甲冑(鎧兜)の基礎を学ぶ

国宝・重要文化財の甲冑(鎧兜)を鑑賞する

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日本式甲冑は、着用者の身体・生命を守る防具として登場しましたが、今日では国内外において、その技巧や芸術性が高く評価されている美術工芸品でもあるのです。日本式甲冑のみどころをご説明したあと、国宝に指定されている18領の甲冑と重要文化財に指定されている主な甲冑(鎧兜)、それらが収蔵・展示されている神社・仏閣、及び博物館をご紹介します。

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甲冑のみどころ

平安時代に登場した日本式甲冑は、独自の発展を遂げていきました。

その特徴は、様々な美術工芸分野の技術を用いた繊細な作業の積み重ねによって制作されていること。膨大な時間を費やし、多くの人の手を経て制作されていた日本式甲冑は、制作当時の美術工芸の粋を結集した芸術作品であると言えるのです。

主なみどころとしては、「縅」(おどし)、「地韋」(じがわ)、「金物」、「」が挙げられます。

縅とは、「小札」(こざね)を横につないだ「小札板」(こざねいた)を上下に糸や韋(かわ)で綴じ合わせていくこと。この手法は、日本独自の手法で、日本式甲冑のみどころのひとつです。

室町時代以降に登場した「当世具足」以前においては、膨大な数の小札、小札板を「縅毛」(おどしげ)でつなぐことで、甲冑を形作っていました。縅を行なう糸や韋を縅毛と言います。

縅については、手法・縅毛の種類・文様に着目して、大まかに分類することが可能です。

手法

縅の手法は、大まかに、上下の小札を結び合わせていく「毛立」(けだて)と、毛立を行なった結果、小札上部の「札頭」(さねがしら)から出た縅毛をからめて留める「緘」(からみ)の2種類が存在。

毛立には、小札の表面に隙間がなくなるように縅す「毛引縅」(けびきおどし)、小札を垂直に縅していく古い手法「縦取縅」(たてとりおどし)、縦取縅の簡略な方式だと言われている「素懸縅」(すがけおどし)などがあります。

また、緘には毛引縅に対応する「縄目緘」(なわめがらみ)、縦取縅に対応する「縦取緘」(たてどりがらみ)、素懸縅に対応する「菱綴」(ひしとじ)などが存在しているのです。

縅の手法[

縅の手法

縅毛の種類

縅毛の種類による分類は、以下の3つに大別できます。

  1. 絹糸を組んだ緒を用いた「糸縅」(いとおどし)
  2. 鹿の皮を加工した緒を用いた「韋縅」(かわおどし)
  3. 絹織物の緒を用いた「綾縅」(あやおどし)

糸縅の糸は、絹の組紐であることが多いのですが、場合によっては、麻などを用いることも。これらを染色することによって、色ごとに縅糸の名称が存在しているのです。

また、韋縅の縅毛は、一色に染めた物から模様を付けた物まで、様々な種類があります。

文様
妻取縅

妻取縅

縅は、縅毛の色や文様によっても分類可能です。主な物としては、縅した文様が「オモダカ」の葉のような三角形になっている「沢潟縅」(おもだかおどし)、この沢潟縅文様の三角形を頂点から半分に切り取った形(直角三角形)の文様となる縅し方「妻取縅」(つまとりおどし)、さらには3色以上の縅毛を用いた「色々縅」(いろいろおどし)などがあります。

地韋

甲冑のうち、皮革によって制作されている部分が「革所」(かわどころ)です。その主要な部分を占める地韋には、文様の型を当てた染付けが行なわれていました。

その意匠は、時代によって異なっており、主なところでは、花菱文様を連続して描いた平安時代・鎌倉時代の「花菱の書韋」(はなびしのかきがわ)、火炎を背景に「不動明王」を描いた鎌倉時代後期の「不動韋」(ふどうかわ)、水草の中に「唐獅子牡丹」を描いた南北朝時代の「藻獅子文韋」(もじしもんがわ)などが挙げられます。

