「居合・抜刀」は異色の剣術だと言われています。鞘から刀身を抜いた状態から始まる通常の剣術とは対照的に、居合・抜刀術は、鞘からいかにして刀身を抜くかと言う点に、奥義があるとされているためです。すなわち、刀身を抜いた時点でほぼ勝負は決しているというのが基本的な考え方。
それは、現代武道である「居合道」、「抜刀道」でも変わりません。
ここでは、居合・抜刀における基本的な日本刀の所作(刀法)を学んだあと、日本刀を鞘から抜いて斬ることを実践している古武道と現代武道をご紹介します。
柄に手をかける
鯉口を切って、刀身を抜く準備を整えたあと行なうのが、右手で柄を握る所作です。
江戸時代に用いられていた「打刀」は、刃を上にして佩いていたため、手首を返して鍔に近い場所を下から包み込むようにして握るのが基本。こうすることで、抜刀と同時に攻撃を仕掛けることができるのです。
日本刀を抜く
柄に手をかけたあとは、柄を握った右手を体の前に伸ばして抜刀します。コツは柄頭(つかがしら:柄の先端部分)を相手の方向に向けること。これを意識することで、鞘に収まっている刀身を素早く抜くことができるのです。
抜き付け
抜刀の動作を始め、刀身の「鋒/切先」(きっさき)が3寸(約9cm)ほど鞘に残っているところで、鯉口を切る所作の際に鞘を握っていた左手で鞘を後ろに引きます。
刀身が鞘から抜けたところで、腰を入れて右手一本で真一文字に払うように一閃。初めは静かに抜かれた日本刀は、急加速し、最後は疾風のごとき速さで敵を切り付けます。
一刀必殺の鋭さによって、大抵の場合、この段階で勝敗が決する重要な所作です。
振りかぶり
前述した抜き付けでも勝敗が決しない場合、追撃を行なう必要が生じます。
右手で真横に一閃した状態の日本刀を振りかぶるのですが、このとき、抜き付けで鞘を握っていた左手も柄に添えて両手で日本刀を握るのです。
斬り下ろし
両手で柄を握り、大きく振りかぶった日本刀の鋒/切先が、大きく弧を描き、敵の頭から「水月」(すいげつ:人体の急所=みぞおち)まで一気に振り下ろします。
第一撃となる抜き付けに続く攻撃であることから、「二の太刀」とも呼ばれる所作です。
残心・血振り
斬り下ろしたあとは、気を抜くことなく、周囲に気を配り、戦闘態勢を崩さないことが重要です。「残心」とは、文字通り心を途切れさせることなく保ち続けること。最後の瞬間まで、緊張感を持続しなければなりません。
そのあと、日本刀を納める準備を開始。左手を柄から離し、右手で柄を回しながら左肩の方向に刀身を持ち上げます。そして、右斜め下に向けて振り下ろすことで、刀身に付着した敵の血を振り落とします。
納刀
残心を示しつつ、確実に鞘に刀身を納めることが重要です。納刀は、柄を握っている右手で刀身を制御して鞘に納めると言う印象がありますが、左手も大きな役割を担っています。
すなわち、鞘の鯉口付近を左手で握って、日本刀を鯉口へと誘導し、鋒/切先が入ったら、鍔の方向に鞘を送っていくのです(鞘送り)。
ポイントは、右手で操作しすぎないこと。この基本的な所作に習熟していれば、さらに技巧的な納刀法もスムーズに習得することができます。
「現代武道」のひとつである「抜刀道」では、本物の日本刀、いわゆる「真剣」(本身:ほんみ)を使用します。
いわゆる日本刀を使用して、抜刀から納刀までの一連の動作を行なうと言う点で、「居合道」と混同されることがありますが、「形」を重視して合金製の「居合刀」(模擬刀)を使うことが多いとされる居合道に対して、抜刀道は、物体を斬る道具として日本刀を使用。
そのため、日本刀を武器として扱っている武道であると言えるのです。
抜刀道で実際に使われる日本刀は、どのような物が適しているのでしょうか。
抜刀道を創始・確立した中村泰三郎は、著書「日本刀精神と抜刀道」で、抜刀道における実用刀の選び方で大切なのは「バランスの取れた刀」であるとし、具体的な選定ポイントについて、以下のように記しています。
これらのポイントに留意しながら実物を手にして、感触や扱いやすさなど、自分に合った1振を刀剣商などから購入するのが一般的です。また、流派によっては、独自の規定を設けている場合があるため、事前に相談・確認することが重要だと言えます。
抜刀道では、本物の日本刀が使用されます。
現代の居合道では、真剣に似せて作られた合金製の居合刀(模造刀:もぞうとう)を使う流派が増えていますが、実際に物を斬ることに重きを置く抜刀道において、真剣は欠かすことのできない「道具」なのです。
しかし、日本刀に直に触れ、なおかつそれを使用して試し斬りを行なう機会は、中々ありません。そのため、「日本刀って、どれぐらい斬れるのだろう?」と言う疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。
中村泰三郎は、著書「活人剣 抜刀道」の中で、終戦時に必要に迫られ3頭の牛の首を斬り、食糧にあてたことを記しています。
