乗物の基礎知識

車/牛車

文字サイズ

「乗物」(のりもの)には、人が担ぐ、または腰の高さに手で提げるタイプの他に、車輪が付いて動物が牽くタイプがあります。これらは主に上流階級の者が使用し、風雅な装飾が施されていました。「車」または「牛車」(ぎっしゃ/ぎゅうしゃ)と呼ばれるこれらの乗物には、どのような種類があり、どんな目的で用いられたのでしょうか。

牛車の乗り方

「牛車」(ぎっしゃ/ぎゅうしゃ)は、牛に引かせた2輪車のことで、人が乗る「屋形」(やかた)の両側に車輪と、車を牽くための2本の轅(ながえ)を取り付け、その先に付けられた軛(くびき:牛馬の首に当てる横木)を牛の首に懸けて引かせる乗物のことです。

人が乗る屋形は「車箱」(くるまばこ)とも呼ばれ、屋形を付けた車を「ぎっしゃ」と言い、屋形のない荷物運搬用の車を「ぎゅうしゃ/うしぐるま」と呼びます。通常は4人乗りですが、2人や6人で乗ることもありました。

屋形(車箱)の前後は出入口になっており、通常は後ろの入口から乗り、牛を外したあと、前から降ります。また、乗降口には簾(すだれ)を垂らし、牛車の簾の内側に布製の下簾(したすだれ:簾の下から外部に長く垂らした絹布)を垂らしている牛車もありました。

牛車で移動する際は、周りに20人程度の人々が付いてまわり、騎馬で牛車を先導する者を「随身」(ずいじん)、威儀を整えるために同行する者を「舎人」(とねり)、傘や雨皮(あまがわ:雨のとき牛車にかける覆い)を持ったお供を「牛飼童」(うしかいわらわ)と言います。

なお、牛車を格納して置く施設は「車宿」(くるまやどり)、乗車する場所を「車寄」(くるまよせ)と呼ばれていました。

牛車の各部名称

牛車の各部の名称は、下記の通りです。

牛車の各部名称

牛車の各部名称

牛車の種類と概要

どの牛車も基本的な構造は変わりませんが、その時代ごとの文化を反映した仕様や装飾となっており、身分や格式によって、使用できる車も異なりました。ここでは、牛車の主な種類と特徴を紹介します。

牛車の種類と特徴
名称
(※格式順)
使用者 特徴 時代
唐廂車
(からびさしのくるま)
太上天皇、
皇后、東宮、准后、
親王、摂政、関白
牛車の中で最高級の車。下簾は唐花や唐鳥の繍。 平安時代中~後期
雨眉車
(あままゆのくるま)
院、親王、
摂関大臣、
執政、太政大臣
牛車の中で高級な車。簾や下簾の帳が青色。 鎌倉時代
檳榔毛車
(びろうげのくるま)
四位以上の公家 檳榔(びんろう)の葉を細かく裂いた糸に屋根を葺いた車で物見が付いていない。 平安時代初期
糸毛車
(いとげのくるま)
青色毛車
皇后、中宮、東宮、
准后、親王、執政
紫糸毛車
女御、女御代、
更衣、典侍
赤色毛車
賀茂祭の女使
屋形の表を絹の色糸で覆い、金銅のか文(かもん)で飾られている。 平安時代初期
半蔀車
(はじとみぐるま)
院、摂政、親王、
大臣など、
大将以上の者
屋形の横にある物見窓が引き戸ではなく、外側に押し上げる半蔀(はじとみ)となっている。 鎌倉時代
網代車
(あじろぐるま)
常用
四位、五位、中将、
少将、侍従
遠行
大臣、納言、
大将以上
青竹の細割(または檜の薄い板状の物)を張った車の総称。 平安時代初期
八葉車
(はちようのくるま)
地下の諸太夫、
大臣、公家
屋形の網代を黄緑に塗り、屋形と袖には8つの葉の模様(九曜星)が描かれている。 平安時代
中~後期
「唐廂車」(からびさしのくるま)
唐廂車

唐廂車

牛車のなかで最高級の車で、上皇、摂政、関白などが晴れの舞台で使用する大型の車。

屋形の軒が中央部は弓形で、左右両端が反り返った曲線状の唐破風(からはふ)に似たつくりになっていることから、別名「唐車」(からぐるま)とも言います。

屋根や廂(ひさし)、腰には、「檳椰樹」(びんろうじゅ)の葉を用い、袖は彩色が施されています。

また、「蘇芳簾」(すおうのれん)という黒味を帯びた赤色の簾を、屋形の前後と物見(屋形の左右にある窓)に付け、下簾は唐花(からはな)や唐鳥(からとり)の文様となっているのが特徴。

普通の大きさの車に乗降する際は、車の轅(ながえ)の軛(くびき)を支える台である「榻」(しじ)を踏み台として使い、大型の車の場合は、「桟」(はしたて)と呼ばれる梯子を使用しました。

「雨眉車」(あままゆのくるま)
雨眉車(雨皮を装着した図)

雨眉車(雨皮を装着した図)

現代で言う高級車にあたり、唐廂車と同様、屋形の軒が唐破風に似たつくりで、簾や下簾の帳も青色で、上方は淡く裾にいくほど染めが濃くなる「裾濃」(すそご)になっているのが特徴。

