偉人を祭った神社

豊臣秀吉を祀る豊国神社(名古屋市中村区)

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愛知県名古屋市中村区にある「豊國神社」(豊国神社)は、農民の家に生まれながら数々の功績を挙げ、ついには天下人にまで登りつめた三英傑のひとり「豊臣秀吉」を主祭神とする神社。豊臣秀吉は、当時としては珍しく「寧々」(ねね)と恋愛結婚をしたことや、織田信長の姪で浅井長政の娘「茶々」(ちゃちゃ:淀殿[よどどの])を側室として迎え入れたことなど、女性関係の逸話が多いことでも有名です。
今回は、豊臣秀吉ゆかりの豊國神社(豊国神社)と、「加藤清正」を祀る熊本県熊本市「加藤神社」の意外な関係、そしてご縁を結びたい歴女必見!「常泉寺」(じょうせんじ)の「むすびの輪」などをご紹介します。

豊臣秀吉公の生誕地・名古屋の豊國神社(豊国神社)

豊國神社(豊国神社)

豊國神社(豊国神社)

豊臣秀吉を主祭神として祀る「豊國神社」(豊国神社)は全国各地にありますが、愛知県名古屋市豊國神社(豊国神社)は、その中でも豊臣秀吉の生誕地にあたる場所に点在。

本神社は、戦国一の大出世を果たした豊臣秀吉にちなんで、出世開運や仕事成就の他、茶道や「墨俣の一夜城」などの建設に関する逸話から文化の神としても親しまれ、ご利益を授かるために歴女をはじめ日々多くの参拝者が訪れています。

豊國神社(豊国神社)が創建されたのは、1885年(明治18年)。地元の有志が、当時の県令(県知事)「国定廉平」(くにさだれんぺい)にかけあって「豊公遺跡保存会」を設立し、創祀に至りました。

その後、1901年(明治34年)に愛知県の所管となり、周辺は「中村公園」として整備されます。

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大鳥居から境内へ

豊国神社 大鳥居

豊国神社 大鳥居

名古屋市営地下鉄「中村公園駅」を出ると目に入るのが、大きな赤い鳥居。

1929年(昭和4年)に、鉄筋コンクリートで建てられた物で、その高さは約24m。

同時期に建てられた京都の「平安神宮」にある大鳥居とほぼ同じ大きさで、完成当時は世界一の高さを誇りました。

大鳥居をくぐり北側を向くと豊國神社(豊国神社)の参道となり、10分ほど歩くと中村公園の入り口に「二の鳥居」が見えて、そこから太鼓橋を渡ってさらに奥に行くと「三の鳥居」と拝殿が見えてきます。

豊國神社(豊国神社)の御朱印

豊國神社(豊国神社)の御朱印は数種類あり、豊臣秀吉の桐紋をあしらった通常の御朱印と、季節によって台紙の色が変わる「季節の御朱印」以外にも、特別な日限定で配布される御朱印が存在。

豊臣秀吉の生誕480年の「太閤祭り」のときには「太閤祭限定御朱印帳」が頒布された他、2019年(平成31年・令和元年)には、新元号「令和」の施行と新しい天皇陛下の即位に合わせて新調される三の鳥居の材料「ひのき」を使った木製御朱印帳も頒布されました。

豊臣秀吉の月命日である毎月18日には、紺色の和紙に金の文字で書かれた限定の御朱印が用意され、豊臣秀吉の命日「8月18日」には、金箔が貼られた御朱印が用意されます。

加藤神社

加藤神社

また、2016年(平成28年)に起きた熊本地震の際には、熊本県熊本市の「加藤神社」を支援するための御朱印「清正公社」が用意されました。

加藤神社は、豊臣秀吉と親戚関係にあった有力武将「加藤清正」を主祭神とする神社で、豊國神社(豊国神社)内にも加藤清正の摂社があり、2つの神社はあるご縁で繋がっているのです。

1596年(慶長元年)、山城国伏見(現在の京都府京都市伏見区)を襲った「慶長伏見地震」の際に、伏見城で被災した豊臣秀吉のもとへ最初に駆け付けたのが加藤清正だった、という逸話があります。