「刀は骨から大動脈を斬り、首の4分の3まで斬り込み、血は滝のように吹き出し、思うほど暴れずに絶命した」との記述から、その凄まじい切れ味がうかがえるのです。
抜刀道の試し斬りでは、かつては主に巻藁が使用されていました。現在も巻藁に加えて竹や豚肉、鉄兜(てつかぶと)が使われることも稀にありますが、入手のしやすさや、切り口の美しさから現在はほとんどの場合、畳表が使用されています。
日本刀が凄まじい切れ味を誇っているからと言っても、振り下ろせば簡単に斬れるわけではありません。「間合い」、「刃筋」(はすじ)、「角度」、「円形線」(えんけいせん)が高いバランスで一致したときのみ、その本来の切れ味が発揮されるのです。
うまくいけばいくほど、ほとんど手応えを感じることなく斬れると言われています。
抜刀道の試合
抜刀道には「全日本抜刀道連盟」、「日本抜刀道連盟」、「國際居合抜刀道連盟」といった団体があり、年間を通して様々な大会や試合が開催されています。
試合では、選手が紅白に分かれ、畳表を試し斬り。その作法や姿勢、畳表の切り口などを公認審判員が採点し、旗の数を競います。
試し斬りの方法としては、斜めに斬る「袈裟斬り」と水平に斬る「横一文字斬り」がよく知られています。また、抜刀道では、先鋒・中堅・大将の3人による団体戦もあり、その場合は1本の畳表を3人が順に試斬。
技だけではなく、その理解度や精神修養の深さも判断され、これらが総合的に採点されます。
ここでは昭和の剣豪のひとり、「中倉清」(なかくらきよし)が監修した日本抜刀道連盟の「制定刀法10本」をご紹介します。制定刀法とは、大会などで技術を競うためのもとになる形のことです。
中倉清は、1910年(明治43年)生まれ2000年(平成12年)に89歳で亡くなるまでに剣道や居合道、抜刀道において大きな足跡を残した人物です。
この日本抜刀道連盟「制定刀法10本」は、1996年(平成8年)に創案されました。
なお、中村泰三郎を始祖とする「中村流」では、書道をヒントに中村泰三郎が創案した「八方斬り」が制定刀法とされています。
2人はともに、流派や所属する連盟を超えた「抜刀道の大団結」を提唱していましたが、制定刀法の統一が困難なことから、彼らの願いも叶わぬままとなっているのです。
いずれにしても日本抜刀道連盟「制定刀法10本」が、中村流「八方斬り」と並んで広く知られている技であることは間違いありません。
以下の10本で構成される「制定刀法10本」は、同連盟のホームページで実技の動画も公開されており、抜刀道の世界で広く実践されています。
そのあと、左上段に構えて相手との間合いを詰め、相手の突きを察知し、右足を右斜め前に大きく踏み込んで体をかわし、素早く相手の左面を斬る。
斬ったあと、右足を引きながら左上段の構えとなって残心を示し、左足を引きながら左手を柄から離して左帯に送るのと同時に、袈裟に振り下ろして血振りを行ない、納刀する。
三歩下がりながら、鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
三歩下がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
日本刀を返し、大きく振り上げると同時に、左足を踏み込んで腰を落とし右袈裟に斬り下ろす。三歩退がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
日本刀を返し、大きく振り上げ、右足を右に踏み込み、腰を落として相手の左袈裟を斬り下ろす。三歩下がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
日本刀を返して、左足から右斜め前に踏み込んで、相手の右胴を水平に斬り抜く。
三歩下がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
三歩下がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
左・右足と下がって間合いを取り、ただちに中段に構え、右足から踏み込んで相手のみぞおちを両手で突く。
一本目と同様に、左上段の構えとなって残心を示し、袈裟血振りを行ない納刀する。
両手で相手の左肩口を左袈裟に斬り下げ、返す刀で右胴を水平に斬り抜く。
左袈裟に斬り下げた日本刀を止めることなく、瞬時に右胴を斬る。
三歩下がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。
右足で踏み込むと同時に、右片手で右逆袈裟に斬り上げ、続いて両手で左袈裟に斬り下げ、返す刀で右胴を水平に斬り抜く。
左袈裟に斬り下げた日本刀を止めることなく瞬時に右胴を斬る。
三歩下がりながら鋒/切先を下げ、倒れた相手に鋒/切先を向けて残心を示し、横血振りを行ない納刀する。