関市における刃物の歴史
日本刀の伝統を守る現代の刀匠
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鎌倉時代から歴史を紡いできた、岐阜県関市における日本刀(刀剣)作りの技術。国内で争乱や戦争がなくなった平和な時代になった今、伝統の技を受け継ぐ刀匠たちはどのような活動を行なっているのでしょうか。今回は、関市における刀匠の現在や、活動などについてピックアップしてご紹介します。

全国でも評価される岐阜県の刀匠

岐阜県を拠点とする刀匠

岐阜県を拠点とする刀匠

関市は、「刃物のまち」として世界的に有名な刃物生産地です。

しかし、関市の刃物製品出荷額の内訳を見ると、日本刀(刀剣)の占める割合はごくわずか。理髪用刃物、包丁、ナイフ類、はさみなどでほとんどが占められています。

一方で、日本刀(刀剣)の刀身を作る「刀匠」は、現在でも伝統を受け継ぎながら活動をしており、関市以外の地域を含め、岐阜県を拠点とする刀匠は10人ほど。

この約10人のなかでもよく知られているのが、「関伝日本刀鍛錬技術保存会刀匠会」会長の尾川光敏氏です。

岐阜県の刀匠 尾川光敏氏

尾川光敏氏は、尾川兼國(おがわかねくに)の名前で知られる現代の刀匠です。

父である尾川兼圀氏のもとで修業を積むことから刀匠活動を開始。新作日本刀展覧会での受賞歴が多数あり、特に2009年(平成21年)には、日本美術刀剣保存協会主催の新作刀コンクールにおいて特賞を複数回以上受賞した人に認定される、「無鑑査」に認定されています。

尾川氏は関市重要無形文化財保持者に認定されており、関伝日本刀鍛錬技術保存会刀匠会会長として、関市における日本刀産業の発展にも貢献しているのです。

帝室技芸員・人間国宝・無鑑査刀匠
帝室技芸員・人間国宝・無鑑査刀匠の作品をご覧頂けます。

新進気鋭の刀匠も

岐阜県関市では、新進気鋭の刀匠も精力的に活動中。

なかでも、26代藤原兼房(本名は加藤正文実氏)は、2016年(平成28年)に新作名刀展で努力賞を受賞したことなどで知られます。

日本刀を作る刀匠は全国に200~300名程度

「全日本刀匠会」の公式サイトによると、刀匠になるためには、まず刀匠資格を持つ刀鍛冶のもとで5年以上の修業をしてから、文化庁主催である作刀実地研修会の修了が必要です。

研修内容は日本刀(刀剣)を作る一般技術・知識で、基礎的な技量がないと修了が困難であり、資格を取ってから刀匠として認められるまでの道のりも長いと言われています。

また、日本刀(刀剣)を作る職人たちは経済的な理由などから、弟子をあまり取らない傾向があり、修行をするための入門先を探すことが最も難しい問題でもあるのです。

このような厳しい過程を経て、資格を得た刀匠の数は全国に平成期で200~300名ほど。そのうち、岐阜県関市の10名程度という数字は、比較的多いとも言われています。ちなみに、優れた日本刀(刀剣)を集中して作れるように、刀匠が1年に作れる日本刀(刀剣)は24本までと定められています。

観光客に日本刀文化を伝える活動

刃物のまちとしてのブランドを活かし、岐阜県関市では刃物を販売製品としてのみならず、観光資源としても活用。地域活性化に役立つとともに、日本刀(刀剣)を今の世に広く認知してもらうことが期待できます。こうした活動に関市の刀匠たちも協力を行なってきました。

サブカルチャーとのコラボ企画に協力

2013年(平成25年)には、若者に人気のアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」と日本刀(刀剣)をコラボさせた日本刀展を開催。岐阜県関市の刀匠たちも、展覧会で日本刀(刀剣)を作るなどの協力をしました。

また、2015年(平成27年)には、日本の名刀を擬人化した「刀剣男士」というキャラクターを育てて敵と戦うブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE」を配信開始。刀剣人気をさらに集めるとともに、「刀剣女子」と呼ばれる日本刀ファンの女性たちを生み出すことに成功しています。