雨天の際は、生絹(すずし)を浅葱に染めて油をひいた雨皮(あまがわ)を掛けます。

主に、院、親王、関白、摂政、太政大臣などが直衣(のうし:天皇以下、貴族の平常の服)を着たときに使用していました。

「檳榔毛車」(びろうげのくるま)
檳榔毛車

檳榔毛車

白く晒した檳榔(日本の暖地に生息するヤシ科の常緑高木)の葉を細かく裂いた糸に屋根を葺いた車で、左右の物見は付いておらず、軒や袖は格子となり、前後に付いた簾と下簾は蘇芳簾という黒味を帯びた赤色で、下簾は裾にいくほど染めが濃くなる裾濃となっているのが特徴。

上皇、親王、摂政、関白、公卿以下四位以上の上級貴族が乗用した他、入内する女房(にょうぼう:身分が高い部屋持ちの女官。)や高僧にも用いられました。

「糸毛車」(いとげのくるま)
糸毛車

糸毛車

糸毛車は、別名「毛車」(けぐるま)とも呼び、屋形の表を絹の色糸で全体を覆い、金銅のか文(円のなかに唐花が入っている文様)でところどころに飾り、屋形の下部や前後の庇(ひさし)に房を垂らしているのが特徴。

また、物見はなく、下簾は二筋に大きく垂れ、内側には朱格子になっています。

上流貴族の女性しか使用ができず、青糸毛を使った「青糸車」は皇后、中宮、東宮、准后、親王、執政などが使用し、紫糸毛を使った「紫糸車」は女御、女御代、更衣、典侍、尚侍が使用しました。

なお、赤糸毛を使った「赤糸車」は、「葵祭」(賀茂祭)の際に女使が使用したとされています。

「半蔀車」(はじとみぐるま)
半蔀車

半蔀車

屋形そのものは檜の薄い板を編んでおり、屋形の横にある物見窓が引き戸ではなく、外側に押し上げる半蔀(日光や風雨を遮るための板戸)となっているのが特徴。

「網代車」のひとつで、別名「捧げ半蔀車」とも言われています。

主に、上皇・親王、院、摂関・関白、大臣、対象以上、女房が日常用として使用しました。

「網代車」(あじろぐるま)
網代車

網代車

青竹の細割(または檜の薄い板状の物)を斜めに組んで屋形を張った車の総称。

官位、家格、年齢等の違いによって乗用する車の仕様が異なり、大臣が乗る車は「袖白の車」または「上白の車」と言い、袖表や棟表は白く、家紋が付いているのが特徴。

また、棟、袖、物見の上に文様を描いた車を「文の車」(もんのくるま)と呼びます。

網代車は、袖や立板などに漆で絵文様を描いた物が多く、加工や彩色も多様にできることから、屋形の形や物見の大小、時代の趣向などによって、様々な車に発展し、牛車の主流となりました。

「八葉車」(はちようのくるま)
八葉車

八葉車

網代車のひとつで、屋形の網代を萌黄色に塗り、屋形と袖には8つの葉の模様(九曜星)が描かれているのが特徴。

文様の大小により、「大八葉車」や「小八葉車」と呼ばれ、前者の大八葉車は、親王や公卿、高位の僧が用い、後者の小八葉車は少納言・外記などの中流貴族、女房などが使用しました。

真言宗の九曜星曼荼羅信仰では、九曜星の模様は「身を守護するもの」とされ、牛車にも交通安全のお守りとして描かれるようになったと言われています。

車/牛車

車/牛車をSNSでシェアする

「乗物の基礎知識」の記事を読む


乗物の歴史と女乗物

乗物の歴史と女乗物
日本の乗物は、奈良時代の「輿」(こし)から始まり、平安時代には貴族社会による「牛車」(ぎっしゃ/ぎゅうしゃ)を中心とした車文化が発達しました。 鎌倉時代から戦国時代にかけては、武家社会による輿や「騎馬」文化が主流となり、江戸時代に入ると「駕籠」(かご)文化へと移行。上級階級しか乗れなかった乗物が、庶民層まで幅広く使用されるようになりました。 ここでは、時代と共に変化してきた「日本の乗物」について、その歴史と特徴と共に、大名家の婚礼調度である「女乗物」(おんなのりもの)についてご紹介します。

乗物の歴史と女乗物

乗物と駕籠

乗物と駕籠
時代劇などで最も良く目にする乗物(のりもの)と言えば「駕籠」(かご)と、高級な駕籠である「乗物」ではないでしょうか。その種類は、利用する人の身分によって厳格に定められており、また目的や利用方法によっても呼び方が変わりました。乗物と駕籠の違いについて、そして種類ごとの特徴などを詳しく解説していきます。

乗物と駕籠

輿

輿
「日本書紀」などの文献に記された奈良時代から、江戸時代までの日本における「乗物」について、種類ごとにご紹介。時代の移り変わりや人々の暮らし、思想までを垣間見ることができる乗物には、どのような種類があるのでしょうか。 さらに、主として上流階級の人々の乗物であった「輿」(こし)について、そのタイプや装飾が持つ意味などを詳しく解説します。

輿

注目ワード
注目ワード