「棟区」(むねまち=峰区)は、刀身の棟(峰)側にある「区」(まち:刀身の刃側と棟側が「茎」[なかご]に向かってカギ形にくぼんでいる部分)のことで、区は「柄」(つか)に収まる茎と、「上身」(かみ:刀身の区から鋒/切先[きっさき]にかけての部分)の境界線になっています。
棟区は、日本刀の花形である刃側の「刃区」(はまち)に比べると、注目を集める部分ではあるとは言えません。しかし棟区は、この場所を観ることを通して、刀身が制作当時の姿をよく残しているか否かを推し量ることができる「知る人ぞ知る」鑑賞ポイントであると言えるのです。
棟区
棟区(むねまち)は、上身の棟において、棟から茎に向かう部分(棟側の下端部)のこと。鉤形(かぎがた)になっている棟区は、刃側にある刃区とともに、茎と上身を分ける境界線の役割を果たしています。
もっとも、博物館や美術館に展示してある場合、「鎺」(はばき)を装着していることも多く、その下に隠れているため、棟区の鑑賞をすることができるとは限りません。
日本刀ごとに合わせて制作されている鎺は、刀身の一部と表現されることもありますが、鎺と刀身の接点は、棟区と刃区。区部分には鎺を安定させると言う役割もあるのです。
作刀過程において、棟区・刃区が形成されるのは、「素延べ」(すのべ)、「火造り」が行なわれ、大まかな日本刀の形ができあがったあとの仕上げの段階。「鏟」(せん)と「鑢」(やすり)を使って、すべての線の基準となる棟を立て(棟の線を決める)、そのあと棟区と刃区(の場所)を決め、「鎬地」(しのぎじ)のムラを取っていくのです。
つまり、区は、茎と上身の境界線であるとともに、日本刀の姿を最終的に決定しているとも言えます。一般的に、区のある部分は、刀身において身幅が広い箇所ですが、そこから2寸(約6cm)の間で刃部、棟部がともに末広がりのような形状となっていく様子を、人間が両足で踏ん張っている様子になぞって、「踏張り」があると表現されてきました。
区部分(刃区、棟区)から出発して、上身の先端に行くにしたがって身幅が狭くなっていく様子との対比は、日本刀の姿を鑑定するためのひとつの要素でもあるのです。
すなわち、棟区・刃区の区部分には、姿の美しさを演出すると言う効果もあると言えます。
日本刀は、対象物を切断する武器であることから、刃が「主役」であり、鑑賞する際にも、どうしても刃文などの刃側に目がいきがちです。
そのため、区が注目されることがあっても、クローズアップされるのは、棟区ではなく刃区。「刃区が深いのはその日本刀が健全である証拠である」というような言われ方がよくなされるのも、そのためです。
ここで言う「健全」とは、作刀当時の姿がよく残っていると言う意味。すなわち、刃区が深ければ、その日本刀は研磨などによる磨耗が少なく、制作当時の姿をよく残していると言えるのです。
日本刀に限らず、刃物を使用する際、刃側については、刃こぼれの修復や、切れ味の保全など、必然的に研ぐことも多くなり、刀身が磨り減ってしまうリスクがついて回ります。
そのため、区の深さ(幅)の広狭を見極めることで、当該刀身の健全性(=磨り減りの少なさ)を判断することになるのです。このような判断を行なうにあたって、区の深さの基準となり得るのが棟区。刃区と棟区の深さが同じであることが一般的であるためです。
切断で使用する刃側とは反対側にあり、かつ上身の根元にある棟区は、刀身(上身)において、最も形状が変化しにくい場所。そのため、棟区を基準にして刃区を見比べることで、刀身の変化を推し測ることが可能になるのです。
他にも、棟区が制作当時の姿を残しているとする根拠があります。日本刀が実戦で使用されていた時代には、棟で相手の攻撃を受け止めて棟が損傷することもありましたが、刃とは違い、補修されるのではなく、そのままの状態にされていることが一般的だったのです。
棟に傷のある日本刀については、修羅場をくぐり抜けてきたことの証であるとされており、当時はむしろ好ましいことであると考えられていました。
そのため、刀身の棟側に付いた傷については、研磨などによる修復作業が行なわれることは稀であり、刃区と比べて棟区の形状が変化するリスクは、小さかったと言えるのです。
棟区は、刃区に比べて磨り減ったり、変形したりするリスクが低いことは前述した通り。
しかし、磨り減ったり変形したりしてしまうリスクを一気に増大させているのが、錆(さび)の発生です。日本刀を武器(道具)として使用することが皆無となった現代においては、刀身を「白鞘」(しらさや:白木で作った塗りのない鞘)に収めて保管することが多くなります。
その際、鞘の内部と刀身を接触させたまま長期間放置すると、白鞘の内部にあるホコリなどが原因となって、刀身に錆が発生してしまうことがあるのです。
刀身の刃部については、切断すると言う実用面と、刃文などを鑑賞すると言う美術品の両面において、日本刀の最重要部分。そのため、保管するに当たっては、鞘に収める際にも、内部と刃部が接触することのないように、細心の注意が払われています。
しかし、それ以外の場所については、刃部ほど神経を使って扱われていません。そのため、刃部以外の場所が鞘に接している「鞘当たり」の状態で、日本刀を長期間放置してしまうこともあります。その結果、棟など、刃部以外の場所に錆が発生することは珍しくありません。こうして発生した錆を取り除くべく刀身を研磨した結果、棟区の幅が小さくなってしまう事態が生じてしまうのです。
刀身の断面図
棟側を研ぐ場合には、刃側を研ぐ以上に研師に技量が要求されます。なぜなら、刃側は「鎬」(しのぎ)から直線的に刃に向かっていくのに対し、棟側は、鎬→鎬地(しのぎじ)→棟と角度を変えながら「庵」(いおり)へと達しており、立体的に研がなければ鎬筋に歪みが生じてしまうのです。
棟側は刃側よりも形状が複雑であるため、研磨も一筋縄ではいきません。
そのため、錆が広範囲に発生している場合には、錆の周辺から立体的に研いで整形していく必要があり、その結果として、より広範囲に亘って研磨することになる結果、棟区が浅くなる危険性が大きいのです。
日本刀を武器として使用しなくなった現代において、刀身に錆を発生させないための最も効果的な方法は、こまめな手入れ。
これに尽きます。このとき最も注意すべきなのが、鞘の中の汚れです。鞘の中が汚れていたのでは、いくらこまめに手入れをしても、汚れの中にたまっているホコリや、残っていた錆などが原因となって、すぐに新しい錆が発生してしまいます。
こうした場合、拵の鞘であれば新しく作り変える必要がありますが、白鞘の場合には、鞘を1度割って、内部を掃除したあとに、再び接着する方法によって対処するのです。
現代に伝わる日本刀が、制作当初の姿そのままであると言うことはありません。
なぜなら、刀身は研磨を重ねるほど確実に擦り減っていくのであり、研磨を行なった結果、刀身が「増える」と言うことは物理的にあり得ないからです。
前述のように、日本刀を鑑賞するにあたって、「日陰の存在」であるとも言える棟区は、注目されることがほとんどないのが実情。そうしたなかで、健全性を判断する基準となる棟区に注目して、目の前にある日本刀がたどってきた歴史に思いを馳せることも、日本刀鑑賞におけるひとつの楽しみ方であると言えます。