拵・刀装、刀装具

目貫の図柄

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様々な部位で構成されている日本刀の刀装具の中でも、横幅が3cmほどしかない小さな「目貫」(めぬき)。もともと目貫は、「茎」(なかご)に設けられた穴に挿し通し、刀身が「柄」(つか)から抜け出ないように固定するための「目釘」(めくぎ)の両端を留める役割を果たしていました。
しかし目貫と目釘は、時代が降る(くだる)につれて分離されるようになり、目貫は、柄を握る際の手溜まり(てだまり)に安定感をもたらすだけでなく、柄を華やかに彩る飾り金具として、そのデザイン性が高められていったのです。
目貫の意匠のなかでも、戦国武将達に最も好まれ、多く用いられていたのが、繁栄や幸福を意味する「吉祥文様」(きっしょうもんよう)の図柄。戦国武将達は、そのような意匠を自身の日本刀に装着することで、合戦の勝利や家の存続、発展といった願いを託していたのです。
ここでは、小さな目貫の世界に自由な発想で施された、多種多様な意匠にはどのような意味があるのか、また、どのような想いが込められていたのかを観ていきます。

武将・武具編

天下統一を目指して戦を繰り返していた武士達のいちばんの願いは、やはり誰よりも強くなりたいということ。そのため、戦に不可欠な武器である日本刀に小さな華を添える目貫に、数々の武功を挙げた武将や豪壮な逸話がある合戦、そして武具などが、その意匠の題材として多く取り上げられています。

弓矢図(ゆみやず)
弓矢図

弓矢図

弓矢は武具の一種ですが、その意匠は、古来魔除けや幸運を招き入れる象徴としても用いられていました。

「弓馬の道」(きゅうばのみち)と言われるように、戦国武将は、弓矢を必須の武芸として巧みに扱えるように鍛錬しており、「徳川家康」や「今川義元」(いまがわよしもと)は「海道一の弓取り」という異名を取っています。

このようなことから、戦国武将にとっての弓矢の意匠は、強い武士でありたいという願いが込められていたと考えられます。

清正公図(せいしょうこうず)
清正公図

清正公図

本目貫の意匠には、戦国時代でいちばんの武勇を誇る名将「加藤清正」(かとうきよまさ)の姿が用いられています。

加藤清正は、古書を愛読するなど知識もかね備えた、文武両道で知られる武将。

また、その没後には、加藤清正が熱心な信徒となって保護していた法華宗(日蓮宗)を中心に、加藤清正を祀って所願成就を祈る「清正公信仰」が広がっていました。

清正公の意匠は、そんな加藤清正の誉れにあやかれるように、武士のあいだで尊ばれていた図です。

俵藤太図(たわらとうたず)
俵藤太図

俵藤太図

「俵藤太」(たわらのとうた/たわらとうた)とは、平安時代中期の下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)の豪族であった「藤原秀郷」(ふじわらのひでさと)の別称。

俵藤太は、939年(天慶2年)の「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)に「平貞盛」(たいらのさだもり)と共に出陣し、翌年には平将門を討って乱を平定しました。

本目貫の中央に施されているのは、百足(むかで)の意匠。

これは俵藤太が、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)の三上山(みかみやま)から襲来する百足を退治した伝説に基づいて描かれています。

そんな俵藤太の豪傑ぶりに憧れを抱く武将が多かったのか、目貫や(つば)などの刀装小道具に、多く用いられている意匠です。

宇治川先陣図(うじがわせんじんず)
宇治川先陣図

宇治川先陣図

本目貫は1184年(寿永3年)、「源義経」(みなもとのよしつね)とその従兄弟にあたる「木曽義仲」(きそよしなか)のあいだで勃発した「治承・寿永の乱」(じしょう・じゅえいのらん)における戦いのひとつ、「宇治川の戦い」(うじがわのたたかい)での一場面がモチーフになっています。

それは、源義経勢であった「佐々木高綱」(ささきたかつな)と「梶原景季」(かじわらかげすえ)が、「源頼朝」(みなもとのよりとも)より賜った名馬「生唼/生食」(いけずき)と「磨墨」(するすみ)に跨り(またがり)、宇治川で先陣を争った場面。