金物

甲冑の各所には、金属製の装飾部品が使われており、それらは金物と総称されています。

日本式甲冑では、兜の「天辺の穴」(てへんのあな)の周縁を装飾する「八幡座」(はちまんざ)、兜前面に設置する「鍬形」(くわがた)の土台「鍬形台」、さらには、札(さね)と「金具廻」(かなぐまわり)を綴じ付けた場所を飾る「化粧板」(けしょうのいた)に打つ「八双鋲」(はっそうびょう)に、金具廻や小札、小具足に打つ「据文」(すえもん)、緒を取って結ぶ「鐶」(かん)などの金物が、様々な場所に配置されていますが、目立つ存在であるとは言えません。

しかし、様々な彫金技法を駆使して唐草や菊などの文様が彫り込まれたり、鍍金(ときん:金メッキ)や鍍銀(とぎん:銀メッキ)が施されたりするなど、当代最高の金工技術を用いて制作されているのです。

  • 据文

    据文

  •  金物の主な配置場所

    金物の主な配置場所

変わり兜「黒漆五枚胴具足」

変わり兜「黒漆五枚胴具足」

甲冑における兜は、着用者の頭部を守るヘルメット。大鎧では、鉄板を矧ぎ重ねた重厚な物でした。戦国時代になると、各武将の思想や人生観などを反映した「変わり兜」が登場。

そこでは、森羅万象がモチーフとなりました。

また、兜の形状だけでなく、その装飾品である「立物」(たてもの)についても、個性的な物が多く残っています。

国宝の甲冑を観る

2019年(平成31年/令和元年)現在、国宝に指定されている甲冑は18領。

これらの甲冑について、収蔵施設とともに、簡単にご説明します(名称については、文化庁の国指定文化財等データベースに準拠)。

大山祇神社所蔵の甲冑

沢潟威鎧(おもだかおどしよろい)

本鎧は、平安時代中期に制作されたと推定されている1領。

残欠であるものの、現存している日本式甲冑の中では最古であると言われています。

紺糸威鎧(こんいとおどしよろい)
紺糸威鎧(大山祇神社蔵)

紺糸威鎧(大山祇神社蔵)

社伝では、伊予国の武将「河野通信」(こうのみちのぶ)が奉納した1領だとされています。

一部に補修された痕がありますが、が裾に向かって広がっていく、平安時代末期に制作された鎧の特色を観てとれるのです。

現存する同様式の遺品は数少なく、麻糸で縅している点も特徴的だと言えます。

紫綾威鎧(むらさきあやおどしよろい)

綾(斜めに交差するように織った織物)を切って細く畳み、芯 (しん) に麻を入れた緒で縅した綾威鎧の残存例は少なく、稀少。

この「紫綾威鎧」は、綾威鎧の中でも最古の1領。制作時期は、鎌倉時代初期だと推定されています。

赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)

本鎧は、「大袖」(おおそで)、「栴檀板」(せんだんのいた)、「鳩尾板」(きゅうびのいた)が付属し、胴の前面には「弦走韋」(つるばしりのかわ)が施されている点においては、「大鎧」の特徴を有していますが、胴がひと続きで、右脇で引き合わせる形式である点、「草摺」(くさずり)が7間に分かれている点は、「胴丸」(どうまる)の特徴を有していると言えます。大鎧と胴丸の折衷形である「胴丸鎧」(どうまるよろい)としては唯一、現存している1領です。

厳島神社所蔵の甲冑

小桜韋黄返威鎧(こざくらかわきがえしおどしよろい)

本鎧は、「源為朝」(みなもとのためとも)が奉納したと伝えられている1領。小札の幅が著しく広く、縅糸も太く、総体的に豪壮な趣です。

鳩尾板や「脇楯」(わいだて)などが欠損していますが、総じて原形をとどめています。

紺糸威鎧(こんいとおどしよろい)
紺糸威鎧(厳島神社蔵)

