拵・刀装具
鍔の種類③
拵・刀装具
鍔の種類③

文字サイズ

「鍔」(つば)の種類は多岐にわたり、長く続く鍔工の系統にも本流と目される甲冑師の流れを汲むグループからユニークな鍔制作に携わった家系まで様々であり、興味は尽きません。

甲冑師系の鍔工

甲冑師がその技術力を活かして制作にあたった「甲冑師鍔」(かっちゅうしつば)は、戦国時代に全盛期を迎え、さらに江戸時代、ときには明治時代まで技を継承する家系も輩出しました。ここでは、甲冑師の系統の中から、後世に名を残した4つの家系に絞って取り上げていきます。

①明珍鍔(みょうちんつば)

明珍鍔

明珍鍔

「明珍家」は、甲冑(鎧兜)制作を生業(なりわい)として、鎌倉時代の初期から明治時代まで30数代に亘ってその技術を受け継ぎました。特に江戸時代中期以降は、江戸をはじめ、仙台、水戸、尾張、越前、土佐、安芸、豊後肥後国など全国に活躍の場を広げ、数多くの作品を残しています。

ただ、明珍家は幕府から報酬を得ていたお抱え工ではなく、町職人と言える甲冑師の家系でした。また有名であるにもかかわらず、作品は他の金工系の物に比べるとやや見劣りします。

これは、明珍家が日本刀(刀剣)の「本阿弥」、金工の「後藤」と並んで甲冑(鎧兜)の鑑定もかねていたため、後代に有名になった物。つまり自己宣伝に長けていたと言えるでしょう。

「明珍鍔」(みょうちんつば)の特徴は、すべて鉄鍔であることです。山銅(やまがね)や赤銅(しゃくどう)、真鍮(しんちゅう)などの素材は使いません。頻繁に用いた鉄は「南蛮鉄」(なんばんてつ)で、これは中国やインド、ヨーロッパから輸入していました。

砂鉄ではなく、鉄鉱石を原料に大量生産された物です。鉄地金の多くは文様を現した「鍛え肌」であり、ここに菊、桐、唐草模様などを透彫しました。

②早乙女鍔(さおとめつば)

「早乙女家」は、下野国早乙女村(現在の栃木県塩谷郡)の出身で、初代の「早乙女信康」は、明珍家17代「信家」に学んだ甲冑師でした。信家の娘婿となり、甲州の武田家に仕え、のちには常州府中(現在の茨城県石岡市)へ移住。子孫はこの地域や、また国内の各所に根を張り、甲冑(鎧兜)制作のかたわら鍔作りにも従事しています。

江戸時代には徳川幕府の御三家のひとつ、水戸藩主「徳川頼房」(とくがわよりふさ)に仕えると、以降は水戸城下に住まい、他の地域の同族と密に連携しながら家を盛り立てていきました。

「早乙女鍔」(さおとめつば)の多くは、槌目仕上げの鉄地に、花弁を深々と彫り込んで鍔全体を菊の花に見立てた迫力のある物です。象嵌などの装飾はありませんが、茎穴(なかごあな:鍔の中央の穴)から耳(鍔の外輪)の方へ向かって厚くなり、形も大振りで力強さが感じられます。

銘には、居住地名と名前が入った物が多くありましたが、江戸時代になると単に「早乙女」と切っただけの作品も見られるようになりました。

③天法鍔(てんぽうつば)

戦国時代後期に、甲冑師の早乙女一派が相州小田原(現在の神奈川県小田原市)で始めたのがルーツだと言われています。一族は各地へ広がり、京都や常陸地方(現在の茨城県北東部)でも、「天法鍔」(てんぽうつば)は制作されました。

古天法鍔は、明珍信家風の槌目仕上げの鉄板鍔に、風、天、地などの文字や草花の刻印を打ち込んだ物で、「応仁鍔」のような真鍮象嵌も見られますが、全体として無骨な荒々しさが目立ちます。また、これこそが古天法鍔だという銘のある作品はほとんどありません。

一般的に天法鍔と称される物は、でこぼこのある粗い槌目仕上げの鉄地肌に、文字や刻印を押した鍔を指します。現存する作品は幕末前後に作られ、「佐那田天法」(さなだてんぽう)や、「真田天法」などの銘を切った実用向けの板鍔ばかりです。

④春田鍔(はるたつば)

春田鍔

春田鍔

古くから奈良に住んでいた甲冑師の一派を始祖としています。兜では、戦国時代前期の「春田宗政」(はるたむねまさ)などの銘が確認されていますが、鍔には在銘品は残っていません。

