伝統の残る宿場町紹介

日本の道100選に選ばれた海野宿(長野県東御市)

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1625年(寛永2年)に、「北国街道」(ほっこくかいどう:現在の国道18号旧道で軽井沢と上越市をつなぐ)の宿場として開設された「海野宿」(うんのじゅく)。その一番の魅力は、江戸時代の「旅籠屋造り」(はたごやづくり)の建物と、明治以降の「蚕室造り」(さんしつづくり)の建物が調和した町並みにあり、閑静な佇まいが海野宿の歴史を物語っています。
歴女を自認する人はもちろん、そうでない人も、ぜひ静かに流れる時間に身を任せ、のんびりとその歴史や文化を楽しんでみましょう。

街道の要衝として栄えた海野宿

海野宿

海野宿

「海野宿」(うんのじゅく)のある北国街道は、「中山道」(なかせんどう)と北陸を結ぶ重要な街道として栄えました。

江戸時代は、金山で有名な佐渡(新潟県)で採れた金を輸送する主要街道として、さらに長野県の名刹(めいさつ:名高い寺)「善光寺」(ぜんこうじ)への参拝道、そして北陸の大名が参勤交代の際に多勢のお供を連れて通った街道として、多くの旅人を迎えてきたのです。

現在の海野宿は、標高500~1,000mにかけて市街地が広がる長野県東御市(とうみし)に位置し、全長650mほどの街道沿いには100棟ほどの建物があります。

明治・大正時代に敷設(ふせつ)された鉄道が町を大きく迂回したことで、幸いにも当時の町並みがそのまま残り、1986年(昭和61年)には「日本の道100選」に、1987年(昭和62年)には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

日本を代表する戦国武将 真田一族のふるさと

真田ファンの歴女なら一度は訪れたい、真田家ゆかりの地

真田幸村

真田幸村

真田一族の著名な武将と言えば、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で「徳川家康」を追いつめる活躍をした「真田幸村(真田信繁)」(さなだゆきむら)や、徳川家康の大軍を2度も退けた「真田昌幸」(さなだまさゆき)が有名です。また「武田信玄」の謀将(ぼうしょう:計略に優れた大将)として、武田信玄も及ばないと言われた「真田幸隆」(さなだゆきたか)などが挙げられます。

宿場町が開設される以前、海野宿は「海野郷」(うんののごう)または「海野庄」と呼ばれ、真田一族のルーツとされる信州の名家・滋野(しげの)一族の分家である海野氏発祥の地として、平安から鎌倉、戦国時代までその本領でした。

また、真田幸村の側近のひとりで、創作上の家臣団「真田十勇士」(さなだじゅうゆうし)にも名前が登場する「海野六郎」(うんのろくろう)も、この地の出身と伝えられています。武将好きの歴女にはおなじみの名前です。

1583年(天正11年)には、真田昌幸が「上田城」(長野県上田市)築城の際、海野から神社や町を上田に移しました。その後、集落を縮小し、「雪国街道の宿駅」として設けられたのが海野宿なのです。

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海野の変遷 海野郷から海野宿そして養蚕業の村へ

天平の昔から存在した海野郷

海野の歴史は古く、740年(天平12年)頃にまでさかのぼります。奈良県の「正倉院」に収められた御物(ぎょぶつ:皇室の所有物)に信濃国の刻印が押され、「信濃国小県郡海野郷戸主爪工部君調」(しなののくにちいさがたぐんうんのごうへぬしはたくみべきみのちょう)と墨書された麻織物の紐が残されているのです。

これは当時、小県郡(長野県の中央部にある郡)に海野郷という集落があり、「爪工部」という朝廷に直属する高度な技術者集団が存在していたことが立証される宝物で、少なくとも1,200年前には、すでにこの付近一体が海野郷と称していたことを表しています。

