偉人を祭った神社

伊達政宗を祀る青葉神社(仙台市青葉区)

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「伊達政宗」(だてまさむね)と言えば、独眼竜の異名で知られる戦国時代の大名です。戦国の世に名を馳せ、「豊臣秀吉」や「徳川家康」に仕えながら東北の覇者となったことで知られる伊達政宗は、戦国武将としてのたくましさに加え、隻眼というミステリアスな風貌を併せ持っていたことから、現代でも絶大な人気を誇っています。伊達政宗は、近年の歴女ブームを牽引する中心的人物と言っても過言ではありません。そんな伊達政宗ゆかりの地として名高い宮城県仙台市は、伊達政宗にまつわる神社仏閣が多く存在します。

伊達政宗を愛する歴女必訪!青葉神社へお詣りしよう

青葉神社の由緒

青葉神社

青葉神社

現在の宮城県仙台市青葉区に「伊達政宗」が築いた「仙台城」(別名・青葉城)の城跡から、北へ4km進んだ場所にある「青葉神社」(あおばじんじゃ)。

祭神の「武振彦命」(たけふるひこのみこと)は、伊達政宗の神号です。

青葉神社は、1868年(明治元年)7月14日に、仙台藩を樹立した伊達政宗を崇敬する有志達によって、伊達政宗を祀る神社の建立が請願され、1874年(明治7年)2月7日、創建されました。

青葉神社の本殿は、神社建築の主流である流造(ながれづくり)のなかでも、正面の柱間が三間になる「三間社流造」(さんげんしゃながれづくり)となっています。

鎌倉時代や室町時代の趣を感じさせまた、伝統的な構造で、本殿に祀られている伊達政宗を表すかのような風格漂う建造物です。

伊達政宗と共に祀られている正室・愛姫

伊達政宗には、正室と7人の側室がいたと言われており、子沢山な武将としても知られています。特に、伊達政宗を生涯に亘って支え続けた人物と言えば、正室の「愛姫」(めごひめ)。

伊達政宗の又従兄妹にあたる愛姫は、「陸奥国田村郡」(むつのくにたむらぐん:現在の福島県田村郡)の三春城(みはるじょう)城主「田村清顕」(たむらきよあき)の一人娘で、12歳という若さで伊達政宗に嫁ぎました。

ちなみに、愛姫の「めご」とは、東北地方の方言「めんこい」のことで、「可愛い」という意味です。愛姫は、青葉神社の境内社である「愛姫神社」に祀られていましたが、現在は伊達政宗と共に本殿に祀られています。

  • 伊達政宗

    伊達政宗

  • 愛姫

    愛姫

伊達政宗の右腕・片倉景綱と青葉神社の関係

愛姫に支えられながら、62万石を誇る仙台藩初代藩主となった伊達政宗。奥州の覇者を支えた人物として、忘れてはならないのが「片倉景綱」(かたくらかげつな)の存在です。

伊達政宗の腹心として活躍した片倉景綱は、現代においても歴史ファンから人気を集めている武将で、通称「小十郎」(こじゅうろう)という名で親しまれています。伊達政宗の父「伊達輝宗」の代から伊達家に仕えていた片倉景綱は、伊達政宗から白石城主を任じられ、伊達政宗の右腕として重要な役割を果たしていきました。

そして、片倉景綱も青葉神社と大きく関係しています。青葉神社では、片倉景綱を祖とする片倉家当主が歴代の宮司を務めており、現在の宮司も片倉景綱の子孫である16代当主「片倉重信」(かたくらしげのぶ)が務めているのです。

授与品には伊達政宗の姿が描かれた御朱印帳も

偉人を祀る神社の授与品は、歴史ファンにとって欠かせないグッズでもあります。青葉神社では、伊達政宗が使用していた家紋「竹に雀」(たけにすずめ)や、青葉神社のシンボルである「和龍」を用いた御守りなど、洗練されたデザインの授与品を多数販売。特に人気が高いのは、青葉神社オリジナルの「御朱印帳」です。

デザインは2種類あり、ひとつは、赤い日の丸を背景に伊達政宗の騎馬姿が神々しい白地の御朱印帳。もうひとつは、伊達政宗の騎馬姿に波しぶきがかかる落ち着いた紺地の御朱印帳。どちらの御朱印帳も、伊達家の竹に雀の家紋入りです。

