武道に見る武士の文化
流鏑馬と居合の成り立ち
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流鏑馬と居合の成り立ち

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日本の伝統的な2つの武道、流鏑馬(やぶさめ)と居合道。流鏑馬とは、疾走する馬の上から矢を的に射る武道のことで、居合道とは、抜刀する技術を磨く武道のことです。どちらも武士の嗜みとして盛んに行なわれていました。そんな流鏑馬と居合道の成り立ちについてご紹介します。

流鏑馬

流鏑馬

流鏑馬

流鏑馬(やぶさめ)とは、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を板的に射る、日本の伝統武術です。

流鏑馬の歴史は大変古く、「日本書紀」の680年(天武9年)の条に長柄社(奈良県御所市)における馬的射や、藤原宗忠が1087年(寛治元年)から1138年(保延4年)まで書いた日記「中右記」(ちゅうゆうき)の1096年(永長元年)の項にも記されています。平安時代に入ると宮廷行事として行なわれていました。

約1,000年の歴史がある流鏑馬ですが、武士の嗜みとしての武術ではなく、神事として現代に受け継がれているのです。現代においては神社で行なわれる奉納神事で流鏑馬を身近に感じることができます。

流鏑馬は鎌倉時代に武士の間で盛んに行なわれるようになりました。源頼朝鶴岡八幡宮神奈川県鎌倉市)で流鏑馬を奉納したことから、鎌倉時代の武士にとっての嗜みになっていたのです。頼朝が流鏑馬を奉納した1187年(文治3年)8月15日の放生会(ほうじょうえ)にならい、現在でも旧暦の日に合わせた9月中頃に、鶴岡八幡宮で奉納されています。

馬上の弓術は、流鏑馬・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)の3種があり、「騎射三物」(きしゃみつもの)と言います。これらは武芸として鎌倉時代の武士の間で技が磨かれていき、なかでも、流鏑馬のみが神事の伝統行事として引き継がれることに。その後、戦国時代に入ると戦は鉄砲主体となり、戦場での騎射の技術に実戦性がなくなっていき流鏑馬も廃れていきました。

流鏑馬を描いている史料としては、国宝の「鳥獣人物戯画」が一番古いとされています。鳥獣人物戯画は平安時代末期である12世紀半ばに制作されたと言われ、甲・乙・丙・丁の4巻からなる白描絵巻(はくびょうえまき)。有名なのは、甲巻の擬人化された動物達のコミカルな風刺画ですが、史料名にあるように人物の戯画もあります。特に丁巻には、人物がたくさん描かれており、軽いタッチで、楽しそうな人物が生き生きと描かれているのが特徴です。

また丁巻には流鏑馬の図があり、騎乗から弓矢を的に向けて射ようとしている瞬間の人物像が描かれています。流鏑馬は、12世紀半ばの武士の鍛錬として必須項目。軽いタッチで描かれるほどの身近な存在であったことが窺うことができます。

戦術の主流が弓術ではなくなってはいきましたが、清和源氏の子孫から代々相伝されていった小笠原流が江戸幕府の弓馬術師範となり、脈々と流鏑馬は受け継がれていきました。

徳川吉宗

徳川吉宗

1716~1736年の享保年間に徳川吉宗の命によって高田馬場での流鏑馬が新儀式と制定されますが、その際に鎌倉時代の様式を主体としています。

これ以降の流鏑馬は、鎌倉時代の武士の様相を引き継いだ形が正式になってきました。流鏑馬には小笠原流、武田流の二大流派を始めとして、たくさんの流派が今も存在しています。

現代でも、流鏑馬を神社の奉納や、祭事において我々も目にして楽しむことができますが、装束・礼法は鎌倉時代のままであることは流鏑馬の醍醐味であると言えるでしょう。

居合

居合

居合

居合(いあい)は日本刀(刀剣)の抜刀術を体系化したもので、成り立ちは室町時代と言われています。

勝負を抜刀の一瞬にかける抜刀術をより高めたものであり、剣道のように相手がいてこその武術ではありません。戦術としての実戦性よりは、心身鍛錬のための武道のひとつです。

抜刀術というのは、日本刀(刀剣)を抜く技を修練していくもので、立ち技での抜刀を主体としていますが、居合は室内で急に攻撃されたときを想定した座位での抜刀を言い、攻撃を受けてかわす術であるとされています。江戸時代の武士はもはや野外での戦闘が想定されることはなく、室内での座位からの抜刀に主眼が置かれていったのです。

このような武士の在り方から、武道においての抜刀術は居合道として集約されていきました。居合道の流派がたくさん興り、現代にいたるまで武士道としての抜刀術は居合が主流となっています。

居合の流派は無双直伝英信流、夢想神伝流の大きな流派や、伯耆流や神伝流などたくさんの流派が存在。なかでも新陰流は、江戸時代に幕府の兵法指南役を代々任されていた柳生一族によりその名をよく知られており、歴史小説やテレビドラマなどでも人気のある柳生十兵衛の柳生新陰流を好む人もいます。ちなみに、新陰流と柳生新陰流にほとんど違いはありません。

また、作家である池波正太郎の「剣客商売」に出てくる無外流も、主人公の秋山小兵衛によって有名になりました。居合を実際にしない人でも、「剣客商売」の無外流と言えば、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
 
居合を嗜む人は、刀剣を鑑賞する知識と作法を身に付けなくてはいけません。居合に比べると流鏑馬は、特殊な環境にないと実際に触れあうことはありません。馬に乗って弓矢を射る行為は、やはり特殊な環境がそろっていないとできないのです。

しかし、居合は身近に存在しています。ほとんどの市や町で居合のサークルや道場があり師範によっては、居合は誰でもいつでも学ぶことができるのです。真剣同様の高級な様式になっている日本刀(刀剣)の模擬刀を使用して稽古ができることは、居合の魅力のひとつでもあります。

居合は自己鍛錬の修行ですが、大会という試合形式も存在。戦う競技としての試合ではなく、各流派によって作られた形の演武の美しさを競い合う大会です。居合の大会を見に行くことも形や所作の勉強になります。

居合を身近で目にすることができるのは、神社での奉納演武になるでしょう。奉納演武は神社において、正式な形を披露することを言いますが、居合は流派がたくさんあるため形も様々です。神社において居合奉納演武の形の違いを観ることで、流派の差が出てきますので、どこの居合の流派かを知っておくと、より楽しめるでしょう。

試し切り

試し切り

また、居合で見応えがあるのは、試し切りです。巻き藁や、畳表をぐるぐる巻きにした物を、一刀両断することを試し切りと言います。

竹に巻き付けた藁を袈裟切りしているシーンはテレビで見たことがある人は多いでしょう。試し切りは、力の強さや、日本刀(刀剣)の切れ味だけで切ることはできません。演者の居合の技術が如実に表れます。

巻き藁の巻き加減にもよるのですが、剣筋正しく、稽古を重ねた上級者でないと、藁や畳表でもきれいな切り口で切ることはできないのです。熟練者の試し切りに立ち会えば、幾重にも巻いた巻き藁が、鮮やかな切り口で一刀両断される様子を見ることができるかもしれません。

武術の歴史 古武道と現代武道武術の歴史 古武道と現代武道
古武道の歴史や由来、主な各流派についてご紹介します。

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