しかし、江戸時代になると、「春田家」の分流が駿河国(現在の静岡県中部・東部)や尾張、越前、備前、広島、出雲などで栄え、名を上げています。

「春田鍔」(はるたつば)と推定される作品には、甲冑師の特徴が色濃く現われており、鉄地金に竜や獅子などの文様が彫り込まれた重量感のある物です。

埋忠鍔(うめただつば)

「埋忠鍔」(うめただつば)の初代「埋忠明寿」(うめただみょうじゅ)は、名刀鍛冶を祖先に持つ京都の名門の出身で、父の「重隆」(しげたか)は金工家として足利将軍の側近くに仕えました。明寿も父のあとを継いで「足利義昭」に仕え、のちには「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」など天下人に認められています。

明寿は金工家として有名なだけでなく、新刀鍛冶の祖と仰がれ、その門下からは多くの名刀鍛冶が誕生。また、「本阿弥光悦」(ほんあみこうえつ)などの文化人や武将達との交友も深い、名のある文化人でした。

埋忠家は、京都における金工と刀鍛冶の名門であることから、明寿以前にも鍔の制作は行なわれており、明寿より前の作品を「古埋忠鍔」と呼んでいます。

この古埋忠鍔は、同じ鉄鍔の「古正阿弥鍔」に通じるところがありますが、より垢抜けした作風で、京物らしく洒脱です。丸形のふっくらとした鉄磨地(てつみがきじ)に京透を入れた物や、鉄地肌に素銅や真鍮で平象嵌を施し、これに透彫した物などがあります。

明寿の作品は、さらに京風の優美な気品にあふれ、明寿と同じく日本の「三大鍔工」に挙げられる信家、金家の作風とは一線を画しています。「信家鍔」、「金家鍔」が戦国時代の悲壮感や禅的な思想を内包しているのに対して、明寿の作品は、あくまで平和な安土桃山時代を象徴する温和な感覚を備えているのです。

素材ひとつ取っても、明寿は鉄地金をほとんど使わず、赤銅、山銅、真鍮などで重ねの薄い小形の鍔を作り、ここに大根、ぶどう、唐草、水仙といった写実的な図柄を色絵平象嵌で描いています。

明寿の銘は、切羽台の右側に「埋忠」、左側に「明寿」と、2つに分けて切りました。重要文化財や重要美術品に指定された明寿の名品も、数多く現存しています。

与四郎鍔(よしろうつば)

与四郎鍔

与四郎鍔

この「与四郎鍔」(よしろうつば)は、「平安城象嵌鍔」からさらに発展して本家より有名になった物で、代表的人物が「与四郎」であったことから、同様の系列の作品を総称して与四郎鍔としました。

与四郎の本名は「小池与四郎直正」(こいけよしろうなおまさ)。名人として豊臣秀吉から天下一の称号を賜り、のちに和泉守を受領。京都から加賀金沢に移住し、「加賀象嵌」の基礎を築いたひとりだと伝えられています。

与四郎鍔は、真丸形か木瓜形の鉄地肌。家紋や唐草模様を真鍮象嵌で施すのが特徴です。また、寺院などで見られる欄間透(らんますかし)の技法を取り入れました。鍔の6~8ヵ所を等間隔に丸くくり抜き、その中に家紋や桜花、梅花などを透彫した同じ大きさの真鍮の丸形をはめ込み、その他の地肌部分には唐草などを毛彫して真鍮象嵌した物です。

これは、地肌と象嵌がほとんど同じ高さになる平象嵌工法で、繊細さが際立っています。

その精巧で豪華な作品は、装飾的な刀装用であり、実戦には適していません。

鋳物鍔(いものつば)

鉄を鍛錬して作るのではなく、鋳型(いがた)で大量生産された鍔が「鋳物鍔」(いものつば)です。

大量の注文があってもすぐさま納品でき、値段も安いことから相当数制作されましたが、強度も耐久性もなく、実戦的ではありません。もちろん、美術工芸品としての価値も低い物です。

鋳物の材料としては、鉄の他に山銅、青銅、錫(すず)の合金などが使われています。これらは「鋳物師」(いものし)によって作られましたが、彼らの本業は鍋、釜、そして仏具や梵鐘(ぼんしょう)の制作でした。