また、お札を燃やした際に生じた灰を本殿の砂と混ぜた「清め砂」など、あまり見られない珍しい授与品もあります。

青葉神社と合わせて巡る伊達政宗ゆかりの社寺

伊達政宗が築いた仙台藩総鎮守 大崎八幡宮

大崎八幡宮

大崎八幡宮

青葉神社から南西の位置にある「大崎八幡宮」(おおさきはちまんぐう)は、伊達政宗が絢爛豪華な社殿を築いたことで有名な神社。

もともとは、平安時代に征夷大将軍に任じられた「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)が、「蝦夷征討」(えぞせいばつ)にあたって「武運長久」(ぶうんちょうきゅう:武人としての命運が長く続くこと、出征した兵がいつまでも無事なこと)を祈願するために、八幡宮の総本宮である大分県宇佐市の「宇佐神宮」(うさじんぐう)から八幡神を勧請したことに始まります。

この社は、「鎮守府八幡宮」(ちんじゅふはちまんぐう)という名で、現在の岩手県奥州市水沢区に創建。その後、室町時代に入ると、奥州管領となった大崎氏が自領の宮城県大崎市に八幡宮を遷したため、現社名の大崎八幡宮と呼ばれるようになりました。

大崎氏の滅亡後、伊達政宗によって、大崎八幡宮は仙台城から「乾」(けん:北西)の方角にあたる現在地に遷座します。1604年(慶長9年)、伊達政宗は豊臣家に仕えていた工匠を京から集結させ、当代トップの建築技術を用いて社殿造営に取り掛かりました。

1607年(慶長12年)に完成した豪壮な社殿は、本殿から拝殿を石の間で繋いで一体とした権現造(ごんげんづくり)で、この様式の建造物としては日本最古の物です。伊達家の威光を示すかのような華麗な装飾や彫刻が施された社殿は、桃山建築の中でも最高峰と称され、現在は国宝にも指定されています。

仙台藩総鎮守として、伊達政宗をはじめとする仙台藩歴代藩主はもちろんのこと、仙台城下の人々から崇敬を集めてきた大崎八幡宮は、県内外からも多くの参拝者が訪れる人気の観光地です。

伊達政宗の息子が徳川家康を祀った仙台東照宮

仙台東照宮

仙台東照宮

伊達政宗と同時代に生き、天下統一を果たした「徳川家康」。伊達政宗は、徳川家康に仕えたあとも2代将軍「徳川秀忠」、3代将軍「徳川家光」と、3代に亘って徳川家から重用され、徳川将軍家と深い信頼関係を築き上げました。

そんな伊達家と徳川家にまつわる神社が、「仙台東照宮」(せんだいとうしょうぐう)です。

「東照宮」と言えば、徳川家康を祭神として祀る神社で、静岡県の「久能山東照宮」や、栃木県の「日光東照宮」の他、全国に約500社の東照宮が存在します。

仙台東照宮は、伊達政宗と愛姫の嫡男で仙台藩の2代藩主「伊達忠宗」(ただむね)によって、1654年(承応3年)に創建されました。

伊達政宗の没後、仙台藩では大火や大洪水といった災害が立て続けに発生し、仙台藩は深刻な財政難に陥ります。幕府から援助を受けたことで危機を脱した仙台藩は、徳川家に対する感謝や崇敬の念を示すために、1649年(慶安2年)、3代将軍・徳川家光に対して東照宮の創建を願い出ました。仙台東照宮の建立は、晩年の伊達忠宗が残した最大の功績と言われています。

伊達忠宗は、5年の歳月をかけて社殿を造営しただけではなく、当時仙台最大のお祭りとして賑わいを見せた「東照宮御祭礼」の斎行、そして氏子町の指定など、東照宮の興隆のために尽力しました。その後、仙台東照宮は、仙台藩伊達家の守護神となったのです。

なお、仙台東照宮が建つ社地は、伊達政宗の案内で徳川家康が休息した場所と言われており、伊達政宗と徳川家康ゆかりの地としても有名。また、国の重要文化財に指定されている本殿は、伊達政宗が建立した大崎八幡宮と同じ工匠が手掛けた建造物でもあります。