紺糸威鎧(厳島神社蔵)

本鎧は、「平清盛」の嫡男「平重盛」(たいらのしげもり)によって奉納されたと伝えられている1領。幅広い小札を太い縅糸で縅し、「胸板」が狭い点に、平安時代後期の大鎧の特徴が現れています。

派手さはありませんが、精緻さと雅な趣のある逸品です。

黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)

鎌倉時代末頃から武将も胴丸を着用するようになったことで、胴丸にも袖や兜などの大鎧と同様の装飾が施されるようになりました。

本胴丸は、一部に補修の痕が見られますが、ほぼ原形をとどめ、精緻な仕立ての雄大な趣のある逸品だと言えます。

浅黄綾威鎧(あさぎあやおどしよろい)

本鎧の胴の形状は、上下同幅ないし裾に向かって絞っていっています。

また、金具廻りが大きく、栴檀、鳩尾板が小さくなっているなど、従来の大鎧における豪壮さに代わる端正な形姿は、鎌倉時代後期の特色が顕著です。

春日大社所蔵の甲冑

赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)
赤糸威鎧(春日大社蔵)

赤糸威鎧(春日大社蔵)

本鎧は、古来「源義経」によって奉納されたと伝えられている1領です。

7段の大袖には、竹と虎の金物を配置するなど、数多くの金物装飾を施しているため、総重量は約29kg。

そのため、実戦用ではなく、奉納用に制作された物であると言われています。

赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)

本鎧は、江戸時代の古美術品木版図録集「集古十種」にも収録されている優美で華麗な1領として有名です。金物は、梅の枝に鶯・蝶・蜘蛛の巣。

現在は、弦走韋がほぼ失われてしまっている状態ですが、集古十種には「二童子」と不動明王の絵韋が施されている様子が描かれています。

黒韋威矢筈札胴丸(くろかわおどしやはずざねどうまる)

本胴丸は、「楠木正成」(くすのきまさしげ)によって奉納されたと言われている1領です。

南北朝時代には、胴丸にも兜と袖を付けた形式が定着しましたが、本胴丸も同時期に制作された物であると考えられます。「矢筈札」とは、矢の筈のように、中央が谷になっている形状の小札のこと。

また、兜の後頭部に「大」の文字が彫られているのを確認することができます。

黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)

本胴丸は、2016年(平成28年)に国宝に指定されました。

黒漆を厚く塗り重ねられた本小札を黒韋で縅し、金具には精緻な彫刻が施されている本胴丸については、江戸時代の古美術品木版図録集・集古十種の甲冑部巻六に、詳細な模写が収録されています。

櫛引八幡宮所蔵の甲冑

白糸威褄取鎧(しろいとおどしつまどりよろい)
白糸威褄取鎧(櫛引八幡宮蔵)

白糸威褄取鎧(櫛引八幡宮蔵)

本鎧は、「南部信光」が「後村上天皇」から下賜されたと伝えられる1領です。

そのあと、南部信光の子・南部光経が出陣に際して、櫛引八幡宮に戦勝祈願を行ない、勝利を得たお礼として奉納したことで、同社の所蔵となったと言われています。

赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)
春日大社所蔵の赤糸威鎧と同様、大袖に装飾された精緻な籬菊(ひなぎく)金物が特徴的な1領です。本鎧は、鎌倉時代末期に制作されたと考えられています。

武蔵御嶽神社所蔵の甲冑

赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)
赤糸威鎧(武蔵御嶽神社蔵)

赤糸威鎧(武蔵御嶽神社蔵)

