歴女が訪れたい城下町

善光寺街道から発展した松本城下町

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白と黒のコントラストが映える松本城(長野県松本市)は、「烏城」(からすじょう)とも呼ばれる美しいお城。現存する5層6階の天守閣は日本最古で、お城好きの歴女からも人気が高い名城のひとつです。
現在も、松本城下町には大火の経験から生まれた「なまこ壁」の土蔵が残り、「鉤の手」(かぎのて)や「丁字路」(ていじろ)など、敵の侵入を防ぐ複雑な仕掛けがたくさん。そんな松本城下町の歴史を振り返りながら、歴女必見の温泉や信州蕎麦などのご当地グルメについてご紹介します。

松本城下町の歴史と特徴

松本城

松本城

松本城」のもとに城下町が形成されたのは、1582年(天正10年)。

徳川家康」の後ろ盾を得て、「小笠原貞慶」(おがさわらさだよし)が、この地に入ったことがきっけです。

そもそも松本は、「深志」(ふかし)と呼ばれていたことをご存知でしょうか。深志城を領有していたのは、小笠原氏です。

一時「武田信玄」に攻められ、小笠原氏は深志を追われていましたが、「織田信長」によって武田氏が滅亡したこともあり、小笠原貞慶が深志城に戻ったのです。

念願がかなったとして、小笠原貞慶は「深志城」を松本城へと名称変更し、深志の地も松本にしたと言われています。

まず小笠原貞慶が行なったのは、松本城の拡充と城下町の町割でした。その計画を引き継いだのは、「豊臣秀吉」の命を受け松本城に入った「石川数正」(いしかわかずまさ)です。

1590年(天正18年)、石川数正は城郭の造営と共に城下町の整備に力を注ぎ、子の「石川康長」(いしかわやすなが)によって城下町の原型が完成しました。なお、5層6階の天守閣を誇る松本城の姿が完成したのも、石川康長の時代のことです。

歴女として押さえておきたいのは、石川数正を松本に配置した豊臣秀吉の意図。それは、関東に移らせた徳川家康の包囲網を構築するためでした。その中で、東国と西国の中間点にあたる松本は、軍事的な重要拠点のひとつだったこともあり、石川数正親子は、お城と城下町の防衛強化に取り組んでいったのです。

日本の城 松本城 YouTube動画

「松本城」国宝5城・現存12天守

防衛を重視した城下町のグランドデザイン

松本城下町の大きな特徴は、南北に長い城下町であることです。その城下町を二分する女鳥羽川(めとばがわ)は、防衛強化を図るために河川工事を行ない、お城の南近くを流れるように変えられました。

町割は、女鳥羽川の北側にあたる松本城の周囲を上級武士の武家地として、堀の外側を中級以下の武家地にしました。そして、川の南側と善光寺街道(北国西街道)沿いを町人地とし、その外側に寺社地を置くことで、外敵に備える町割としたのです。

また、お城へと続く道には、「鉤の手」(かぎのて)や「食い違い」、「丁字路」(ていじろ)など、あえて見通しの悪い構造を随所に設けました。善光寺街道沿いを町人地としたのも、外敵が攻め入ったときに町屋が壁の役割を果たし、見通しがきかないことを狙うためです。

さらに、城の正面入り口である大手門前の一角は枡形に仕切られ、堀を渡る橋から門までまっすぐに行けないようにしていました。これも防御のための工夫です。

現在、堀は埋められ、町の様子は変わっていますが、千歳橋のあたりがここにあたります。その他にも食い違いなどの残った道がありますので、往時の名残として楽しみながら歩きましょう。

経済的な発展をもたらした善光寺街道

善光寺

善光寺

城下町のメインストリートであった本町通りは、野麦街道や糸魚川街道、そして善光寺街道にもつながっていました。

なかでも善光寺街道は、その名の通り、「善光寺」へ向かう人々が行き交う道で、たいへんな賑わいをみせていたと言います。

善光寺は、古くから「一生に一度は善光寺詣」と言われるほど、人気の高い信仰の地だったのです。

また、野麦街道や糸魚川街道も物資などの運搬に使われた主要な道でした。つまり、往時の松本は、善光寺を参詣する人々はもちろん、飛騨の高山、富山など、各方面に向かう人達にとっての宿場町であり、物資における中継拠点でもあったのです。

また、善光寺街道の道筋は、城下町の形状にも大きく影響を与えています。なぜなら、本町から始まった城下町の整備は、中町、東町と、まず善光寺街道に沿って発展していったからです。そして、その3町から広がるように、城下町の整備が進んでいきました。

