戦国愛のカタチ
ラブレターに見る、性別を超えた戦国武将の恋ごころ
戦国愛のカタチ
ラブレターに見る、性別を超えた戦国武将の恋ごころ

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LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字)やSOGI(Sexual Orientation and Gender Identityの頭文字)といった言葉が世間を賑わし、セクシャルマイノリティーの人権が叫ばれる現代だが、歴史を振り返れば、かつての日本の恋愛は今よりもっと開放的であった。 男色を意味する「衆道」は本来、「主君への忠義のためなら命も捨てる」という武家の少年が持つべき精神性を表す言葉だったとか。裏切り、謀略なんでもありの戦国時代には、命を懸けた深い信頼で結ばれた主従関係が恋愛に発展するケースも多かった。勇猛果敢なイメージのある武田信玄や伊達政宗も家臣との秘められた関係を持っていた戦国武将のひとり。彼らが同性の恋人に送った熱烈な恋文を覗いてみよう。

武田信玄が春月源助に送ったラブレター

武田信玄

武田信玄

1546年(天文15年)、20代の武田信玄が、6歳年下の春日源助(かすがげんすけ)に宛てたとされる手紙が東京大学史料編纂所に所蔵されている。

春日源助は、武田家の軍学書【甲陽軍鑑】の原本を記した人物で、武田二十四将のひとり、高坂昌信(こうさかまさのぶ)であると考えられている人物だ。

「誓詞之意趣者(このような内容で誓います)」で始まる手紙は誓約書のような形式を採っており、弥七郎という別の男との浮気を疑われた信玄が、その疑いを晴らすために必死になる様子が見て取れる。

【原文】
誓詞之意趣者
一、弥七郎ニ頻々度々申候へ共、虫氣之由申侯間、無了簡候、全我偽ニなく候事。
一、弥七郎ときニねさせ申侯事無之候、此前ニも無其儀候、況晝夜共弥七郎と彼義なく候、就中今夜不寄存候之事。
一、別而ちいん申度まゝ、色々走廻候ヘハ、還而御うたかい迷惑ニ候。
此条々いつわり候者、当国一二三大明神、冨士、白山、殊ハ八幡大菩薩、諏方上下大明神可蒙罰老也、仍如件
内々法印ニ而可申候へ共申待人多候間、舌紙ニ而明日重而たり共可申候

七月五日 晴信(花押)

春日源助との

【現代語意訳】
誓いのことば
一、弥七郎に度々言い寄ったが、具合が悪いと断られた。嘘じゃない。
一、弥七郎と寝たことはない。昼も夜もそんな関係になったことはない。ましてや今夜などある訳もない。
一、おまえとの関係を良くしたいと思って、いろいろ奔走したけれど、かえって疑われて困る。
これらが嘘だった場合は、わが国一、二、三の大明神、富士、白山、特に八幡大菩薩や諏訪上下大明神の罰を受けてもかまわない。
本来なら正式な紙に書くところであるが、役人の目があるので白紙で失礼。明日、もう1回、ちゃんと書く。

七月五日 晴信(印)

