伝統の残る宿場町紹介

鳥取藩が重用した智頭宿(鳥取県智頭町)

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鳥取県八頭郡智頭町(やずぐんちづちょう)にある「智頭宿」(ちづしゅく)は、因幡街道(いなばかいどう)の宿場町。鳥取県南部に位置し、岡山県との県境に近い山あいにあります。
因幡街道は、播磨国姫路(はりまのくにひめじ:現在の兵庫県姫路)と因幡国鳥取(いなばのくにとっとり:現在の鳥取県鳥取市)を結ぶ街道のこと。また、畿内(きない:山城、大和、河内、和泉、摂津の五ヵ国の総称)と因幡を結ぶ他、瀬戸内海・太平洋側の山陽と日本海側の山陰をつないでいるため、交通の要衝として人や物、文化が往来したと言います。智頭を通ることから「智頭往来」(ちづおうらい)、または鳥取側から見ると都へ向かうので、「上方往来」(かみがたおうらい)とも呼ばれていました。

智頭宿

智頭宿

智頭宿

因幡街道は、「承久の乱」に敗れた「後鳥羽上皇」(ごとばじょうこう)が、無念の思いを抱いて通った道であるとともに、「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)が隠岐を脱出して鎌倉幕府を倒すために京へ向かった道でもあります。

そして江戸時代には、鳥取藩の参勤交代の行列が通ったことから、智頭の宿場町に繁栄がもたらされました。

街道に沿う智頭宿(ちづしゅく)には、宿場として栄えていた当時を偲ばせる町家建築の屋敷が建ち並びます。

江戸時代に大庄屋(おおじょうや:地方行政を担った村役人のひとつで、代官などの下で複数の村の庄屋を支配し、法令伝達や訴訟の調停などを行なった)を務めた旧家の「石谷家住宅」(いしたにけじゅうたく)をはじめとして、明治時代に建てられた近代豪商の「米原家住宅」(よねはらけじゅうたく)など、国指定重要文化財や国の登録有形文化財が点在。他にも、歴女の興味をそそる数々の歴史スポットが多く存在します。

石谷家住宅

智頭宿 石谷家住宅

石谷家住宅

建築に興味がある歴女におすすめなのは、国の重要文化財に指定されている石谷家住宅。江戸時代に、鳥取藩最大の宿場町として栄えた智頭宿の中でも、特に大きな建物です。

重厚な大門が出迎える敷地は、3,000坪と広大。部屋数40以上の邸宅に7棟の蔵を有しており、敷地内にある美しい日本庭園は、国の登録記念物になっています。

石谷家は、1691年(元禄4年)頃に鳥取城下から移り住み、1772年(明和9年)から大庄屋を務めました。大庄屋は、江戸時代の村役人のひとつで、人望と教養のある裕福な人物が選ばれたと言います。

1822年(文政5年)以降は、大庄屋を分家や國米家(こくまいけ)に譲り、地主や宿場問屋を務めた他、明治時代には大規模な山林経営を手がける一方で、学校建設や道路改修などを行ない、篤志家(とくしか:社会奉仕や慈善事業などを熱心に実行、支援する人)として町の振興や進展に尽くした旧家です。

石谷家住宅は、江戸時代末期から昭和時代に亘り、それぞれの時代に建設された歴史的建造物が残っています。1919年(大正8年)から新築工事が始まり、このとき主屋や多くの部屋が建てられました。

なお、江戸時代や明治時代の建物に関しては、この工事のときに取り壊された、または手が加わったと言われています。

広大な敷地内は、見どころが満載。可愛い物が好きな歴女におすすめなのは、江戸座敷にあるハート型の木枠が施された障子。実は、ハート型ではありますが「猪目」(いのめ)という文様の一種なのです。猪目は、魔除けの他、招福をもたらすと言われています。

石谷家住宅には、この他にも様々な調度品が保管・展示されているので、骨董品などが好きな歴女にとっても外せない観光スポットです。

石谷家住宅にある3つの庭園

石谷家には、3つの庭園があります。ひとつ目は、江戸座敷(江戸時代に建てられた建造物)に面した「池泉(ちせん)庭園」。2つ目は、北側に続く主屋に面した「枯山水(かれさんすい)庭園」。そして3つ目が、北に続く離れに面した「芝生庭園」。