町並みに見る海野の歴史の変遷

江戸時代は宿場町として賑わっていた海野宿ですが、明治時代になると、宿場としての機能は衰退し、それに変わる産業として養蚕業(ようさんぎょう)が盛んになりました。

そのため、旅籠や民宿は客室として使っていた広い部屋を蚕部屋として使用。これによって財を成した家は、近隣に分家も多く、同じ苗字を表札に見ることができます。

江戸時代の宿場と、明治時代の養蚕農家の建物、屋根瓦に残る家紋を探してみるのも、歴女の楽しみのひとつです。

海野格子

海野格子

海野格子

格子のある家が続く海野宿。

建物の1階部分に見られる格子のほとんどは、明治以降に作られました。2階部分の格子の多くは江戸時代に作られた出格子になっています。

これは「海野格子」(うんのごうし)と呼ばれ、長短2本ずつ交互に組み合わせた模様が美しい、この地域特有のデザインです。

気抜き

気抜き

気抜き

屋根の上に、もうひとつ小さな屋根がある、こうしたスタイルを「気抜き」(きぬき)と呼びます。

蚕の飼育には保温が大切で、これは保温のため室内で焚いた火の煙を出すための気抜き窓。

下から紐で引っ張って開閉できる仕組みになっています。

海野宿が、宿場から養蚕業の村へと変わった歴史を語る建造物です。

出桁造り

「出桁造り」(でげたづくり)とは、江戸時代の旅籠によく見られる建物の構造。2階部分が1階よりも張り出した造りになっています。

これは雨の日、旅人が支度の際に濡れないようにとの配慮から考えられました。突き出した梁(はり)に美しい模様が刻まれた建物もあり、当時の建築技術の高さが見て取れます。

うだつ

うだつ

うだつ

「卯建」(うだつ)とは、建物の両側にあり、屋根より一段高くして小さな屋根を付けた構造物。

江戸時代には、防火壁の役割を果たし「火返し」とも呼ばれていました。江戸時代のうだつは、屋根より一段高く上げた「本うだつ」。明治時代に入ると装飾的な意味合いが強くなり、1階の屋根の上に張り出して意匠を凝らした「袖うだつ」が増え、裕福な家の象徴にもなったのです。

このことから出世しない、地位が上がらないという意味の「うだつが上がらない」という慣用句が生まれました。

立派なうだつは家の格式を表し、海野宿を歩いていると、あちらこちらに立派な装飾のうだつを目にすることができます。歴女ならではの視点で、様々なうだつを見付けてみましょう。

海野宿の魅力を知る

白鳥神社

白鳥神社

白鳥神社

海野宿の入り口にある「白鳥神社」(しらとりじんじゃ)は、豪族・海野氏、そして海野氏の名跡を継承した真田氏の氏神が奉祀された神社。

古くは「日本武尊」(やまとたける)を起源とし、古代から中世の豪族・海野氏の祖と伝わる「貞元親王」(さだもとしんのう)、「善淵王」(よしぶちおう)、「海野広道公」(うんのひろみちこう)を祭神としています。

境内にある樹齢約700年の堂々とした姿の欅(けやき)の御神木や、「木曾義仲」(きそよしなか:源義仲[みなもとのよしなか])の挙兵の碑は見逃せないポイントです。

春と秋には「例大祭」(れいたいさい)が行なわれています。海野宿を散策する前に、まずお参りしたい、海野氏・真田氏ゆかりの神社です。

媒地蔵尊

「媒地蔵尊」(なかだちじぞうそん)は、古くから大切に信仰されている縁結びのお地蔵様。

「その昔、なかなか良縁に恵まれなかった加賀の国の姫様が、参勤交代の途中にお参りしたところ、立派な男性に巡り会い結婚。殿様も大変喜ばれた」という逸話があります。

通称を「縁結地蔵」と言い、江戸時代には北国街道を通る多くの旅人や海野宿にゆかりのある人々の心のよりどころとして、厚く信仰されました。「媒」は仲立ちを意味し、間に立って仲を取り持つことを指しています。

