伝統の残る宿場町紹介

歴女も大満足!圧巻の宿場町関宿(三重県亀山市)

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三重県にある「関宿」(せきじゅく)は、江戸・日本橋を起点とした東海道五十三次47番目の宿場町。「東追分」(ひがしおいわけ:木崎)から「西追分」(にしおいわけ:新所)までの約1.8㎞の道のりに、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などの建物が並び、旅の便宜を図っていました。江戸時代以前から交通の要衝として栄え、「鈴鹿関」が置かれていましたが、東海道が整備されることになり、参勤交代や伊勢参りの人びとで一層の賑わいを見せるようになったと言われています。


東海道五十三次 浮世絵東海道五十三次 浮世絵
江戸時代に整備された五街道のひとつ、東海道にある宿場を題材に描かれた浮世絵をご覧下さい。

駅から徒歩10分の異空間

関宿

関宿

関宿」(せきじゅく)と呼ばれるエリアは、JR関駅から歩いてわずか10分ほど。

そこには、江戸時代末期から明治時代に造られた建物が、今なお200棟以上も残されており、その風情ある佇まいに往時の様子がしのばれます。

1984年(昭和59年)に国の「重要伝統的建造物群保全地区」に選定され、1986年(昭和61年)には、日本の道100選にも選ばれました。

東海道にある宿場町のほとんどが当時の町並みを留めていない中で、関宿は唯一、当時の町並みが現代に残る宿場町となっており、江戸時代の賑わいを彷彿させるこの町を歩いていると、なんだかゆっくりと時を遡っていくような気分になれるのです。

関の山の語源になった宿場町

いにしえより、関宿で夏に行なわれる祇園祭りに繰り出す山車は、豪華なことで東海道に知れ渡っていました。

そして、この山車は諸説ある「関の山」の語源のひとつであるとも言われており、ここで言う「山」とは山車のことで、「関宿の山車ほど立派な物は造れない」、または、山車が東海道筋をふさいで町屋の屋根ぎりぎりを通るため、「これ以上通るに通れない様子」から、関の山と言うようになったと伝わっています。

そのゴージャスな山車に出会えるのが、毎年7月に行なわれる「関宿祇園夏まつり」と、11月に開かれる「東海道関宿街道まつり」。

東海道関宿街道まつりは、毎年テーマが変わりますが、誰でも山車を曳くことができるので、観ているだけでは飽き足りない行動派歴女におすすめです。

関まちなみ資料館

関まちなみ資料館

関まちなみ資料館

関まちなみ資料館は、江戸時代末期に建てられた町屋建築のひとつをそのまま再利用している資料館です。

資料館のテーマは「生活しながらの保存」。

景観の美しさだけを保存するのではなく、亀山市関町の文化財や歴史資料、町全体を再現した模型、町並み保存事業による関宿の移り変わりを紹介する写真の展示など、地域に根付いた文化を継承し、守り伝えていく住民達の努力や、故郷への熱い思いが伝わってきます。

関宿旅籠玉屋歴史資料館

「玉屋」は、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも(さらに長く)泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの関宿を代表する「旅籠」(はたご:旅館のこと)のひとつでした。

日本初の旅籠資料館であり、修復された旅籠建築は亀山市文化財にも指定されており、当時使われていた生活道具や旅に関する歴史資料の他、「歌川広重」(うたがわひろしげ)の浮世絵も展示。

当時はどのような生活をしていたか、その一端を垣間見ることができます。

鶴屋脇本陣跡(波田野家)

鶴屋脇本陣跡

鶴屋脇本陣跡

「鶴屋脇本陣」(つるやわきほんじん)は、玉屋、「会津屋」と並んで関宿三大旅籠に掲げられる旅籠。

「本陣」は大名や公家など、高貴な人が宿泊する施設で、「脇本陣」は本陣に宿泊できない場合の予備の宿泊施設です。脇本陣は本陣と違い、平素は庶民の宿泊が許されることもあり、旅人にも馴染みのある施設でした。

