格下の場合は、ただ「謹言」でした。

署名の書き方

通常、⑦差出人には「名前」のみと「花押」(かおう)を書きますが、受取人が差出人よりも目上の場合には、「姓」と「名前」に加えて正式な「官職名」も記します。逆に目下の者に出す場合は名前すら略し、「花押」のみで済ませたのです。

また、差出人が複数の場合、あとに記される方(最も左側)が格上とされました。

宛名の位置

古文書の書き方:宛名の位置

古文書の書き方:宛名の位置

今の手紙のルールと逆で、⑧受取人は手紙の最後に書きます。このとき、⑥日付と比べた位置をチェックしましょう。受取人が自分より格上だと思えば、日付より上の位置から宛名を書きました。格下だと思えば日付より下から。日付と同じ高さから書き始めてあれば、同格だと見なしているというメッセージであります。

受取人が複数いる場合、差出人とは逆で、先に登場する人(最も右側)が格上です。

「様」と「殿」

「殿」のくずし字

「殿」のくずし字

受取人の名前の下に付ける敬称も違いがあります。目上の人に「様」、同等以下の人に「殿」を用いるのは現在と同じです。しかし、同じ様でも「様」よりも「樣」(つくりの下が「永」)の方が格上とされます。

また「殿」も、字をくずしていった末に、ひらがなの「とのへ」と読める表記が最も敬意が薄いとされます。

実際に古文書を鑑賞する

織田信長の朱印状を検証する

一例として、実際の古文書を見てみましょう。

織田信長」の手によるこの「朱印状」は、1569年(永禄12年)、完成した「二条城」に将軍「足利義昭」(あしかがよしあき)を迎え入れたあと、岐阜に戻る前日に書かれた内容です。

可夏秋候然者
畿内之事
早々堅可申付候
間近々可為下国候
其間之儀少も
無油断可被申付候
恐々謹言
夏秋候可く然者(しかれば)
畿内の事
早々ニ堅メル可く申付ケ候
間近々ニ下国為ス可ク候
其の間の儀少シモ
油断無ク申し付けられ可ク候
恐々謹言
四月廿日 信長(朱印)
池田勝三郎殿 (池田恒興)
津田九郎左衛門尉殿 (津田元嘉)
菅谷右衛門殿 (菅谷長頼)
平手甚左衛門尉殿 (平手汎秀)
長谷川与次殿 (長谷川与次)
山田三左衛門尉 (山田勝盛)
丹羽源二郎殿 (丹羽源二郎)

この文面から、7名の武将に洛中を頼んで自らは岐阜に戻らねばならない、織田信長の秘めた不安がうかがい知れます。また7名のなかでも「池田恒興」(いけだつねおき:幼少より織田氏に仕え、桶狭間の戦い姉川の戦いなど多くの合戦に参加。本能寺の変後は羽柴秀吉[のちの豊臣秀吉]に合流し、山崎の合戦では右翼先鋒として明智軍を撃破。「関ヶ原の戦い」では西軍の将を務める)を最も重用したことなどが見えてくるのです。

まとめ

実際に戦国武将が自ら文章を書くことは少なく、多くは「右筆」(ゆうひつ)と呼ばれる専門家が代筆しました。しかし、文字の配置や言葉選びのひとつひとつに、武将の言外の思いが隠されていると分かると、古文書を鑑賞する楽しみがひとつ増えるのです。

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