「焼刃土」(やきばつち)とは、刀身に「焼き入れ」(やきいれ)を行なう際に、刀身に塗る特別に配合された土のこと。日本刀制作においては、大まかに「たたら製鉄」によって、材料となる「玉鋼」(たまはがね)を精製することに始まり、刀匠による鍛錬や「火造り」(ひづくり:日本刀の形に打ち出すこと)などを経て、焼き入れが行なわれます。焼き入れによって刀身を構成する鋼が変態して硬化すると共に「刃文」などが出現することで、日本刀の美術的価値にも直結。焼刃土が登場するのは、言わば、日本刀に命を吹き込む総仕上げの場面なのです。
「焼刃土」(やきばつち)は、耐久性のある粘土を主成分とし、そこに木炭や砥石の粉などを入れて水を加えて練り合わせた物で、焼き入れの際に剥がれ落ちないようにするため、粘りがあります。
これを焼き入れ前の刀身に塗ることで、刀身を熱したあとで「舟」(水またはぬるま湯を張った水槽のような物)の中に入れた際に、急速な冷却を促して刀身(刃先)を硬化させると共に、刃文をコントロールすることが可能に。
焼刃土の配合比率等については、日本刀のできを左右する物であるため、刀匠によって異なる「企業秘密」です。
焼刃土にとって最も重要なことは、乾燥させたあとに行なう焼き入れの際に剥がれ落ちないこと。そのため、各刀匠が様々に工夫していました。焼刃土は、刀身に塗るペースト状の物であることから、現代において塗料(石灰モルタル)として用いられている成分・石灰石が含まれている物が適していると言う説もあります。
焼刃土
焼刃土の材料が集められたあと「乳鉢」(にゅうばち)などの容器に入れて「乳棒」(にゅうぼう)などの棒状の物で混ぜ合わせます。
そののち、混ぜ合わせた物を木やガラスなどの板の上に移し、水を足しながらへらで練り合わせ、ペースト状になった焼刃土が障子紙を貼るときに用いる糊より、やや濃い程度になれば完成です。
焼刃土の役割は、熱した刀身を水に入れた際の冷却の促進。焼き入れの工程では、750~760度に熱した刀身を舟の中に張った水などに入れて冷却しますが、このときに冷却についての大きな問題が生じています。
通常、高温に熱した金属を水などで冷却した場合、金属と水の温度差から、金属の表面に付着した水が瞬時に沸騰して水蒸気に。その結果、水蒸気が膜状になって金属の表面を覆ってしまうのです。
そのため、水蒸気でできた膜が消えるまでは、金属と水が直接触れることはなく、結果として緩やかにしか冷却されません。冷却速度が遅くなれば、刀身を構成する鋼は硬くなることはなく、刃物には向かず、日本刀の魅力である切れ味が陰を潜めてしまいます。
そこで効果的なのが、刀身に焼刃土を薄く塗ること。焼刃土を塗ることで、何も塗らないときと比べて、かえって水と刀身の間を遮断してしまうようにも思えますが、そうではありません。
刀身に薄く塗られた焼刃土は、刀身の表面に水蒸気の膜が張るのを防止するだけでなく、刀身と共に熱せられることで、焼刃土に練り込まれていた木炭が燃えてできた隙間などを通って、絶え間なく水が入り込むことが可能になります。
その結果、熱せられた刀身は最初から水と常に接触することとなり、何も塗っていない場合と比べて刀身の冷却速度が上がるのです。
熱せられた段階における刀身は「オーステナイト」と言う組織で構成されていますが、刃側に焼刃土を薄く塗り、舟の中の水などで急速冷却することで、刃側の鋼は鉄鋼組織の中で最も硬い「マルテンサイト」と言う組織に変態します。
このとき、鉄の地金の中に溶け込めなかった炭素は、 針のような形状で高密度に変化して並んだ状態になるため、硬くなるのです。
刀身の刃部分を構成しているマルテンサイトは、最も刃物に向いている素材であると言われており、その刃には日本刀のみが有する抜群の切れ味が宿るのです。
焼刃土を刀身に塗ることを「置く」(土置き)と言い、刃になる部分には薄く(0.1~0.2mm)、それ以外には厚く(約1mm)塗るのが基本。