春日源助どの

手紙

手紙

ラブレターから受ける印象は時代劇などで見る信玄像とはまるで異なる、人間らしい姿が浮かび上がる。

例え時代が変わっても、例え相手が同性であっても、人が恋愛したときに抱く感情は永久不変なのかもしれない。

伊達政宗が只野作次郎に送ったラブレター

伊達政宗

伊達政宗

筆まめなことで知られる伊達政宗。1617年頃、50歳を超えた政宗が、小姓の只野作十郎(ただのさくじゅうろう)に宛てた長い恋文が、仙台市博物館に所蔵されている。

手紙は、作十郎の浮気を疑った政宗が、酒の席で罵倒したことを謝罪する内容。

武将同士の恋は、愛情表現も情熱的だ。

【原文】
存知よらざるところに、細やかの御文、なお起請をもって承り候通、誠にもって辱しき次第、申すはかえって愚かのように御座候。
さてさて先夜、御酒の上に、また候や、何を申し候や、迷惑千万限りなく候。
そこから貴殿を疑い申す心中も候はば、その品を文にても申し候か、さらずは伝蔵か、または横目の者どもしてなりと申し候て、あきらめも申すべく候が、左様に存ぜず候ゆえ、とかくも申さず候が、酒の上に何と申し候や、夢いさささかも覚え申さず候。
昔我ら手前へ御出でなきとき、貴様にかの者惚れ申し候よしを、ある乞食坊主が落とし文のうちに書き申し候つる。
その坊主、そのときより行き方なく走り申し候間、なかなかしやうにたて候。
さも候わんとは存知候わぬことにて候へども、あまりに貴殿を存知候ゆえに、荒き風にもあてじと存じ候まま、走る馬に鞭とやらん、堅き上にも貴様御心中堅くいたしたく存じ候て、酒乱れの上に申したる物にて候べく候。
酒の上ながら我ら申すを御聞き候て、恨みに思し召し、かようの仰せわけは一段余儀なく存じ候。 承り候えば、腕を御突き候て、かように血判を御据え候よし、さてもさても苦々しく存じ候。
我ら存じあわせ候はば、御脇差にもすがり申すべきものを、是非に及ばず候。 せめて我らも指をも切り申し候事か、さらずは股か腕をも突き候て、この御礼は申し候はでかなわぬ事に候えども、早、孫子を持ち申す年ばえに御座候へば、人口迷惑、行水などのとき、小姓どもにも見られ申し候へば、 「年頃に似合わぬことをつかまつり候」 と言われ申し候へば、子どもまでの傷と存じ候て、心ばかりにて打ち暮らし申し候。
ご存じ候ごとく、若き時は酒の肴にも、腕を裂き、股を突き、その道はたやすくつかまつり候事にて候えども、今ほどは世の笑い事になり候てはと、控え申し候。
日本の神々、腕・股を突き候事やばしく存じ候て控え申すにては御座なく候。
我ら腕・股を御覧候え。あまり空き間もなき様に、昔はさようの事好き候てつかまつったる我らに候えども、是非に及ばず候。
あまりあまり御心元なく候間、伝蔵見申し候ところにて起請を書き、即ち血判つかまつり候て進じ申し候。
これにて聞こし召しわけ、今日よりいよいよ御心おきなく、御情けにもあずかり候はば、海山忝く存ずべく候。
なおなお伝蔵申すべく候。 恐々謹言。

正月9日 政宗(花押)

返す返す辱しく候辱しく候。 我ら心中も聞こし召しわけ給うべく候。

【現代語意訳】
こまやかな手紙のうえ、起請文まで頂戴してかたじけない。
酒の席でひどいことを言ってしまったようだ。
本当に貴殿を疑っていたとしたら、手紙か使いの者をやって諦めるところだが、疑っていなかったので、何もしなかったし、何も言わなかった。しかし、酒の勢いでつい、酔っていたためまったく覚えていないのだが…。

ある乞食坊主が落としていった文に、かの男が貴方に惚れているということが書いてあった。
そんなことはないと思ったものの、貴方のことをよく知っているようだったので、気持ちを確かめたいと思い、酒の勢いで暴走してしまった。

(身の潔白を証明するために)貴方が腕を突いて血判を押したと聞いて、心苦しく思っている。
私がそばにいたら、脇差にすがりついてでも、そんなことはさせなかったのに。
私も指か腕を突いて、お返しをしたいところだが、今は子も孫もいる身。
そんなことをすれば、年甲斐もないと人に笑われ、子どもに迷惑をかけてしまうと思い、思い止まっている。
ご存知の通り、若い頃は酒の肴に腕を割き、股を突き、衆道の道を突き進んだものだが、今は世の笑いごとになってはいけないと思って控えている。
けっして体を傷つけるのがいやで、やらないのではない。私の腕や股は隙間もないほど傷だらけだ。
かつてはこのようなことを誇ったときもあったが、今はどうしょうもない。
しかしこのままでは、あまりにも貴方に申し訳ないので、伝蔵が見ている前で起請文を書き、血判を押して届けさせるので、どうか許してほしい。
今日にも増して気兼ねすることなく、愛情を寄せてくれたら、海山ほどに嬉しい。

1月9日 正宗 (印)

返す返す恥ずかしいが、どうか私の気持ちを分かってほしい。

ちなみに伊達政宗は1579年(天正7年)、12歳のときに陸奥国の戦国大名、田村清顕(たむらきよあき)の娘、愛姫(めごひめ)と結婚。1600年(慶長4年)に嫡男の忠宗(ただむね)を授かっている。また、側室は6人~7人はいたと考えられている。

一方、武田信玄も1533年(天文2年)に扇谷上杉家当主、上杉朝興(うえすぎともおき)の娘と結婚。その後、上杉朝興の娘が難産により死亡すると、1536年(天文5年)に左大臣・三条公頼(さんじょうきんより)の娘である三条夫人と再婚し、1538年(天文7年)に嫡男の義信を授かっている。そして、少なくとも3人の側室がいたという。

小姓達との恋愛だけでなく、正室や側室、子や孫へも愛情を注いだ武田信玄と伊達政宗。戦国の世で名を馳せた武将は、行動力や知力、体力に恵まれていたただけでなく、持って生まれた愛のエネルギー量も秀でていたのだろう。

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