池泉庭園は、江戸座敷との一体として作庭された庭園。日本の伝統的な庭園様式となっており、屋敷の縁側の2面が庭園に面して巡らされています。池の最も奥まった場所には滝が流れ落ちて、風光明媚な雰囲気が漂う名園です。

枯山水庭園は、水を使わずに構成される庭園。芝生の上に大きな石を置き、石の橋を架けて、芝生や植木の緑と、石や石橋の自然な白色が見事に調和しています。

芝生庭園は、枯山水庭園に隣接している庭園。集団石組に、美しく整備されたツツジの刈り込みが見どころです。秋には紅葉が鮮やかに色付き、景観の良さが一層増すため、癒されたい歴女はぜひ訪れてみて下さい。

石谷家住宅の建造物と設備

石谷家の主屋は、近代和風建築の集大成として高く評価される建造物。正面側に玄関棟、東側に座敷を備え、全体として非常に広い空間になっているのが特徴。

主屋が広大な理由は、石谷家が山林経営を手がけていたためです。上客を迎え入れる機会が多く、また山を管理する山番の集まりも行なわれたことから、広い空間が設けられました。

巨材・良材をふんだんに使用した主屋は、施主、設計士、大工が一体となり、大正時代から昭和時代にかけて5年余りを費やして造られたと言います。

「式台」(しきだい)は、武家住宅で身分の高い客を迎える他、足を汚さずに駕籠(かご)に乗り降りするための板張り部分で、家の格式を表していました。鳥取藩の参勤交代では、藩主は御本陣に泊まりましたが、上級武士は石谷家に宿泊していたため、武家風の本玄関となっているのです。

近代和風建築や洋風建築も

智頭宿 智頭消防団本町分団屯所

智頭消防団本町分団屯所

智頭宿には、国の登録有形文化財が多くあります。建造物が好きな歴女におすすめのスポットをまとめてみました。

米原家住宅は、江戸時代に大庄屋の國米家の番頭を務め、近代には県の政財界の重鎮となった代々の当主が建築・移築した建造物。良材を用いて様々な趣の座敷を設けた主屋をはじめ、「上門」(かみのもん)、「下門」(しものもん)、「土蔵」が国の登録有形文化財に指定されている近代和風建築です。

「智頭消防団本町分団屯所」(ちづしょうぼうだんほんまちぶんだんとんしょ)は、国の登録有形文化財に指定されている消防施設。1941年(昭和16年)に建築されました。洋風建築でありながらも、消防施設らしく火の見櫓(やぐら)が設けられています。

「中町公民館」と「下町公民館」は、大正時代初期に建てられた木造2階建ての洋風建造物。下町公民館は、智頭町役場の庁舎として1944年(昭和19年)まで使われ、その後、電報電話局を経て公民館になりました。

智頭宿の歴史や文化を知るおすすめ観光スポット

御本陣跡

中町公民館のすぐ近くには、「御本陣跡」(ごほんじんあと)があります。

御本陣跡は、初代藩主の時代から参勤交代の宿泊所として使用されており、鳥取から江戸に上るときは最初の宿として、また帰途の際には最後の宿として藩主をもてなしました。

智頭宿の本陣は、宿場の有力者の屋敷を利用せずに藩の施設として新たに建てられたため、奉行所が併設されていましたが、現在はどちらも建物は残っておらず、本陣跡には案内看板と石柱が佇んでいます。

諏訪酒造

智頭の長い歴史を映し出すのが、1859年(安政6年)創業の「諏訪酒造」(すわしゅぞう)。

智頭町は、日本海に流れる千代川(せんだいがわ)の源流に近いため、諏訪酒造ではこの川の伏流水を汲み上げて仕込みに使っています。

鳥取県産の「玉栄」(たまさかえ)や、兵庫県産「山田錦」の酒米を用いて、爽やかな酸味と香りが魅力の「諏訪泉」(すわいずみ)の他、豊かな味わいが魅力の「鵬」(おおとり)など、銘酒が多数揃っており、なかでも諏訪泉や鵬は、日本酒造りを描いた漫画「夏子の酒」で紹介されたことでも有名。現在でも酒蔵に隣接した「酒蔵交流館 梶屋」では、夏子の酒の原画コピーを展示しています。