鋳物鍔の見分け方は簡単です。まず、地肌に締まりがなく、艶がありません。厚さに合わない軽さで、指先にのせて軽く弾くと、余韻のない低くにぶい音がします。普通の鍛錬された鍔が、高く澄んだ余韻のある快い音を発するのとは対照的です。

また、彫刻は型作りなので鏨跡(たがねあと)がなく、精巧さに欠け、細かく見ると角は丸みを帯びています。鉄の持つ味わいや、彫刻の巧みさは見出すことができません。

南蛮鍔(なんばんつば)

「南蛮」とは、ポルトガルやスペイン、また広義では中国も含む外国のことです。1543年(天文12年)、ポルトガル人が鹿児島県の種子島に鉄砲を伝えてから、この言葉が広く使われるようになります。

当初、「南蛮鍔」(なんばんつば)は外国の人々が使用していたヨーロッパのサーベルに付随している鍔を指す物でした。1635年(寛永12年)に徳川幕府が鎖国を実行して以降は、中国人が日本での需要を見込んで、日本刀(刀剣)に使用できるよう工夫し、南蛮鍔と称して盛んに輸出した物です。日本国内でも、この輸入品を真似て改良した南蛮鍔が制作されました。

南蛮鍔の形は、丸形か木瓜形。薄い鉄地に異国風の玉追竜(たまおいりゅう)や雨竜(あまりゅう)、あるいは外国文字、唐草などを彫り、金銀の布目象嵌を施しています。多くは、耳の周囲を菊形のギザギザに刻みました。

同じ南蛮鍔でも、「漢東鍔」(かんとうつば)と呼ばれる作品もあり、丸形の鉄地に、ぶどう、唐草などを浮き彫りし、竜を絡めて地透ししたり、これらの図柄を上下左右対称に配したりしています。

南蛮鍔は異国趣味で珍しい物ですが、地金や金銀の質も悪く、味のある鉄錆の色も出ませんでした。図柄も日本人には馴染みにくかったとのことで、一時の流行で終わっています。

信玄鍔(しんげんつば)

信玄鍔

信玄鍔

武田信玄」の好みによって作られたと言われていますが、真偽のほどは定かではありません。

古作は甲冑師系の大振りな木瓜形の鉄地で、菊の透かしのある豪放な物です。惜しむらくは現在ほとんど残っていないこと。

「信玄鍔」(しんげんつば)と称せられて現存している作品は、丸形の鉄地に、真鍮や山銅の細かい針金を巻いたり、あるいは籠のように編み上げたりした物や、鉄地の縁をムカデが這っているかのように真鍮細工を施した物などがあります。しかし、これらはいかにも時代が新しく感じられて、とても戦国時代の作品とは考えられません。古くても江戸時代末期の物です。

一説には、明治・大正時代に外国人向けの輸出品として制作された物が、一部国内に出回ったと説明されています。古書に記された信玄鍔のイメージとはまったく異なり、品格に欠け、また、すべて無銘です。

ただ、古い時代の物と見られる信玄鍔と呼ばれる作品が、武田信玄の菩提寺(ぼだいじ)である山梨県甲州市の「恵林寺」の宝物館に2、3枚ほど保存されています。

刀工鍔(とうこうつば)

安土桃山時代以前の刀匠が作った鍔を「刀匠鍔」、江戸時代以降の刀工が作った物を「刀工鍔」(とうこうつば)と呼び、区別しています。

いずれも刀鍛冶の副業的な作品で、鉄を素材とし、実戦で使われることを主眼としました。また刀工鍔は、信家鍔や法安鍔を含む刀匠鍔の再現を目指した物が多く、その手法は鉄地に透かしや毛彫を入れた古風作。まれに高彫色絵を見ることができます。

有名な作者は、江戸時代末期に集中。江戸では、「水心子正秀」(すいしんしまさひで)、「庄司直胤」(しょうじなおたね)一門の他、「細川正義」、「近江守継平」(おうみのかみつぐひら)が有名です。京阪地方では、「三品」(みしな)一門、「月山貞一」(がっさんさだかず)。そして、東北や九州、土佐など、全国で刀工鍔制作が行なわれました。

鍔写真集鍔写真集
職人の技が光る芸術性の高い鍔を、画像にて細部までご覧頂ける写真集です。

鍔の種類③

鍔の種類③をSNSでシェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

「拵・刀装具」の記事を読む


拵の基本解説

拵の基本解説
日本刀(刀剣)の見どころでメジャーな部分と言えば、刃文(はもん)や地鉄(じがね)など刀身にかかわる部分。しかし、その刀身を納めるための鞘(さや)や、茎(なかご)が覆われている柄(つか)と言った「拵」(こしらえ)と呼ばれる刀装具の部分にも、鑑賞のポイントとなる箇所がいくつもあるのです。ここでは、拵の基本的な部位における、それぞれの名称や役割などについてご説明します。