鶴屋脇本陣跡は、江戸時代当時の外装を留めており、「千鳥破風」(ちどりはふ:瓦屋根の上に乗せる三角屋根の装飾)や「虫籠窓」(むしこまど:部屋の上部にある縦格子状の通風孔、または明かり取り)などの個性的な意匠は、他ではなかなか出会えないスタイリッシュさで、訪れた人びとの目を引くデザインとなっています。

会津屋

会津屋

会津屋

会津屋は、関宿三大旅籠のひとつでしたが、現在は食堂として、訪れる人のお腹を満たしてくれます。

昔ながらの薪をくべて「竈」(かまど)で蒸した山菜おこわは、いまや関宿のソウルフード。店内には、旅籠時代の名残の品々も展示されています。

また会津屋は、関宿に伝わる民謡「関の小万」(せきのこまん:小萬と表記する場合もある)の舞台としても有名。会津屋は、民謡の中で、主人公の少女「小万」が育った旅籠(旧名:山田屋)として登場します。

小万は、女ながらに父の仇を討つために、関宿から「亀山宿」(三重県亀山市にある東海道五十三次46番目の宿場町)まで剣術を習うために通い、その後、父の敵討ちを果たしたと言われているのです。

百六里庭・眺関亭

「百六里庭」(ひゃくろくりてい)は、関宿にある小公園。

関宿から江戸までの距離が106里あまり(約416km)あることから名付けられ、隣接する「眺関亭」(ちょうかんてい:展望台になっている建物)の階段を上がると、東に西に関宿の家並みを一望することができます。

関地蔵院

関地蔵院

関地蔵院

関宿のほぼ中央にあるのは、日本最古の地蔵菩薩で知られる「関地蔵院」(せきじぞういん)。

境内の本堂、鐘楼(しょうろう)、愛染堂の3棟は、国の重要文化財にも指定されています。

741年(天平13年)、奈良東大寺の僧「行基」(ぎょうぎ)が開創し、諸国に流行した天然痘から人々を救うために、ここに地蔵菩薩を安置したと伝えられていて、穏やかな半目の表情は見つめているだけで心を解き放ってくれるよう。

「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろう」と謡われ、敬愛されてきました。円満な表情で旅人を見守る関のお地蔵さんは、あらゆる苦しみから人々を救って下さる菩薩として、東海道を旅する人々の信仰を集め、今も多くの参拝者が訪れています。

小萬の湯

「小萬の湯」(こまんのゆ)は、関観光駐車場の東隣にある無料の足湯交流施設です。

自噴水を源泉からパイプで運び加温。温泉水は1日に3回転する程度かけ流しています。お湯は塩分が多く、ぽかぽかとよく温まり、また衛生管理が行き届いているのはもちろんのこと、手すりもあるので安心。簡易着替えスペースも設置されているので、とても便利です。

歩き疲れたときは、小萬の湯で足湯のご褒美も良いですね。

当時のまま残る町並みをぶらり旅

ぶらぶら歩いて、目に入ってくるレトロな立て看板を眺めたり、町屋の巧みな意匠に目を凝らしたり、古い佇まいをそのまま活かした郵便局前で足を止めたら、昔の旅人姿の顔出し看板が。ここではぜひ、記念のワンショットを。

また百五銀行関支店は、周囲に配慮した町屋風造りの建物で営業しています。ひと休みしたくなったら、江戸時代から続く前田屋製菓の餅菓子「志ら玉」(しらたま)や、御用菓子司深川屋の銘菓「関の戸」の甘みで元気を補給して再出発。関宿は、1軒1軒訪ねたくなる理想の歴史ストリートなのです。

受け継がれ、伝えられる四季折々の行事

東海道のおひなさま亀山宿・関宿

ズラリと並んだひな人形

ズラリと並んだひな人形

女の子の健やかな成長を願う伝統行事、ひな祭り。「東海道のおひなさま亀山宿・関宿」は、桃の節句を祝って2月初旬から3月初旬にかけて開催される催しです。

亀山宿と関宿の旧東海道筋約90軒の公共施設・店舗や民家に、江戸時代から現代までの雛人形がズラリと並び、期間中には、様々なイベントが開催されるため、多くの人で賑わいます。