酒蔵交流館 梶屋は、お土産を買うことができるだけではなく、試飲カウンターもあるため、日本酒好きの歴女におすすめの観光スポットです。

杉神社

智頭宿 杉神社

杉神社

智頭町は、面積の約9割が山林であるため、昔から林業が盛んな町でした。年間を通して寒暖差が大きいことに加え、伝統的な育林技術によって育まれたのが「智頭杉」です。

植樹の歴史は400年。その木目は均等に詰まっており、質や美しさの評価も高く、建築材や内装材として広く使われています。

杉神社」は、杉の精霊をご神体とする神社。杉と縁の深い智頭町ならではのユニークな観光名所です。

なお、神社と言っても拝殿や本殿はありません。白木を斜めに組んで、杉を象徴的に表した斬新な形状の白い塔は独特の雰囲気を醸し出しており、杉の精霊を通じて「花粉症軽減祈願」を受けることができると言われています。

また、杉神社の裏山にある「滝大明神」は、因幡の名所として有名。1795年(寛政7年)に書かれた「因幡誌」には、「風景奇絶なり」(ふうけいきぜつなり)と記されており、参勤交代の際にはここで旅の安全を祈願したと言われています。

杉玉工房

智頭宿 杉玉

杉玉

智頭では、各家の軒先に緑色の球体「杉玉」(すぎたま)が吊るされていますが、これは「新酒ができた」ということを知らせる智頭の名物です。

以前までは、造り酒屋が新酒を仕込んだ酒蔵に吊るした物でしたが、近年は酒蔵だけでなく民家の軒先にも飾られており、風情ある智頭を象徴する存在になっています。

「杉玉工房」は、杉玉作りを体験できる工房。杉玉は、針金を使った球状の芯に、杉の葉を1本1本差し込み、葉を丸く刈り込んで形作ります。形を整えた杉玉の上部には、焼杉の板で作った屋根を被せて、杉玉の下に短冊の形をした焼杉を吊るせば完成。

なお、制作体験ができる期間は毎年10月から5月まで。事前に予約をする必要がありますが、杉玉工房ではこの他にも、杉玉作りを間近で見学できる他、杉玉の購入が可能です。

興雲寺

智頭宿 興雲寺

興雲寺

「興雲寺」(こううんじ)は、およそ400年の歴史を持つ曹洞宗の寺院。はじめは、臨済宗妙心寺派として創建されましたが、1593年(文禄2年)の「高麗水」と呼ばれる大洪水で、堂宇は土砂に埋没。

その後、小さなお堂を再建し、しばらくは無住の寺として存続していましたが、1625年(寛永2年)に曹洞宗の寺院として復興を遂げます。

1632年(寛永9年)の国替え(くにがえ:江戸時代に行なわれた、幕府の大名統制策で大名の領地を他に移し替えること)の際に、鳥取藩主「池田光仲」(いけだみつなか)が、父「池田忠雄」(いけだただかつ)の位牌を本寺院に祀った縁で寺領が安堵されて、智頭宿と共に発展しました。

仏殿内のご本尊は、江戸時代中期作の「釈迦如来坐像」(しゃかにょらいざぞう)。「普賢菩薩」(ふげんぼさつ)と「文殊菩薩」(もんじゅぼさつ)を伴い、両脇に仏像を安置する三尊(さんぞん)形式になっています。

寺宝は、智頭町指定文化財に登録されている「弘法大師坐像」。作者は、智頭町出身の仏像彫刻師「国米泰石」(こくまいたいせき)。国米泰石は、日本美術院に入所し、明治時代から大正時代にかけて多くの国宝重要文化財の修復を手掛けました。

