武士と日本のマナー

髭と日本の文化

文字サイズ

戦国時代、髭は勇猛さの象徴とされ、戦国武将はこぞって立派な髭を蓄えました。しかし、現代では髭を剃ることがマナーとされています。髭は時代の流れと共に良い物とされたり、悪い物とされたり立場を変えてきたのです。そんな髭にまつわる文化がどのような変遷をたどってきたのか、また現代社会の髭事情なども解説しています。

男らしさを示す武将の髭

源頼朝 肖像画

源頼朝 肖像画

戦国武将の肖像画は立派な髭(ひげ)を蓄えた物ばかりです。

武士の棟梁として最初の武士政権を作った源頼朝の肖像画も、整えられた髭が描かれています。

「太平記」には武士のことを「見るも恐ろしく、むくつけ気なる髭男」という表現をし、髭を武勇の象徴としていたことが分かります。髭のない者は、「女面を見らるることの口惜しさよ」などと蔑まれていました。

戦国時代の武将にとって、髭は武威を誇示するために欠かせない身だしなみでした。権力ある戦国武将でありながら髭が薄いことをコンプレックスにしていた人物が豊臣秀吉です。織田信長が彼に付けたあだ名が「禿げネズミ」とされています。ちょろちょろとした髭がみすぼらしくネズミのようだと、からかっていたようです。

事実、豊臣秀吉は髭の薄さを大変気にしていたようで、晩年の肖像画は付け髭を付けて描かせたと言われています。戦国武将にとって髭が薄いということは恥ずかしいことだったのです。

ほとんどが髭を蓄えていた戦国武将

武田信玄

武田信玄

戦国武将達は、肖像画を観るとほとんどが髭を蓄えています。

有名な肖像画としては、織田信長、豊臣秀吉(付け髭と言われている)、徳川家康の三傑はやはり立派な髭が描かれています。

猛者ぶりが感じられる髭としては、武田信玄毛利元就の肖像画が代表的でしょう。朝鮮出兵での活躍が有名な加藤清正もまた、立派な髭を蓄えています。

髭は勇猛果敢さを示す戦国武将のツールだったと言えます。

江戸時代の髭ブームと禁止令

戦国時代が終わり、1596~1615年の慶長年間には、武士階級全体で髭を剃る習慣が拡がります。武威を誇示する必要性が無くなったからですが、それと比例して下郎や若衆達の間で、おしゃれとしてもみあげ、頬髭が流行り、油を使って髭を整えることがブームになったのです。

江戸幕府は風紀の乱れとして好ましくないと、1670年(寛文10年)には、貴賤上下とも髭を禁止する「大髭禁止令」が発令。それでも髭を伸ばすブームは収まらなかったようで、1686年(貞享3年)に再び禁令が発せられ、髭を伸ばした男達を捕らえて刑罰に処していました。それだけ、庶民の間で髭がおしゃれとしてもてはやされ、なかなかやめられなかったことを表しています。

例外として、老人、修験者などは許されていたようですが、髭自体が社会的には「鈍なる面」と評価されていました。「蝦夷が島の人によく似たり」などと、当時は野卑とされていた北海道及びその付近の島に住む民族が髭を伸ばしていたために、それになぞらえて髭は野卑の象徴と揶揄されるような社会背景があったのです。

大髭禁止令によって、髭に男らしさは求められなくなり、社会秩序を第一とした江戸幕府によって一般的な髭風俗は日本の歴史上一旦姿を消します。

幕末に来日した欧米人を、毛唐などと侮蔑的な言葉で表現していました。髭を蓄える文化があった欧米人を野蛮な存在と見ていたのです。江戸時代には髭を蓄えないことが、品格ある人間とされていたため、髭を伸ばしていた欧米人が野卑な文化の人間と見えたのでしょう。