もともとは江戸時代の海野宿に「地蔵寺」として存在していましたが、昭和に焼失したため、1995年(平成7年)、地元の有志により旧地蔵寺跡地に地蔵尊が建立されました。

毎年11月3日には「媒地蔵縁日」が催されています。歴女のみなさんなら、どんな縁結びをお願いするでしょうか。

馬の塩なめ石

街道沿い、気抜きのある家の前に小さい臼のような形をした石がありますが、これは伝馬(てんま:宿駅で公用に使われた馬)がなめる塩を盛る器。

江戸時代、重労働を担い、生活にも旅にも欠かせない存在だった伝馬が、ここで塩をなめ、ほっとひと息ついたのです。

海野宿は、佐渡金山で採れた金の輸送ルートであり、街道には100軒以上の家々が建ち並び、数十頭の馬が常備されていました。馬の塩なめ石の前には馬つなぎ石が今も残り、当時は馬がどれほど重要であったかを示しています。

海野宿歴史民俗資料館

海野宿歴史民俗資料館

海野宿歴史民俗資料館

「海野宿歴史民俗資料館」は、1789~1801年(寛政年間)頃、旅籠屋造りと呼ばれる建築様式で建てられ、明治時代以降は気抜きを設け養蚕農家として使われていた建物を活用した資料館です。

海野の住民から寄贈された民族資料も多数展示され、往時の庶民の暮らしや養蚕農家の生活を窺い知ることができます。

また、白鳥神社に伝わる海野氏・真田氏の系図も展示されているので、そのルーツを確かめてみましょう。

さらに裏庭には、風呂場、味噌小屋、白壁の土蔵、地下の桑屋など、養蚕関係の展示室も。特に養蚕については、蚕種(さんしゅ:蚕の卵)製造、機織り(はたおり)、製糸と展示室が分かれ、実際に使われていた道具と共に、それぞれの工程が細かく紹介されています。旅籠と養蚕農家を知ることができる、海野宿ならではの資料館なのです。

なつかしの玩具展示館

「なつかしの玩具展示館」は、江戸時代後期に建てられた天井が低い「厨子二階」(つしにかい)の建物で、日本各地で愛されてきた、素朴で心温まる郷土玩具を展示。

北海道の「ニポポ人形」、岩手県の「チャグチャグ馬コ」、長野県の「土びな」など、その数は1,000点ほどもあり、素朴な玩具を通して各地の風習や文化に触れることができます。現在は作られていない玩具も多く、興味は尽きません。

また画家「山本鼎」(やまもとかなえ)が貧しい農村の冬の収入になればと、1919年(大正8年)に開始した農民美術運動で用いた木彫り作品の一部が展示され、当時を偲ぶことができます。

海野宿ひな祭り

海野宿ひな祭り

海野宿ひな祭り

2015年(平成27年)から開催されている「海野宿ひな祭り」は、海野宿内40軒以上の家々がそれぞれにお雛様を飾り、それを格子越しに観ることができるお祭りです。

見学可能な時間やライトアップなどの時間は特に決められておらず、各家々の任意となっています。

毎年3月初旬頃から下旬頃に開催され、期間中は街道に行灯(あんどん)が並び、格子越しに並ぶ色とりどりの雛飾りは幻想的な光景に。

流し雛、クラフトマーケット、着物貸し出し・着付けなどのイベントもあります。

海野宿ふれあい祭り

「海野宿ふれあい祭り」は、毎年11月の第1日曜日に開催。街道では、戦国武将や役人、町衆などの時代衣装を着た人々が行き交う時代衣装行列が行なわれ、江戸時代の宿場を再現。

