日本刀を作る
時代別の火造りの方法
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時代別の火造りの方法

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日本刀(刀剣)制作において「火」は欠かせない要素のひとつ。バラバラになっている「玉鋼」(たまはがね)に熱を入れ、鍛接してひとつにする「積み沸し」(つみわかし)や、玉鋼を叩き伸ばして不純物を取り除き、含まれる炭素量を均一化して刀身の強度を増加させる「鍛錬」(たんれん)など、火が使われる工程はいくつもあります。その際に、火の温度や火力を正しく見極め、いかに自在に操れるかが刀匠の腕の見せどころ。 そんな火という言葉が入った「火造り」(ひづくり)という工程は、日本刀(刀剣)制作の中でも刀身の姿を決定付ける最も重要なもの。 ここでは、時代によって異なる火造りの詳細についてご紹介しながら、火造りの全貌についてご説明します。

火造りによって作り出される物

火造り

火造り

「トン・テン・カン」とリズム良く呼吸を合わせて数人で鎚(つち:打ち叩く道具)を下ろし、火花を散らしながら玉鋼を鍛えていく作業。作刀の様子をイメージするとき、いちばんに思い出される場面です。

この「向こう鎚」(むこうづち)と呼ばれる、刀匠の弟子達による補助が入るのは、実は「火造り」(ひづくり)の前の工程まで。

火造りは、鍛錬された玉鋼を炉で熱し、日本刀(刀剣)の長さにまで鎚で叩いて打ち延ばす「素延べ」(すのべ)という工程を経て、刀身の先端となる「鋒/切先」(きっさき)を打ち出したあと、刀匠自身がひとりで行ないます。

日本刀(刀剣)の美しい姿を主に構成するのは「刃先」(はさき)、刃の反対側となる「棟」(むね)、そして刃と棟の中間あたりに「茎尻」(なかごじり)から鋒/切先まで稜を高く立てて結ぶ「鎬筋」(しのぎすじ)という3つの線。刀匠は火造りの際、鋒/切先を基準にしてこれらを打ち出していきます。もちろん、そのときには定規などは使いません。修行によって磨いてきた自身の感覚と技術を駆使して、目標とする日本刀(刀剣)の完成形の姿に近付けていくのです。

火造りは素延べのときよりも低めの温度で赤めて、小鎚で入念に叩いて姿を作り出していきます。

その姿には「造込み」と呼ばれる刀身の形状の種類がありますが、最も一般的な物は、横手(よこて:鋒/切先の下端部にある線)と鎬が施された「鎬造り」(しのぎづくり)。

この他にも、平面で鎬筋がなく短刀や脇差に多い「平造り」(ひらづくり)や、鎬筋のみで横手のない「菖蒲造り」(しょうぶづくり)など、様々な造込みがあるのです。

造込みの一例

造込みの一例

最終的に目指す造込みの種類によって、火造りにおける姿の打ち出し形も変わりますが、鋒/切先を整えたあとに刃にあたる部分を薄く叩き出し、棟側も若干薄く叩くことで鎬を立て、大まかな姿を決めていくのが基本となっています。

火造りに求められる2つのポイント

火造りにおいて、最後の工程となるのは「からならし」と呼ばれる作業。これは、刀身の表面を赤めることなく叩いて締めることで、表面をならすために行なうもの。しかし、そこに至るまでに求められることは、単なる技術的な巧さだけではありません。

日本刀(刀剣)の品位を左右する「反り」を計算する

火造りは、棟や鎬筋などの造込みの仕上がりを見通して行ないますが、実はこの段階で、すでに僅かな反りが生じているのです。反りは刀身全体を800℃ほどの高温に加熱し、水に入れて急激に冷却することで硬化させる「焼き入れ」(やきいれ)という工程で、最終的な形状が決まります。日本刀(刀剣)の姿全体の中でも、反りはその寸法や中心の位置によって、鑑賞する人に与える印象を変える部位。

つまり、反りとは日本刀(刀剣)から醸し出される品位が「優美」な物となるのか、それとも「豪壮」な物になるのかを左右する、大切なところだと言えます。

焼き入れの際に自然と入る反りは、およそ2分5厘(約0.75cm)ほどの物。火造りの際には、刃を打ち出すことで生じるほんの少しの反りが、これに加わることを計算しなければなりません。