この逸話から約420年経ち、加藤清正ゆかりの加藤神社へ恩返しができたことを、豊國神社(豊国神社)の近藤宮司は語り、加藤神社への支援を長期的に続けると誓いました。

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中村公園の見どころ

中村公園は、本園を中心に東園、西園に分かれ、「関白池」、「太閤池」、「ひょうたん池」を有する純日本風回遊式林泉公園です。

園内の「ほまれの広場」には、豊臣秀吉が晩年に開いた「醍醐の花見」で知られる京都「醍醐寺」のしだれ桜のクローン桜「太閤しだれ桜」が植樹されています。醍醐の花見は、寧々茶々など豊臣秀吉の近親者をはじめ、「前田利家」の妻である「まつ」などの諸大名や、その配下の女房、女中など、女性ばかり約1,300名を集めたお花見として有名。

なお、太閤しだれ桜は豊國神社(豊国神社)境内や、熊本の加藤神社にも植樹されています。

中村公園では、毎年4月に「太閤花見茶会」を開催。豊國神社(豊国神社)の北西にある桐蔭茶席で、呈茶や長唄、琴の演奏が行なわれる他、広場には屋台が並び、賑わいを見せます。

太閤花見茶会では、歴女から絶大な人気を集める「名古屋おもてなし武将隊」も登場。主に名古屋城を拠点に活躍している武将隊で、なんと言ってもイケメン揃い。武将隊のパフォーマンスと、太閤しだれ桜に酔いしれてみてはいかがでしょう。

豊臣秀吉と加藤清正の歴史を辿る名古屋市秀吉清正記念館

色々縅二枚胴具足

色々縅二枚胴具足

1967年(昭和42年)に創立された「名古屋市秀吉清正記念館」は、中村公園の敷地内にある資料館で、愛知県名古屋市瑞穂区にある「名古屋市博物館」の分館。

地元・名古屋市中村区出身の豊臣秀吉と加藤清正に関する資料を収蔵展示しています。

館内では、豊臣秀吉が織田信長に仕えた頃から「大坂冬の陣・夏の陣」を経て豊臣氏が滅亡するまでの波乱に満ちた生涯を、館蔵品やビデオ展示などで紹介。

また、豊臣秀吉が着用したと言われる「色々縅二枚胴具足」(いろいろおどしにまいどうぐそく)や、「狩野随川邦信」(かのうずいせんくにのぶ)筆の「豊臣秀吉画像」の他、豊臣秀吉没後に尼となった「高台院」(こうだいいん:寧々の院号)の肖像画、加藤清正画像など貴重な史料を展示。

他には、豊臣秀吉が九州攻めの際に「西村重就」(にしむらしげなり)に下賜した「馬藺後立兜」(ばりんうしろだてかぶと)や、加藤清正が所用していた「蛇目長烏帽子形兜」(じゃのめもんながえぼしなりかぶと)などが複製品ではありますが、系統立てて展示してあるため、豊臣秀吉と加藤清正の戦歴や生涯が分かりやすく解説してあります。

太閤まつり

中村公園一帯では、毎年5月に「太閤まつり」を開催。当日は、大鳥居からの参道が交通規制され、各町内から神輿や踊りの行列が繰り出し、多数の屋台が出店します。

お祭りの見所は「稚児行列」。豊臣秀吉にあやかって出世や開運、健やかな成長を願い、「出世稚児行列」として多くの子供が集まって練り歩きます。

また、子供だけではなく、「千成瓢簞神輿」という派手な神輿を大人が担いで練り歩く祭事も見物です。

幅広い世代で楽しめる九の市

参道では、毎月9のつく日(9日、19日、29日)の9~15時頃まで、「九の市」という朝市が開催されています。

近年は「九の市 青年部」の取り組みで、野菜や鮮魚、骨董品などの出店だけではなく、近隣の飲食店や雑貨店と協力して、無添加の手作りパンや和雑貨など、若年層も興味を持ちやすい商品を販売するブースも登場。

