偉人を祭った神社

前田利家と妻まつを祀る尾山神社(石川県金沢市)

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「前田利家」は、「織田信長」や「豊臣秀吉」のもとで武功を挙げ、戦国の世にその名を轟かせた名将です。当時では珍しい182cmの高身長で容姿端麗だったと言われている前田利家は、歴女人気が高い武将のひとり。また、前田利家が女性ファンの心を掴む理由に、正室「芳春院」(ほうしゅんいん)こと通称「まつ」との夫婦愛も挙げられます。
2002年(平成14年)には、大河ドラマでも2人の夫婦愛が描かれたことから、共に認知度が高くなりました。そして、加賀藩祖として前田利家が礎を築いた石川県金沢市には、前田利家とまつを祭神として祀る「尾山神社」(おやまじんじゃ)があります。

歴女に人気の観光地!加賀百万石に鎮座する尾山神社

情緒あふれる町並みが女子旅でも人気の古都金沢。「尾山神社」(おやまじんじゃ)は、金沢の代表的な観光地である「兼六園」や「金沢城公園」の近くにあり、金沢市の総社的神社として、市が推奨する観光ルートの中に選ばれるなど、注目度の高い神社です。

加賀藩前田家ゆかりの地に建つ尾山神社

尾山神社

尾山神社

尾山神社の創建は、「前田利家」の嫡男で加賀藩初代藩主「前田利長」(まえだとしなが)の代までさかのぼります。

1599年(慶長4年)3月3日、前田利家没後に前田利長は、前田利家を神として祀ることを計画。しかし、前田家は外様大名。幕府の許可なく神社を創建することはできません。

そこで前田利長は、越中国(えっちゅうのくに:現在の富山県)にある前田家守護神「物部八幡宮」(もののべはちまんぐう)と「榊葉神明宮」(さかきばしんめいぐう)を遷座するという名目で、金沢の城下町から鬼門の方角にある「卯辰山」(うたつやま)の山麓地に「卯辰八幡宮」を建立。そして、前田利家の神霊を合祀しました。

これが尾山神社のはじまりであり、尾山神社と分離した現在の「宇多須神社」(うたすじんじゃ)の前身でもあります。

明治維新後、旧加賀藩士は卯辰八幡宮の存続に尽力し、前田利家の功績を後世に残していくために、1873年(明治6年)、現在地に新しい社殿を造営して、尾山神社と称するようになりました。ちなみにこの社地は、もともと幕末の加賀藩主や側室の住まいとしていた「金谷御殿」(かなやごてん)の跡地です。

おしどり夫婦から御利益を授かる

1998年(平成10年)9月27日、尾山神社はめでたい日を迎えることになります。

創建以来、境内の摂社である「金谷神社」に祀られていた前田利家の妻「まつ」を、本殿の前田利家と共に合祀する「遷座祭」(せんざさい:神殿の造営・修理後に神体を移す祭儀)が行なわれたのです。

この合祀は、加賀藩100万石を支えた慈母であるまつの功労を称え、おしどり夫婦であった2人を共に祀るために発案されたもので、全国的に見ても夫婦の合祀は珍しい事例。

こうして、金沢市民から親しまれてきた尾山神社は、前田利家とまつを祀る神社としてさらに注目を集めることになり、2002年(平成14年)に放映された大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」に先駆けて、前田利家とまつを全国へ発信する神社となりました。

ちなみに、これまで前田利家が主祭神だった尾山神社では、「必勝祈願」や「文武両道」などの御利益を期待する参拝客が多くいましたが、まつの合祀以降は「夫婦円満」や「子宝安産」など、夫婦や女性ならではの祈願をする参拝者が増えたと言います。

  • 前田利家

    前田利家

  • まつ

    まつ

歴女が惹かれる尾山神社を象徴する2つの門

尾山神社神門

尾山神社神門

尾山神社にある2つの神門は、金沢市のシンボルです。そのうちのひとつ、国の重要文化財に指定されている「神門」は、1875年(明治8年)に建てられました。

和漢洋の三様式を取り入れた異色の建造物として全国的に知られ、金沢の町を彩る美しい名所として人気の撮影スポットです。

門の第一層には「戸室石」(とむろいし)、通称「加賀花崗岩」(かがかこうがん)が用いられ、第三層は四面五彩のギヤマン(当時のガラス)張りとなっており、いわゆるステンドグラスが北陸で初めて使用された例だと言われています。さらに、第三層に設置された避雷針は、日本最古の避雷針としても有名です。

もうひとつの神門「東神門」は、尾山神社の裏手にあります。旧金沢城の二の丸御殿の唐門で、1963年(昭和38年)に尾山神社に移築されました。桃山風の様式で、釘を1本も使用していない総ケヤキ造りの唐門は、表の神門とは異なった趣が感じられます。

金沢城」は、度重なる火災によってほとんどが焼失してしまったため、東神門もまた大変貴重な建造物。この門が大火を逃れることができたのは、門に彫られている2匹の龍が水を呼んだからという伝説もあります。

庭園や兜など境内は見どころ満載

前田利家兜像

前田利家兜像

尾山神社の境内には、「神苑」と呼ばれる池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の庭園があり、この庭園は江戸時代後期から明治初期にかけて造営された物です。

池に浮かぶ島や橋には、雅楽にちなんだ名前が付けられており「楽器の庭」とも呼ばれています。

さらに、境内には金色に輝く前田利家の兜像も展示。これは1999年(平成11年)に寄進された、「利家公金鯰尾兜像」(としいえこうきんなまずおかぶとぞう)の複製品です。