関宿祇園夏まつり

関宿祇園夏まつり

関宿祇園夏まつり

7月下旬の2日間(土~日曜日)で行なわれる、関宿恒例の夏の風物詩・関宿祇園夏まつり。繰り出す神輿は、およそ500年前に造られた物です。

また江戸時代には、京都祇園祭、住吉天神祭と並んで関西を代表する祭りのひとつとされ、文化年間には、16台の絢爛豪華な山車が町を練り歩きました。

現在は、中町三番・四番・木崎・大裏の4台がきらびやかに巡行します。

関の山車の特徴、「舞台回し」(ぶたいまわし)は、台車から上が回転する構造のことを言い、ここが見せ場とばかりに繰り広げられる舞台回しは、三重県下の他の山車には見られないほど圧倒される大迫力で、観衆を大いに沸かせます。

東海道関宿街道まつり

東海道関宿街道まつりは、1984年(昭和59年)、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことをきっかけに始まった新しいお祭りです。

毎年11月上旬の1日間に開催。名物の宿場大行列は、江戸時代の装束を身に纏った華やかな行列が続き、古い町並みと相まって江戸時代が甦ったかのような気分に。

また、山車や神輿の巡行はじめ、様々なステージイベントなどが繰り広げられ、故郷を盛り上げる秋祭りとなっています。

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鳥取藩が重用した智頭宿(鳥取県智頭町)

鳥取藩が重用した智頭宿(鳥取県智頭町)
鳥取県八頭郡智頭町(やずぐんちづちょう)にある「智頭宿」(ちづしゅく)は、因幡街道(いなばかいどう)の宿場町。鳥取県南部に位置し、岡山県との県境に近い山あいにあります。 因幡街道は、播磨国姫路(はりまのくにひめじ:現在の兵庫県姫路)と因幡国鳥取(いなばのくにとっとり:現在の鳥取県鳥取市)を結ぶ街道のこと。また、畿内(きない:山城、大和、河内、和泉、摂津の五ヵ国の総称)と因幡を結ぶ他、瀬戸内海・太平洋側の山陽と日本海側の山陰をつないでいるため、交通の要衝として人や物、文化が往来したと言います。智頭を通ることから「智頭往来」(ちづおうらい)、または鳥取側から見ると都へ向かうので、「上方往来」(かみがたおうらい)とも呼ばれていました。

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若狭と京を結んだ鯖街道熊川宿(福井県若狭町)

若狭と京を結んだ鯖街道熊川宿(福井県若狭町)
福井県若狭町(わかさちょう)にある「熊川宿」(くまがわじゅく)は、若狭で水揚げされた海産物などを京の都まで運ぶ重要なルートに位置する町です。その歴史は古く、安土桃山時代にまで遡ります。 1589年(天正17年)、豊臣秀吉に重用された武将「浅野長政」(あさのながまさ)が若狭小浜の城主となり、交通と軍事の拠点である宿場町としました。商家や問屋、「旅籠」(はたご)などが集まり、江戸時代には1日に1,000頭もの牛馬が行き交うほどの賑わいを見せたと伝わっています。 山あいに開かれた緑豊かな里、熊川宿は全長1㎞余りの街道。そぞろ歩けば、道沿いに「前川」(まえがわ)が続き、流れるせせらぎの音が心地良く旅気分を盛り上げてくれます。その清らかな水は、平成名水百選にも選出。また、左右に並ぶ雪国ならではのベンガラ塗りの商家や土蔵は往時の面影を残し、まるで時代劇の舞台を思わせる風景を今なお留めています。 この土地特有の歴史や伝統を後世に残す人々の活動、その舞台となった価値ある建造物などが一体となって評価され、2008年(平成20年)には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。食通の歴女が見逃せないおいしい話を紹介していきます。

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歴女も魅了する馬籠宿(岐阜県中津川市)

