「折れず・曲がらず・よく切れる」。日本刀に興味がある人なら誰もが1度は耳にしたことがある、日本刀の優れた強靭性を表す言葉です。日本刀制作には、いくつもの工程がありますが、そのような刀を完成させるために、「玉鋼」(たまはがね)を叩いて鍛える「鍛錬」(たんれん)という工程が欠かせないことはよく知られています。しかし、完成した刀が良質な物になるかどうかは、実は鍛錬の直前に行なわれる、「沸し」(わかし:「積み沸し」とも)と呼ばれる工程のできによって左右されるのです。ここでは、そんな沸しの工程について順を追ってご紹介しながら、沸しが日本刀制作において重要な役割を果たす理由について探っていきます。
日常生活で用いられる「沸す」という言葉は、「お湯が沸く」など、水などに熱を加えて熱くすることを意味しますが、日本刀制作で沸すというときには、玉鋼を「火床」(ほど)と呼ばれる炉のなかで熱し、その芯までじっくり熱を通すことを指しているのです。
玉鋼
このように玉鋼を火床で加熱することを、日本刀制作では「赤める」と言います。
玉鋼を沸すことで得られる効果を知るためのキーワードは、「せいれん」という言葉。日本刀制作の工程では、他にもせいれんの効果を利用する技術があり、それは玉鋼を生産するために行なわれる、「たたら製鉄」と呼ばれる日本古来のもの。
ただし、この場合のせいれんは「製錬」と表現され、これは、鉱石や砂鉄などの原料から不要な物を除去し、中に含まれる金属を抽出して精製することを表す言葉です。
これに対し、沸しによって行なわれるせいれんは「精錬」と書き表されます。こちらは、よく練って鍛えることにより、金属の純度を高めることを意味しているのです。
沸しを施す前の玉鋼は、満足に精錬されておらず純度が低い状態。このあとの鍛錬によって玉鋼を強靭な物に成熟させるために、沸しの工程を経て精錬することが必要なのです。
日本刀制作は、「水減し」(みずへし)と呼ばれる工程から始まります。これは、赤めた玉鋼を厚さ5mmほどまで打ち延ばす作業です。
水減しを経て、沸しが完了すると、ようやく玉鋼などが作刀に適した素材となり、刀身そのものの制作に入ることができます。しかし沸しの前には、その準備段階として次の3つの工程を経る必要があるのです。
「小割り」(こわり)は、水減しを終えて薄く延ばされた玉鋼の中から、良質な物を選別するために行なう工程。「金敷/鉄敷」(かなしき)など硬い材質の台の上で、玉鋼を小鎚(こづち:打ち叩く道具のうち、小さいサイズの物)で叩き、2~2.5cm程度の大きさに砕きます。
このとき、炭素量が丁度良い加減の部分は無理に力をかけなくても、簡単に割ることができますが、十分に炭素が含まれていない部分は、何度叩いてもなかなか割れずに、曲がってしまう物もあるのです。刀匠は、このときの割れ方や破断面を見ただけで、炭素量や、「鉄滓」(てっさい)と呼ばれる不純物の有無などを瞬時に判断します。
そして、その中から、きれいに割れた品質の良い鋼だけを2~3kgほど選び出し、刀身の表側に用いられる「皮鉄」(かわがね)の材料にするために準備をするのです。
なお、小割りした鋼の中でも、鉄滓が多いためにやわらかくなっている鋼は取り除かれ、皮鉄で包まれる「心鉄」(しんがね)に使用されます。
沸し以降の工程で用いる道具となる、「テコ台(テコ皿)」と「テコ棒」を制作する工程です。
簡単に言うと、「テコ台」は小割りされた鋼を積んで載せるための道具であり、テコ棒は鋼を火床に入れて沸すときに、最もスムーズに沸すことのできる位置に固定させておくための物。テコ棒が持ち手となり、その先にテコ台が接着されます。
テコ台は、最終的に刀身の一部となるため、その材料には良質な玉鋼を用いなければなりません。しかし、テコ棒に用いる鋼については、質は問わないため、刀工によっては普通の錬鉄で制作する場合もあるのです。
テコ棒は、鋼を折り返して鍛えることを3~4回繰り返し行なったあと、角棒状に薄く打ち延ばし、持ち手となる部分には、熱くなっても持つことができるように、麻などで編みこまれた細い縄を巻きます。また、テコ台の接着が容易になるように、テコ棒の先端は、片側を削ぎ落としているのです。
