動物植物大集合
織田信長も欲した天下の名香「蘭奢待」
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織田信長も欲した天下の名香「蘭奢待」

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室町幕府3代将軍足利義満に、6代将軍足利義教、8代将軍足利義政、織田信長…、ときの権力者がこぞって欲しがったという香木(こうぼく)がある。香木とは心地良い芳香を持つ木片、木材のことで、一般的には伽羅(きゃら)・沈香(じんこう)・白檀(びゃくだん)を指す。奈良時代、中国を経由して聖武天皇の手に渡ったその香木は、「蘭奢待」(らんじゃたい)という雅な名前が付けられ、権力や権威の象徴として天下人達のあこがれとなった。

蘭奢待とは?

蘭奢待は聖武天皇ゆかりの宝物を集めた正倉院に現在も収蔵されている。

正倉院の目録上の名前は「黄熟香(おうじゅくこう)」。全長156cm、最大径は43cmと、成人女性ほどもある巨大な沈香(じんこう)で、原産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされている。

  • 蘭奢待

    蘭奢待

  • 正倉院

    正倉院

沈香はジンチョウゲ科の樹木が幹の中に分泌した樹脂成分を採取した物。樹脂は、傷ついたり、害虫に食われたり、風雨にさらされたりすることに対する生体防衛反応として分泌され、1000年以上の年月を経てようやく採取できるようになる。中でも質の良い物は伽羅(きゃら)と呼ばれ、現代においては金の5倍以上の価格で取引されている貴重品だ。

聖武天皇によって名付けられた蘭奢待という雅名には、自身が創建した東大寺と「黄熟香」への愛情が感じられる。

良い香りを意味する「蘭麝(らんじゃ)」という言葉をもじった物と考えられ、「蘭」、「奢」、「待」の各文字には、それぞれ「東」、「大」、「寺」の文字が入っていることから、東大寺の別名とも言われている。

聖武天皇が手にしてから約1200年が経過した1877年(明治10年)、明治天皇は奈良御幸の際、正倉院を訪れて蘭奢待を切り取り、その一片を焚いたという。「薫烟芳芬(くんえんほうふん)」だったというから、昔と変わらず良い香りがしたことだろう。

「蘭奢待」を切り取った武将達

蘭奢待には切り取った跡が複数あり、室町幕府8代将軍足利義政と織田信長、明治天皇が切り取った跡には、それと分かるよう付箋が付けられている。

2006年の調査によると、切り取られた跡は38ヵ所あり、同じ箇所を切り取られている可能性があることを考慮すると、50回以上は何者かに切り取られていると考えられている。

織田信長と蘭奢待

織田信長

織田信長

信長が正親町天皇(おおぎまちてんのう)の許しを得て蘭奢待を切り取ったのは1574年(天正2年)3月のこと。

信長は天皇を超える存在、神になろうとしていたとも言われ、蘭奢待を切り取ることで、正親町天皇を威圧し、自身の存在を世に知らしめようとしたのではないかと考えられている。

「信長公記」によると、信長は長さ6尺の長持ちに収められた蘭奢待を多門城に持ち帰り、御成の間の舞台に置いて「末代の物語に拝見しておけ」と家臣達に披露。そして過去の例にならって、足利義政の切り取り跡の横1寸8分(約5.5cm)ほどを切り取った。

義政が切り取って以来、幾人もの足利将軍家が希望しても叶わなかったことなので、たいそう名誉に感じたという。

信長は切り取った蘭奢待の一部を正親町天皇に献上し、正親町天皇はその一部を元関白の九条稙通(くじょうたねみち)に贈った。そこに添付された手紙には、「蘭奢待の香り 近きは伏せられ候。このたび不慮に勅封をひらかれ」とあり、強引な信長の要請に応じざるを得なかった無念が綴られている。

源頼政と蘭奢待

蘭奢待はロマンにあふれ、伝承として伝わる逸話も多い。

平安時代末期、76代近衛天皇が毎晩何かに怯え、うなされるようになった。73代堀河天皇の頃にも同様のことがあり、そのときは源氏の棟梁の源義家が弓の弦を3度鳴らして病魔を退散させた。

先例に習い、近衛天皇に憑いた病魔を退散させるべく白羽の矢が立ったのが、武勇の誉れ高い源頼政。

ある晩、頼政が御所の庭を見回っていると、頭上に黒雲がたちこめ、頭は猿、胴は狸、尾は蛇(くちなわ)の怪物「鵺(ぬえ)」が現れた。頼政が鵺に向かって矢を放つと、みごと的中。待ち構えていた家臣の猪早太(いのはやた)が太刀でとどめをさしたという。

この鵺退治の褒美として近衛天皇は頼政に「獅子王(ししおう)」という名の太刀を下賜したと伝わっているが、同時に蘭奢待も与えられたという説がある。

徳川家ゆかりの品々を展示する名古屋の「徳川美術館」には、頼政から伝承したとされる蘭奢待の一部が収蔵されている。

徳川美術館

徳川美術館

由緒書きによると、頼政が賜った蘭奢待は大田道灌(おおたどうかん)の手に渡り、江戸時代のはじめには2代将軍徳川秀忠の娘、東福門院和子が所有していた。

その後、香道の流派である志野流のもとにあったが、1754年(宝暦4年)に尾張徳川家に献上されたと言われている。

ちなみに、徳川家康は信長の最期を想い、不吉なことが起こると考えて、切り取らなかったと言われている。

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