歴女オススメ・武将の史跡めぐり

前田利家ゆかりの史跡

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「前田利家」と言えば、派手な長槍を振り回し、「槍の又左」(やりのまたざ)と呼ばれた「かぶき者」として有名な人物。派手好きな長身美男子という風貌でありながら、勇ましい猛将である前田利家に、心を掴まれる歴女も多いはず。血気盛んな青年時代から壮年期まで、前田利家が過ごした町を舞台に、前田利家ゆかりの史跡を巡っていきましょう。

前田利家のふるさと名古屋・荒子を巡る!

前田利家

前田利家

前田利家」は、1537年(天文6年)に、荒子城(現在の愛知県名古屋市中川区荒子)城主「前田利春」(まえだとしはる:利昌とも)の4男として誕生しました。

また、前田家に仕えていた家臣達は「荒子衆」と呼ばれ、前田利家の腹心として、加賀藩前田家の繁栄に大きく貢献したのです。

前田利家は、「加賀100万石、金沢のお殿様」というイメージが強くありますが、歴女ならば100万石の大大名へ上りつめた前田利家の原点も知っておきたいところ。

まず、前田利家は「織田信長」に仕えます。そこで共に仕えていた「豊臣秀吉」と大親友になり、その後、「柴田勝家」の与力となりましたが、織田信長亡きあとの1583年(天正11年)「賤ヶ岳の戦い」(しずがたけのたたかい)からは、朋友・豊臣秀吉に従い、大成するのです。

前田利家が妻「まつ」と共に、約45年の日々を紡いだ荒子で、前田利家ゆかりの史跡を巡りましょう。

  • 前田利家のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

  • 歴史を動かした有名な戦国武将や戦い(合戦)をご紹介!

  • 戦国大名の来歴をはじめ、ゆかりの武具などを紹介します。

  • 江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

前田利家の史跡を巡る犬千代ルート

まつ

まつ

愛知県名古屋市にある荒子町は、2002年(平成14年)のNHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」が放映された際、前田利家の生誕地として注目されました。

きっと、この大河ドラマで前田利家のファンになった歴女もいたことでしょう。

荒子町では、大河ドラマの放映に合わせて郷土の英雄を広く発信するために「前田利家発信隊」が結成され、全国で「利家とまつ」ブームが巻き起こるなか、荒子では町おこしが活発に行なわれていきました。

荒子の町おこしのひとつとして策定されたのが、前田利家ゆかりの史跡を紹介する「犬千代ルート」です。なお「犬千代」とは、前田利家が元服するまで名乗っていた幼名のこと。

「前田利家100万石への道」と題したこのルートは、まさに北陸の覇者へとのし上がった前田利家の原点を辿る街道なのです。

なお、犬千代ルートの各ポイントには、行き先を迷わないように、路上に梅と矢印のマークが設置されています。このマークに沿って歩けば、簡単に史跡を巡ることができるので、初めて荒子を訪れる歴女の方もご安心。

前田利家公初陣之像とまつの像

まずは、名古屋駅から電車で6分、あおなみ線「荒子駅」からスタート。

荒子駅の駅前には、前田利家が初陣を飾った13歳の様子を再現した「前田利家公初陣之像」が建てられています。この初々しい前田利家像は、2007年(平成19年)に建てられ、2012年(平成24年)には地元有志によって幼い「まつの像」も寄進されました。

2人の年齢差までもが忠実に再現された銅像の傍らには、前田利家が家紋に用いていた梅の木が植えられています。

これは、加賀藩前田家13代藩主「前田斉泰」(まえだなりやす)が母「眞龍院」(しんりゅういん)のために築いた御殿、「成巽閣」(せいそんかく)に植えられていた梅の木。金沢から植樹しました。

仏像好き歴女必見!前田利家が再建した荒子観音

浄海山圓龍院観音寺

浄海山圓龍院観音寺

尾張四観音のひとつに数えられる「浄海山圓龍院観音寺」。通称は「荒子観音」と言い、地元では「荒子の観音さん」と呼ばれ、親しまれています。

市内屈指の古刹である荒子観音は、729年(天平元年)創建と伝わる天台宗のお寺で、1576年(天正4年)に前田利家が本堂を再建したことから、前田利家ゆかりの寺院として知られるようになりました。

当時の前田利家は、柴田勝家のもとで、「佐々成政」(さっさなりまさ)らと共に北陸地方を平定し、活躍していた頃。さらに、このとき前田利家は、自身の甲冑も寄贈しています。