3世代で楽しめる朝市なので、家族と連れ立って出かけるのもおすすめです。

豊國神社(豊国神社)の近くにある豊臣秀吉ゆかりの寺社

名古屋城の余材で建てられた妙行寺

妙行寺

妙行寺

「妙行寺」(みょうぎょうじ)は、1610年(慶長15年)に徳川家康の命で名古屋城を築城する際、余った材料を用いて再建された日蓮宗の寺院。

豊國神社(豊国神社)のすぐ東にあり、加藤清正の先祖と両親の菩薩寺です。

本寺院は、豊臣秀吉子飼いの家臣・加藤清正の生誕地に建てられています。加藤清正は、1562年(永禄5年)、中村で生まれ、12歳から小姓として豊臣秀吉に仕えた武将。

豊臣秀吉にしたがって各地を転戦し、「賤ヶ岳の戦い」では「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられる武功を挙げました。「朝鮮出兵」の際には、虎退治をしたという逸話を持ち、肥後熊本藩の初代藩主だったことから、熊本では現在も「清正公」(せいしょこ)さんと呼ばれ親しまれています。

また、築城の名手としても知られており、熊本城江戸城などの改修、築城に携わりました。

ちなみに、加藤清正は日蓮宗の寺院を多く創設したことでも有名。合戦だけではなく、政治の面でも手腕を発揮した加藤清正は、歴女が心惹かれる文武両道の勇将だったのです。

妙行寺境内には、1960年(昭和35年)に、加藤清正の没後350年を記念して建てられた虎に座る加藤清正像があります。

豊臣秀吉の産湯の井戸がある常泉寺

常泉寺

常泉寺

常泉寺(じょうせんじ)は、妙行寺の北側に位置する、「太閤山」と号する日蓮宗の寺院。

1606年(慶長11年)、豊国大明神の廟堂として、加藤清正を開基に創建されたため、開祖である日蓮の銅像ではなく豊臣秀吉の銅像が建てられました。

境内には、「秀吉公産湯の井戸」が残されており、この井戸は清水が豊かに湧き出る珍しい井戸だったことから、寺名の由来になったと言われています。

なお、昭和40年代の開発工事に伴う地形の変動により、この井戸は一時的に涸れてしまいました。しかし、平成時代に再び清水が湧き出すように試みた結果、成功した経緯があります。

また、豊臣秀吉が11歳の頃に植えたと言われる柊(ひいらぎ)の木も有名。柊は、邪鬼を除ける縁起の良い樹木として古くから信じられていました。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原征伐から戻る際にこの地へ立ち寄り、そのときに見付けたのが境内にある柊で、折れないように竹を立て添えたと言われています。

常泉寺 むすびの輪

常泉寺 むすびの輪

境内にある石碑「むすびの輪」は、縁結びに効力を持つと言われる縁起物の石碑。「むすび」とは、糸により締めくくることで、頼りや付き合いなどのご縁を意味する言葉です。

むすびの輪と彫られた石の柱の上部と下部には、回転する石の輪が取り付けられており、上の石の輪は「御仏の意思」を示し、下の石の輪は「参拝者の思い」を示しています。

どちらの石の輪にも、黄色や緑などの色が付いたテープが等間隔に貼られており、最初に下の輪を回し、次に上の輪を回したときに同じ色のテープが揃えば願いが叶うと言われているのです。

豊臣秀吉は、農民の出身であるためにはじめは家臣を持っていませんでしたが、その生涯で多くの有力武将を従わせました。歴女のみなさんも、豊臣秀吉のむすびの力を借りて、良縁祈願をしてみてはいかがでしょうか。

豊臣秀吉を祀る豊国神社(名古屋市中村区)

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楠木正成を祀る湊川神社(兵庫県神戸市)

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武田信玄を祀る武田神社(山梨県甲府市)

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「甲斐の虎」(かいのとら)の異名を持ち、勇猛果敢な騎馬隊を率いて「徳川家康」や「上杉謙信」にも怖れられた戦国時代きっての名将「武田信玄」。恰幅のいい肖像画が有名で、猛々しく戦うイメージが強い一方、法律の制定や当時としては珍しい合議制政治の導入など、内政においても手腕を発揮したことで知られ、高い人気を誇る武将です。 また「清和源氏」(せいわげんじ)を祖とする名門「甲斐源氏」の流れをくみ、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」(みなもとのよりとも)や室町幕府の足利将軍家とも血縁関係にあったこと、さらには「川中島の戦い」で鎬を削った上杉謙信とのライバル関係など、物語性の高い武将であることも歴女心をくすぐるところ。 そんな武田信玄を祭神として祀る「武田神社」は、武田信玄が本拠地とした山梨県甲府市に鎮座しています。