権威を表す明治時代の髭

江戸幕府崩壊後、明治維新と共に髭風俗が復活します。明治天皇が髭を蓄えたことにより、官僚の間でも髭が大流行しました。断髪と同じ文明開化の一端となったのです。

江戸幕府では野卑とされた髭が、権威権力を表す象徴にとって代わりました。官吏と髭は切り離せないセットのような物として定着していき、社会的地位の高い人ほど、軽く見られることのないように髭を蓄える風潮が生まれたのです。

伊藤博文

伊藤博文

明治維新後の官僚は若い人が多かったのも、髭を蓄えて権威を誇示した理由だとされています。維新後の大久保利通、伊藤博文、山形有朋など、みな立派な髭を蓄えています。

明治政府と衝突して鹿児島に帰った西郷隆盛は、大久保利通の立派な髭に対して嫌悪感を示したと言われています。

質素な生活を尊び、武士道を捨てられなかった西郷隆盛にとって、明治維新によって出世した仲間達の権威誇示は、耐え難い裏切りのようなものであったのでしょう。

現代日本人の髭事情

戦国武将の髭(武威の誇示) → 江戸時代の髭(野卑の象徴) → 明治時代の髭(権威の誇示)へと、変化しながら髭の文化は続きます。

戦時中の軍幹部の髭も象徴的で、やはり権威の誇示が目的であったと考えられます。とは言え戦後に急速に国民が髭を剃った風潮もなく、天皇も政治家も、髭のままの人が多くいました。

戦後日本の髭文化

戦後の日本で髭無しが一般化したのは、高度成長期のサラリーマン達によるものが大きいとされています。1953年の読売新聞には「朝の髭剃りはエチケット」との記述があり、髭剃りがサラリーマンの嗜みとして定着してきました。

1960年代に欧米から始まったヒッピー(制度などそれまでの考え方に縛られた価値体系を否定する)文化が日本に入ってくると、自然への回帰と権力への抵抗を主軸とした、自由な生き方が日本人にも影響を与えます。自然体でいることに意味があった彼らは、長髪に無精髭のヒッピースタイルで存在感を示しました。一部の若者の間で髭を伸ばすことが流行りますが、長続きはしませんでした。反社会的な思想や行動があまりにも日本人には受け入れ難かったからです。

興味深いのは、明治維新後は権威の象徴として利用されていた髭が、今度は権力にあらがう反社会的な人々に利用されたことです。髭は、権威ある者が蓄えてこそ品格が伴う物で、権威無き者が伸ばすと野卑で品のない物として受け取られる日本の文化が存在することが分かります。

最近では、おしゃれのひとつとして、無精髭が許容されつつあります。しかし、接客業やサービス業ではお客様に不快感を与える、という理由から髭を剃るように会社側から指示されます。就職活動をする学生は好印象を与え、常識人であることをアピールするなら髭を剃ることは今でも当たり前のことです。

不祥事に頭を丸める文化が日本にはあります。髭を剃ることによって謝罪の気持ちを表すのは、権威や武威を誇るための髭のままでは無礼であるからです。髭が権威を表していた時代の意識が今もなお日本人に根付いているからなのでしょう。

髭と日本の文化

髭と日本の文化をSNSでシェアする

「武士と日本のマナー」の記事を読む


連歌の基礎知識

連歌の基礎知識
「連歌[れんが]と盗人[ぬすびと]は夜が良い」、こんなことわざを聞いたことがありますか。「連歌」とは、複数人が集まってリレー形式で和歌を詠む、日本に古くからある詩歌の様式のひとつ。そしてこのことわざは、人々が寝静まった夜に「仕事」をする盗人を引き合いに出して、連歌を詠む(よむ)のも静かで落ち着いた夜が良いということを言っています。 このように連歌を含む和歌(わか)は、どこか風流で雅なイメージを持たれることが多いため、貴族だけが嗜んでいたと思われるかもしれません。しかし実際には、戦国武将にも馴染み深い文化でした。そのなかでも連歌は、戦国武将が乱世を生き抜くために欠かせない、重要なツールでもあったのです。 ここでは、連歌に関する基礎知識をご説明すると共に、戦国武将にとっての連歌がどのような存在であったのかについて解説します。