前田利家は、北陸へ本拠を移す際に、ふるさとの寺院の再建を行なって、荒子に英雄の足跡を残そうとしていたのかもしれません。

また、境内には、1536年(天文5年)に再建された多宝塔があり、市内最古の木造建築物として国の重要文化財に指定されています。

このように、お寺好きな歴女にもおすすめな寺院ではありますが、荒子観音の最大の魅力はなんと言っても膨大な数の「円空仏」(えんくうぶつ)があるところ。円空仏とは、江戸時代前期の修験僧「円空」による木彫りの仏像のことで、荒子観音は現在1,250体以上の円空仏を所有しています。ひとつの寺院がこれだけの数の円空仏を持つことは大変珍しく、全国的にも「円空仏のお寺」として知られているほど。

円空仏は、毎月第2土曜日午後1時から4時の間で一般公開されていますので、仏像好きな歴女はぜひ公開日を狙って、史跡巡りのスケジュールを組むと良いでしょう。

前田利家の生誕地・荒子城跡に建つ富士権現天満宮

富士権現天満宮

富士権現天満宮

荒子観音の山門を抜けると、「富士権現天満宮」が見えてきます。

この神社は、荒子城の跡に建っており、1569年(永禄12年)に、前田利家が荒子城の鎮守神として富士権現(ふじごんげん: 静岡県富士宮市にある浅間神社の旧称)を勧請したことに始まり、現在は富士信仰の女神とされている「木花開耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)と、前田家が先祖として崇めている「菅原道真」(すがわらのみちざね)が合祀されて祀られています。

荒子城は、前田利家の父・前田利春が築いた城で、前田利家の生誕地。前田利家だけでなく、まつもこの荒子城で幼少期を過ごしており、荒子城はまさに前田利家とまつの原点と言える場所なのです。

前田利家が北陸へ拠点を移すと、前田利家の嫡男で初代加賀藩主となる「前田利長」(まえだとしなが)が荒子城主となりましたが、1581年(天正9年)、前田利長もまた北陸へ渡ったため、荒子城は廃城となることに。

残念ながら、現在は荒子城の面影は残っていませんが、城内にあった社は村人によって受け継がれたため、荒子城跡に鎮座することとなったのです。境内には「利家卿誕生之遺跡」と彫られた大きな石碑があります。

前田城跡に鎮座する前田速念寺

前田速念寺

前田速念寺

前田利家ゆかりの史跡として最後に紹介するのは、犬千代ルートの終着点「前田速念寺」(まえだそくねんじ)です。

荒子方面から庄内川を渡った先に鎮座するこの寺院は、前田城跡に建っていることから前田氏発祥の地として知られており、さらに寺伝では、前田利家が前田城で生まれてから荒子城へ移ったという説が語られているため、前田利家の生誕地のひとつとも伝えられています。

前田速念寺の創建年は、定かではありません。室町時代に建立していた寺院で、前田利家が寄進した「阿弥陀如来尊像」(あみだにょらいそんぞう)を本尊としています。

この本尊の蓮台には、「本尊聖徳太子御作」と「前田又左衛門尉利家」といった銘が刻まれており、どうやら前田利家が聖徳太子の御作と信じて守り本尊としていた物。歴女としては、とても興味深いエピソードです。

また、境内には前田城主を務めていた前田家先祖の墳墓や、様々な記念碑が建てられており、前田利家のルーツを辿る注目ポイントが盛りだくさん。

尾張の地で過ごした前田利家の人物像を思い描きながら、犬千代ルート最後の史跡をじっくり鑑賞しましょう。

金沢で巡る!栄華を極めた前田利家の史跡

金沢城

金沢城

1583年(天正11年)、前田利家は賤ヶ岳の戦いの戦功として、豊臣秀吉から加賀国(現在の石川県南部)の2郡が加増されました。

これにより前田利家は、能登国能登郡(現在の石川県七尾市)の「小丸山城」(こまるやまじょう)から、加賀国の「金沢城」へと拠点を移すことに。

こうして、同年4月に前田利家が入城すると、金沢城は美しく豪華絢爛な城郭へと修築され、華やかな城下町へと発展を遂げていきました。

歴女が訪れたい城下町のひとつとしても、人気の金沢。北陸の覇者となった前田利家が残した栄光の足跡を、金沢城を中心に巡ってみましょう。

歴史上の人物が活躍した合戦をご紹介!