歴女も魅了する馬籠宿(岐阜県中津川市)
幕末、14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)のもとに降嫁する「皇女和宮」(こうじょかずのみや)の嫁入り行列が通り、新撰組の前身の浪士隊が江戸から京の都をめざした中山道。69次ある宿場のうち、江戸から数えて43番目にあたるのが、岐阜県中津川市の「馬籠宿」(まごめじゅく)です。ここは、文豪「島崎藤村」ゆかりの地としても知られ、自伝的小説【夜明け前】の舞台になった宿場町でもあります。 江戸時代は多くの人が行き交う街道として利用され、明治以降は忘れ去られた道となっていましたが、多くの文化人が刻んだ歴史と文化はしっかりと受け継がれ、馬籠は世界の旅人が訪れる場所になりました。旅人を惹き付けてやまない馬籠宿、その特徴と人気スポットを、島崎藤村の作品と共にご紹介します。

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日本の道100選に選ばれた海野宿(長野県東御市)

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1625年(寛永2年)に、「北国街道」(ほっこくかいどう:現在の国道18号旧道で軽井沢と上越市をつなぐ)の宿場として開設された「海野宿」(うんのじゅく)。その一番の魅力は、江戸時代の「旅籠屋造り」(はたごやづくり)の建物と、明治以降の「蚕室造り」(さんしつづくり)の建物が調和した町並みにあり、閑静な佇まいが海野宿の歴史を物語っています。 歴女を自認する人はもちろん、そうでない人も、ぜひ静かに流れる時間に身を任せ、のんびりとその歴史や文化を楽しんでみましょう。

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侍の道と呼ばれる人気の妻籠宿(長野県南木曽町)

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長野県にある「妻籠宿」(つまごじゅく)は、かつての「中山道」(なかせんどう)の江戸と京を結ぶ69次、江戸から数えて42番目の宿場。中山道と「伊那街道」(いなかいどう)が交差する交通の要衝として、本陣が1軒、脇本陣が1軒、「旅籠」(はたご)や茶屋など、旅人が宿泊・休憩をする場所が30軒以上整備され、古くから賑わいをみせていました。 現在、江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿は、世界的に有名なガイドブックやイギリスのBBC放送で紹介されたことから、外国人観光客の間で「サムライの道」と呼ばれるようになり、大人気です。日本のみならず、海外でも人気が高い中山道と妻籠宿の魅力をご紹介します。

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江戸時代の町並みが残る奈良井宿(長野県塩尻市)

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江戸の日本橋から京都の三条大橋までを結んだ中山道(なかせんどう)の中間にある「奈良井宿」(ならいじゅく:長野県塩尻市)は、江戸時代に多くの旅人や商人、大名行列、幕府の役人などの往来で栄えていた宿場町です。 奈良井宿の見どころは、京都の宇治から江戸城まで、徳川将軍家御用達のお茶を運んだ格式高い「お茶壺道中」の行列。「奈良井千軒」と呼ばれる、江戸時代の面影が残るノスタルジックな町並みを背景に行列が行く様子は、まるで時代絵巻です。 歴史ある建物に囲まれながら、当時の暮らしに思いを馳せ、奈良井宿の郷土料理やお菓子に舌鼓を打ちながら、江戸時代の旅人気分で歩いてみましょう。

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江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)

江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)
福島県下郷町(しもごうまち)にある「大内宿」は、江戸時代に会津(あいづ:現在の福島県西部)の城下と、下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)を結ぶ街道「会津西街道」の北の出発点にあたり、会津城下から3番目の宿場町として栄えました。会津西街道は、「下野街道」(しもつけかいどう)とも呼ばれており、総延長は現在の福島県会津若松から、栃木県日光市今市(いまいち)までの約130kmにも及びます。 大内宿は、会津西街道が開通した1640年 (寛永17年)頃に整備され、会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、米沢藩などの参勤交代や、商人、旅芸人など、様々な旅人が行き交う交通の要所として重要な役割を果たしていました。つまり、大内宿には歴女の好奇心を刺激する歴史エピソードも多くあると言うことです。福島県南会津郡下郷町に位置する大内宿は、会津鉄道の湯野上温泉駅からシャトルバスで約15分。今なお江戸時代の風情が色濃く残る宿場町・大内宿の魅力をご紹介します。

江戸時代の風情が残る大内宿(福島県下郷町)

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