武士にとって日本刀は象徴(シンボル)。特に、江戸時代は決して軽率に抜いてはならない物でした。それでも抜刀するならば、確実に相手を斬り殺す「技術」と「覚悟」が必要だったのです。なぜ日本刀を抜いてはいけなかったのか、どんな心得が必要だったのか。詳しくご紹介します。
江戸時代初期、武士は大小2本の帯刀を義務付けられていましたが、一方で「辻斬り」(つじぎり)が横行していました。辻斬りとは、武士が夜間、往来の寂しい場所に突然現れ、人間を斬り付ける「無差別殺人」行為のこと。刀の切味を試したり、憂さ晴らしをしたりするのが主な目的で、町人や農民を震え上がらせていたのです。
そこで、江戸幕府は辻斬りを禁止。破った者は「引き回しのうえ死罪」という厳罰に処しました。
切捨御免
1742年(寛保2年)、8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)の時代「公事方御定書」71条追加条を制定。武士に「切捨御免」(きりすてごめん)の特権が与えられます。
これは「幕藩体制の維持」を目的とした制度で、武士が町人や農民に耐え難い無礼なことをされた場合は、正当防衛として斬っても罪にはならないという特別な権利でした。
しかし、無制限ということはなく、斬ったあとはすみやかに役所に届出をし、事後に取調べを受ける必要がありました。正当性を立証する証人が必要で、正当な理由がない場合は、その武士は処罰されることになったのです。その処罰とは本人切腹、家名断絶、財産没収という、とても重いもの。切捨御免の制度は斬るほうも命掛けという、リスクの高い「覚悟」が必要なものでした。
例えば、薩摩藩でも「刀はみだりに抜いてはならない、万一抜刀した場合は必ず敵をしとめよ」と教育。若い武士の母親は、鍔(つば)を細工して簡単に抜刀できないようにしていたことで有名です。そのため、薩摩藩の武士は母の想いを汲んでなるべく抜刀せず、鞘のまま帯から引き抜いて敵を殴り倒す術を身に付けていたと言われています。
このような経緯から、平和が続いた江戸時代の武士は軽率に日本刀を抜刀することはなく、一生抜刀しなかった武士もいたようです。
鯉口を切る
いざ日本刀を抜くときには、力任せに引き抜くことは、おすすめできません。力任せでは「鯉口」(こいくち)を壊したり、怪我をしたりするだけでなく、もたもたしている間に敵に斬られてしまう場合もありえます。まずは「鯉口を切る」ことが重用なのです。
鯉口とは鞘の挿入口のこと。魚の鯉が口をパクパク開けているのと同じような形をしているので、こう名付けられました。鯉口は「鎺」(はばき)とセットで使用される物です。
鎺とは、刀身が鞘から抜けるのを防ぐためにはめる金具。鯉口に合わせると刀身が鞘の内部に浮き、鞘自体に当たらないように、しっかりと支える役目をしています。
そして、鯉口を切るとは左手で鍔と栗形の間の鞘を握り、左手の親指で鍔を押し上げること。すると、鯉口から鎺が外れます。この操作をするだけで、刀身を素早く鞘から抜くことができるようになるのです。これを「外切り」と言います。外切りをするとカチッと音がして、傍目にも鯉口を切ったことがすぐに判明。
これに対して「内切り」という、鍔の内側を左の親指で押し上げて鯉口を切る方法もあります。これだと、音もせず相手に気付かれずにできるので「隠し切り」とも呼ばれるのです。さらに、鍔を押さなくても鞘を握ったとたん鯉口が切れるように工夫がされた、肥後藩が使用した「肥後拵」も存在します。
鯉口を切ったら、次は右手で柄を上から握り左手で鞘を水平にすること。そして、真っ直ぐ一気に引き抜きます。引き抜く際に注意したいのは、ためらわないで抜くこと。鞘の中で左右にカタカタ動かしてしまうと、刀身が鞘内部を削り「ヒケ」という細長い傷を付けてしまうことになりかねません。
なかなか抜いてはいけない日本刀ですが、もちろん戦時になれば別の話です。特に長い大太刀は、相手を薙ぎ払うときにもってこいで、合戦のはじめから抜刀して走りまわる武士もいました。
しかし、長くて重い大太刀を抜き身で持ち歩くのは、たいへん危険です。持ち方が悪ければ、自分の手や足を切ってしまいかねません。しかも重量のある大太刀を体にふれないように離して持ち歩くと、右手の疲労が甚大になり、いざというときに振り回すことができなくなります。そこで、抜き身の正しい持ち方が考案されたのです。
抜刀したまま走るには右肩に刀棟をかつぐように乗せ、45度の角度に刀身を保ちながら走ること。肘と胴の間があまり空かないように腕を曲げれば、刀身の角度が保てます。
さらに注意したいのは、味方の体を切らないこと。肘が伸びて手首が上にあがると刀身の角度が水平に近くなり、後続の味方の頭上や顔の前に鋒/切先を向けてしまうので危険です。このように、大きな刀を抜いて走る場合は、かなり注意が必要です。
また、敵(相手)も抜け身の場合は、右うしろ、真うしろから近づくと刀を払われる危険があります。接戦になったら、必ず相手の左うしろに近づき薙ぎ払うのが鉄則です。
「寝刃」(ねたば)とは、切味が悪く鈍くなった日本刀のことを言います。いくら平和な時代でも、いざ刀を抜いて戦わなければいけないときに、斬れなくては意味がありません。寝刃にならないように、常にメンテナンスを行なうことが「武士の心得」です。
「切味」と言っても、えんぴつを削ったり髭が剃れたりというように、刃を研いで鋭利にすることではありません。刃を鋭利にしてしまうと薄くなって刃こぼれしやすいだけではなく、曲がりやすくなります。そもそも日本刀は、木の細工物を作るための物ではなく「折れず、曲がらず、人の肉を斬る」ことを本位として作られています。
寝刃合わせ
刀の切味を良くすることを「寝刃合わせ」(ねたばあわせ)と言い、次の2つの方法があります。
心得のある武士は、日頃から懐中する紙入れの底に小さな砥石を忍ばせていたと言われています。砥石がない場合には、木片や竹草履、藁草履を使用してこすることで代用ができました。砥石を使用する際に、気を付けたいことは次の3つです。
また緊急時には、盛砂の中に刀身を突き刺して刃を荒らし、刃引きするという方法も行なわれました。昔は、武家屋敷の門戸には、寝刃合わせのための盛砂が置かれているのが当たり前。現在でも島根県松江市にある「塩見縄手の武家屋敷」では、玄関の左に置かれた盛砂を見ることができます。
このように日本刀は荒砥ぎをすることで、すべらず「ざくり」と斬ることができるのです。