それぞれの街道沿いに建ち並んでいたのは、旅籠屋や商屋、問屋などです。その数が次第に増え、さらに賑わいを増していきました。もちろん、こうした人々や物資の移動は経済的な繁栄にもつながり、町人地を中心に城下町は発展していきます。

そして江戸時代の中期には、「親町三町、枝町十町、二十四小路」と呼ばれる規模へと成長していったのです。

まさに、宿場町として、中継拠点として、栄えていった松本の城下町。その繁栄は、街道が交差する立地環境によってもたらされたことに、歴女としては注目しておきましょう。

歴女からの人気も高い蔵のまちのなまこ壁

松本市 中町通り

松本市 中町通り

歴女であれば、ぜひ訪れて欲しいのが「中町通り」です。

江戸時代には、酒造業や呉服問屋などが建ち並び、賑わいをみせていました。

しかし、江戸時代の末期から明治時代にかけて、再三の大火によって建物が焼失。そこで、火に強い「なまこ壁」で、土蔵が造られるようになったのです。

なまこ壁とは、壁面に平ら瓦を貼り、継ぎ目に漆喰を蒲鉾型に盛り上げて塗る工法のこと。盛り上げて塗るのは、雨水などの侵入を防ぎ、剥がれ落ちないようにするためです。

中町通りには、白と黒のコントラストが風情を感じさせる土蔵造りの建物が現在も数多く残り、「蔵のまち」の象徴となっています。今は民芸品や工芸品のお店が集まり、古き松本の雰囲気を醸し出しています。懐かしい町並みに興味のある歴女は必見です。

また、中町通りの川向こうにある「縄手通り」(なわてどおり)にも注目。かつては堀と川の間にあった土手でした。「縄のように長い土手」ということから「縄手」と名付けられたのです。明治時代には堀が埋められ、露店が並んだ盛り場として賑わいをみせていました。

現在は、江戸時代の城下町の風景が再現されたスポットとして人気を博しています。城下町の雰囲気を楽しみたい歴女であれば見逃せない通りです。

信州という気候風土が育んだ粉食文化

おやき

おやき

ご当地グルメに関心の高い歴女であれば、信州と言って頭に浮かべるのは「蕎麦」、そして「おやき」でしょう。

稲作に適していない信州では、お米に代わる主食として、蕎麦が広く浸透していきました。

その背景には、山間地で昼夜の温度差が大きく、水はけの良い土壌であったため、蕎麦や小麦の栽培が盛んに行なわれていたことも大きく影響しています。

現在、蕎麦と言えば、細い麺にして食べる「蕎麦切り」が一般的です。しかし、古くは蕎麦団子や蕎麦がき(蕎麦粉とお湯を混ぜてこねた物)という食べ方が一般的でした。今のような麺食をするようになったのは、江戸時代になってから。この蕎麦切りというスタイルは、信州が発祥と言われています。

「信州蕎麦」と言っても、蕎麦粉の挽き方や割合、蕎麦の打ち方、食べ方など、地域やお店によって様々です。蕎麦通の歴女であれば、食べ比べてみるのもおもしろいかもしれません。

もうひとつの粉食おやきは、「信州のソウルフード」と呼ばれ、地元では一般的な食べ物。おやきとは、小麦粉や蕎麦粉を水で溶いて練った生地で野菜などの具材を包み焼いた物。地域によっては蒸しているところも。こちらも、生地や具材の種類など、地域やお店で独自のこだわりが注がれています。散策の合間に味わってみるのが歴女旅らしい楽しみ方かもしれません。

歴女心をくすぐる有名温泉地も多彩

白骨温泉

白骨温泉

せっかく松本に来たのであれば、有名温泉地まで足を伸ばしましょう。

松本の周囲は、松本藩ゆかりの温泉地をはじめ、女性に人気の温泉地などが点在し、温泉のメッカなのです。

そこで、歴女ならではの視点で、温泉をピックアップしてみました。

まずは、松本の奥座敷と呼ばれる「浅間温泉」(あさまおんせん)。

1,000年以上の歴史を誇り、江戸時代には松本藩主の御殿湯が置かれ、歴代の城主も通ったと伝えられています。泉質はアルカリ性単純温泉なので、お肌がスベスベに。

また、「美ヶ原温泉」(うつくしがはらおんせん)も歴代城主の保養地であった温泉です。「日本書紀」には「束間の湯」(つかまのゆ)として記述され、平安時代には歌人「源重之」(みなもとのしげゆき)に「白糸の湯」(しらいとのゆ)と詠まれた湯こそ、ここの温泉であったと言われています。こちらの泉質もアルカリ性単純温泉です。