名称にある「鯰」(なまず)の通り縦に長いこの兜は、1584年(天正12年)の「末森城の戦い」(すえもりじょうのたたかい)で、「佐々成政」(さっさなりまさ)と戦った際に前田利家が着用していた「金小札白糸素懸威胴丸具足」(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるのぐそく)と言う甲冑(鎧兜)の兜。

なお、本物の兜は、現在も前田家が所蔵していますが、本兜は現物と同じく金箔仕上げで、大きさなども忠実に作られています。

尾山神社の美しい授与品

2015年(平成27年)に、ガラス張りの近代的なデザインに改装された授与所には、尾山神社ならではの授与品を多数販売。

尾山神社の御朱印帳は、なんと木製。シンボルである神門と、前田家の家紋に用いられている梅の花が精工に彫られており、大変美しい装丁です。

なお、木製以外に布製の御朱印帳も用意されており、こちらの裏表紙には前田利家愛用の「金鯰尾兜」が描かれています。ちなみに、尾山神社の御朱印模様は毎月変わるため、訪れるたびに新しい模様の御朱印が楽しめると参拝者からも人気です。

また、お守りの種類も豊富で、祈願内容によって色が変わるお守りや、神門などが描かれたお守りを入れるケースの他、「勝守り」や「夫婦守り」など、前田利家とまつにあやかったお守りも用意されています。

尾山神社の宝物にまつわる奇妙な伝説とは?

前田利家をはじめとする加賀藩の藩主達は代々、能楽を好み、その育成にも努めていました。

加賀藩前田家は「加賀宝生」(かがほうしょう)という能楽の流派を生み、現在も石川県の伝統芸能として伝承されており、その関係で尾山神社は、前田家から奉納された能面を多数所蔵しています。そして、その中のひとつが「悪尉」(あくじょう:強く恐ろしい表情をした尉[老翁]の面)という曰く付きの能面です。

悪尉は、他の能面とは全く異なる事情で奉納されており、専用の桐箱に納められ、門外不出とされています。

前田利家の4男「前田利常」(まえだとしつね)が、藩主を務めていた頃。能登の海に毎晩光る物体があると言うことで、ある日、町人が網を打ってみると、ひとつの面がかかりました。この面を持ち帰ったところ、謡をうたい、口から淡を吐き出すという不気味な現象が起こります。

その後も奇怪な出来事が度重なったため、町人は恐ろしくなり前田家へ献上することに。ところが、前田家でも変異が起こるようになり、これは個人で所有できる物ではないと判断した前田家は、この面を尾山神社へ奉納したのです。

こうして悪尉は、「外へ出せば一天、にわかにかき曇る」という言い伝えのもと、尾山神社で保管されるようになりました。現在も一般公開はされていませんが、悪尉の実物写真を公式ホームページで閲覧することができます。

尾山神社と併せて巡る!前田利家ゆかりの神社

尾山神社の前身である宇多須神社

宇多須神社

宇多須神社

金沢市の人気観光スポット「ひがし茶屋街」に位置する宇多須神社。尾山神社の前身となった神社で、現在は10柱の神様が祭神として祀られており、「毘沙門」(びしゃもん)さんの名称で地元住民からも親しまれています。

境内の奥には加賀藩5代藩主「前田綱紀」(まえだつなのり)の病を治したと伝わる「利常公酒湯の井戸」があることから、強力なパワースポットとしても人気の場所です。

また、宇多須神社に加えて、「小坂神社」(こさかじんじゃ)、「神明宮」(しんめいぐう)、「椿原天満宮」(つばきはらてんまんぐう)、「安江八幡宮」(やすえはちまんぐう)の江戸時代から金沢市に鎮座する5つの神社を合わせて「金沢五社」と呼び、この5社への参拝は「五社参り」と言われ、江戸時代から盛んに行なわれていました。

金沢の日光と呼ばれる尾崎神社

尾山神社から徒歩10分ほどの位置に鎮座する「尾崎神社」は、1643年(寛永20年)に、加賀藩3代藩主「前田光高」(まえだみつたか)によって創建された神社。

前田光高は、前田利家の嫡孫(ちゃくそん:嫡子の嫡子)で、「徳川家康」の外曾孫(がいそうそん:孫の子供)にあたる人物です。

そのため、当初は「東照三所大権現社」という名で、徳川家康と父・前田利常、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る東照宮として建立されましたが、1874年(明治7年)に、神仏分離令によって尾崎神社と改称。

その後、1878年(明治11年)に、旧金沢城内から現在地に移築されました。

尾崎神社は、徳川家康を神として祀る東照宮の総本社「日光東照宮」を模した神社で、「金沢の日光」とも呼ばれており、朱塗りの社殿はまさに東照宮らしい建造物。尾山神社の参拝後、裏手の東神門を抜けて金沢城公園沿いに歩くと、すぐに尾崎神社の朱塗りの神門が見えてきます。

前田利家と妻まつを祀る尾山神社(石川県金沢市)

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楠木正成を祀る湊川神社(兵庫県神戸市)

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武田信玄を祀る武田神社(山梨県甲府市)

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伊達政宗を祀る青葉神社(仙台市青葉区)

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吉田松陰を祀る松陰神社(東京都世田谷区/山口県萩市)

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上杉謙信を祀る上杉神社(山形県米沢市)

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織田信長を祀る建勲神社(京都市北区)

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豊臣秀吉を祀る豊国神社(名古屋市中村区)

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徳川家康を祀る日光東照宮(栃木県日光市)

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