寿老尊を祀る玄光庵

玄光庵

玄光庵

青葉神社から歩いて10分ほどの場所にある「玄光庵」(げんこうあん)は、「奥州仙臺七福神」(おうしゅうせんだいしちふくじん)に属している七福神の「寿老尊」(じゅろうそん)を祀る寺院。

寿老尊は、一般的に「寿老人」(じゅろうじん)と呼ばれる七福神で、中国三大宗教のひとつである「道教」において不老長寿を授ける神仙です。

玄光庵に安置されている「喜福寿老尊」の胎内には、「大日如来」(だいにちにょらい:様々なご利益を与えると言われる密教の最高位の仏)が奉安されていると言われており、不老長寿の他に無病息災の祈願に対して大きな御利益が得られると、古くから地域の信仰を集めています。

大黒尊天を祀る喜伝山秀林寺

喜伝山秀林寺

喜伝山秀林寺

喜伝山秀林寺」(しゅうりんじ)は、奥州仙臺七福神の「大黒天」を祀る寺院。

本寺院もまた、青葉神社の近くにあり、伊達政宗が城下町の整備を行なった際に、仙台市泉区松森の地から現在地に遷されました。

秀林寺の境内に広がる庭園には、「かめさつき」と呼ばれる樹齢350年のさつきが植えられており、かめさつきは、伊達政宗の嫡男・伊達忠宗によって手植えされたと言われています。そして秀林寺の本堂は、仙台市に現存する最古の木造本堂としても有名です。

奥州仙臺七福神は、玄光庵と秀林寺の他に、青葉区一番町の「藤崎えびす神社」、若林区荒町の「金光山満福寺」(まんぷくじ)など、5つの寺社それぞれに七福神を祀っており、7つの寺社を巡るスタンプラリーを常時開催。伊達政宗の歴史と共に、仙台市の辿ってきた軌跡を知ることができます。

伊達政宗を祀る青葉神社(仙台市青葉区)

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楠木正成を祀る湊川神社(兵庫県神戸市)

楠木正成を祀る湊川神社(兵庫県神戸市)
兵庫県神戸市にある「湊川神社」(みなとがわじんじゃ)は、鎌倉幕府を滅亡させ、「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)に忠義を尽くして戦い果てた武将、「楠木正成」(くすのきまさしげ)を祀った神社です。南北朝時代を代表する英雄として語られることの多い彼は、猛将でありながら戦術家としても名高く、「南北朝一の知将」とも称されてきました。 時代を超えて多くの偉人達に影響を与え、後世に語り継がれてきた楠木正成は、歴女にとって興味深い存在です。地元では「楠公さん」(なんこうさん)の愛称で親しまれている湊川神社が、どのような歴史的背景で創建されたのか、見どころと合わせてご紹介します。

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武田信玄を祀る武田神社(山梨県甲府市)

武田信玄を祀る武田神社(山梨県甲府市)
「甲斐の虎」(かいのとら)の異名を持ち、勇猛果敢な騎馬隊を率いて「徳川家康」や「上杉謙信」にも怖れられた戦国時代きっての名将「武田信玄」。恰幅のいい肖像画が有名で、猛々しく戦うイメージが強い一方、法律の制定や当時としては珍しい合議制政治の導入など、内政においても手腕を発揮したことで知られ、高い人気を誇る武将です。 また「清和源氏」(せいわげんじ)を祖とする名門「甲斐源氏」の流れをくみ、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」(みなもとのよりとも)や室町幕府の足利将軍家とも血縁関係にあったこと、さらには「川中島の戦い」で鎬を削った上杉謙信とのライバル関係など、物語性の高い武将であることも歴女心をくすぐるところ。 そんな武田信玄を祭神として祀る「武田神社」は、武田信玄が本拠地とした山梨県甲府市に鎮座しています。

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前田利家と妻まつを祀る尾山神社(石川県金沢市)

前田利家と妻まつを祀る尾山神社(石川県金沢市)
「前田利家」は、「織田信長」や「豊臣秀吉」のもとで武功を挙げ、戦国の世にその名を轟かせた名将です。当時では珍しい182cmの高身長で容姿端麗だったと言われている前田利家は、歴女人気が高い武将のひとり。また、前田利家が女性ファンの心を掴む理由に、正室「芳春院」(ほうしゅんいん)こと通称「まつ」との夫婦愛も挙げられます。 2002年(平成14年)には、大河ドラマでも2人の夫婦愛が描かれたことから、共に認知度が高くなりました。そして、加賀藩祖として前田利家が礎を築いた石川県金沢市には、前田利家とまつを祭神として祀る「尾山神社」(おやまじんじゃ)があります。