対岸には、木曽義仲の軍が待ち構えており、佐々木高綱と梶原景季は、敵陣への一番乗りとなって武名を挙げようと、夜明けの宇治川の中を我先にと進んでいったのです。

本目貫のような宇治川先陣の図案は、刀装小道具ではよく用いられる意匠。激流をものともせず先陣争いを繰り広げた両者のように、どんな逆境にも勇猛果敢に突き進む武士でありたいという願いが込められています。

伝統芸能編

名将と評される武将になるには、文武両道という言葉があるように、武芸に秀でていることはもちろん、文芸や芸事にも心得がなければなりませんでした。和歌や茶の湯、そして伝統芸能などをたしなみ教養を高めることが、戦で勝利するために必要な知略を巡らすことに繋がっていたのかもしれません。

このような背景から、目貫の意匠には芸術に関する様々なモチーフが用いられています。なかでも「能」は、神仏に関連する演目が多い伝統芸能のひとつ。そのため、戦場においてそのご加護を受けたいという願いを込めて、能面の意匠を配した目貫がよく観られます。

翁面図(おきなめんず)
翁面図

翁面図

能楽の演目「翁」(おきな)でかける「翁面」を象った(かたどった)目貫です。

翁では、老人の顔を模した翁面を役者がかけることで、神に変身して天下太平を祈祷し、御代(みよ:天皇の治世)が続くことを祝福する舞を舞います。

翁は、神事芸能の側面が強い演目であるため、「能にして能にあらず」と評されていますが、翁面はその内容から神の面として神聖視されている、知恵と平穏の象徴。さらには、五穀豊穣や長寿を約束する縁起の良い意匠です。

般若面図(はんにゃめんず)
般若面図

般若面図

「般若面」(はんにゃめん)は能面の一種で、大きく裂けた口と2本の角(つの)を持ち、憎しみや嫉妬が籠もった女性の表情、いわゆる「鬼女」(きじょ)の面です。

「般若」の起源には諸説ありますが、そのうちのひとつが、「源氏物語」に由来する説。

主人公「光源氏」(ひかるげんじ)の正妻「葵の上」(あおいのうえ)が、嫉妬心に駆られた光源氏の愛人「六条御息所」(ろくじょうのみやすどころ)の生霊に取り憑かれた際に、「般若経」を読んで退治したことから、般若を面の名称に用いるようになったと伝えられているのです。

そのため、般若面の意匠には、厄除けや魔除けといった意味が込められています。

越後獅子図(えちごじしず)
越後獅子図

越後獅子図

別名「角兵衛獅子」(かくべえじし)とも呼ばれる「越後獅子」(えちごじし)は、越後国西蒲原郡月潟村(えちごのくににしかんばらぐんつきがたむら:現在の新潟県新潟市南区)を発祥地とする、獅子舞の郷土芸能。

獅子頭(ししがしら)をかぶった子ども達が同地を出て諸国を回り、親方が演奏する笛や太鼓の音に合わせて、曲芸や踊りなどを門付(かどづけ:人家の門口に立って芸を披露し、金品をもらい受ける形式の芸能)して歩き、江戸や上方の市中で人気を博しました。

可愛らしい印象を受ける越後獅子の意匠には、魔除けの意味があるだけでなく、本目貫の所有者の1日が佳き(よき)ものになるようにとの願いも込められています。

植物・動物(想像上の生き物を含む)編

植物が目貫などの図柄に用いられた背景のひとつは、古くより日本の人々が四季に親しみ、その季節に合った植物をもって、四季折々の美しさを表現してきたことにあります。

日本文化のなかでの植物は、短歌に詠まれたり、文学作品の題材として取り上げられたりしていましたが、日本刀の目貫の意匠においても、それは例外ではありませんでした。武器であった日本刀の目貫に植物の意匠をあしらうことで、心が荒ぶる合戦の場での癒しとしていたのかもしれません。

また、動物の意匠に用いられていたのは、実在する動物のみならず、古代中国では吉祥文様として伝わっていた龍など想像上の生き物。獰猛で勇敢なイメージのある獣を目貫の意匠とすることで、武将としての強さを表していたのです。

桃図(ももず)
桃図

桃図

「桃」の花言葉には、「長命」や「比類なき素質」などがありますが、古くから日本では、桃には邪気を祓う(はらう)力があると信じられていました。

また、古代中国において、「崑崙山」(こんろんざん)に住む天地宇宙の創造主「西王母」(せいおうぼ/さいおうぼ)が、3,000年に1度だけ実を結ぶ大樹の果実「蟠桃」(ばんとう)を、前漢の「武帝」(ぶてい)に授けた伝説があります。