本鎧は、江戸時代の故実書「本朝軍器考」で取り上げられました。

古美術品木版図録集・集古十種に収録されたことで、関東随一の名品として名を馳せた1領です。

1903年(明治36年)に、本格的な補修作業が行なわれました。

菅田天神社所蔵の甲冑

小桜韋威鎧(こざくらかわおどしよろい)
小桜韋威鎧兜大袖付

小桜韋威鎧兜大袖付

本鎧は、武田氏の宝物として嫡子相伝とされてきました。「楯無」(たてなし)と言う号は、楯が必要ないと感じさせるほどの重厚さを醸し出していたことに由来。

武田信玄の時代に、1度、菅田天神社に納められましたが、「長篠の戦い」に敗れた際、家臣が埋めたと言われています。これを「徳川家康」が甲府入城の際に発掘。再び同社に納めたと言う逸話が残っています。

日御碕神社所蔵の甲冑

白糸威鎧(しろいとおどしよろい)

本鎧は形状や意匠から、鎌倉時代末期に制作されたと推定されている1領。最大の特徴は、その見事な補修です。

1805年(文化2年)に「松江城」主「松平不昧」(まつだいらふまい)が命じた補修では、残片を保管した上で修補仕様明細書が作成されました。

補修した部分を明瞭にしたことで、美観だけでなく、史料的価値も保つことができたと言えます。

岡山県立博物館所蔵の甲冑

赤韋威鎧(あかかわおどしよろい)

本鎧は、備中国の赤木家に伝来した1領。総体的に制作された当初の姿をそのまま伝えています。国宝に指定されている大鎧の多くは神社に奉納された物で、大幅な補修が行なわれていますが、本鎧については、そうした痕跡ほとんどありません。

そのため、史料的価値も高い1領であると言えます。

重要文化財の甲冑(鎧兜)を観る

国の重要文化財に指定されている甲冑(鎧兜)には、様々な時代の様々な形式の作品があります。ここでは、有名武将の所用と伝えられる甲冑(鎧兜)を中心に、簡単にご紹介します。

上杉神社所蔵の甲冑(鎧兜)

色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)

本腹巻は、「上杉謙信」所用と伝えられる1領です。兜の前立には鍍金(金メッキ)を施した「飯綱権現」(いづなごんげん)を配置。制作年代は、室町時代末期だと推察され、小ぶりで胴部分が締まった姿は、格調高さを感じさせます。

仙台市博物館所蔵の甲冑(鎧兜)

銀伊予札白糸威胴丸具足(ぎんいよざねしろいとおどしどうまるぐそく)
銀伊予札白糸威胴丸具足

銀伊予札白糸威胴丸具足

本具足は、1590年(天正18年)の「奥州仕置」(おうしゅうしおき)の際に、宇都宮(現在の栃木県宇都宮市)で「豊臣秀吉」を出迎えた「伊達政宗」が豊臣秀吉から拝領したと伝わる1領です。

胴は銀箔押しされた伊予札を白糸で素懸縅(すがけおどし)。兜鉢には熊毛が植えられ、金箔押しされた軍配の立物を配するなど、安土桃山時代らしい華やかな作品です。

東京国立博物館所蔵の甲冑(鎧兜)

紺糸威南蛮胴具足(こんいとおどしなんばんどうぐそく)

本具足は、徳川家康の重臣「榊原康政」所用と伝わる1領です。「南蛮胴」は、元々西洋の鎧・プレートアーマーを日本式甲冑の胴に流用した物ですが、日本人の体格に合わせて、本具足のような「和製南蛮胴」が制作されるようになっていきました。

蔵御嶽神社所蔵の甲冑(鎧兜)

紫裾濃威鎧(むらさきすそごおどしよろい)

本鎧は、鎌倉幕府7代将軍「惟康親王」(これやすしんのう)が「元寇」の際、蒙古軍の撃退を祈念して奉納したと伝えられている1領です。

「紫裾濃威」(むらさきすそごおどし)とは、裾に濃い紫の縅糸を使用し、上にいくにしたがって縅糸が淡くなっていく縅し方を言います。

久能山東照宮所蔵の甲冑(鎧兜)

伊予札黒糸威胴丸具足(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)

