皇族と浮世絵

明治天皇と浮世絵

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徳川家が打ち立てた江戸幕府が、1867年(慶応3年)に「大政奉還」(たいせいほうかん)を行なったことで、日本の統治権は武家から返還され朝廷に移りました。1868年(明治元年)に「明治天皇」を元首とする政府が発足し、日本は立憲君主制となります。首都が東京に定められた1869年(明治2年)、政府は京都から東京に移され、本格的に始動しました。
新しい時代「明治」の幕開けを、浮世絵師は、鮮やかな赤を基調とする色彩を背景として明治天皇を描き、浮世絵を華やかに演出します。浮世絵は、多色刷りの木版画で量産され、「錦絵」(にしきえ)として完成形に至りました。どの浮世絵も、明治天皇が中心となって新たな日本を推進していこうという勢いにあふれています。

皇族浮世絵皇族浮世絵
明治天皇などの皇族を描いた「皇族浮世絵」をご覧頂けます。

万世一系の天皇制「本朝拝神貴皇鏡」

浮世絵の中心には、椅子に座り、洋装の礼服を着用した明治天皇。明治天皇の前には、「十二単衣」(じゅうにひとえ)の正装姿で、皇后である「昭憲皇太后」(しょうけんこうたいごう)が腰を落ち着けています。明治天皇を人々が輪になって取り囲み、見守っているかのようです。

明治天皇の周囲にいるのは、過去の天皇と神々。神々は、すその長い神御衣(かむみそ)を身にまとい、過去の天皇は、冠(かんむり)を頭にのせ、公式の衣服である束帯(そくたい)姿です。

本浮世絵は、天皇家の系統が永久にひとつの血筋で続いていくという、「万世一系」(ばんせいいっけい)を示しています。神話の時代から明治時代に至るまで、一度として途絶えることなく引き継がれてきた「天皇」という地位を、明治天皇が継承したことを表現した浮世絵です。

さらに、明治天皇の天皇継承が正統である点を、日本古来の神々が認め肯定している浮世絵となります。

明治天皇の背後に立つ3柱の神のうち、最も高い場所にいるのが「国常立尊」(くにのとこたちのみこと)。天皇と朝廷の起源について説明した「日本書紀」(にほんしょき)によると、天と地が分かれてこの世界が始まった「天地開闢」(てんちかいびゃく)の直後、最初に出現した神です。

国常立尊をはじめ、浮世絵の後列に並ぶのは、神話の時代から日本の創生にかかわってきた神々で、初代天皇の「神武天皇」(じんむてんのう)も、神々と同じ衣装で並び右端に位置しています。

日向(ひゅうが:現在の宮崎県)で、住まいとしていた「高千穂宮」(たかちほのみや)を出た神武天皇は、天下を治める最適の地を求めて美々津(みみつ:宮崎県南部の地域)から船で大海へと旅立ちました。

紀伊(きい:現在の和歌山県)の熊野に漂着し、大和(やまと:現在の奈良県)に入ったのちに「橿原宮」(かしはらのみや)で即位した神武天皇は、初代天皇になります。

神武天皇が握る長弓から羽ばたこうとしているのは、金色の光を放つ鵄(とび)。霊力を秘めた鵄とされ、神武天皇に力を貸して日本建国へと導きました。

本浮世絵では、建国から明治に至るまで幾世を経ているはずであるのに、建国の父である初代の神武天皇と、天皇の地位に就いたばかりの明治天皇が、向かい合って対面しているのは同じ場所、共に過ごしているのは同じ時間です。2人の天皇を周囲で取り巻く神々のまなざしは、平安末期から明治となるまで、長らく武家による統治が続いてきた苦難の時代にあっても、朝廷や天皇を見守り続けてきた慈愛に満ちています。

過去の歴代の天皇も、明治天皇と同じ画面で登場しています。歴代の天皇も神々と同じく、明治天皇を輪の中心に据えて、新しい時代を迎える日本を託そうとしています。天皇の王政が復活した明治という時代への限りない期待が込められた、珠玉の浮世絵です。

