武道に見る武士の文化

流鏑馬(やぶさめ)

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流鏑馬(やぶさめ)とは、疾走する馬の上から矢を的に射る武術のことです。古来より武家社会が終わるまで、武士の嗜みとして盛んに行なわれてきました。実戦的な武術からはじまり、礼法や神事にまで発展してきた流鏑馬。そんな流鏑馬の意味や成り立ち、現代で行なわれている祭事の様子などについて幅広くご紹介します。

流鏑馬(やぶさめ)とは

流鏑馬の意味や流鏑馬を行なう馬場、流鏑馬の衣装など、流鏑馬に関する基礎知識をご紹介します。

流鏑馬という漢字の由来

流鏑馬

流鏑馬

流鏑馬とは、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を的に射流す日本の伝統武術のことです。

テレビのニュースなどで流鏑馬を行なっている様子を見かけたことがある方は多いと思いますが、「流鏑馬」(やぶさめ)と書かれた文字をすぐに読めない方もいるのではないでしょうか。現代に多く使われる漢字の読み方と異なるため、読むことが難しくなってしまっているのです。

どうしてこのような漢字が当てられることになったのでしょうか。

まず漢字の成り立ちを見てみると「流」は「射流す」から。「鏑」は「鏑矢」という語から抽出されていることが分かります。

元来、馬上から矢を射る行為は「矢馳馬」(やばせめ)と呼ばれていました。そこから転じて、次第に「やぶさめ」と発音されるようになっていきます。それに連れて「流」「鏑」という漢字をそれぞれに当てるようになったため、このように読み方が難しくなってしまったのです。

それでも漢字の由来さえ把握できれば流鏑馬という語が、行為そのものの意味を表していることが良く分かります。

騎射の稽古方法である「騎射三物」(きしゃみつもの)

馬上の弓術は、流鏑馬・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)の3種があり「騎射三物」(きしゃみつもの)と呼ばれていました。

これらは、射技「騎射」(馬上の弓術)の稽古方法として確立されていきます。なかでも流鏑馬は神事の際に奉納された伝統的な儀式として、様々な様式で引き継がれることになりました。

流鏑馬を行なう馬場

流派や地域によって違いますが、一般的に流鏑馬を行なう舞台は、その形や所作が決まっています。

目標となる的は全部で3ヵ所。射手(いて)と呼ばれる騎乗者の、進行方向左手側に立てられます。助走から始まる長い馬場は、2町前後(約220メートル)の距離を用意。的と馬場の距離は、5メートルほどの間隔を取っているのが一般的です。

流鏑馬の衣装

流鏑馬を行なう場合の服装は、武士が狩りをするための衣装を基本としています。

頭には萎烏帽子(なええぼし)を付け、綾藺笠(あやいがさ)を被っていました。服は平安時代の簡素な装束である水干(すいかん)や、後世に発達した直垂(ひたたれ)などを着用。その上から、左腕には射籠手(いごて)、腰から足全体は鹿革の覆いである行縢(むかばき)を纏います。最後に武具として太刀を佩び、矢を入れるための箙(えびら)を吊して、手に弓を持ちました。

こちらも流派による差異はありますが、このようなスタイルが、伝統的な流鏑馬の服飾様式です。

流鏑馬が描かれた国宝

絵画として流鏑馬が描かれている史料は、国宝の「鳥獣人物戯画」が最古とされています。

鳥獣人物戯画は、平安時代末期に制作された、甲・乙・丙・丁の4巻からなる「白描絵巻」(はくびょうえまき) です。丁巻には流鏑馬の図があり、騎射しようとしている瞬間の活き活きとした人物像が描かれています。

流鏑馬の成り立ちと歴史

ここでは流鏑馬の成り立ちと歴史をご紹介します。

飛鳥時代からはじまる流鏑馬の歴史

流鏑馬のルーツを探ってゆくと、その歴史は随分古い年代へと遡ります。

なかでも、一番古い記録を発見できるのが「日本書紀」。680年(天武天皇9年)に奈良県の長柄神社(ながらじんじゃ)で「馬的射」(うまゆみい)が行なわれたという記録があります。

平安時代に入ると流鏑馬は宮廷行事の一環として実施されました。春日大社での若宮改築の際に始まった「春日若宮おん祭」での流鏑馬奉納の様子が、公卿の日記である「中右記」(ちゅうゆうき)という書物において記述されています。

鎌倉時代に隆盛を極めた流鏑馬

源頼朝

源頼朝

鎌倉時代になると、将軍である源頼朝が積極的に流鏑馬を実施します。それにより流鏑馬は幕府の奨励する武芸のうちのひとつとなっていきました。合戦において花形となる「一騎打ち」も、馬上からの弓術を主体とする戦法です。