白鳥神社では、「浦安の舞」(女子小学生が巫女となって奉納)が披露されるのをはじめ、人力車体験やフォトコンテストの他、この地方の名物「くるみおはぎ」や「ほうとう」など特産品の販売など、内容は盛りだくさん。深まる秋の日、歴女のみなさんも江戸時代の宿場町へタイムトラベルしてみましょう。

祢津地区祢津東町歌舞伎舞台公演

東御市祢津(ねつ)地区には、2つの歌舞伎舞台があります。そのひとつ、東町歌舞伎舞台で毎年4月29日に開催されているのが、「地歌舞伎」(じかぶき:地元の素人役者が演じる歌舞伎)の公演です。

この舞台の建物は、江戸時代の1817年(文化14年)に建てられ、現存する歌舞伎回り舞台としては日本最古と言われています。

maison d’hotes 農の家

「maison d’hotes 農の家」(メゾンドットのうのいえ)は、リゾート地として開発された場所ではなく、昔から先人達が生活してきた古い家並みが残る集落の素朴な宿。

信州の山間の風景と、山や畑、田んぼに囲まれた美しい田園風景の中で、無農薬・無肥料の自然畑で育てた野菜やフルーツをふんだんに使った、フランスの家庭料理を賞味できます。

都会の喧騒を忘れ、歴史物語に触れながら、静かな時間を過ごしたい歴女には最適な空間を楽しめる宿なのです。

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鳥取藩が重用した智頭宿(鳥取県智頭町)

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鳥取県八頭郡智頭町(やずぐんちづちょう)にある「智頭宿」(ちづしゅく)は、因幡街道(いなばかいどう)の宿場町。鳥取県南部に位置し、岡山県との県境に近い山あいにあります。 因幡街道は、播磨国姫路(はりまのくにひめじ:現在の兵庫県姫路)と因幡国鳥取(いなばのくにとっとり:現在の鳥取県鳥取市)を結ぶ街道のこと。また、畿内(きない:山城、大和、河内、和泉、摂津の五ヵ国の総称)と因幡を結ぶ他、瀬戸内海・太平洋側の山陽と日本海側の山陰をつないでいるため、交通の要衝として人や物、文化が往来したと言います。智頭を通ることから「智頭往来」(ちづおうらい)、または鳥取側から見ると都へ向かうので、「上方往来」(かみがたおうらい)とも呼ばれていました。

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若狭と京を結んだ鯖街道熊川宿(福井県若狭町)

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福井県若狭町(わかさちょう)にある「熊川宿」(くまがわじゅく)は、若狭で水揚げされた海産物などを京の都まで運ぶ重要なルートに位置する町です。その歴史は古く、安土桃山時代にまで遡ります。 1589年(天正17年)、豊臣秀吉に重用された武将「浅野長政」(あさのながまさ)が若狭小浜の城主となり、交通と軍事の拠点である宿場町としました。商家や問屋、「旅籠」(はたご)などが集まり、江戸時代には1日に1,000頭もの牛馬が行き交うほどの賑わいを見せたと伝わっています。 山あいに開かれた緑豊かな里、熊川宿は全長1㎞余りの街道。そぞろ歩けば、道沿いに「前川」(まえがわ)が続き、流れるせせらぎの音が心地良く旅気分を盛り上げてくれます。その清らかな水は、平成名水百選にも選出。また、左右に並ぶ雪国ならではのベンガラ塗りの商家や土蔵は往時の面影を残し、まるで時代劇の舞台を思わせる風景を今なお留めています。 この土地特有の歴史や伝統を後世に残す人々の活動、その舞台となった価値ある建造物などが一体となって評価され、2008年(平成20年)には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。食通の歴女が見逃せないおいしい話を紹介していきます。

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歴女も魅了する馬籠宿(岐阜県中津川市)