テコ台とテコ棒の先端を接着するには、まず、その両方を火床に入れて、一定の温度まで赤めることが必要。赤めることで、鉄滓や酸化膜などの不純物を取り除くのです。
このとき、通常は火花の出る直前の温度が適温であるとされていますが、刀匠は赤めた色により、この温度を見極めます。一朝一夕には、確に判断できるようにならず、やはり長年の経験によって培ってきた、刀匠自身の感性が大切になってくるのです。
赤めたテコ台とテコ棒を重ね、鎚で叩いて鍛接すれば完了となります。
接着効果を高めるために薬品などを用いることもありますが、日本で作られた鋼は、適切な温度で赤められていれば、自然に接着させることが可能。このように、鋼を沸した温度のみで接着する技術は、「沸し着け」(わかしづけ)と称され、日本に古くから伝わる鍛冶技術の大きな特色のひとつです。
積み重ね
「積み重ね」は、小割りの際に選別した鋼を、テコ台の上に、パズルのように隙間なく積み重ねる作業。
積み重ねの前にわざわざ小割りを行なうのは、小さくすることで鋼に伝わる熱が均一になるようにするだけでなく、鍛錬を行なったときに、鉄滓などの不純物を抜けやすくするため。
「太刀」(たち)や「打刀」(うちがたな)を制作するのであれば2~3kgの鋼が積み重ねられ、それらよりも刀身が短い「短刀」(たんとう)や「脇差」(わきざし)であれば、その長さに応じて分量を変えます。
積み重ねる鋼は、小割りできれいに割れた物であれば、どこに置いても支障はありません。しかし、「耳」と呼ばれる鉄滓などが含まれる箇所が付いている物については、不純物が抜けやすくなるように、なるべく外側に置き、火が直に当たるように調節。
また、鍛錬の際、鋼を鎚で打ち叩くと共に火花が飛び散ります。このとき、粒状になった非常に小さな塊が一緒に出てくることがありますが、その中には、鉄滓はもちろんのこと、質の高い鋼も含まれているのです。刀匠は、この極小の鋼でさえも無駄にせず、積み重ねによって生じたわずかな隙間に差し込んで、鋼全体に熱が満遍なく伝わるように配慮します。
積み重ねの作業が完了すると、いよいよ沸しへ。この工程では、バラバラに積み重ねた鋼を火床に入れて赤めて、ひとつの塊にまとめるのです。単純に鋼を熱するだけの作業のようにも思えますが、そこには、いくつもの細かな工程と様々な工夫があります。
これは、積み重ねた鋼を火床に入れる前に行なう最初の作業です。まず、和紙を水で濡らし、それを用いて鋼の表面をすべて覆います。こうすることで、火床に入れる際に、積まれた鋼が崩れにくくなるのです。
次に、空気と鋼のあいだを遮るために、和紙の上から藁灰(わらばい)をふりかけます。これには、鋼の燃焼を防止する効果があるのです。
藁灰に用いられる藁は、もち米の稲を干して作られた物。これを半燃焼した藁灰が沸しには使いやすいとされ、刀匠のあいだでは「アク」と呼ばれているのです。
そして、さらにその上から泥汁を全体的にかけ、鋼の中心部にまで熱が伝わりやすくします。
泥汁の作り方は、刀匠によって違いがあるもの。しかし、その多くは、乾燥させた良質な粘土を細かく砕いてから篩(ふるい)にかけ、微粒子になった物に松炭の粉末や腐敗土などを少量混ぜ、水でよく溶いて作られます。
「鞴」(ふいご)と呼ばれる送風装置を用いて火力を調節しながら、火床のなかで鋼を赤める工程。現代刀匠のなかには、鞴の代わりにファンを用いる人もいますが、火力の加減によってできが左右される沸しにおいては、人間の手で微妙に風力を調節できる鞴のほうが適していると言えるのです。
基本的には、左手で鞴の取っ手を持ちながら風力を調節すると同時に、右手でテコ台の付いたテコ棒や火掻き棒(ひかきぼう)を握りつつ、積み重ねられた鋼が崩れないように、そして熱の伝わり方をコントロールしながら作業を行ないます。
