偉人を祭った神社

吉田松陰を祀る松陰神社(東京都世田谷区/山口県萩市)

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数多くの戦国武将が活躍した戦国時代。そして、新しい時代に向けて多くの志士が歴史に名を残した幕末。大きな転換期となったこの2つの時代は、日本史のなかでも圧倒的な熱情と輝きを放っています。昨今の歴女ブームを語る上でも、戦国武将と幕末維新の志士達は欠かせない存在。
今回は、激動の幕末を駆け抜けた偉大な思想家「吉田松陰」(よしだしょういん)と共に、吉田松陰を祭神とする2つの「松陰神社」(しょういんじんじゃ)についてご紹介します。

ひとつめの松陰神社

松陰神社(東京都)

松陰神社(東京都)

「吉田松陰」(よしだしょういん)は、1859年(安政6年)10月27日、江戸最大規模の拘置所である「伝馬町牢屋敷」(てんまちょうろうやしき)で処刑され、29歳という若さでこの世を去りました。

刑死した直後は「小塚原回向院」(こづかはらえこういん:現在の東京都荒川区南千住にある寺院)の「下屋敷常行庵」(しもやしきじょうぎょうあん)に埋葬されますが、その後、1863年(文久3年)に「高杉晋作」(たかすぎしんさく)や「伊藤博文」(いとうひろぶみ)など、吉田松陰の門下生達によって、現在の世田谷区若林の地に改葬。

そして、この墓所に吉田松陰の御霊を祭る社を築いたのが、「松陰神社」(東京都世田谷区)の始まりと言われています。

明治の元勲が奉納した鳥居と石燈籠

松陰神社(東京都) 石燈籠

松陰神社(東京都) 石燈籠

1882年(明治15年)11月21日に、門下生によって建立された松陰神社は、創建当時、明治新政府を牽引していた伊藤博文の他に、「山縣有朋」(やまがたありとも)、「井上馨」(いのうえかおる)、「乃木希典」(のぎまれすけ)など、名だたる偉人によって社殿が造営されました。

現存の社殿は、1927~1928年(昭和2~3年)にかけて造営された物で、創建時に築かれた社殿は現在、本殿の「内陣」(ないじん:神体を安置する場所)となっています。

松陰神社の境内には、社殿以外にも吉田松陰を師として尊崇し、幕末から明治の新時代を切り拓いていった偉人達の遺恨が多く存在。

吉田松陰墓域の入口に建つ鳥居は、吉田松陰の墓所を修復する際に、「維新の三傑」のひとりである「木戸孝允」(きどたかよし)によって奉納された鳥居。木戸孝允は、幕末期に別名「桂小五郎」(かつらこごろう)として名を馳せた剣豪としても知られています。

鳥居の他、吉田松陰が主宰した「松下村塾」(しょうかそんじゅく)の門下生の代表格である伊藤博文、山縣有朋などから奉献された32基の「石燈籠」(いしどうろう)も見所のひとつ。

松陰神社の境内は、明治の元勲達が吉田松陰の遺志を継ぎ、新時代を築いていったことが感じられる場所でもあるのです。

境内墓域には徳川家からの謝罪の印も

吉田松陰墓所は、かつて人の手によって壊され、明治の幕開けと共に修復されました。

1864年(元治元年)、吉田松陰の墓所が改葬された翌年に尊王攘夷を掲げる長州藩士の挙兵によって、京都で「禁門の変」が勃発。激しい戦闘の末に長州藩士は敗れ、幕府によって「長州征伐」が行なわれることになり、吉田松陰をはじめとする烈士達の墓は、幕府の人間によってことごとく破壊され、境内の墓所は一度消失します。

その後、1868年(明治元年)に木戸孝允などの門下生によって墓所は修復。境内には現在も、倒幕に奔走した数々の烈士達の墓標が並び立ち、吉田松陰と同様に「安政の大獄」で命を落とした「頼三樹三郎」(らいみきさぶろう)や「小林良典」(こばやしよしすけ)など、勤王の志士達の墓碑や、長州藩邸没収事件関係者の慰霊碑が残されています。

そして、境内の松陰墓所前に建つ「葵紋」が刻まれた石燈籠と墓域にある水盤は、墓所修復の際に、徳川家から謝罪の意を込めて奉納された物。

かつて、幕府によって処刑された吉田松陰。その墓所に、徳川家の謝罪の印が建てられるとは、なんとも感慨深い出来事です。

境内に再現された松下村塾

松下村塾(山口県)

松下村塾(山口県)

吉田松陰が主宰した松下村塾は、吉田松陰の叔父「玉木文之進」(たまきぶんのしん)が山口県萩市の萩城下「松本村」で開いた私塾でした。

吉田松陰も、この松下村塾で叔父から教えを受けていたと言います。

叔父の影響を受けて教育者となった吉田松陰は、1857年(安政4年)に、後継として松下村塾を主宰することになりますが、吉田松陰が松下村塾で教育を施したのは僅か2年半でした。

主宰者となった翌年の1858年(安政5年)12月には、安政の大獄に連座して投獄されています。この間、吉田松陰に教えを受けた塾生はおよそ90名いましたが、いずれも倒幕運動の中心人物であり、吉田松陰の妹「文」(ふみ)が嫁いだ相手・長州藩士「久坂玄瑞」(くさかげんずい)の他、同じく倒幕運動を指揮して奇兵隊を創設した高杉晋作や、陸軍軍人で政治家「山田顕義」(やまだあきよし)など、明治の元勲となる逸材を短期間で多数輩出しました。

