守りの戦略

城を守る構造

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戦国時代、武将の居城であったことはもちろん、合戦の際の防御拠点として用いられていたお城。そして城郭を守るため、その周りには「堀」や「土塁」(どるい)、「石垣」などの施設、あるいは構造物が設置されました。時代が進んで戦がなくなり、お城が権力を象徴する意義を持つようになってからも、「お城を守る」という本来の存在意義は失われていなかったのです。お城を守るために設けられた様々な構造物が、具体的にはどのような役割を担い、また、どのような機能を備えていたのかについて解説します。

横堀・竪堀

横堀・竪堀

土を掘って溝を作ることで敵の侵入を遮断したのが、いわゆる「」です。

堀と言うと、水を張った「水堀」(みずぼり)が代表的ですが、近世に至るまで多くの堀は、水のない「空堀」(からぼり)でした。

空堀はその配置によって、主に「横堀」(よこぼり)と「竪堀」(たてぼり)の2つに分類されます。

お城の周りを囲むように、山の斜面に対して平行に掘られた横堀は、敵の縦移動を防ぐ役割を担っており、「曲輪」(くるわ:城壁や堀などで仕切られた区画)や「虎口」(こぐち)の周囲、緩やかな斜面などでその威力を発揮しました。一方、斜面に対して並行に掘られた竪堀は、敵の横移動を防ぎ、敵を狙いやすい状態にする働きがあったと言われています。

その他にも、防御力を高めるための堀として挙げられるのが、「障子堀」(しょうじぼり)と「堀切」(ほりきり)です。四角く区切られた障子堀は、その内部に敵を閉じ込める役割を、また、尾根を遮断するように造られた堀切は、敵の進軍を阻む役割を担いました。さらに堀は底の形によって、断面がV字の「薬研堀」(やげんぼり)や底が丸い「毛抜堀」(けぬきぼり)、底が平らな「箱掘」(はこぼり)といった種類にも分けられます。

薬研堀・毛抜堀・箱堀

薬研堀・毛抜堀・箱堀

土塁

土で急な斜面を造り、お城の最も外側の防御を担ったのが「土塁」(どるい)です。勾配がきついほど防御力が上がりますが、崩れやすさが増す恐れもあったため、多くの土塁は45°程度に止めた傾斜で造られていました。

土塁は工程によって主に、①「版築土塁」(はんちくどるい)、②「たたき土居」(たたきどい)、③「芝土居」(しばどい)の3つに分類が可能です。

①版築土塁は、粘土や小石、瓦などを交互に敷いて突き固められ、②たたき土居は、掘り上げた土砂を叩き固めて造られます。そして③芝土居は、崩れを防ぐために、芝が植えられていました。なお、芝土居の芝は、敵方が斜面を登る際、足掛かりになり得るため、常に短く切り揃えられただけでなく、低い土塁には採用されなかったと考えられているのです。

萩城 雁木

萩城 雁木

また土塁の上には、さらなる防御策として堀や柵が巡らされました。

土塁上の堀や柵は土塁の中央より外側に作られることが多く、これは敵方の動きを制限し、味方の足場を確保するためだったと言われています。

さらに土塁の内側には、味方の兵士が登るために、「雁木」(がんぎ)と呼ばれる坂や、階段が設けられました。

松江城 平櫓

松江城 平櫓

」(やぐら)は、古くは縄文時代や弥生時代の建物にも見受けられ、物見台としての役割を果たしていました。

中世までは木を組み上げただけの簡素な造りでしたが、近世になって城壁の上にそびえ立つ本格的な櫓が誕生しています。

戦いの際に櫓は、鉄砲の攻撃拠点となった他、平時には武器庫として用いられていました。

お城によっては、4階建て以上の櫓を「天守」と見なすこともありますが、多くのお城では、櫓の規模は最大でも3階建てまでになっています。1階建ての櫓は「平櫓」(ひらやぐら)、2階建て、及び3階建ての櫓は、それぞれ「二重櫓」、「三重櫓」と呼ばれます。

平櫓は、高さがない建造物であったため、物見台としての機能こそ果たしてはいませんでしたが、長さを伸ばして造ることによって、「多聞櫓/多門櫓」(たもんやぐら)として、土塁とほぼ同等の働きを持たせていたお城もあったのです。

また、二重櫓と三重櫓はその位置によって「隅櫓」(すみやぐら)と「櫓門」(やぐらもん)に分類されます。隅櫓は曲輪の四隅に、櫓門は城門と一体化した場所に建てられ、それぞれ防御の要となりました。櫓のなかでも大規模な三重櫓は、天守を持たないお城において、代替天守として使われていたと考えられているのです。

虎口

上田城 東虎口櫓門

上田城 東虎口櫓門

お城の出入口であり、守備と攻撃双方の拠点となった虎口。敵の大量侵入を防ぐために小型化したことから、同音で「小口」と表記されることもあります。

出撃や味方の兵士達の収容、補給、脱出といった様々な用途を持っていましたが、敵の侵入を防ぐために、あえて虎口を造らなかったお城も存在しました。

この虎口は、お城のパーツのなかで最も進化を重ねた部位とも言われ、いくつか異なる様式の物が造られています。それらのなかでも最も簡素だったのが、「石垣」や土塁に出入口を設けた「平虎口」(ひらこぐち)です。しかし、平虎口だけでは守備の面で不安があったため、その奥には「一文字土居」(いちもんじどい)と称される土塁が設けられました。

馬出

馬出

また、互い違いに設置した石垣や土塁に出入口を造り、方向転換を強いることで、敵兵の侵入を食い止めようとした「喰違虎口」(くいちがいこぐち)と称される虎口もあります。