そのためには、反りを含めて刀匠が本当に作りたい日本刀(刀剣)の姿を正確に把握しておくことが、火造りにおける重要なポイントのひとつなのです。

日本刀(刀剣)の個性や時代を表す「平肉」について考慮する

日本刀(刀剣)の姿を評価するときに用いられる言葉のひとつに平肉(ひらにく)という物があります。刀身の刃先部分の量感を表す「刃肉」(はにく)と、同じく平地部分の量感を表す「地肉」(じにく)の2つを含めた総体的な表現です。

すなわち、平肉は刀身の量感や肉厚感がどれだけの物であるのかを表す言葉。例えば、刀身の真ん中あたりがひと際肉厚に仕立てられている場合には「平肉たっぷり」と表現するなど、その日本刀(刀剣)が持つ個性を如実に表す物。

また、時代の移り変わりによる戦闘様式や防具となる甲冑(鎧兜)などの変化によっても、平肉のあり方には差異が生じています。そのため火造りでは作刀において、どの時代の平肉を意図しているかが分かる仕上がりになるように、考慮することが欠かせません。刃文などにも同じことが言えますが、平肉によって刀匠が意図する時代が明確にされていることが、日本刀(刀剣)そのものの高い評価に繋がる条件のひとつになるのです。

このように火造りは、高い技術だけではなく日本刀(刀剣)が持つ品位や、時代別の特徴を感覚的に捉えて、それを明確に表すセンスも問われる工程。それ故に、非常に難易度の高い作業だと言えます。しかし、その分ここで入念に仕上げておけば、そのあとの作業にかかる負担が格段に軽減されるのです。

その具体例のひとつは火造りの次の工程で、姿の形を整えるためにヤスリを掛ける「セン掛け」。そして、すべての作刀工程が完了したあと、研磨のために研師(とぎし)のもとへ回す前に、刀匠自身が日本刀(刀剣)全体の出来映えを確認しながら荒研ぎを行なう「鍛冶押し」。

これらの工程の中で、必要な肉まで削ってしまったり、研ぎすぎてしまったりすることを防ぐために、刀匠が思い描く日本刀(刀剣)の姿を火造りではっきりと現しておくのです。

時代を映し出す火造りの種類

「新々刀」の祖でありながら、現代の刀匠にまで多大な影響を与えている鍛法を確立した刀匠に「水心子正秀」(すいしんしまさひで)という人がいます。彼は「大慶直胤」(たいけいなおたね)、「源清麿」(みなもときよまろ)と共に「江戸三作」と称された名工。

正秀は、太平の世となった江戸時代に刀身の作りが強靭でなくなったことを嘆き、南北朝時代から室町時代初期頃の武用を第一の目的とした「古刀」に帰ろうとする「復古刀」論を提唱しました。彼の皆伝書とも言える著書「剣工秘伝志」(けんこうひでんし)のなかには、その思想が表されているだけでなく、日本刀(刀剣)の姿における造込みの寸法などについても記載されているのです。

具体的には、刃長1~3尺(約30~90cm)に対し「茎」(なかご)、「重ね」や「身幅」の長さがどれだけになるのかということについて、1寸(約3cm)ごとに示しています。

しかし、これはあくまでも復古刀論に基づき、正秀自身が標準化したもの。火造りによって打ち出される日本刀(刀剣)の姿には、時代によって異なる特色が見られることを、念頭に置いておかなければなりません。

平安時代から鎌倉時代初期

平安時代の太刀は「先幅」(さきはば)が「元幅」(もとはば)の約半分ほどに狭くなり、長寸で反りは腰反り高く、小鋒/小切先(こきっさき)となっています。

武器としての日本刀(刀剣)ではなく、衛府(えふ:平安時代に、宮城の警備にあたった役所)や儀仗(ぎじょう:儀礼のために用いる装飾的な武器や武具)用としての姿が重視された造込みです。短刀については、この頃の物はほとんど現存していません。