乳白色のお湯で有名な「白骨温泉」(しらほねおんせん)は、女性からの評価が高い温泉。肌にやさしいことが特徴です。泉質は硫黄と炭酸成分を多く含む弱酸性の単純硫化水素泉で、血流が良くなるため身体がポカポカ温まると言われています。温泉は冷え性の改善にもおすすめですので、冷え性で悩んでいる歴女は、訪れてみてはいかがでしょうか。

姫路藩・松本藩・松江藩 YouTube動画

姫路藩・松本藩・松江藩

蕎麦好き歴女なら注目!! 本場の味を楽しめる人気のお店

女鳥羽そば

三重そば

三重そば

松本産の蕎麦の実を殻ごと石臼で挽くのが評判のお店「女鳥羽そば」(めとばそば)。

おすすめは名物の「三重そば」(みかさねそば)です。刻み海苔、とろろ、抹茶の3種類の味で蕎麦が楽しめます。

デザート好きな歴女は、蕎麦がきに特製のあんこをかけた「女鳥羽の友」(めとばのとも)をどうぞ。

なまこ壁の土蔵造りの外観が目印で、昔ながらの落ち着いた雰囲気も魅力のひとつ。中町通りの近くにありますので、散策後の食事に立ち寄ってはいかがでしょうか。

女鳥羽そば

所在地:長野県松本市中央3-4-8

蕎麦倶楽部 佐々木

地元の蕎麦通から高い評価を得ているお店と言えば「蕎麦倶楽部 佐々木」です。信州原産の蕎麦を殻付きのまま低温熟成させ、打つ直前に石臼で挽いています。

蕎麦粉を9割3分以上使った細打ちの蕎麦は、冷たいメニューがおすすめとのこと。最初の一口は、ぜひ岩塩で味わって。蕎麦本来の風味や甘みが広がり、蕎麦の奥深さが実感できます。

蕎麦にこだわりのある歴女なら、ぜひチェックしておきたいお店です。

蕎麦倶楽部 佐々木

所在地:長野県松本市大手4-8-3

そば居酒屋 蔵のむこう

歴女仲間と蕎麦居酒屋を楽しみたいなら、「蔵のむこう」はいかがでしょう。信州蕎麦はもちろん、信州名産である馬刺し、山菜、きのこなど、ご当地ならではの美味も堪能できます。

もちろん、信州の地酒も取り揃えていますので、地酒に興味のある歴女にぴったりです。地元のお酒、本場の美味を楽しみながら、仲間と歴女旅の思い出話に華を咲かせてみませんか。

そば居酒屋 蔵のむこう

所在地:長野県松本市中央1-2-21

歴女におすすめ!! 日帰り入浴が可能な名湯の施設

湯々庵 枇杷の湯

湯々庵 枇杷の湯

湯々庵 枇杷の湯

浅間温泉にある「湯々庵 枇杷の湯」(とうとうあん びわのゆ)は、松本城主であった石川氏が湯御殿を造営したことから始まった由緒ある温泉施設です。

こちらでは、男女それぞれの露天風呂付き大浴場と、自然を間近に感じながら入浴できる野天風呂が楽しめます。

館内には、城主ゆかりの資料なども展示してありますので、まさに歴女心をくすぐる施設です。

建物の雰囲気や庭園の景色も情緒にあふれていますので、心からリラックスさせてくれるに違いありません。

湯々庵 枇杷の湯

所在地:長野県松本市浅間温泉3-26-1

美ヶ原温泉 翔峰

美ヶ原温泉を代表する温泉宿のひとつ「翔峰」(しょうほう)では、ランチと大浴場の入浴がセットになった日帰りプランを用意。少し贅沢に料理を楽しみ、ゆったりと温泉に入ってくつろげることから、女子会にぴったりと話題になっています。

温泉だけでなく、料理にもこだわりたい歴女におすすめです。素敵な思い出になることでしょう。この他にも日帰り入浴が可能な温泉宿があります。

美ヶ原温泉 翔峰

所在地:長野県松本市大字里山辺527

白骨温泉 泡の湯

白骨温泉 泡の湯

白骨温泉 泡の湯

全国の温泉ランキングの常連として名高い、白骨温泉「泡の湯旅館」。こちらでは、大混浴露天風呂が日帰り入浴可能です。

混浴が気になるという人も多いでしょうが、もちろん入口は男女別。女性には、入浴専用に「湯あみ着」が用意されており、湯あみ着を着たまま入湯できます。白濁色の温泉ですので、湯船の中が見えることはありません。

温泉好きの歴女は、この機会に人気の名湯を堪能してはいかがでしょうか。

白骨温泉 泡の湯

所在地:長野県松本市安曇4181

善光寺街道から発展した松本城下町

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