100万石の大城郭!利家が築き上げた金沢城

金沢城に入城した前田利家は、1588年(天正16年)に、キリシタン大名として知られる「高山右近」(たかやまうこん)を招き、都の近くで培った高山右近の築城法をもとに本格的な城づくりに取り掛かりました。

櫓を多用した豪華な城内は、まさに加賀100万石の名にふさわしい城づくりで、新しい加賀文化を発信するシンボルを前田利家は完成させたのです。

しかし、前田利家の時代には本丸に藩主と家族が住み、現在の三の丸広場を中心に重臣達の屋敷が構えられていたことから、決して広い城ではなかったという一面も伝えられています。

前田利家は、当時、金箔瓦を用いた五重の天守を築いていましたが、前田利家が亡くなって間もない1602年(慶長7年)に、この天守閣は焼失。これ以降、城の中心は本丸から二の丸へと移され、藩主の邸宅として二の丸御殿が整備されていきました。この頃、武家屋敷も城外へ出されたと言います。

金沢城は、その後も、1759年(宝暦9年)の大火で城の大部分を消失してしまうなど、再建を何度も繰り返してきました。しかし、前田利家が築き上げた豪華絢爛な城郭は失われることなく、現代においても見事に復元され、加賀藩前田家の威光は、時代を超えて金沢という城下町に受け継がれてきたのです。

歴女にとって、金沢が贅沢な場所と感じられるのは、あらゆる形で前田利家の功績を感じられるからなのかもしれません。

お城好き歴女注目!金沢城の多彩な石垣

金沢城へ訪れたのなら、絶対に注目してもらいたいポイントが「石垣」です。金沢城では前田利家の入城後、1592年(文禄元年)から本丸東側の高石垣を始まりに、本格的な石垣造りが行なわれました。

この石垣造りに対するこだわりは並々ならぬもので、お城の外周りには自然を感じさせる高石垣を施し、御殿や庭園などには芸術性の高いデザインにこだわった石垣群を積み上げるといったように、場所によって石垣様式を使い分けたのです。

その後も火災が起こるたびに修築を繰り返していたことから、現在の金沢城では多種多様な石垣を鑑賞できるようになっています。

また、城内には石垣造りにかんする秘伝書や、当時の石切り場と石引き道が現存していることから、金沢城は「石垣の博物館」とも呼ばれています。青石や赤石の配色が、独特のやわらかさと気品を感じさせる金沢城の石垣。城好き歴女ならば、石垣鑑賞だけでも1日過ごせてしまうかも。

前田利家が眠る霊園 野田山と桃雲寺

前田利家の墓

前田利家の墓

金沢城や城下町で栄華を手にした前田利家の足跡を辿ったら、最後は前田利家が眠る「野田山」(のだやま)へ。

金沢市街の南西部に位置する野田山には、前田利家とまつをはじめ、前田家一族の墓が建てられており、戦没者や多くの著名人、市民などの墓が集まる金沢最大の霊園として知られています。

野田山の霊園は、1587年(天正15年)に、前田利家が兄「前田利久」(まえだとしひさ)をこの地に葬ったことに始まります。その後、前田利家の遺言によって、1600年(慶長5年)に、息子の前田利長が霊廟を築きました。

これ以降、野田山の頂上付近には前田家一族の墓が建てられるようになり、頂上を下った位置に加賀藩前田家の家臣の墓が設けられるようになったのです。

また前田利長は、父・前田利家の霊廟を完成させた頃、山の麓に「高徳山桃雲寺」(こうとくざんとううんじ)という寺院を建てました。この山号と寺号は、前田利家の戒名である「高徳院殿桃雲浄見大居士」をもとに付けられ、前田利家の魂を弔うために創建したと言われています。

その後、桃雲寺は火災によって焼失してしまいますが、まつ(当時は芳春院:ほうしゅんいん)によって無事再建。さらに宝物の前田利家とまつの肖像画は、金沢市の文化財に指定されました。

前田利家自身が墓地を開き、息子・前田利長や最愛の人・まつによって守られ、さらに一族へと受け継がれたこの地は、前田利家の人生における終着点だと言えるのではないでしょうか。

緑が茂る神聖な野田山は、前田利家ファンの歴女にとっても、きっと特別な聖地となることでしょう。前田利家の史跡を巡る旅の締めくくりに、ぜひ足を運んでみて下さい。

前田利家ゆかりの史跡

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細川忠興ゆかりの史跡

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豊臣秀吉ゆかりの史跡

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直江兼続ゆかりの史跡

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