また、本寺院では毎月定期的に「夜の座禅会」を開催。奇数月の所定日の夜には「朗読の会」を催し、町の文化発展に寄与しています。

志戸坂峠

智頭町から志戸坂峠(しとさかとうげ)を越え、岡山県西粟倉村(にしあわくらむら)までの約21kmの古道は、「歴史の道百選」(文化庁が選定する、特色ある優れた道路のこと)に選定された、鳥取県内最古の道路のひとつです。

その名称は、9世紀に編纂(へんさん)された「日本後紀」(にほんこうき)にも記載される歴史ある峠ですが、非常に険しく雪深いために、牛馬も通わない山道として知られていました。江戸時代の参勤交代の折には、「因幡街道の難所」と呼ばれており、鳥取藩では初代藩主から12代の「池田慶徳」(いけだよしのり)までの214年間に、この道を178回往復したと言われています。

志戸坂峠は、「智頭往来」(ちづおうらい:因幡街道の古称)における主要道路として重要な役割を果たしていましたが、明治時代になるとその役目を終えることになりました。京都や大阪に近い若桜(わかさ:鳥取県の最東端)を通る道「若桜往来ルート」(若桜街道)が、主要道として使われるようになったのです。

智頭往来は、明治時代以降の工事によって立派な道ができ、昭和時代には新しいトンネルが開通。2002年(平成14年)には、読売新聞50年記念事業の「遊歩百選」に智頭宿と智頭往来が選定されました。

智頭往来は、観光客向けのウォーキングコースが設定されており、若い世代から年配の方まで、毎年多くの人々が訪れる人気の街道として親しまれています。歴女の皆さんも、智頭往来の自然豊かな景観を楽しみながら踏破してみてはいかがでしょうか。

鳥取藩が重用した智頭宿(鳥取県智頭町)

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若狭と京を結んだ鯖街道熊川宿(福井県若狭町)

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福井県若狭町(わかさちょう)にある「熊川宿」(くまがわじゅく)は、若狭で水揚げされた海産物などを京の都まで運ぶ重要なルートに位置する町です。その歴史は古く、安土桃山時代にまで遡ります。 1589年(天正17年)、豊臣秀吉に重用された武将「浅野長政」(あさのながまさ)が若狭小浜の城主となり、交通と軍事の拠点である宿場町としました。商家や問屋、「旅籠」(はたご)などが集まり、江戸時代には1日に1,000頭もの牛馬が行き交うほどの賑わいを見せたと伝わっています。 山あいに開かれた緑豊かな里、熊川宿は全長1㎞余りの街道。そぞろ歩けば、道沿いに「前川」(まえがわ)が続き、流れるせせらぎの音が心地良く旅気分を盛り上げてくれます。その清らかな水は、平成名水百選にも選出。また、左右に並ぶ雪国ならではのベンガラ塗りの商家や土蔵は往時の面影を残し、まるで時代劇の舞台を思わせる風景を今なお留めています。 この土地特有の歴史や伝統を後世に残す人々の活動、その舞台となった価値ある建造物などが一体となって評価され、2008年(平成20年)には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。食通の歴女が見逃せないおいしい話を紹介していきます。

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歴女も魅了する馬籠宿(岐阜県中津川市)

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幕末、14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)のもとに降嫁する「皇女和宮」(こうじょかずのみや)の嫁入り行列が通り、新撰組の前身の浪士隊が江戸から京の都をめざした中山道。69次ある宿場のうち、江戸から数えて43番目にあたるのが、岐阜県中津川市の「馬籠宿」(まごめじゅく)です。ここは、文豪「島崎藤村」ゆかりの地としても知られ、自伝的小説【夜明け前】の舞台になった宿場町でもあります。 江戸時代は多くの人が行き交う街道として利用され、明治以降は忘れ去られた道となっていましたが、多くの文化人が刻んだ歴史と文化はしっかりと受け継がれ、馬籠は世界の旅人が訪れる場所になりました。旅人を惹き付けてやまない馬籠宿、その特徴と人気スポットを、島崎藤村の作品と共にご紹介します。

