武道に見る武士の文化
兜がモチーフの剣道防具
武道に見る武士の文化
兜がモチーフの剣道防具

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武士の嗜みであった剣術を競技化した剣道。剣道の防具は、武士が身に付けていた甲冑(鎧兜)、籠手、草摺(くさずり:大腿部を守るための防具)から着想を得て、考案されました。そのため、剣道の防具である面、甲手、胴、垂を身に着けた競技者と甲冑(鎧兜)などの武具を装備した武士は、たたずまいが似ているのです。そんな剣道の防具にまつわる話をご紹介します。

面(めん)

戦国時代が終わったことで、実戦的な日本刀(刀剣)の時代も終わりを告げました。その後、江戸時代から幕末にかけて、日本刀(刀剣)ではない木刀や竹刀による剣術が主流になります。竹刀は江戸時代中期に考え出され、武士の鍛練のために直心影流が「竹刀による打ち込み稽古法」を確立しました。この「竹刀による打ち込み稽古法」が今の日本における剣道の源流になります。

1700年代初め、当時の剣術は、木刀や真剣で行なうため、当たり所が悪ければ、頭部や脊髄を損傷して再起不能のけがをしてしまう可能性がある稽古しかできなかったのです。しかし「打ち込み稽古法」が考案されると日本刀(刀剣)ではなく竹刀を用い、防具を付けて思い切り打ちあう稽古ができるようになりました。これにより、剣術はより実戦向けになったのです。

面

面を付けることによって、頭部が保護できるようになり、中段の構えが主流になります。

直心影流において上段の構えが主流だったのは、最初の一刀で勝負を決める実戦を想定していたからです。

現在では、剣道でも中段が主流で、上段は攻めに重点を置いた剣道とされ、最初の攻撃である初太刀を外すと打たれやすい構えとして好まれません。

攻撃から頭部を守る意味では、から発想を得ていますが、後頭部の保護がないこと、肩への打突から守るための面垂れが肩まで長いこと、鋭い突きから喉元を守る突垂れなどは、兜に本来あった機能ではありません。突垂れが面頬(めんぽう)に付いている武具もあったため、兜と面頬を合わせたのが、剣道具の面に近いと言えます。

また、現在の剣道では行ないませんが、幕末期には接近戦になると、竹刀を放り出して面の剥がし合いになり、相手の面を剥がした方が勝ち、という一見野蛮な試合方法もありました。これは、戦国時代の首を取る究極の勝ち方になぞらえています。面が、兜というよりは首から上の身体の一部として捉えられていることを表しています。

甲手(こて)

甲手

甲手

甲冑(鎧兜)の小具足(こぐそく)としての「籠手」(こて)がモチーフとなり、剣道具として現代の「甲手」になりました。ちなみに、剣道での勝敗における一本の技能としては、「小手」(こて)と表します。

甲冑(鎧兜)としての籠手は、筒袖の形をした厚手の布で、上腕部から手の甲までを固定し、外側にあたる部分には金属が使われていました。

この金属部分には日本刀(刀剣)を受ける武具としての役割もあり、小さな鉄の板を鎖で繋げて作られています。のちに布地に鎖を縫い付けた籠手も作られ、より強度が増していきます。

また戦が鉄砲主流になる前は、弓矢が武器の主軸でした。弓は右手で引くため、室町時代までは、左腕にだけ籠手を装着していました。利き腕は動きやすくなければ、弓を引くには不便だったのです。

剣道で使われている肘から先だけを防御するような甲手の長さは、甲冑(鎧兜)としては十分ではありません。戦国時代に実戦向きとして好まれていたのは、左右の籠手が背中で繋がっている指貫籠手(さしぬきこて)です。上着を羽織るような着用方法が便利であり、はずれにくいため実戦向きとされたのです。

甲冑(鎧兜)としての籠手は、刃先からの防御を考慮すると鉄板を増やしたくなりますが、重くなると腕を動かしにくくなります。防御力を上げると、攻撃力が下がると言うのは、実戦で使用する甲冑(鎧兜)の難しいところです。

