武士に関する言葉の語源
頭を丸めるの由来
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頭を丸めるの由来

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丸坊主にすることを「頭を丸める」と言います。現在、頭を丸めるという言い回しには、丸坊主にして反省の意を示すという意味が含まれていますが、昔は違いました。頭を丸めるとは、剃髪して出家することを指していたのです。頭を丸めるという言い回しに込められた複数の意味を解説します。

頭を丸める=仏門に入る

現代において、大きな失態をしてしまったときに、自らに制裁を加える意味で「頭を丸めてお詫びします」、「頭を丸めて反省します」などと、言うことがあります。坊主頭になることが、単なるペナルティのような扱いになっており、多くの人は「恥ずかしい姿や、みっともない格好をするので許して下さい」という意味に捉えているのではないでしょうか。

本来の頭を丸めるとは、罰ではなく仏教に帰依(きえ)すること、仏門に入ることを意味します。実際に坊主頭になる訳ですが、罰としてとか、反省したから、という理由からではありません。本物のお坊さんになることなのです。

古来より、仏門に入るときの儀式として、剃髪(ていはつ)をします。これを得度(とくど)すると言いますが、俗世と決別し、虚飾の社会とは縁を切ることの表れ。平安時代の貴族は、死が間近になると得度をして出家をしました。病床でも僧を呼べば得度をして貰えたのです。得度をしておかないと死んでから、天国に行けないと考えられていたからです。

現代では、亡くなったときにお金を払って戒名を貰いますが、本来は仏門に入って得度をしないと貰えないものでした。

仏門に入る=俗世を捨てる

幼少期から仏門に入れられる男子も多くありました。継嗣以外を幼少期から仏門に入れることで、相続争いによる内部分裂を避けるためです。もちろん本人の意思ではなく、親が周囲へのアピールも含めて仏門に入れました。継嗣はこの子ではありませんというアピールです。また、継嗣が死んでしまった場合などは、仏門から呼び戻し還俗(げんぞく)させて、継嗣に復活させることもできました。

成人して、政治の現場から退くときに仏門に入ることを、入道と言います。本来は皇族や高位の貴族が仏門に入るときに入道と言いましたが、中世以降の武士が剃髪して仏門に入ることも入道と言うようになりました。俗世の欲や権力から離れます、という意思表示があったのですが、実際は裏から政治を操っていた例も多くありました。

入道の武士

上杉謙信が信仰した毘沙門天

上杉謙信が信仰した毘沙門天

頭を丸めている戦国武将と言えば、武田信玄上杉謙信の2人が挙げられます。

もちろんこの戦国武将が反省や失敗のために頭を丸めているのではありません。両雄共に仏教信仰が厚かったからです。

また、仏教の僧との交流もあり、土地を守護してくれる神社も大事にしました。

女性を遠ざけ、子どもを作らなかった上杉謙信の方が厚い信仰心を持っているイメージがありますが、武田信玄もまた、厚い信仰心を持っていました。

江戸時代には頭を丸めることは、罰・反省ではなかった

髷を切られる

髷を切られる

江戸時代の武家が頭を丸めることはなく、髷(まげ)を落とすことが武士としての恥でした。それは町人もそうであり、ちょんまげを切られることは、恥をかかされることでした。

髷を落とした姿は、今で言うと裸体をさらす以上の恥辱となり、人前に出られるものではありません。

武士にとって、頭を丸める=出家するということは、俗世を離れ虚飾を落とすことを言います。武士が反省して頭を丸めることはあり得ませんでした。

明治期に入り、散髪脱刀令(一般的に断髪令と呼ばれる)とともに武士もまた、ちょんまげを落とさなくてはなりませんでした。これは武士ではなくなるという意味で、精神的ダメージは相当大きいものでした。

切腹すれば責任を問われなかった風潮

切腹

切腹

江戸時代、武士の責任の取り方は切腹でした。武士を罰する法は明文化されておらず、罪を犯しても「切腹を許す」と言う上からの指示で自ら切腹を選ぶのが、武士の矜持(きょうじ)でありました。

そのため、お家騒動などで不祥事が起きたり、藩内で不審な事件が起こったりしても責任者が切腹をすれば、そのこと自体がうやむやに終わる風土が生まれました。責任を取って切腹した人間がいれば、それ以上の追及はしないのが、武士の情けとなってしまったのです。

この責任の取り方は、藩主のため、仕える主君のために家臣が身代わりのように切腹をして、その藩・家を守るという人身御供のような場合もありました。

現在は、切腹をして罪を贖うということは、ありません。法が整備され、刑罰によって責任を取る法治国家になったからです。切腹をしたら罪を許すなどと強要することは、人道的にも許されません。

しかしこのような風潮は、深く日本人に根付いてしまったため、切腹の代わりに頭を丸める行為で責任を取ったかのような感覚が残ってしまったと考えられます。

責任を取る行為は称賛されるべき美徳ですが、切腹したからとか、頭を丸めたからとかで一件落着にしてしまうのは、物事の本質を直視することを避け、次への教訓に活きてきません。現在の日本人は、頭を丸めたからすべてを許しましょう、という風潮に違和感があることに気付いています。当の本人の自己満足でしかないことが日本人も分かってきたのでしょう。

丸刈り=反省は日本独特の思想

海外において、頭を剃る、または丸刈りにすることは、罰則の意味がほとんどです。罪人が見せしめのために頭を剃られることがありました。

しかし、反省のため、自分に気合を入れるため、などの理由で頭を剃るのは、日本独特の風潮です。また、頭を剃った人を見て、反省していると見ることができるのは、日本人だけなのです。日本人にとって、頭を剃ることは、恥ずかしいことでも悪いことでもなく、一種の禊(みそぎ)のような感覚があるのです。

軍隊の丸刈りから精神論へ

明治維新以降の軍部では丸刈りが基本となります。武士の月代(さかやき)と同じで、ヘルメットの下が蒸れないようにする目的があったのですが、だんだんと精神論へとつながっていき、気合を入れる目的にもなりました。丸刈りは清潔にしやすいという理由もあり、日本だけではなく、世界各国の軍隊も丸刈りが推奨されています。また、刑務所における丸刈り強制のイメージも強くあります。これが、現代の反省という主旨になるのでしょう。

戦後の日本においても、学校では坊主頭を強制される時代がありました。服装の乱れを防ぐためという名目でしたが、軍国主義の名残だと言われ、人権意識の高まりとともに廃止されていきました。部活動の現場ではまだ活用されているところもあります。気合いを入れるという捉え方です。

本来は、頭を丸めるという言葉は、仏門に入り、俗世を離れる意味がありました。現在では、気合いを入れる、反省をするという意味となり、それをアピールするための行為になってしまいました。

頭を丸めるの由来

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