武道に見る武士の文化

居合とは

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居合とは、素早く刀を抜いて敵に斬り付ける剣技のことで、現在では居合道として、現代武道における競技のひとつに数えられています。
ここでは剣術から派生した居合が、立ち居振る舞いや礼節を重んじる武道として成立するに至った歴史をご紹介します。また、居合を始める際に用意する道具類なども説明していますので、居合道に興味を持たれた方は、ぜひ参考にしてみて下さい。

居合とは

居合道

居合道

居合はを抜き放つ際の、初撃を極めた剣術と考えられています。

しかしながら、成立当初の居合は必ずしも剣術のみを指す技術ではなく、柔術のような技なども含まれていたようです。

現代の居合道では、主に座位での抜刀術を中心とした、形や方法論が追求されています。しかし居合の始まりにおいては、「いかなる状況下においても、不意の襲撃に対して敵を制する方法」を目指した武術がルーツとなっているのです。

居合の歴史

武術として発展してきた居合が、現代の居合道として成立するまで、どのような変化を経ているのでしょうか。その成り立ちや歴史を詳しく辿ってみましょう。

剣術の黎明期

神刀流剣術

神刀流剣術

居合が成立するためには、まずその母体となる剣術の発展が欠かせませんでした。

室町時代の初期に、剣術の基礎とされている「兵法三大源流」(ひょうほうさんだいげんりゅう)が成立します。

そののち、三大源流から派生した立身流(たつみりゅう)や香取神道流(かとりしんとうりゅう)などの流派で、居合の前身となる抜刀術が扱われていたのです。

しかし、剣術における抜刀術の位置付けは、あくまでも戦闘の補助的な分野でしかありませんでした。

居合の成立

抜刀術の開祖
室町後期から戦国時代にかけて、剣術と抜刀の技術を切り離して、抜刀の方法のみに特化した術へと集約した人物がいます。その人物が、居合の開祖とも呼ばれる林崎甚助(はやしざきじんすけ)です。抜刀の技術を極めたとされる林崎甚助によって、剣術と抜刀術が明確に区別されることになりました。

居合への発展
そのあとも抜刀術は、林崎甚助の弟子達によって様々な工夫が編み出され、色々な状況に対応した形に生まれ変わっていきます。この過程において、刀を使用できない状況を想定した技術なども考案されたようです。

また特に重視されたのが、室内で短刀を持って襲い掛かってきた敵に対し、長い刀でどのように対処するかという方法でした。

このようにして生み出された色々な技術が洗練されていくうちに、抜刀を伴う座位を中心とした居合へと発展を遂げてゆくことになります。

文化としての武術へ
さらに江戸時代に入ると、武家の作法の規範となっていた小笠原流礼法(おがさわらりゅうれいほう)を融合した流派などが誕生します。

特に重視されたのが、正しい姿勢を保つための座法。実戦の技術としてだけでなく、礼節や精神性を重んじる文化としての側面も重視されはじめたのです。

居合道の誕生

帯刀文化の衰退
廃刀令

廃刀令

明治維新以後、武家文化が終焉を迎えると、日常的に帯刀するという習慣は段々と廃れていきます。その風潮を受け、法律によって公共の場で刀剣を帯びることが禁止されるようになりました。

まず1876年(明治9年)に、明治新政府によって、軍人や警察官以外の帯刀を禁じた廃刀令が実施されます。

また、太平洋戦争後には、日本国民全体の非武装化を目的として、GHQにより個人が所有していた日本刀が押収されました。

このようにして、日本刀を扱う居合にとって、逆風にさらされるような社会状況が続いていきます。

皇室・公家に関連する刀剣の歴史などをご紹介します。

剣道連盟からの除外
また明治期より、居合などの武術を統括していた政府外郭団体の大日本武徳会(だいにっぽんぶとくかい)も、GHQの指令によって太平洋戦争の終戦後に解体。同じ剣を扱う武術ながら、剣術は後継の全日本剣道連盟が発足したことにより、「剣道」として現代武道の道が確立されます。

しかしその際、居合は剣道の範疇とならず、全日本剣道連盟の管轄外という憂き目にあってしまいました。

居合道の誕生へ
それでも1954年(昭和29年)、各流派組織の尽力によって、全日本居合道連盟が結成されます。こうして居合は「居合道」として、現代武道にその形を留めることになりました。

居合の達人

実戦での命のやりとりが、当たり前であった時代に生まれた居合。長い歴史の中で様々な使い手が生まれています。ここではそんな居合の達人を紹介します。

林崎甚助

戦国時代から江戸時代初期にかけて、抜刀術を完成させた源流の人物。父の仇討ちを成し遂げるための抜刀技術習得を追求したことにより、抜刀術を極めた剣豪です。

「神夢想林崎流抜刀術」(しんむそうはやしざきりゅうばっとうじゅつ)の始祖としても知られています。多くの弟子を育てながら、諸国を回る旅を続けていました。

田宮重正(たみやしげただ)