鎌倉時代初期になると、平安時代の優雅な作風の中に豪壮さが加わるのが特徴。「焼幅」(やきはば)も一段と広がり、腰元に踏ん張る力が見て取れます。

また、短刀は「豊後国行平」(ぶんごのくにゆきひら)の物がわずかながら現存。鋒/切先は、幾分か刃の方向に向く「筍反り」(たけのこぞり)で若干細めの姿です。

代表刀工(太刀)

【平安時代】

三条宗近(さんじょうむねちか)、伯耆国安綱(ほうきのくにやすつな)、備前国友成(びぜんくにともなり)、古備前正恒(こびぜんまさつね)など

【鎌倉時代前期】

福岡一文字派(則宗[のりむね]・助宗[すけむね]・宗吉[むねよし])、粟田口国綱(あわたぐちくにつな)、青江貞次(あおえさだつぐ)など

平安時代後期から鎌倉時代前期の太刀姿

平安時代後期から鎌倉時代前期の太刀姿

鎌倉時代中期

太刀は、前時代と比較して元幅と先幅の差が少なくたっぷりとしており、反りも腰反りや中間反りとなりますが、前時代ほどはありません。短く詰まったいわゆる「猪首鋒/猪首切先」(いくびきっさき)がよく見られ、重ねが厚く身幅も広い作柄は、鎌倉武士のいかにも真面目でたくましい気質を表しているのです。

代表刀工(太刀)
来国行(らいくにゆき)、二字国俊(にじくにとし)、
助真[鎌倉一文字派](すけざね[かまくらいちもんじは])、
備前国光忠(びぜんのくにみつただ)、相州行光(そうしゅうゆき みつ)など。

短刀は、刃長が8寸(約24cm)前後で身幅も尋常な物が多く、反りは「内反り」。力強さが増した姿は重ねも厚くなり「相州伝」(そうしゅうでん:鎌倉時代後期に、相州[現在の神奈川県の大部分]の刀工・新藤五国光[しんとうごくにみつ]が創始した伝法)の特徴である「三つ棟」(みつむね:[真の棟]とも)を主としています。

代表刀工(短刀)
粟田口派(あわたぐちは)[吉光(よしみつ)・則国(のりくに)など]、相州行光(そうしゅうゆきみつ)、相州国広(そうしゅうくにひろ)、備前国景光(びぜんのくにかげみつ)。

鎌倉時代後期

相州伝を完成させた最も有名な刀匠のひとり「正宗」(まさむね)が活躍した時代。太刀は前時代とよく似ていますが、踏ん張りはあまり見られず、浅い京反り(きょうぞり:反りの中心が刀身の中頃にある物。山城[京]物に多く見られる体配であることからこの名が付けられている)に重ねは薄め。鋒/切先は、「中鋒/中切先」(なかきっさき)が延び加減で「ふくら」は枯れ、前時代とはまったく異なる、総体的に豪壮感のある姿です。

代表刀工(太刀)
相州正宗(そうしゅうまさむね)、志津三郎兼氏(しづさぶろうかねうじ)、備前国兼光(びぜんのくにかねみつ)、来国俊(らいくにとし)、来国次(らいくにつぐ)、手掻包永(てがいかねなが)など。

短刀の作風は、太刀と同様に相州正宗の物が主流。前時代と比べると重ねは厚めで、反りについては、あるかどうか分からない程度の物に変化しているのです。寸法は主に9寸(約27cm)台の物で、前時代と同じく三つ棟が多くなっています。

代表刀工(短刀)
相州正宗、相州貞宗(そうしゅうさだむね)、来国次、保昌貞宗(ほうしょうさだむね)、越中国則重(えっちゅうのくにのりしげ)など。
鎌倉時代の太刀姿

鎌倉時代の太刀姿

南北朝時代

この時代の太刀は、相州伝の豪壮な作風がより全国に広まりました。そのため、日本刀(刀剣)の歴史において、もっとも長大で仰々しい作柄の姿がよく見られた時代です。その刃長が3尺(約90cm)を超える太刀もあり、それらは「大太刀」(おおだち)と呼ばれています。

後世に「大磨上」(おおすりあげ:銘が残らないほどに、刀身全体を短くすること)とされた太刀は、そのほとんどがこの時代に作刀された物です。

鋒/切先は「大鋒/大切先」(おおきっさき)で身幅は広く、刀身が長寸であるわりには、反りはやや浅めになっています。

代表刀工(太刀)