急速に火力が上がることを防ぐため、沸しの初期段階では、あまり力を入れずに少しずつ風を送ることが重要。鞴の取っ手を可能な限り長く抜き差しすることで、鋼がじっくりと沸くようにするのです。
刀匠は鞴を吹くとき、火床の中から聞こえてくる音に細心の注意を払います。この音を聞き分けることで、鋼がうまく沸き始めたかを判断するのです。両手のみならず、耳をよく働かさなければなりません。
沸しが順調に始まったことを見極めると、次は「太鼓吹き」(たいこぶき)という鞴の吹き方に移ります。
ここでは、前段階よりも力を入れて、鞴の取っ手の抜き差しを短く行ない、そのあとは、少しのあいだ鞴を止めておくという作業を数回繰り返すのです。この作業中の音が太鼓に似ていることから、太鼓吹きの名称が付けられています。ここで火床の中に熱が充満し、火力が徐々に上がっていくのです。
火力のタイミングを探り、今度は主にテコ棒を動かしていきます。テコ棒を少しだけ手前に引っ張り出したあと、即座にテコ台の先のほうを火床の奥へ差し込むのです。この段階になると火花も多く発生します。熟練の刀匠であれば、鋼が完全に沸かされたかどうかは、火花や沸しの音だけで判断することが可能。
しかし、そうでない場合は、炭を押し分けるか、テコ台の先を瞬間的に引き出して、鋼の色を確認します。黄色に変化していれば鋼が十分に沸かされていることを意味し、まだ赤みを帯びた状態であれば、再び鞴を用いて送風を続けるのです。
仮付け
「仮付け」(かりづけ)は、鋼の沸し具合を見定めるために行なう工程。よく沸いたと判断された鋼を、いったん火床の中から取り出します。
そして、2~3回、大鎚で注意深く叩き、崩れるかどうかを試すのです。沸しが好ましい状態であれば、鋼が崩れ落ちてしまうことはありません。
この仮付けの状態により、これからどの程度沸しをかけるのかを見極めて、鋼を再び火床の中に戻すのです。
沸かしをかける様子
さらに沸しをかけ続けて、良い頃合いとなった鋼を火床から取り出し、金敷に載せて数回打ち叩きます。
ここで完全に沸き、鋼をきちんと鍛着できると判断できれば、古い藁灰を払ってから新たな藁灰と泥汁をふりかけ、再度火床の中に戻すのです。
このとき、鋼はすぐさま沸しがかけられますが、鞴での送風は少しずつ行なうようにします。
一段とよく沸かされた鋼は、火床の中からまた取り出されて金敷に載せられ、打ち固められていくのです。ここで技術の優れた弟子達による「向こう鎚」(むこうづち)と呼ばれる補助が入り、まずは10回ほど上から大鎚で叩かせます。
次に刀匠が手首を返して上に向けた側面を2~3回叩かせて鋼が十分に固まれば、藁灰と泥汁を再びまぶして、火床の中に戻します。なお、この一連の作業は、長い時間がかけられているように思えますが、「沸き」がなくならないうちに、瞬時に行なわなければならないものです。
「本沸し」(ほんわかし)は、日本刀制作において最も重要だと言っても過言ではない工程。本沸しによって、より多くの鉄滓が抜けることになるため、鋼を精錬し、強靭な刀身を作り上げるためには、避けては通れないものなのです。
本沸しの最初の段階では、鞴を吹く力を弱め、送風を少しずつ行ないます。この工程でも、鋼を火床の中から時折取り出して様子を見つつ、もとの藁灰と泥汁を払って新しい物を付け、再び沸すという作業を繰り返すのです。
本沸しでは、沸しが活発になってくるとテコ棒をくるくると回転させ、鋼の上下左右、全体に火を行き渡らせます。
本沸しを経て塊となった鋼を、大鎚で打ち叩いて固める工程です。沸しの次の工程である、本格的な「鍛錬(折り返し鍛錬)」の直前に行なうことから、「仮鍛錬」(かりたんれん)とも呼ばれます。
ひと塊になっているとは言え、全体的にはまだ弱い部分でもあるため、塊が崩れない程度の軽い力で、徐々に叩き固めていく必要があるのです。
大鎚で何度も打ち叩いていくうちに、粘り気のある鋼となり、なかなか砕けない強さを持つようなります。この段階になれば、体じゅうの力を持って大鎚を振り下ろして打ち叩くスピードを加速させ、次の鍛錬の準備を整えるのです。