林崎甚助の高弟にして現代まで伝わる田宮流の祖となる人物であり、その居合姿は美しく、「美の田村」として賞賛されていました。通常の日本刀より3寸長い長柄の刀を使いこなす達人です。

初代紀州藩主の徳川頼宣に仕えていた田宮流2代目の田宮長勝(たみやながかつ)が田宮流を名乗り始めたこともあって、紀州の地ととても縁が深い流派です。

井伊直弼(いいなおすけ)

井伊家彦根藩主にして、大老を務めた江戸時代後期の幕閣における重要人物です。

30代過ぎまで、家督の相続を想定していない部屋住みの身分であったため、居合を学ぶことができ、新たな流派を興すほどの達人であったとされています。

桜田門外の変では、その腕前を持ちながらも凶刃に倒れてしまいました。

中村半次郎(なかむらはんじろう)

別名は桐野利秋(きりのとしあき)。薩摩の人斬り半次郎として恐れられた、幕末の4大人斬りの内のひとりです。

中村半次郎の扱う剣術は、薩摩の示現流(じげんりゅう)という流派であり、必ずしも純粋な居合の達人と見なされていたわけではありません。しかしながらその抜刀速度は凄まじく、歩きながら人を斬っても歩行を止めることがなかったと伝えられています。

居合と抜刀術が明確に分別されていなかった時代ならではの達人です。

河上彦斎(かわかみげんさい)

肥後藩出身の過激な攘夷志士(じょういしし)であり、幕末の4大人斬りとして挙げられる人物のひとり。開国派として知られていた高名な学者である佐久間象山(さくましょうざん)の暗殺を遂行しています。

片膝が地面に着くほど低い姿勢を取ってからの逆袈裟斬り(ぎゃくけさぎり)が代名詞で、その剣筋には居合が応用されていたと考えられています。

福沢諭吉

教育者、思想家として高名な福沢諭吉ですが、居合の達人であったことはあまり知られていません。居合の流派「立身新流」(たつみしんりゅう)の皆伝免許を持つほどの腕前でした。

明治期に入っても、当初から健康のためと居合を続けており、晩年には1日1,000回もの抜き稽古を行なうほどの熱意を持っていたようです。

現代に伝わる居合の流派

長い歴史の中で、居合は様々な流派へと派生していきました。現代までに残る流派では、無双直伝英信流(むそうじきでんえいしんりゅう)と夢想神伝流(むそうしんでんりゅう)が、主要な位置付けとなっています。

無双直伝英信流

無双直伝英信流は、江戸時代の武術全般における達人である長谷川英信(はせがわえいしん)が開いた流派です。長谷川英信流との別名があり、英信流として派生した流派の源流でもあります。

夢想神伝流

夢想神伝流は、現代の居合の祖とも呼ばれる中山博道(なかやまはくどう)が開いた流派です。現在の居合道において、最多の門人を擁する団体となっています。

この両派はともに、全日本居合道連盟の結成時の中核となっています。他にも様々な団体や流派が活動を続けていて、伯耆流(ほうきりゅう)、田宮流(たみやりゅう)、無外流(むがいりゅう)などが知られています。

居合道で使う道具

居合

居合

武道として確立されてからの居合道は、主に座位の状態からの抜刀技術を中心に扱っています。形の演武を行ない、作法や技の正確さなどを判定して勝敗を決する競技です。

他に真剣を扱う武道として「抜刀道」がありますが、抜刀道では試し切りの実践が重視されています。

対して居合道は、真剣を扱いながら、ほとんど試し切りを行なわないことが特徴です。

ここでは居合道で使う道具をご紹介します。

居合道の服装

居合道の服装に関して必要となるのが、帯、襦袢(じゅばん)、道衣(どうぎ)、袴(はかま)の4点。居合道は、心身の鍛錬であるという側面が強いので、まず身だしなみを正しく整えて練習に臨むようにしましょう。きちんとした服装で練習することが上達への近道です。

居合道で使用する刀

居合道において真剣を用いるときは、五段以上の段位を有していることがほとんどですが、実際の物理的な斬撃に真剣を使用することはほぼありません。したがって、稽古を始めたばかりの方は「居合刀」(いあいがたな)、「居合練習刀」と呼ばれる道具を用いて練習することになります。

居合刀と模造刀の違い

ここで注意しなければならないのが、居合刀と模造刀(もぞうとう)の相違点。両方とも刃を備えていないことが特徴ですが、大きな違いがあります。

模造刀とは、主に鑑賞を目的とした刀で、柄の素材は強度がそれほど高くない樹脂を使っている場合もあります。対して居合刀は、激しい稽古にも耐えられるような耐用強度を保持していることが特徴です。居合刀は刀身が合金で作られていることが多いので、手入れには刀油が必要となります。

なども稽古を想定して作られていますので、初心者の方はこうした道具を揃えておくことがおすすめです。

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