このような事柄を背景として、鎌倉時代以後、流鏑馬は武士にとって必須の嗜みとなっていました。神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮」の「放生会」(ほうじょうえ)における、流鏑馬奉納もこの頃からはじまっています。

しかし戦国時代に入ると、集団戦や鉄砲が合戦の主役となり、個人武芸である流鏑馬は一時廃れてゆくことになりました。

江戸時代で流鏑馬は再び復興

徳川吉宗

徳川吉宗

泰平の世が実現した江戸時代では、武家が重んじる礼法として流鏑馬が復活します。

1724年(享保9年)、将軍徳川吉宗の命によって、中世において途絶えがちであった小笠原流礼法文化の研究が始まりました。

1728年(享保13年)には、病気の治癒祈願を目的とした流鏑馬が高田馬場にて奉納されています。これ以降、徳川家の厄除けや祈願のため、たびたび流鏑馬が神事として執り行なわれるようになりました。

こうして流鏑馬は武家社会の中に再び根付いていくようになりました。

流鏑馬の流派

今日まで伝わる流鏑馬の作法には神事として各地域それぞれの特色がありますが、主体となる作法を確立した2つの代表的な流派が存在しています。

ひとつは平安時代からの古流にして、江戸時代以降は熊本藩細川家を主体として伝わっていった武田流。そしてもうひとつは武家礼法の家元として知られる、小笠原家で確立された小笠原流です。

ただし、小笠原家の歴史は興亡が繰り返されているので、現代に伝わっているのは江戸享保期の古式復興のおりに整備された作法となっています。

現代の流鏑馬

現在では、古式だけでなく、各地の神事・行事などに合わせて様々な形式の流鏑馬が開催されています。その代表的な例が、スポーツ流鏑馬。儀式や所作、服装といった部分に捉われず、純粋に競技性を突き詰めたスポーツとして徐々に浸透され始めています。

特にこだわっているのが、希少種となってしまった和種の保存。馬の種類の中ではサラブレッド種が一般的に有名ですが、和種は日本独自の血統において育まれた貴重な馬種です。

また、一般の初心者の方や女性の方でも流鏑馬を体験・習うことができる教室が各地の乗馬クラブや牧場などによって開催されるようになりました。興味を持ったら、気軽に体験できる環境が整えられつつあります。

流鏑馬に関するお祭りが開催される場所

観光イベントの重要なコンテンツにもなっている流鏑馬。特に有名な祭りとして流鏑馬が開催されている場所をいくつかご紹介していきます。

青森県「十和田市中央公園」

青森県は南部産の駿馬が古来より有名です。こちらでは女性のみで行なわれるスポーツ流鏑馬「桜流鏑馬」や「世界流鏑馬選手権」などを開催。地域全体が、観光における流鏑馬イベントに力を入れています。

東京都「明治神宮」

明治神宮

明治神宮

都内でも有数の規模を持つ明治神宮。第122代明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社です。

明治天皇の誕生日に執り行なわれる「秋の大祭」の一環として、流鏑馬の奉納が行なわれています。

三重県「多度大社」

流鏑馬祭

三重県桑名市 多度大社の神事
「流鏑馬祭」の紹介動画

流鏑馬祭

三重県桑名市の多度町に位置しており、馬ととても縁が深いことで有名な多度大社

一般的には「多度祭」と呼ばれて親しまれている「御例祭」が毎年大盛況な祭です。

流鏑馬奉納や、馬が坂道を駆け上がることができるかどうかの成否で農作の豊凶を占う「上げ馬神事」が行なわれています。

日本の祭り・日本の花火大会日本の祭り・日本の花火大会
多度大社の「流鏑馬祭」のほか、全国の日本の祭り・花火大会を検索できます。

刀剣が奉納・展示されている神社・仏閣や宝物館をご紹介!

京都府「下鴨神社 」

京都市左京区にある神社で、正式の名称は「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)。鴨川下流に位置することから、通称「下鴨神社」として親しまれています。

こちらの神社では、新緑の季節に京都三大祭のひとつである「葵祭」が開催されることで有名です。毎年、葵祭での前儀式として、流鏑馬神事が行なわれています。

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鹿児島県「四十九所神社」

大隅国の戦国大名であった「肝付氏」(きもつきし)の祖が建立した四十九所神社(しじゅうくしょじんじゃ)。

鎌倉古武士の気質を色濃く受け継いでいるこの地方らしく、900年の年月にわたり流鏑馬は伝統行事として受け継がれてきました。肝付町最大のイベントとなる「高山やぶさめ祭」において、古式にのっとった流鏑馬神事によりその年の吉兆が占われています。

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