拵の基本解説

刀装具のすべて①(鐔・目貫・笄・小柄・縁頭・鎺・柄・鞘)

刀装具のすべて①(鐔・目貫・笄・小柄・縁頭・鎺・柄・鞘)
「刀装具」(とうそうぐ)とは、日本刀(刀剣)の拵(こしらえ)に付いているすべての部品のことです。刀装具が付けられている目的や種類は多岐に亘り、日本刀(刀剣)が持つひとつの特徴でもあります。ここでは、刀装具について詳しくご紹介していきます。

刀装具のすべて①(鐔・目貫・笄・小柄・縁頭・鎺・柄・鞘)

刀装具のすべて②(鐔・目貫・笄・小柄・縁頭・三所物・鎺・呑込み)

刀装具のすべて②(鐔・目貫・笄・小柄・縁頭・三所物・鎺・呑込み)
日本刀(刀剣)は刃の部分だけではなく、刀装具にも注目して頂きたいと思います。刀装具の中には、一見するとどのような目的で付けられているのか分からない物でも、その意味や歴史を知ると興味を持つことができます。また、美術品としても扱われた刀装具は、それぞれ異なる形や美しさが見どころです。今回は、そのような刀装具に関する知識をご紹介します。

刀装具のすべて②(鐔・目貫・笄・小柄・縁頭・三所物・鎺・呑込み)

刀装具のすべて③(鞘・柄・下緒)

刀装具のすべて③(鞘・柄・下緒)
刀装具の種類の中でも、分かりやすい部品が「鞘」(さや)と「柄」(つか)です。実際に日本刀(刀剣)を手に取る際に触れる柄と、日本刀(刀剣)を納める際に使う鞘。また、その鞘に装着して用いる「下緒」(さげお)は、よく目にするのではないでしょうか。今回は、これらの種類や歴史についてご紹介します。

刀装具のすべて③(鞘・柄・下緒)

刀装具の歴史

刀装具の歴史
「刀装具」(刀剣の外装)は、刃物である「日本刀」を安全に持ち運ぶことや、日本刀を最良の状態で保つことを目的に作られています。日本刀は武具ですが、信仰心や美意識を見せるために装飾も重視されていました。今回は、時代によって刀装具がどのように変化していったのかをご紹介します。

刀装具の歴史

拵とは?

拵とは?
「拵」(こしらえ)とは、日本刀(刀剣)の外装のことを言い、「つくり」などとも言います。鞘(さや)、茎(なかご)を入れる柄(つか)、鍔(つば)を総称した言葉です。時代の流れと共に、日本刀(刀剣)や拵は形を変えていきますが、使いやすさを追求するばかりではありません。武士の魂を帯刀しているも同然ですから、身分や家柄、そして武士の威厳を示す物でもあるのです。

拵とは?

日本刀の拵の種類

日本刀の拵の種類
「日本刀」に「太刀」(たち)や「打刀」(うちがたな)、「腰刀」(こしがたな)といった違いがあるように、日本刀の外装である「拵」(こしらえ)にも違いがあるのです。ここでは、それぞれの代表的な拵と特徴について、ご紹介します。

日本刀の拵の種類

日本刀と刀装具

日本刀と刀装具
「刀装具」とは、「日本刀」(刀剣)の外装のことで、元々は日本刀(刀剣)を守る役割の保護具でした。しかし、時代を経るにしたがい、歴史に名を残す将軍や戦国武将をはじめ、武士階級以外の者もそれぞれの嗜好に合わせた刀装具をあつらえるなどしたため、見た目を意識した物へと変化していったのです。

日本刀と刀装具

刀装具彫刻の種類

刀装具彫刻の種類
刀装具は、元来「日本刀」(刀剣)を保護したり、使いやすくしたりする目的で制作された物でしたが、時代の変化と共にその役割も変化していきました。すなわち、日本刀(刀剣)を所用する武士の身分や権力を示す物になっていったのです。特に、天下泰平の世となった江戸時代においては、武士達は競い合うようにして刀装具を飾り立てるように。ここでは、刀装具装飾における手段のひとつ、刀装具彫刻について考察します。

刀装具彫刻の種類

注目ワード

ページトップへ戻る