連歌の基礎知識

握手の文化と日本

握手の文化と日本
海外の一般的な挨拶は「握手」ですが、日本の一般的な挨拶は「お辞儀」です。日本に握手の文化が入ってきたのは幕末から明治にかけてと言われていますが、なぜ日本では握手が定着していないのでしょうか?握手の歴史や現代で握手を行なうケースなどを解説し、握手の文化と日本の関係性について掘り下げていきます。

握手の文化と日本

五月人形と鯉のぼりの由来

五月人形と鯉のぼりの由来
「こどもの日」は、鯉のぼりや甲冑(鎧兜)、五月人形を飾る他、柏餅や粽(ちまき)などを食べて家族でお祝いする祝日です。しかし、元々こどもの日は宮中行事でした。宮中行事が一般にも知れ渡り、時代とともに変化して現在の形となったのです。そんなこどもの日がたどってきた変遷について解説していきます。

五月人形と鯉のぼりの由来

江戸幕府から始まった上下関係を明確にする文化

江戸幕府から始まった上下関係を明確にする文化
現在の日本では変化しつつある「年長者が偉い」という年功序列の文化。昔から日本人は上下関係を重んじており、江戸時代には、武士が最も身分が高い士農工商の身分制度がありました。上下関係を重んじる日本人の意識は、なぜ普及したのでしょうか。昔の身分制度の話題を交えて解説していきます。

江戸幕府から始まった上下関係を明確にする文化

元服とは

元服とは
日本に古くから伝わる様々な儀式や習慣は、時代の移り変わりとともに形を変えながら受け継がれているものが多くあります。 なかでも「成人式」は、年齢的にも社会的にも一人前の大人として認められる人生の節目のひとつ。成人年齢が20歳と定められたのは明治時代のことですが、それ以前から日本では「元服」(げんぷく)と呼ばれる成人の儀式が行なわれていました。 現代の成人式にあたる元服とはどのような儀式だったのでしょうか。

元服とは

10大家紋とは

10大家紋とは
家紋とは、家の格式や権威を表す印のことです。武士が合戦に使った甲冑(鎧兜)や刀、幟(のぼり)などに刻印されていました。徳川家の「三つ葉葵」や真田家の「六文銭」は、歴史好きにとってお馴染みの家紋なのではないでしょうか。そんな家紋の起源や「10大家紋」についてご紹介していきます。

10大家紋とは

座布団のマナーは武士の名残

座布団のマナーは武士の名残
客人として招かれた際、座布団は家の人に勧められてから座るのがマナーなのはご存知でしたか。勧められる前に座ってしまうと、「家の人よりも自分の方が格上」という意志表示になり失礼にあたるためです。そんな座布団のマナーの根底にあるのが、格を重んじる武士道の精神。ここでは座布団と武士の関係性についてご紹介していきます。

座布団のマナーは武士の名残

畳の縁を踏んではいけない理由

畳の縁を踏んではいけない理由
畳の長辺に縫い込まれた布の部分を「縁」(へり)と言います。畳の上を歩くとき、縁を踏むことは昔から御法度とされてきました。「縁を踏むと畳が傷みやすい」というのも理由のひとつですが、実は他にも様々な理由があるのです。なぜ畳の縁を踏んではいけないのか、畳のマナーについて解説していきます。

畳の縁を踏んではいけない理由

武家茶道とは

武家茶道とは
武将によって開かれた「武家茶道」という茶道の流派があり、「大名茶」とも呼ばれています。武家茶道の所作には、武士の文化の影響を受けたものが少なくありません。例えば、武家茶道の流派「上田宗箇流」(うえだそうこりゅう)では、柄杓(ひしゃく)や袱紗(ふくさ)の扱い方に、武士の嗜んだ弓術の名残があるのです。そんな武士の文化を受け継ぐ武家茶道についてご紹介していきます。

武家茶道とは

注目ワード
注目ワード