相州広光(そうしゅうひろみつ)、山城国信国(やましろのくにのぶくに)、備前国義光(びぜんのくによしみつ)、法城寺国光(ほうじょうじくにみつ)、左安吉(ひだりやすよし)など。

南北朝時代の太刀姿

南北朝時代の太刀姿

短刀についても相州伝の影響を受けており、「延文・貞治型」(えんぶん・じょうじがた)と称される「先反り」(さきぞり:反りの中心部分が、刀身の中頃よりも鋒/切先側による体配。腰元の踏ん張りが少ない)があり、1尺(約30cm)を超える寸延びの姿で、「平脇差」(ひらわきざし)や「寸延び短刀」とも呼ばれているのです。重ねは薄く、身幅が広いところが特徴。これまでの短刀と同様に三つ棟が多くなっています。

代表刀工(短刀)
相州広光、長谷部国信(はせべくにのぶ)、直江志津兼信(なおえしづかねのぶ)、備前国長義(びぜんのくにちょうぎ/ながよし)、越中国為継(えっちゅうのくにためつぐ)、石州直綱(せきしゅうなおつな)など。

室町時代

室町時代前期の太刀姿は鎌倉時代の物によく似ていますが、最も異なる点としては、先反りであることが挙げられます。先反りは、室町時代全期間において共通する特徴です。

室町時代前期の太刀姿

室町時代前期の太刀姿

室町時代中期、すなわち戦国時代になると、太刀ではなく長さが2尺(約60cm)を超える日本刀(刀剣)(打刀[うちがたな]とも)の時代に突入。この時代の日本刀(刀剣)は、「物打ち」(ものうち)の辺りより先にある身幅が枯れています。また、鎬が高い造込みが流行しました。

この頃から「脇差」が制作されるようになり、その寸法は2尺以下1尺6、7寸(約48~51cm)。姿は日本刀(刀剣)のそれに倣っており、鎬造りが主流となっていました。

室町時代後期、天正・文禄(1573~1596年)頃には、日本刀(刀剣)の姿がずいぶんと変化。一見すると南北朝時代の物のように、総体的に身幅が広く、鋒/切先も大きく延びています。

しかし、物打ち辺と鋒/切先のふくらが枯れているところが、南北朝時代における姿との最大の相違点です。現代で見ることのできる「古刀」のうち、90%近くの物が、室町時代中期からこの頃までに作られています。

代表刀工(太刀、及び刀)

応永信国(おうえいのぶくに)、三条吉則(さんじょうよしのり)、藤島[嶋]友重(ふじしまともしげ)、土佐吉光(とさよしみつ)、備前国勝光(びぜんのくにかつみつ)、伊勢国村正(いせのくにむらまさ)、美濃国兼定(みののくにかねさだ)、孫六兼元(まごろくかねもと)など。

戦国時代の刀姿

戦国時代の刀姿

また、短刀については、室町時代前期から中期の物は比較的少なく、どちらかと言えばいわゆる「平脇差」のほうが多く見られます。これらは、比較的控えめで標準的な寸法となっており、その寸法のわりには身幅が狭いのが特徴。

戦国時代の短刀は、寸法は短めで重ねがかなり厚く、姿が三角形になっています。「両刃造り」(もろはづくり)や、戦場で組み打ちを行なう際に、鎧を通して相手を刺すことに特化した「鎧通し」(よろいどおし)と呼ばれる物が流行したのです。

室町時代後期、天正・文禄(1573~1596年)頃には、同時代初期と同様に平脇差が主流となりました。日本刀(刀剣)の姿と同じく、重ねは薄めでふくらは枯れ、身幅が広くなっています。

代表刀工(短刀)
備前国盛光(びぜんのくにもりみつ)、二王清長(におうきよなが)、手掻包真(てがいかねざね)、備前国祐定(びぜんのくにすけさだ)、千子村正(せんごむらまさ)、金房正次(かなぼうまさつぐ)など。

安土桃山時代から江戸時代初期(寛永[1624~1645年]頃まで)