その他にも、高低差を利用してスロープのように造られた、山城でよく見られる「坂虎口」(さかこぐち)や、これらの虎口を発展させて、兵士や馬の出入りを悟られにくくした「馬出」(うまだし)、の周囲を四角く囲った「枡形虎口」(ますがたこぐち)といった虎口が登場しました。

狭間

狭間

狭間

土塀に開けられた丸や三角形、四角形など様々な形の穴であり、お城の内側から敵兵に向かって、矢や鉄砲を放つために造られたのが「狭間」(さま)です。

狭間の多くは、内側よりも外側が狭い「アガキ」という造りになっています。これは、攻撃を避けつつ視界を確保する工夫でした。

狭間はその用途から、主に矢を放つための「矢狭間」(やざま)、鉄砲を撃つための「鉄砲狭間」(てっぽうざま)に分類されます。

鉄砲狭間は穴の形により、さらに丸い「丸狭間」、三角形の「鎬狭間」(しのぎさま)、四角形の「箱狭間」などがありますが、それぞれの用途の違いは、いまだに解明されていません。その他、攻撃する場所の高さの違いから、高めの「立狭間」(たちざま)、低めの「居狭間」(いざま)に分類されることもあります。

珍しい狭間として挙げられるのが、「江戸城」(現在の東京都千代田区)や「大阪城」(現在の大阪市中央区)など、いくつかのお城で見られる「笠石銃眼」(かさいじゅうがん)です。土塀ではなく、その下にある石垣の上部を加工した非常に小さな狭間であり、敵に狙いは付けられなかったものの、遠目では悟られないという利点がありました。

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大阪城 大手門

大阪城 大手門

お城の「門」は、構造や位置によって多くの種類がありますが、お城の守りを語る上で欠かせないのが、「大手門」(おおてもん)と「搦手門」(からめてもん)の関係、そして櫓門です。

「大手」と「搦手」は、お城との位置関係を表す言葉であり、大手門は、お城の正面にある門を、搦手門はお城の裏側にある門を指しています。

大手門が守備の要、さらには権力の象徴であったのに対して、搦手門は、非公式の出入口、または城主の逃走経路だったのです。

大手門が工夫を凝らして厳重に造られる一方、搦手門は目立たないように小さく造られていました。搦手門からはこっそりと兵を出すことができ、大手門から侵入してくる敵を、側面から挟み込むのに有効だったと言われています。一対として扱われることの多い大手門と搦手門ですが、お城が一定以上の規模になると、搦手門だけが複数造られることもありました。

また、数ある門の種類のなかでも、最も守備が優れていたのが、先ほども解説した櫓門です。門の上に多聞櫓を建てた櫓門は、最も格式高い門であると評されており、多くのお城において正面の大手門に採用された様式です。

石垣

お城の守りを固めると共に、斜面を補強する役割も担っていたのが石垣です。戦国時代の山城で一部に見受けられるのみでしたが、「織田信長」が築城した「安土城」(現在の滋賀県近江八幡市)で採用されて以来、お城を取り囲む防壁として本格的な発展を遂げました。

石垣は使われる石の加工法から、主に①「野面積」(のづらづみ)、②「打込接」(うちこみはぎ)、③「切込接」(きりこみはぎ)の3つに分類されます。

野面積・打込接・切込接

野面積・打込接・切込接

ほとんど加工せずに石を積み上げたのが野面積です。「間詰石」(あいづめいし)と呼ばれる小さな石で、敵の足場となり得る隙間を埋めました。そのあとに登場したのが、隙間を少なくするために打ち欠いた石を使った打込接です。安定性が増したため、野面積よりも高く険しい石垣が作られるようになりました。さらに加工技術が進み、ついに隙間がほとんどなくなったのが切込接です。しかし、加工にかかるコストが高く、打込接のようには普及しませんでした。

その他にも石垣は、積み方によって石の高さが揃った「布積」(ぬのづみ)、石の高さがバラバラな「乱積」(らんづみ)などにも分類されます。

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廊下橋の一例

廊下橋の一例

曲輪のなかでの移動に欠かせない反面、敵の侵入経路にもなり得る「」は、その素材によって主に木材で作られた「木橋」、堀の一部を残した「土橋」に分類されます。

木橋は、主要な出入口ではほとんど採用されず、お城の裏手や使用頻度の低い箇所などに造られました。

これは、敵兵から追い詰められたときに、木橋を破棄することで敵兵の侵入を食い止め、防御を固めるためであったと考えられています。

一方で土橋は、大手門などのお城における主要な出入口にも採用されました。さらに土橋は、中世の山城では細い造りであったのに対し、近代城郭において巨大化したことも特徴です。これは城の守備力強化に伴い、多くの敵兵を迎え打てるようになったためと言われています。近世城郭の大規模な土橋は、平時には巨大な物品の搬出や搬入にも利用されました。

近世城郭においては、屋根の掛かった「廊下橋」(ろうかばし)、一部を城内に収納することが可能な「引橋」(ひきばし)、滑車などで跳ね上げる「跳ね橋」など、様々な橋が見られます。廊下橋は敵の攻撃を避けるために、引橋や跳ね橋は、敵の進軍を防ぐために造られました。

城の守りから歴史を学ぶ

周りを取り囲んでお城を守った堀や土塁、石垣、守りの要となる櫓や虎口、門、橋といった構造物、そして狭間などの細かい工夫にも、敵の侵入を防ぐことを目的とした城を守る構造を観ることができます。これらには様々な種類があり、その時代や場所に合った役割を果たしていました。

また、お城の施設や設備の多くは時代を経るにつれ、建築技術の向上と共に発展を遂げています。お城を訪れる機会には、ぜひその守りの構造を観察し、その土地、その時代の戦略や築城技術に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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