刀匠による日本刀鍛錬の様子を公開

日本刀鍛錬の実演

日本刀鍛錬の実演

関鍛冶の技を伝える施設としては、2002年(平成14年)に「関鍛冶伝承館」(岐阜県関市南春日町)が、以前の「産業振興センター」を改装する形でオープン。

関を代表する兼元・兼定といった日本刀(刀剣)やその製造工程・歴史に関する資料などが展示されています。日本刀鍛錬場や技能師実演場も併設し、イベントや一般公開日には刀匠による日本刀鍛錬の実演が行なわれています。

他にも、2018年(平成30年)には、老舗の刃物販売店「刃物屋 三秀」(さんしゅう:岐阜県関市小瀬)内に日本刀古式鍛錬場がオープン。日本刀(刀剣)を鍛錬する様子が見られたり、鍛錬が体験できたりする施設として話題になりました。ここでは、25代・26代藤原兼房(本名は加藤賀津雄氏)の2名の刀匠や弟子たちが、日本刀文化を国内外へ伝えるために鍛錬を実演する役割を快諾したという逸話も残ります。

この施設の誕生により、刃物屋 三秀を訪れる外国人客が劇的に増加しました。

美術刀剣やお守り刀として

明治時代の廃刀令以降、日本刀(刀剣)が戦いの武器として使われることはなくなりました。今では、岐阜県関市で作られた日本刀(刀剣)も、美術刀剣やお守り刀、居合刀などとして流通することが主となっています。

誰でも購入できる美術刀剣

銃砲刀剣類登録証

銃砲刀剣類登録証

銃砲や刀剣類は「銃砲刀剣類所持等取締法」第三条で所持が禁止されていますが、例外のひとつに「美術品もしくは骨董品として価値のある火縄式銃砲等の古式銃砲または美術品として価値のある刀剣類」は、所有者が居住する都道府県教育委員会で登録することによって持つことができます。

通常、美術刀剣として認可された日本刀(刀剣)には「銃砲刀剣類登録証」が付いていて、刀剣専門店や骨董品店などで購入が可能です。すなわち、同証の付いた日本刀(刀剣)を購入すれば、所有許可を得たことになります。

「銃砲刀剣類登録証」審査で合格となるには、伝統的な制作方法で鍛錬されているかどうか、焼入れを施した日本刀(刀剣)であるかどうか、美術的価値の観点から全体的にはなはだしい錆やキズ、疲れがないか、などがポイント。

岐阜県関市の刀匠が作った日本刀(刀剣)も、刀剣専門店などで多く取り扱われています。

嫁入り時などに贈られるお守り刀

昔から日本刀(刀剣)には悪霊、「物のケ」を払う霊力があると信じられていたことから、日本刀(刀剣)を「お守り刀」として贈る習慣がありました。お守り刀を贈るタイミングは、出産や嫁入り、葬儀など様々です。

岐阜県関市においても、お守り刀は製造されています。

ふるさと納税の返礼品に日本刀が登場

地方自治体へ寄付をすることで、様々な返礼品がもらえる制度「ふるさと納税」。2008年(平成20年)の開始以来、話題を集め、岐阜県関市でも様々な返礼品が用意されています。

2018年(平成30年)には、関の日本刀(刀剣)が返礼品に。「あなたの寄附で刀剣文化が発展します!!」の呼びかけのもと、寄附金すべて関鍛冶文化を保全・発展のために使用することが発信されました。

刀匠による美術刀剣

ふるさと納税の返礼品になった関の美術刀剣は、関伝の刀匠が1年をかけて制作。大きく2種類に分けられ、数量限定です。

寄付金額500万円でもらえる日本刀(刀剣)は、先述の尾川光敏氏を中心とした刀傑5人による1振。寄付金額300万円でもらえる日本刀(刀剣)は、26代藤原兼房氏(加藤正文実氏)をはじめ、関鍛冶の技術を受け継ぐ若手刀匠が作成します。

いずれも刀長72cm(2尺4寸)前後の日本刀(刀剣)。寄附をした人が刀匠と打合せをして、好みの刃文文を切ってもらえる仕組みです。世界でひとつしかない日本刀(刀剣)が作れることなどから、初回は早々に終了しました。

カスタマイズできるお守り刀

岐阜県関市では、ふるさと納税の返礼品としてお守り刀も用意。寄付金額100万円の返礼品です。

このお守り刀は、関の刀匠が1振ずつ打ち、6ヵ月かけて制作します。こちらも寄附をした人が刀匠宅を訪れて、好みの刃文を打合せし、刻みたい銘を切ってもらうことができます。

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