前田利家と妻まつを祀る尾山神社(石川県金沢市)

吉田松陰を祀る松陰神社(東京都世田谷区/山口県萩市)

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数多くの戦国武将が活躍した戦国時代。そして、新しい時代に向けて多くの志士が歴史に名を残した幕末。大きな転換期となったこの2つの時代は、日本史のなかでも圧倒的な熱情と輝きを放っています。昨今の歴女ブームを語る上でも、戦国武将と幕末維新の志士達は欠かせない存在。 今回は、激動の幕末を駆け抜けた偉大な思想家「吉田松陰」(よしだしょういん)と共に、吉田松陰を祭神とする2つの「松陰神社」(しょういんじんじゃ)についてご紹介します。

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上杉謙信を祀る上杉神社(山形県米沢市)

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2017年(平成29年)に、「続日本100名城」にも選ばれた山形県の米沢城跡。桜の名所としても知られる城跡には、熱狂的な歴女ファンが多い「上杉謙信」(うえすぎけんしん)を祭神として祭る「上杉神社」が鎮座しています。 戦国時代に越後国(えちごのくに:現在の新潟県)を統一し、米沢藩上杉家の礎を築いた上杉謙信。「軍神」と称され、「義」を重んじる名将として語られてきました。 ここでは、上杉謙信ゆかりの聖地であり、米沢市の観光名所でもある上杉神社についてご紹介します。

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織田信長を祀る建勲神社(京都市北区)

織田信長を祀る建勲神社(京都市北区)
尾張の守護代だった織田氏の一族に生まれ、「天下布武」の旗印のもと天下統一を目指してまい進した「織田信長」。織田信長は苛烈な性格で知られていますが、戦においても政治においても、既存の価値観にとらわれない革新的な考えの持ち主でもありました。ドラマチックな生涯とも相まって、歴女にも人気が高い戦国武将です。 「本能寺の変」によって志半ばでこの世を去った織田信長ですが、その亡骸が見付からなかったことから、織田信長の墓は各地に存在。明治になると、政府によって織田信長を祀る「建織田社」(たけしおりたのやしろ)が建立され、のちに「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)の社号が下賜されました。

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豊臣秀吉を祀る豊国神社(名古屋市中村区)

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愛知県名古屋市中村区にある「豊國神社」(豊国神社)は、農民の家に生まれながら数々の功績を挙げ、ついには天下人にまで登りつめた三英傑のひとり「豊臣秀吉」を主祭神とする神社。豊臣秀吉は、当時としては珍しく「寧々」(ねね)と恋愛結婚をしたことや、織田信長の姪で浅井長政の娘「茶々」(ちゃちゃ:淀殿[よどどの])を側室として迎え入れたことなど、女性関係の逸話が多いことでも有名です。 今回は、豊臣秀吉ゆかりの豊國神社(豊国神社)と、「加藤清正」を祀る熊本県熊本市「加藤神社」の意外な関係、そしてご縁を結びたい歴女必見!「常泉寺」(じょうせんじ)の「むすびの輪」などをご紹介します。

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徳川家康を祀る日光東照宮(栃木県日光市)

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「応仁の乱」(おうにんのらん)から始まった戦国時代に終止符を打ち、徳川幕府の初代将軍として約260年に及ぶ江戸時代の礎を築いた「徳川家康」。「織田信長」、「豊臣秀吉」と並ぶ「戦国三英傑」と称され、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)の小大名から天下人となった武勇や知略で、歴女のみならず高い人気を有する武将です。 「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して食らうは 徳の川」と、徳川家康の天下取りを揶揄した狂歌もありますが、幼少期には織田家、その後19歳まで今川家の人質として過ごし、戦国大名となってからも領内の平定や隣国の脅威など、苦労を乗り越えて上り詰めていきました。そして、死後は「東照大権現」(とうしょうだいごんげん)の神号を授けられ、絢爛豪華な「日光東照宮」(にっこうとうしょうぐう)に祀られています。

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