本具足は、徳川家康所用と伝わる1領です。「関ヶ原の戦い」を控えたある日、徳川家康の夢に出てきた「大黒天」を再現させるため、奈良の甲冑師「岩井与左衛門」(いわいよざえもん)に、この具足を制作させたとも伝えられています。

本具足が収蔵されている「久能山東照宮」は、徳川家康を祀る「東照宮」の中で最初に建てられた神社です。

合戦の街 関ヶ原
「関ヶ原の戦い」の経緯や結末、関ヶ原の現在についてご紹介します。
岐阜関ケ原古戦場記念館
「岐阜関ケ原古戦場記念館」の体験コーナーや展示内容など、施設の魅力をご紹介します。

大山祇神社所蔵の甲冑(鎧兜)

浅葱糸威褄取鎧(あさぎいとおどしつまどりよろい)

本鎧は、小札の幅が狭く、長さも短くなっており、大鎧としては総体が短いつくりになっています。腰の部分で胴の重量を支えるように上帯を締める構造であるため、胴は裾に向かって絞っていく形状であり、南北朝時代の大鎧の特徴がよく現れている1領です。

建勲神社所蔵の甲冑(鎧兜)

紺糸威胴丸(こんいとおどしどうまる)

本胴丸は、「織田信長」所用として伝わる1領です。黒漆塗された鉄小札1枚と革小札2枚を重ね合わせ、紺糸で毛引縅(けびきおどし)にされています。

兜の前立は織田家の家紋である「桔梗紋」。室町時代後期の特徴が色濃い1領です。

出雲大社所蔵の甲冑(鎧兜)

赤糸肩白威大鎧(あかいとわだしろおどしおおよろい)
赤糸肩白威大鎧(出雲大社所蔵)

赤糸肩白威大鎧(出雲大社所蔵)

本鎧は、室町幕府6代将軍「足利義教」(あしかがよしのり)が所用したと伝わる1領。

足利義教の死後、室町幕府8代将軍「足利義政」が「出雲大社」(いづもおおやしろ)に奉納したと言われています。分類上は大鎧ですが、ところどころに胴丸の要素が取り入れられている点が特徴的です。

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甲冑とは

甲冑とは
「甲冑」(かっちゅう)にはひとつひとつ名前があるのをご存知でしょうか。例えば戦国武将の「徳川家康」が所用した甲冑は「伊予札黒糸縅胴丸具足」(いよざねくろいとおどしどうまるぐそく)という名前です。「名前はかっこいいけど、漢字ばかりで難しそう」と思われるかもしれません。しかし、名前のルールが分かってしまえば、その鎧兜を鑑賞するためのヒントが詰まっているのです。今回は、鎧兜を楽しむための準備運動として、甲冑について解説します。甲冑について詳しくなって、博物館へ本物の甲冑を鑑賞しに行きましょう。

甲冑とは

甲冑の基本解説

甲冑の基本解説
甲冑(鎧兜)を鑑賞する上で、知っておくべきこと。それは、各部の名称です。甲冑(鎧兜)は、合戦における戦い方の変化に伴って進化していきました。そのため、同じ名称であっても、形状などが異なっており、それも見どころのひとつであると言えます。「日本式甲冑(鎧兜)」には、「大鎧」(おおよろい)と「当世具足」(とうせいぐそく)という2つの大きな転換点がありました。すなわち、大鎧は平安時代に登場した日本式甲冑(鎧兜)のはしりであり、室町時代後期あたりに登場したと言われている当世具足は、日本式甲冑(鎧兜)の完成形という位置付けです。ここでは、各時代における甲冑(鎧兜)の違いについて、各部の名称を中心に、基本的な内容をご紹介します。

甲冑の基本解説

甲冑・武具用語集

甲冑・武具用語集
古くから戦に用いられてきた甲冑・武具には、独自の言葉が多く存在します。ここでは、甲冑・武具に関する用語について、解説します。

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