富国強兵「観兵式御幸図」

1853年(嘉永6年)に、アメリカのペリー提督率いる巨大な軍艦4隻が、浦賀(神奈川県横須賀市)に来航して江戸幕府に開国を迫って以来、軍事力で劣る日本は、アメリカやイギリス、フランスといった欧米の国々からの圧力に屈し、不利な条件が並んだ不平等条約の数々を締結しました。条約の締結により、それまで鎖国していた日本は開国に至り、欧米の国々に都合の良い交易を強いられる状況となります。

危機感から欧米諸国と軍事力で肩を並べるために、幕府を倒し実権を握った明治政府は、「富国強兵」(ふこくきょうへい)を目標に掲げました。軍事力の強化と同時に、経済発展によって国力を増強し、欧米と同じ近代国家を目指す道を歩むのです。

本浮世絵は、軍兵の統率を明治天皇が巡視する「観兵式」(かんぺいしき)の様子を描いています。馬に乗った将官が、白馬の明治天皇を最敬礼でお出迎えです。

明治天皇は、立法や行政、司法といった国務の重要な権限を掌握している上、陸軍と海軍を指揮し統率する権限を与えられている最高司令官「大元帥」(だいげんすい)でもありました。戦時、軍に直接の司令を下す立場の明治天皇が、兵隊の規律や態度、姿勢を正す目的で実施していたのが観兵式です。

紅と白に彩られた旗を掲げた騎馬隊と、整列した兵隊の間にできた空間の奥に見える白亜の洋館は「鹿鳴館」(ろくめいかん)。本浮世絵が描かれた1885年(明治18年)当時、鹿鳴館は、観兵式を行なっている日比谷練兵場(現在は日比谷公園東京都千代田区)周辺を代表する建造物です。外国からの賓客や外交官をもてなすための社交場だった鹿鳴館では、洋装で着飾った男女が踊り明かす舞踏会や、明治天皇の誕生日を祝賀するパーティーなども行なわれました。

現在では、東京の中心街を象徴する高層ビルに囲まれた日比谷公園ですが、明治時代当時の状況を知る上でも、本浮世絵は、貴重な資料となっています。

殖産興業「上野公園地第三回内国博覧会之図」

明治政府は、欧米諸国と同等の産業技術と経済水準、軍事力を備えた近代国家を目指した「明治維新」により、「殖産興業」(しょくさんこうぎょう)と富国強兵を掲げて近代化を推進しました。

とりわけ産業技術の育成や発展を目指して掲げられたのが、殖産興業です。本浮世絵で描かれている「内国博覧会」(正式には内国勧業博覧会)は、殖産興業を推し進めて欧米から導入された産業技術の成果を国内外に披露する目的を持っています。

1877年(明治10年)から1903年(明治36年)までの期間で5回の開催を数え、明治天皇も観覧した内国博覧会は、回を重ねるごとに入場者数を増やし、本浮世絵の上野公園(正式には上野恩賜公園東京都台東区)で開かれた第3回では、4ヵ月の開催期間で入場者は100万人を超えました。誘致に重点が置かれたため、外国人客も多く訪れています。

本浮世絵では描かれていませんが、第3回内国博覧会は、日本で初めて電車が走った機会となりました。2両のアメリカ製路面電車が、会場内で450mの距離を走行。体験乗車を行なった来場者は、最新の産業技術に衝撃を受けます。当時から、博覧会は多数の人々が関心や期待を伴って、大勢詰めかける祭典でした。

新しい時代と浮世絵

浮世絵は時代の世相を反映し、当時の文化や風俗、情緒などを浮かび上がらせています。明治天皇が登場する浮世絵でも、明治という新しい時代に期待を寄せる人々の切望が、明治天皇の姿、緊張感みなぎる観兵式の様子、内国博覧会の情景などを通じて描写されているのです。

明治天皇と浮世絵

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