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幕末、14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)のもとに降嫁する「皇女和宮」(こうじょかずのみや)の嫁入り行列が通り、新撰組の前身の浪士隊が江戸から京の都をめざした中山道。69次ある宿場のうち、江戸から数えて43番目にあたるのが、岐阜県中津川市の「馬籠宿」(まごめじゅく)です。ここは、文豪「島崎藤村」ゆかりの地としても知られ、自伝的小説【夜明け前】の舞台になった宿場町でもあります。 江戸時代は多くの人が行き交う街道として利用され、明治以降は忘れ去られた道となっていましたが、多くの文化人が刻んだ歴史と文化はしっかりと受け継がれ、馬籠は世界の旅人が訪れる場所になりました。旅人を惹き付けてやまない馬籠宿、その特徴と人気スポットを、島崎藤村の作品と共にご紹介します。

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歴女も大満足!圧巻の宿場町関宿(三重県亀山市)

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三重県にある「関宿」(せきじゅく)は、江戸・日本橋を起点とした東海道五十三次47番目の宿場町。「東追分」(ひがしおいわけ:木崎)から「西追分」(にしおいわけ:新所)までの約1.8㎞の道のりに、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などの建物が並び、旅の便宜を図っていました。江戸時代以前から交通の要衝として栄え、「鈴鹿関」が置かれていましたが、東海道が整備されることになり、参勤交代や伊勢参りの人びとで一層の賑わいを見せるようになったと言われています。

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長野県にある「妻籠宿」(つまごじゅく)は、かつての「中山道」(なかせんどう)の江戸と京を結ぶ69次、江戸から数えて42番目の宿場。中山道と「伊那街道」(いなかいどう)が交差する交通の要衝として、本陣が1軒、脇本陣が1軒、「旅籠」(はたご)や茶屋など、旅人が宿泊・休憩をする場所が30軒以上整備され、古くから賑わいをみせていました。 現在、江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿は、世界的に有名なガイドブックやイギリスのBBC放送で紹介されたことから、外国人観光客の間で「サムライの道」と呼ばれるようになり、大人気です。日本のみならず、海外でも人気が高い中山道と妻籠宿の魅力をご紹介します。

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江戸時代の町並みが残る奈良井宿(長野県塩尻市)

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江戸の日本橋から京都の三条大橋までを結んだ中山道(なかせんどう)の中間にある「奈良井宿」(ならいじゅく:長野県塩尻市)は、江戸時代に多くの旅人や商人、大名行列、幕府の役人などの往来で栄えていた宿場町です。 奈良井宿の見どころは、京都の宇治から江戸城まで、徳川将軍家御用達のお茶を運んだ格式高い「お茶壺道中」の行列。「奈良井千軒」と呼ばれる、江戸時代の面影が残るノスタルジックな町並みを背景に行列が行く様子は、まるで時代絵巻です。 歴史ある建物に囲まれながら、当時の暮らしに思いを馳せ、奈良井宿の郷土料理やお菓子に舌鼓を打ちながら、江戸時代の旅人気分で歩いてみましょう。

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江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)

江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)
福島県下郷町(しもごうまち)にある「大内宿」は、江戸時代に会津(あいづ:現在の福島県西部)の城下と、下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)を結ぶ街道「会津西街道」の北の出発点にあたり、会津城下から3番目の宿場町として栄えました。会津西街道は、「下野街道」(しもつけかいどう)とも呼ばれており、総延長は現在の福島県会津若松から、栃木県日光市今市(いまいち)までの約130kmにも及びます。 大内宿は、会津西街道が開通した1640年 (寛永17年)頃に整備され、会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、米沢藩などの参勤交代や、商人、旅芸人など、様々な旅人が行き交う交通の要所として重要な役割を果たしていました。つまり、大内宿には歴女の好奇心を刺激する歴史エピソードも多くあると言うことです。福島県南会津郡下郷町に位置する大内宿は、会津鉄道の湯野上温泉駅からシャトルバスで約15分。今なお江戸時代の風情が色濃く残る宿場町・大内宿の魅力をご紹介します。

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