この蟠桃に不老不死の効果があったとされることから、桃の実は縁起の良い吉祥文様として用いられている意匠です。

燕子花図(かきつばたず)
燕子花図

燕子花図

本目貫に観られるような植物の「燕子花」(かきつばた)の意匠は、刀装小道具のモチーフに多く用いられています。

燕子花と言えば、歌物語である「伊勢物語」の一節に、平安時代の貴族であり歌人でもあった「在原業平」(ありわらのなりひら)が詠んだという「唐衣[からころも] きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」という和歌が有名。

一見すると燕子花とは何の関係もないように思える和歌ですが、5・7・5・7・7の句頭を1文字ずつつなげると、「かきつばた」の5文字になるのです。これは「折句」(おりく)と呼ばれる言葉遊びのひとつであり、本目貫の所有者、もしくは制作者が雅な趣を持つ、風流な人物であったことが窺えます。

牡丹図(ぼたんず)
牡丹図

牡丹図

「牡丹」(ぼたん)は、他の花を圧倒するほどの豪華さと気品が漂っていることから、別名「花王」(かおう)や「花神」(かしん)などと呼ばれています。

その美しさは、大正時代の歌人「木下利玄」(きのしたりげん)が、「牡丹花[ぼたんか]は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ」という短歌を詠んで、整然と咲き誇る牡丹の姿を表現したほどです。

また、文様や意匠としての牡丹は、富貴や名誉の象徴であり、「丹」の字に「不老長寿の薬」という意味があることから、吉祥文様として武家の家紋などにも用いられていました。

千鳥図(ちどりず)
千鳥図

千鳥図

「千鳥」(ちどり)とは、文字通り「多くの鳥」を意味し、本目貫に施されているのは、3羽の鳥が連なる意匠。

鳥は、「富貴を運ぶ」とされる吉祥文様で、本目貫のように群れを成している姿も好まれています。

また、千鳥の意匠は、まるで家族のようにも観えることから、家内安全や夫婦円満の願いが込められているとも言われ、さらには千鳥の読みが「千取り」に通じる語呂合わせから、多くの幸せを手に入れるとして、戦いの勝利を祈願する意味としても用いられています。

眠り獅子図(ねむりじしず)
眠り獅子図

眠り獅子図

「獅子」(しし)の図案は、古代ペルシャやインドなどで霊獣として文様化され、中国を経て日本に伝わった意匠です。

勇猛で強いイメージのある獅子は、厄除けの象徴として用いられ、刀装小道具においては、本目貫のような大きな目と渦毛を持つ獅子が多く観られます。

また、太陽の力を宿すと言われる獅子は、「3人寄れば文殊の知恵」ということわざでも知られる「文殊菩薩」(もんじゅぼさつ)を表すともされ、その優れた英知を授かりたいとする願望が込められた目貫です。

象図(ぞうず)
象図

象図

仏教では、「象」は仏や菩薩の使いとされ、大地をしっかりと踏みしめる姿から、「実行力」の象徴になっています。

なかでも「普賢菩薩」(ふげんぼさつ)は、白い象の背に乗って現れると伝えられ、慈悲や修行の徳などを司っていることから、象の意匠は、招福開運や神仏加護などの願いが込められた吉祥文様です。

このような仏教の影響により、日本でも象の存在は知られており、日本に象が渡来した最も古い記録は、1408年(応永15年)であったことが確認できています。

それから江戸時代まで、7回にわたって象が日本へ渡来。江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)の注文によって、1728年(享保13年)にベトナムから来日した象は、「中御門天皇」(なかみかどてんのう)と「霊元上皇」(れいげんじょうこう)に謁見するために、「広南従四位白象」(こうなんじゅうしいはくぞう)という位階と姓名を賜っています。

龍図(りゅうず)
龍図

龍図

中国から伝来した想像上の生き物である「龍」は、古来日本では吉祥文様に用いられている意匠。

その種類は様々ありますが、特に「昇り龍」は、仏教用語「上求菩提」(じょうくぼだい:菩薩が上に向かって悟りを求めること)を表すとされ、修行に励むことで自身の人間性を向上させたいという願いが込められています。

