目上の人から話を聞くときや精神統一をするときなど、気持ちを引き締めるときの最適な座り方「正座」。江戸時代、武士が将軍に拝謁する際も座り方は正座でした。武士は正座をすることにより、忠誠心を示したのです。そんな正座の由来と、武士と正座の関係などについてご紹介します。
元来武士の座り方は正座ではなく、胡坐(あぐら)か立膝。江戸時代以前の着物は、胡坐を前提に下半身が大きめにゆったりと作られていました。貴族も女性も庶民も胡坐か立膝で座っていたのです。歴史的な価値があるとされている人物像のほとんどが、胡坐か立膝で描かれています。正座とはっきり分かる人物像は、江戸時代に至るまで確認されていません。
戦国時代になると、武士は機動力の高い座り方をしなければならないため、ぺたりと足を付けるような座り方をせず、胡坐か蹲踞(そんきょ:体を丸くしてしゃがむ、または膝を折り立てて腰を落とした立膝をついた座法)か立膝で座っていました。足がしびれ、立ち上がるのに時間がかかる正座は、いつでも戦う体勢でなければならない武士には考えられない座り方だったのです。
抜刀術
戦国時代が終わり、平穏な江戸時代に入ると、武士が野外で日本刀を抜き合う場はなくなっていきます。
剣術そのものが廃れていき、竹刀や木刀を使った型に分かれていきますが、抜刀術は真剣の型として残ったのです。
場所も、戦場での切り合いの場から、屋内での脇差等による急な攻撃に応じるための抜刀術へと移り、屋内で対応できるような型が主流になっていきます。座った状態でも抜刀できるように編み出され、ひとつの型として練り上げられていったのが「居合」です。
居合での「座る」とは、左膝をつき、右膝を立てた状態を言います。この状態を居合膝(いあいひざ)と言い、右足は生きている状態。左腰には刀を差しているので、左側の足を落とし、右足を活かした動きになります。
一挙動(1回の動き)の所作で、いつでも日本刀での攻撃ができ、防御もできる姿勢と言えるでしょう。
正座がかしこまった場所での座り方となったのは、江戸初期以降とされています。正座は日本人本来の自然な座り方ではありません。屈膝座法(くっしつざほう)と呼ばれていた座り方が正座になったのです。
屈膝座法は、茶道の影響を受けていると言われています。狭い茶室では、膝を折って座るしか方法がありませんでした。茶室には日本刀を持っては入れません。にじり口から入るには刀を置き、両手をついた状態で入ります。茶室内は狭いので屈膝座法で座ります。
屈膝座法は攻撃の意志がないことも意味します。正座はもっとも立ち上がりにくい座り方なので、いざことがおきても、正座から立ち上がるには二挙動(2回の動き)かかってしまうのです。つまり、屈曲座法は攻撃しにくい座り方ということになります。茶室の狭さは、相手との心の距離を縮めるのと同時に平和な状態を表しています。
茶席での作法でしかなかった屈膝座法が、のちに将軍拝謁時の座り方となりました。大名達が将軍に向かって座るときの正式な座り方になったのです。将軍への攻撃心がないことと、恭順の心を示す作法のひとつとなり、正座となっていきました。
正座が武士に定着する原因となったのは、江戸城での将軍拝謁の儀式からだったと言われています。3代将軍徳川家光(1604~1651年)の拝謁のときには、すでに各大名が正座をして拝謁の儀式に臨んでいたことが、二木謙一氏の「中世武家儀礼の研究」(吉川弘文館)に示してあり、このときには、作法としての正座が江戸城内では取り入れられていました。
徳川家光
徳川吉宗
この作法が正式に定着したのは、8代将軍徳川吉宗の代からではないかとされています。江戸城内では、攻撃心のないことを表すのはもちろん、服従の意思をも正座によって表していたのです。
しかし、江戸城以外でも武士が日常的に正座をしていたのかははっきりとは分からないことが多く、胡坐が武士の座り方としては日常的であったとされています。武士の作法として正座が定着したのは、江戸中期以降。その背景には、畳の登場がありました。硬い板敷でのつらい正座は、畳の普及によって容易に座れるようになっていったのです。その後、明治以降の畳の普及と共に、庶民にまで正座が広まっていくのです。
居合術
本来は立膝で行なっていた居合も、正座からの抜刀が必要になっていきます。
座位(座った状態)での「急な変」(突然の、不意な事態)に対処するための抜刀術なので、主流になった正座での型も必要になっていきました。
居合の流派も、室町・戦国からの古い流派は、立膝や蹲踞に近い座法。江戸時代中期頃から正座の居合の形も考案されていきました。
正座からの素早い攻撃は、立膝へと移る動作になります。左に帯刀している日本刀を取りやすくするためです。正座から立位(立った状態)での攻撃に移るよりも、正座から右足を前に踏み出す行為の方が、一挙動で攻撃できます。
このとき、居合での正座の方法として足の親指同士は重ねません。素早く次の動作に移るために、足の親指は重ねず、いつでも動けるような状態が居合の正座なのです。
現代の日本人が正座から立ち上がるときに、攻撃を想定して右足から立ち上がるのではないでしょうが、様々な礼儀作法の場で生きています。一歩が大きくても小さくても、右足を立ててから立つのが、今では正座から立ち上がるときの正式な作法になっています。
リラックスした状態でくつろぎたいときに正座をする人はいないでしょう。勉強するときや、目上の人から大事な話を聞くときなど、気持ちを引き締めるときに正座をします。
実際に正座をすると、下半身へ血流が悪くなり、脳への血流が良くなるため脳が活性化された状態になります。朝起きた直後や、だらけた気持ちを引き締めたいときに正座をすると、本当に脳が活性化されて、目が冴えるのです。
また、正座は交感神経の緊張を高めるために集中力も増します。正座をしているときは、脳が冴えている上に、気が張った緊張状態になるのです。集中力を高めたいときに、正座をして精神を集中させると言うのは、よく言われる根性論などから来ているのではなく、実際に自律神経に作用し、交感神経が優位な状態になることが分かっています。
正座
正座は、先にも記述したように元々は将軍拝謁のときの作法として、攻撃心のない服従の気持ちを表す姿勢だとされていましたが、実際は攻撃心のない状態であると見せて、いつでも相手からの攻撃は受けて立てる気の張った状態なのです。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)いつでも張り詰めた精神状態で生きていた武士の最適な座り方であったと言えるでしょう。