剣道では甲手で竹刀を受けることは防御になりません。有効打突となれば、技として一本取られることになるため、とにかく打たれないようにしなければならないのです。左右の甲手の形状に違いはなく、完全なシンメトリーになっています。

しかし、剣道での打突部位は右甲手のみです。戦前までは、左甲手も有効打突として一般的でしたが、戦後の剣道では右甲手のみが打突部位になっています。右甲手のみが有効打突となっている明らかな理由は分かりません。大半の人が利き手である右手を封じるために、右甲手を有効打突とする説が一般的な解釈になっています。

胴(どう)

剣道のは、前面のみ防御をする形ですが、甲冑(鎧兜)としての胴は、背後の防御も必要となります。身体の周囲をぐるりと囲って防御をするのが、甲冑(鎧兜)としての胴の役割になります。

室町時代までは、背後でつなぎ合わせる様式が主流でしたが、どうしても隙間ができてしまうので、防具としては不完全だったのです。室町時代後半には、背後にあった合わせ目を右脇に移した胴が主流となります。このため着脱もしやすくなり、ひとりでの着用も可能になりました。

胴は甲冑(鎧兜)の中でも一番重要な防具であり、平安時代から改良が重ねられてきました。騎馬による弓矢での戦法が多かった平安時代には、大鎧と言う防御性を高めた防具が考案されました。さらに、弓を引きやすくするための改良もされていました。

室町時代後半から戦国時代にかけては、当世具足(とうせいぐそく)と言われる甲冑(鎧兜)が使われるようになります。「当世」とは「現代」を意味し、戦国時代当時の人々が、伝統的な鎧に比べて今様の新しい鎧という含意をもって用いた呼称で、旧来の具足に対して当世具足と称していました。

のちに、単に具足と呼ぶようになりました。それまで主流であった胴丸腹巻に取って変わったのです。当世具足は軽くて装着しやすいうえに、防御力が高いのが特徴です。戦国時代の時代劇に使われているのは、この当世具足です。

甲冑(鎧兜)としての胴は、着脱しやすいように、2枚以上の部品からできています。板や皮を蝶番(ちょうつがい)でつなぎ合わせ、動きやすさも重視していました。もちろん、刃から腹部を守るための武具であるために硬く、刃が入らない構造にしなければなりません。そのため板や皮を重ね合わせて刃が入りにくい武具に作り上げていました。

剣道の胴

剣道の胴

剣道においての胴はひとつの部品でできています。胸部分(胴胸)は硬い芯材を牛革で覆った構造をしており、竹刀からの衝撃を受ける腹部・脇下部分(胴台)は、竹やプラスチックなどの丈夫な素材で作られています。

竹製の胴台の場合は、牛革を張りしっかりと1枚につなぎ合わせ、漆で塗り固めた物を使っています。今でも上位段の剣士は、漆を使った胴を好みますが、現代の若い剣士にはポリカーボネート製の軽くて丈夫な胴が主流になっています。

垂(たれ)

のモチーフは甲冑(鎧兜)の「草摺」(くさずり)から来ています。草摺は胴の下に着ける武具で、大腿部を守る役割がありました。足元の草に擦るくらい長かったことからこの名前が付いています。刃の攻撃から完全に守るための武具であったため、大腿部全体を覆う武具だったのです。甲冑(鎧兜)のパーツとしては、胴と草摺は繋がっていました。何本もの丈夫な糸でつなぎ合わせてあり、動きやすいような工夫もしてありました。

垂

剣道での垂は、胴を打ち損ねた竹刀の衝撃から身体を守る役割があるため、長さはありません。大腿部の3分の2が隠れる程度です。竹刀で狙って打つ部位でもないため、硬さも必要ありません。

垂の素材は面布団と同じように木綿で固く作り上げています。大垂が3枚、小垂が2枚の合計5枚の防具です。

足さばきに影響してきますから、動きやすくするために、5枚の部品が継ぎ合わせになっています。

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