また、昇り龍と一対で用いられることが多い「降り龍」(くだりりゅう)は、同じく「下化衆生」(げけしゅうじょう:命あるすべてのものを救済し、悟りに至らせること)に相当し、人のために尽くしたいとする意思を表す意匠です。

その他編

江戸時代に入って戦のない平穏な世の中になると、目貫をはじめとする刀装小道具の意匠は、自由度が高くなっていきます。それまでのように、吉祥文様として験(げん)を担ぐ意匠はもちろん、制作者、及び所有者の好みや願いに合わせて、多彩なモチーフが観られるように。

そのなかでも、江戸時代中期にあたる元禄頃に台頭した金工師「横谷宗珉」(よこやそうみん)は、江戸幕府のお抱えとしていわゆる「家彫り」(いえぼり)を行なっていた「後藤家」(ごとうけ)に対し、町人文化に繋がる「町彫り」(まちぼり)の租のひとりとして活躍。常識に囚われずに自由な作風を求め、絵画のように豪壮華麗な表現を得意とし、巷で人気を博しました。

薬玉図(くすだまず)
薬玉図

薬玉図

「薬玉」(くすだま)は、現代では祝いごとなどで用いられる華やかな割り玉がイメージされますが、本目貫のモチーフになっているのは、香りの良い香草や薬草などを錦の袋に包み、それに菖蒲などを球状に結び付け、5色の糸を長く垂れ下げた飾り物のこと。

薬玉は、平安時代から観られ、「枕草子」には、端午の節句に飾られたことが出てきます。

同音で「久寿玉」とも表記され、邪気を払って無病息災や長寿を願う、縁起物の意匠です。

束ね熨斗図(たばねのしず)
束ね熨斗図

束ね熨斗図

現代において「熨斗」(のし)と言えば、贈答品やご祝儀の進物などに添える、紙で作られた飾り物のことを指します。

しかし、もともと熨斗は、鮑(あわび)の肉を薄く剥ぎ、細長く伸ばして干した「熨斗鮑」を、六角形に折り畳んだ色紙の中に包んだ物だったのです。

束ね熨斗は、お祝いごとの象徴である熨斗を束ねていることから、多くの人達からの祝福を受けるだけでなく、周りの人達とその幸運を分かち合う意味が込められている吉祥文様。そのため、目貫だけではなく、花嫁衣装やお宮参りの着物などのがらにも用いられるおめでたい意匠です。

牛車図(ぎっしゃず)
牛車図

牛車図

「牛車」(ぎっしゃ)は平安時代以降、天皇や貴族などに用いられ、豪華な装飾が施されていた乗り物。

そのため、牛車をモチーフとした文様や意匠は、高貴の象徴です。

牛車は別名「御所車」(ごしょぐるま)と言い、源氏物語にたびたび登場することから、「源氏車」(げんじぐるま)とも呼ばれています。

源氏物語での牛車は、貴族の優雅な雰囲気を思わせる役割を果たしており、その意匠は、優美な風情を持つ平安時代への憧れから作られ、江戸時代頃から盛んに使われるようになりました。本目貫では、宝を運ぶ牛車が描かれており、さらに縁起の良い意匠になっています。

浅妻船図(あさづまぶねず)
浅妻船図

浅妻船図

「浅妻船」(あさづまぶね)とは、琵琶湖畔の朝妻(現在の滋賀県米原市)と大津(現在の滋賀県大津市)とのあいだで航行された渡り船のこと。

水干(すいかん:水張りにして干した布を用いて作った狩衣[かりぎぬ])姿の遊女を乗せた風雅な図は、歌舞伎舞踊や江戸時代の画家である「英一蝶」(はなぶさいっちょう)の絵画、長唄などの題材にもなっています。

名古屋刀剣ワールドの刀装具 YouTube動画

名古屋刀剣ワールドの刀装具~目貫~YouTube動画

刀装具 目貫

目貫の図柄

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日本刀と刀装具

日本刀と刀装具
「刀装具」とは、「日本刀」の外装のことで、元々は刀を守る役割の保護具でした。しかし、時代を経るにしたがい、歴史に名を残す将軍や戦国武将をはじめ、武士階級以外の者もそれぞれの嗜好に合わせた刀装具をあつらえるなどしたため、見た目を意識した物へと変化していったのです。

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刀装具の歴史

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刀装具(鍔・目貫・笄・小柄・鎺・柄・鞘)

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拵とは?

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