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歴女も大満足!圧巻の宿場町関宿(三重県亀山市)

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三重県にある「関宿」(せきじゅく)は、江戸・日本橋を起点とした東海道五十三次47番目の宿場町。「東追分」(ひがしおいわけ:木崎)から「西追分」(にしおいわけ:新所)までの約1.8㎞の道のりに、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などの建物が並び、旅の便宜を図っていました。江戸時代以前から交通の要衝として栄え、「鈴鹿関」が置かれていましたが、東海道が整備されることになり、参勤交代や伊勢参りの人びとで一層の賑わいを見せるようになったと言われています。

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日本の道100選に選ばれた海野宿(長野県東御市)

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1625年(寛永2年)に、「北国街道」(ほっこくかいどう:現在の国道18号旧道で軽井沢と上越市をつなぐ)の宿場として開設された「海野宿」(うんのじゅく)。その一番の魅力は、江戸時代の「旅籠屋造り」(はたごやづくり)の建物と、明治以降の「蚕室造り」(さんしつづくり)の建物が調和した町並みにあり、閑静な佇まいが海野宿の歴史を物語っています。 歴女を自認する人はもちろん、そうでない人も、ぜひ静かに流れる時間に身を任せ、のんびりとその歴史や文化を楽しんでみましょう。

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侍の道と呼ばれる人気の妻籠宿(長野県南木曽町)

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長野県にある「妻籠宿」(つまごじゅく)は、かつての「中山道」(なかせんどう)の江戸と京を結ぶ69次、江戸から数えて42番目の宿場。中山道と「伊那街道」(いなかいどう)が交差する交通の要衝として、本陣が1軒、脇本陣が1軒、「旅籠」(はたご)や茶屋など、旅人が宿泊・休憩をする場所が30軒以上整備され、古くから賑わいをみせていました。 現在、江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿は、世界的に有名なガイドブックやイギリスのBBC放送で紹介されたことから、外国人観光客の間で「サムライの道」と呼ばれるようになり、大人気です。日本のみならず、海外でも人気が高い中山道と妻籠宿の魅力をご紹介します。

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江戸時代の町並みが残る奈良井宿(長野県塩尻市)

江戸時代の町並みが残る奈良井宿(長野県塩尻市)
江戸の日本橋から京都の三条大橋までを結んだ中山道(なかせんどう)の中間にある「奈良井宿」(ならいじゅく:長野県塩尻市)は、江戸時代に多くの旅人や商人、大名行列、幕府の役人などの往来で栄えていた宿場町です。 奈良井宿の見どころは、京都の宇治から江戸城まで、徳川将軍家御用達のお茶を運んだ格式高い「お茶壺道中」の行列。「奈良井千軒」と呼ばれる、江戸時代の面影が残るノスタルジックな町並みを背景に行列が行く様子は、まるで時代絵巻です。 歴史ある建物に囲まれながら、当時の暮らしに思いを馳せ、奈良井宿の郷土料理やお菓子に舌鼓を打ちながら、江戸時代の旅人気分で歩いてみましょう。

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江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)

江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)
福島県下郷町(しもごうまち)にある「大内宿」は、江戸時代に会津(あいづ:現在の福島県西部)の城下と、下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)を結ぶ街道「会津西街道」の北の出発点にあたり、会津城下から3番目の宿場町として栄えました。会津西街道は、「下野街道」(しもつけかいどう)とも呼ばれており、総延長は現在の福島県会津若松から、栃木県日光市今市(いまいち)までの約130kmにも及びます。 大内宿は、会津西街道が開通した1640年 (寛永17年)頃に整備され、会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、米沢藩などの参勤交代や、商人、旅芸人など、様々な旅人が行き交う交通の要所として重要な役割を果たしていました。つまり、大内宿には歴女の好奇心を刺激する歴史エピソードも多くあると言うことです。福島県南会津郡下郷町に位置する大内宿は、会津鉄道の湯野上温泉駅からシャトルバスで約15分。今なお江戸時代の風情が色濃く残る宿場町・大内宿の魅力をご紹介します。

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