この時代の日本刀(刀剣)は、「慶長新刀」(けいちょうしんとう)と呼ばれる物にあたり、日本刀(刀剣)の姿は、南北朝時代のそれに似ていますが、重ねは南北朝期の物より厚くなっているのが特徴。また、反りは先反りは付かずに浅く平肉が付き、ふくらも枯れることなく付いています。

代表刀工(刀)
堀川国安(ほりかわくにやす)、丹波守吉道(たんばのかみよしみち)、越前康継(えちぜんやすつぐ)、肥後大掾貞国(ひごだいじょうさだくに)、仙台国包(せんだいくにかね)、野田繁慶(のだはんけい)など。
安土桃山時代の刀姿

安土桃山時代の刀姿

この時代における短刀の数は非常に少なく、1尺(約30cm)程度、またそれを少し超えた寸法の脇差や平脇差が多く見られます。わずかではありますが、新刀期の初期に「埋忠明寿」(うめただみょうじゅ)や「堀川国広」(ほりかわくにひろ)などにより、重ねがやや厚くなっていたり、上品な頃合いであったりする姿の短刀が作られているのみです。

この時代の短刀や脇差では、鎬と棟のあいだが広く、裏表の刃方の肉を急な勾配で削ぎ落とした「切刃造り」(きりはづくり)の造込みが流行しました。

江戸時代中期(寛永頃から文化[1804~1818年]以前)

幕政が安定し戦がなくなった代わりに、武士達が剣術の稽古に励むようになった時代。そのためか、日本刀(刀剣)の造込みには竹刀の影響が垣間見え、反りがほとんどない姿であることが最大の特徴です。

反りが浅いことを補う意味もあり、元幅と比較して先幅がぐんと狭くなり、先反りに見えるようになっています。このような日本刀(刀剣)は、特に寛文(1661~1673年)年間頃によく作られ、さらに優秀な刀匠もこの前後に集中していたことから「寛文新刀」と称されるようになりました。

また、都市化が進んで裕福になった町人を中心とした「元禄文化」が起こると、日本刀(刀剣)制作においても、安土桃山時代のような豪快な作風よりも、華やかで美しい物が好まれるようになります。この頃の日本刀(刀剣)は「元禄新刀」と呼ばれ、寛文新刀に比べるとやや反りが付き、鋒/切先はあまり延びず、丸くなった優しい頃合いの姿です。

短刀については、武士の正装として身に着ける、いわゆる「大小」(日本刀と脇差)の寸法が決められたことから、ほとんど作られていません。脇差は、鎬造りの物が多く見られます。

代表刀工(太刀)

【寛文新刀】

近江守忠綱(おうみのかみただつな)、河内守国助[二代](かわちのかみくにすけ)、長曽祢虎徹(ながそねこてつ)、井上真改(いのうえしんかい)など。

【元禄新刀】

信国重包(のぶくにしげかね)、南紀重国[四代](なんきしげくに)、主水正正清(もんどのしょうまさきよ)、一平安代(いちのひらやすよ)、土肥真了(どひしんりょう)など。

江戸時代末期(幕末)

幕末となり、日本刀(刀剣)史上では「新々刀」期に突入。武骨で実戦に適した作風を求める、水心子正秀の復古刀論が定着した時代です。

鎌倉時代や南北朝時代における名作の写し物や、古刀の上作物の長所を真似た日本刀(刀剣)が多く作られるようになりました。そのため、この時代の姿は南北朝時代や安土桃山時代に似て、反りは浅めで鋒/切先が延び、身幅の広い豪壮な物。脇差もこれに倣った姿になっています。

江戸時代の刀姿

江戸時代の刀姿

短刀については、この時代には再び多く作られるようになりました。重ねが若干厚めで定寸の姿の物がよく見られ、なかには鎌倉時代の名工・正宗の名物を写した物や、同じく粟田口派の作品を見本にして作られた物などもあります。

代表刀工
水心子正秀、大慶直胤、源清麿、月山貞吉(がっさんさだよし)、 月山貞一(がっさんさだかず)、細川正義(ほそかわまさよし)、左行秀(さゆきひで)、和泉守兼定[会津十一代](いずみのかみかねさだ[あいづじゅういちだい])など。
幕末の刀姿

幕末の刀姿

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