これにより、焼刃土を薄く塗った刃部分が急速に冷却されることによって硬くなる(=焼きが入る)のに対し、厚く塗った部分については、冷却速度が緩やかになるのです(=焼きが入らない)。
土置きがいつ頃から行なわれていたかについては、はっきりとしたことは分かっていませんが、平安時代後期に制作された日本刀に、制作工程のひとつとして土置きが行なわれた痕跡が認められる物があると言われています。
土置き
土置きにおいては大まかに、焼刃土の剥離を防ぐため、刀身の油分を藁灰(あく:藁を燃やしてできる灰)でよくふき取って、水洗いし刀身を乾燥させます。そのあと、平地全体に平に薄く焼刃土を塗り(引き土)、刃になる部分は薄く他は厚めに塗る。
表現する刃文をイメージしながら、へらを使って焼刃土を厚く重ねたり(置き土)薄く削り取ったり(土取り)することで厚さに変化を付けながら、刀身上に焼刃土で文様を描き出すという作業が行なわれます。
そして、焼刃土が乾燥したあとに焼き入れが行なわれるのです。焼刃土を厚く塗った部分(棟側)では、刀身が緩やかな速度で冷却されていくため、鉄鋼組織は「トルースタイト」と言う組織に変態。急速冷却の際のように、マルテンサイトに変態することは、ほとんどありません。
トルースタイトは、硬さではマルテンサイトに劣りますが、粘り強さ(靭性:じんせい)を有する点において、脆さのあるマルテンサイトに優っています。刃側でも置き土を行なった場所では、マルテンサイトとトルースタイトが混在。
これによって、硬いだけでも折れにくいだけでもない「折れず、曲がらず、よく切れる」という日本刀の特長を実現しているのです。
上述したように、薄く塗られた焼刃土は、熱した刀身を水などで冷やす際に急速冷却を促し、硬化させ、刃にふさわしい組織に変態させ、厚く塗られた部分についてはトルースタイトに変態することで、日本刀の特長を実現。
もっとも、焼刃土の役割はそれだけではありません。焼き入れでは、塗られた焼刃土の厚みによって冷却速度が異なる(焼きの入り方が異なる)結果、刀身に焼刃土を塗った形に忠実な形で文様ができ、これが刃文になります。
また、冷却速度が異なることで、刀身を構成している鋼の組織も異なった物へと変態。この焼き入れどきにおける鋼の膨張・収縮が、日本刀独特の反りへとつながっていくのです。
焼入れした刀身
焼入れにおいて冷却速度に違いが出ることは、刀身への熱の伝わり方(=焼きの入り方)に違いがあることを意味しています。
すなわち、焼刃土を厚く塗った部分(置き土した部分)は、練り込んだ木炭が断熱材のような役割を果たすことで、ほとんど焼きが入りません。この焼きの入り方の違いが文様となり刃文につながるのです。
焼き入れのあとに刀身を研磨すると、焼きが入っている部分と焼きが入っていない部分の対比が刃文として現れます。
焼き入れの際に、焼刃土を薄く塗った刃側がマルテンサイトに変態することは上述した通りですが、このとき、刀身は日本刀ならではの形状へと変化していきます。それが刃側から棟側に向かって、発生する反り(外反り)。
単一の材料を使った刀剣類で反りがある物は、世界でも皆無であると言われており、この反りこそが日本刀が日本刀たる由縁。刀身に反りができるメカニズムは、以下の通りです。
焼刃土を薄く塗った刃側が急速冷却されることで、一旦収縮し、刃側に反りが生じます(逆反り)が、急速冷却によって刃側がマルテンサイトに変態。その際に膨張することで体積が増加。これにより、刀身は外反りしていきます。
そののち、冷却速度が緩やかな棟側がトルースタイトに変態して膨張することで、再び逆反りが生じますが、棟側の冷却が進むにつれて収縮。焼き入れにおいては、2度の逆反りが生じているものの、マルテンサイトに変態した刃側の膨張の方が棟側の膨張よりも大きいため、結果として棟側に向けて反っていくのです。
このようにして反りが発生する過程において、刀身を構成する組織では圧縮応力(物を外部から圧縮したときに、内部で均衡を保つために生ずる力)が蓄えられており、切り付けた際に刀が受ける衝撃と相殺。これによって、日本刀は、さらに折れにくくなるのです。