この松下村塾は、世田谷区の松陰神社と同名の山口県萩市「松陰神社」の境内に現在も保存されており、吉田松陰ゆかりの聖地としても有名。

なお、世田谷区の松陰神社境内には、萩市の松下村塾を模して造られた建造物があり、土日祝日限定で9~16時まで雨戸が開放されるため、内部を観ることもできます。

吉田松陰の直筆入り授与品

勝絵馬

勝絵馬

松陰神社境内では、学問の神様として祀られる吉田松陰が描かれた授与品を多数販売。

「勝守」は、吉田松陰直筆の「勝」の文字が入ったお守り。激動の幕末において信念を貫いた吉田松陰のように、自分の弱い心に負けないようにとの願いが込められています。

また、「勝絵馬」には吉田松陰の姿が描かれており、この肖像画を描いたのは松下村塾の塾生であった「松浦松洞」(まつうらしょうどう)。現存する松浦松洞が描いた吉田松陰肖像画は6幅で、そのすべてに吉田松陰自身が漢詩を書き足しています。

「吉田松陰自賛肖像」とも呼ばれる6幅の肖像画は、比べてみると少しずつ違いが見られ、松陰神社の勝絵馬に描かれているのは、吉田松陰の義弟「久坂玄瑞」に与えられた「久坂本」。この6幅の吉田松陰自賛肖像は、すべて形見として門下生などに与えられました。

また、松陰神社にはこの他にも、吉田松陰直筆の「志」の文字が入ったお守りや絵馬、吉田松陰の故郷である山口県の県花「夏みかんの花」があしらわれた花まもりなどを販売。

そして、吉田松陰の月命日である27日には、吉田松陰のシルエット入りの限定御朱印を押印してもらえるため、当日は特に多くの歴史ファンが訪れます。

吉田松陰を祀るもうひとつの松陰神社

萩・世田谷幕末維新祭り

世田谷区若林の松陰神社の土地は、もともと長州藩主である毛利家の別邸があった場所で、長州藩(藩庁は山口県萩市)ゆかりの土地でもありました。

そして、吉田松陰生誕地である山口県萩市にも、同名の松陰神社が建立されています。吉田松陰が結んだ縁から、世田谷区と萩市は、1992年(平成4年)に、商店街を通じて民間交流が始まり、1996年(平成8年)には、友好都市関係を結びました。

毎年、吉田松陰の命日である10月27日前後に開催される「萩・世田谷幕末維新祭り」は、世田谷区の松陰神社と松陰神社商店街を会場にしたお祭りです。萩市・会津の観光物産展の他、吉田松陰や奇兵隊などの幕末志士に扮する人々のパレードも行なわれます。

  • 当時の建物や町並みが楽しめる日本各地の城下町をご紹介します。

  • 江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

松下村塾の改修と共に創建された神社

松陰神社(山口県)

松陰神社(山口県)

吉田松陰が生まれた山口県萩市にある、もうひとつの松陰神社。この神社もまた、吉田松陰の門下生達によって建立されたという経緯があります。

吉田松陰が刑死してから31年後の1890年(明治23年)8月、門下生の提案で塾舎が保存されることになり、改修作業が行なわれました。

このとき、吉田松陰の実家である杉家は、改修に伴って吉田松陰の御霊を祀る土蔵造りの祠(ほこら)を建立します。この祠が松陰神社の前身です。

1907年(明治40年)になると、政治家「野村靖」(のむらやすし)や伊藤博文など、明治の元勲が中心となり、祠を正式な神社とする請願書が山口県に提出されます。同年10月4日、県社に列せられてめでたく松陰神社が創建されると、祠を本殿として移設し、萩城の鎮守であった「宮崎八幡宮」から拝殿を譲り受けて境内の整備が行なわれました。

その後、1942年(昭和17年)に新社殿が建てられ、戦後には祭神が新社殿に遷座。萩市の松陰神社もまた、吉田松陰の遺志を継いだ明治の元勲達によって築かれた神社だったのです。

境内には烈士を祀る末社や歴史館も

「吉田矩方命」(よしだのりかたのみこと)こと、吉田松陰を祭神とする松陰神社の境内には、松下村塾出身者や、門下生の御霊を祀って創建された「松門神社」が末社として鎮座しています。

2010年(平成22年)10月には、吉田松陰生誕180年を記念して、新たに10柱が合祀され、さらに2015年(平成27年)10月には、吉田松陰が獄中で門弟のために著した遺書「留魂録」(りゅうこんろく)を吉田松陰から託され後世に伝えた「沼崎吉五郎」(ぬまざききちごろう)も合祀されました。

また、境内には「吉田松陰歴史館」があり、館内の見所は、吉田松陰の一生を再現した等身大ろう人形の展示。ろう人形約70体を使用して再現された20の名場面は音声ガイド付きで、吉田松陰の生涯を分かりやすく知ることができる施設となっています。

宝物殿 至誠館

宝物殿 至誠館

宝物殿 至誠館

吉田松陰没後150年を記念して、2009年(平成21年)に建てられた松陰神社宝物殿「至誠館」(しせいかん)。

吉田松陰が遺した著書や物品を永久保存するため、そしてそれらの貴重な歴史的史料を展示することで、吉田松陰の思想を現代に伝えるという目的で創立されました。

ギャラリーでは、吉田松陰の生涯や萩市内の史跡を紹介。有料展示室では、松陰神社所蔵の宝物などが展示されています。

また、館内にはミュージアムショップも併設。人気のボールペンやクリアファイル、松下村塾で使用していた原稿用紙を復刻したという貴重な品々は、どれもここでしか手に入らないグッズです。

吉田松陰を祀る松陰神社(東京都世田谷区/山口県萩市)

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