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伊達政宗を祀る青葉神社(仙台市青葉区)

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「伊達政宗」(だてまさむね)と言えば、独眼竜の異名で知られる戦国時代の大名です。戦国の世に名を馳せ、「豊臣秀吉」や「徳川家康」に仕えながら東北の覇者となったことで知られる伊達政宗は、戦国武将としてのたくましさに加え、隻眼というミステリアスな風貌を併せ持っていたことから、現代でも絶大な人気を誇っています。伊達政宗は、近年の歴女ブームを牽引する中心的人物と言っても過言ではありません。そんな伊達政宗ゆかりの地として名高い宮城県仙台市は、伊達政宗にまつわる神社仏閣が多く存在します。

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前田利家と妻まつを祀る尾山神社(石川県金沢市)

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「前田利家」は、「織田信長」や「豊臣秀吉」のもとで武功を挙げ、戦国の世にその名を轟かせた名将です。当時では珍しい182cmの高身長で容姿端麗だったと言われている前田利家は、歴女人気が高い武将のひとり。また、前田利家が女性ファンの心を掴む理由に、正室「芳春院」(ほうしゅんいん)こと通称「まつ」との夫婦愛も挙げられます。 2002年(平成14年)には、大河ドラマでも2人の夫婦愛が描かれたことから、共に認知度が高くなりました。そして、加賀藩祖として前田利家が礎を築いた石川県金沢市には、前田利家とまつを祭神として祀る「尾山神社」(おやまじんじゃ)があります。

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吉田松陰を祀る松陰神社(東京都世田谷区/山口県萩市)

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上杉謙信を祀る上杉神社(山形県米沢市)

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2017年(平成29年)に、「続日本100名城」にも選ばれた山形県の米沢城跡。桜の名所としても知られる城跡には、熱狂的な歴女ファンが多い「上杉謙信」(うえすぎけんしん)を祭神として祭る「上杉神社」が鎮座しています。 戦国時代に越後国(えちごのくに:現在の新潟県)を統一し、米沢藩上杉家の礎を築いた上杉謙信。「軍神」と称され、「義」を重んじる名将として語られてきました。 ここでは、上杉謙信ゆかりの聖地であり、米沢市の観光名所でもある上杉神社についてご紹介します。

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織田信長を祀る建勲神社(京都市北区)

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尾張の守護代だった織田氏の一族に生まれ、「天下布武」の旗印のもと天下統一を目指してまい進した「織田信長」。織田信長は苛烈な性格で知られていますが、戦においても政治においても、既存の価値観にとらわれない革新的な考えの持ち主でもありました。ドラマチックな生涯とも相まって、歴女にも人気が高い戦国武将です。 「本能寺の変」によって志半ばでこの世を去った織田信長ですが、その亡骸が見付からなかったことから、織田信長の墓は各地に存在。明治になると、政府によって織田信長を祀る「建織田社」(たけしおりたのやしろ)が建立され、のちに「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)の社号が下賜されました。

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徳川家康を祀る日光東照宮(栃木県日光市)

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「応仁の乱」(おうにんのらん)から始まった戦国時代に終止符を打ち、徳川幕府の初代将軍として約260年に及ぶ江戸時代の礎を築いた「徳川家康」。「織田信長」、「豊臣秀吉」と並ぶ「戦国三英傑」と称され、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)の小大名から天下人となった武勇や知略で、歴女のみならず高い人気を有する武将です。 「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して食らうは 徳の川」と、徳川家康の天下取りを揶揄した狂歌もありますが、幼少期には織田家、その後19歳まで今川家の人質として過ごし、戦国大名となってからも領内の平定や隣国の脅威など、苦労を乗り越えて上り詰めていきました。そして、死後は「東照大権現」(とうしょうだいごんげん)の神号を授けられ、絢爛豪華な「日光東照宮」(にっこうとうしょうぐう)に祀られています。

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