拵・刀装具
鍔の種類②
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鍔の種類②

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「鍔」(つば)の種類による特徴には、その時代背景だけでなく、制作された土地柄も色濃く反映されることがあります。今回は「応仁鍔」(おうにんつば)をルーツとする京都を中心とした系統と「美濃鍔」(みのつば)と結び付きが強い尾張を中心とした系統についてご紹介します。

平安城鍔(へいあんじょうつば)

「平安城鍔」(へいあんじょうつば)はその名の通り、京都で初めて独立した専門の鍔工達の手による作品です。

起源は足利幕府6代将軍「足利義教」(あしかがよしのり)にあり、その好みによって制作が始まったと伝えられています。そして、当時の武士の要望や、佩用(はいよう)の仕方の変化、さらに戦国時代となり需要が増大したことなどから全国へ広まり、専門の鍔工が次々と誕生しました。

ここでは、平安城鍔をその特徴から2種類に分け、それぞれ「平安城透鍔」(へいあんじょうすかしつば)と、「平安城象嵌鍔」(へいあんじょうぞうがんつば)としてご説明します。

平安城透鍔(へいあんじょうすかしつば)
京透鍔

京透鍔

一般的には「京透鍔」(きょうすかしつば)と呼ばれている作品です。

形はほとんどが丸形。良く鍛えられていて、地肌は美しく磨き上げられています。精巧に地透かしされた文様が鍔全体に広がってダイナミックであり、またその洗練された構図と卓越した技術からは、京物らしい優麗な気品が窺える鍔です。

平安城透鍔の制作者達は、鍔の実用面以上に、透彫による美しさの表現に力を尽くしたと考えられています。

当時の他のグループと同じく、平安城透鍔もほとんどが無銘ですが、安土桃山時代にはごくわずかに「平安城住」、「山城国五条住」などの居住地を含めた銘が切られました。

平安城象嵌鍔(へいあんじょうぞうがんつば)
別名で「平安城真鍮象嵌鍔」(へいあんじょうしんちゅうぞうがんつば)とも呼ばれる作品です。

応仁鍔の技法を継承した物で、丸形の鉄地の全体に、牡丹、南天、唐草などの真鍮象嵌が施され、さらに後代には、真鍮だけでなく金、銀、赤銅なども使用。応仁鍔よりも装飾性が高くなっています。

そして、応仁鍔との最大の違いは、応仁鍔の装飾が平面的で、ひとつひとつ独立した文様を象嵌した物であるのに対し、平安城象嵌鍔は、鍔全体に草花や山水風物を絵画のように表現している点です。

この象嵌には、地肌面を彫り込み、それに文様をはめ込んでいく「真鍮据文式」(しんちゅうすえもんしき)と言う工法が使われています。

正阿弥鍔(しょうあみつば)

日本刀(刀剣)の「本阿弥」(ほんあみ)、能楽の「世阿弥」(ぜあみ)、絵画の「能阿弥」(のうあみ)と並び、「正阿弥」(しょうあみ)は金工として足利将軍家に仕えた名門です。太刀金具師の血統と技術を受け継いでおり、「後藤家」、「埋忠家」(うめただけ)と比肩する金工界の3大流派のひとつとして、1876年(明治9年)の廃刀令発布まで、およそ500年の長きに亘って栄えました。

特に、安土桃山時代以前の「古正阿弥」(初期の物)に名品が多く、古正阿弥は槌目仕上げを、江戸時代の正阿弥は磨き仕上げを基本としています。

古正阿弥鍔は、平安城鍔とは同系統で、ほぼ同じ時代に作られました。しかし、そのおもむきはかなり異なっています。例えば、左右対称に近い構図が多く、これは平安城鍔にはあまり観られません。

また、図案は大柄で動きのある地透で、地肌の表面は少し荒く、ざらつき気味です。平安城鍔のような絵画風の繊細な物ではありませんが、鉄骨が表れて錆色の味わいがあります。そして、得意とする布目象嵌では金を使用し、真鍮はほとんど使いませんでした。

正阿弥鍔

正阿弥鍔

正阿弥鍔には、ふたつの作風があります。ひとつめは、丸形の鉄地金を槌目仕上げとして、そこに透かしの文様を施した鍔。ふたつめは、鉄地金を透かした残りの地肌に、金を多用した「布目象嵌」(ぬのめぞうがん)を施した鍔。

布目象嵌とは、地肌に織物の布目のような縦横の筋を付け、そこに金や銀の箔を貼り、食い込ませて剥げないように仕上げる手法のこと。

ふたつの作風のいずれも、落ち着いた貫禄がある反面、優美さや図柄の品格と言う点では平安城鍔にやや劣ります。

信家鍔(のぶいえつば)

信家鍔

信家鍔

信家鍔(のぶいえつば)の鍔工「信家」には初代と2代があり、初代は「織田信長」に仕えて、尾張国清洲城下で鍔制作に励みました。2代目信家は、信長の没後に清洲城主となった「福島正則」(ふくしままさのり)の抱え工となりましたが、福島正則が芸州広島城主として国替えする際に、主人にしたがって広島へ移り住んだと伝えられています。

信家の作品は、やや楕円形で「信家の木瓜形」(のぶいえのもっこうがた)と言われ、別名は「蹴鞠形」(けまりがた)。

重ねも厚く、地肌はわずかにでこぼこのある槌目仕上げですが、焼きなましの処理が行なわれており、地肌は艶のある黒紫色で美しく締まっています。切羽台から耳へかけて少しずつ厚みを持たせ、また角耳や土手耳、打ち返しなどの手間を掛けた工夫は、実戦に適した造形美とも言えるでしょう。

図柄は、簡素な亀甲(きっこう)や草花を浅く毛彫した物、また文字、櫂(かい)、定規などを小透した物が多く、地透鍔はあまり観られません。何より、信家の作品について特筆すべき点は、南無阿弥陀仏、南無八幡大菩薩、一心不乱など、当時の信仰や思想を取り入れて刻んでいるところです。その技術面のみならず、信家自身の個性や信仰と、背景にある思想までもが表現されていて、強い気概と奥深い禅的な感性に心を打たれます。

また、信家の銘にも特徴があり、切られるのは必ず「信家」の2文字で、初代は信と家との間に間隔がある「放れ銘」。癖のある縦長の細字体です。2代目は、初代とは反対に、太くがっちり切った銘で、信と家の間隔も詰まっています。

尾張鍔(おわりつば)

「尾張鍔」(おわりつば)とは、その名前の通り、尾張国清洲(現在の名古屋市)を中心とする地域で作られた鍔の総称です。戦国時代には、隣国の美濃国と並んで、軍需工業地帯の一環と目されていました。

尾張鍔は、来歴や種類によってそれぞれ異なる特徴を持っています。それらを大きく8つの系統に分けて観ていきましょう。

尾張透鍔(おわりすかしつば)
尾張透鍔

尾張透鍔

丁寧に鍛錬されたやわらかい地鉄には、黒紫色をした鉄骨が現れ、ほとんどの作品に透かしが施されています。これは文様の部分だけを残して、他の素地をすべて切り取る地透です。

その独特の地鉄色と意匠、彫りの巧みさにより、平安城透鍔と双璧をなす透鍔の代表格として、尾張国周辺の同じ種類の鍔の総称にもなっています。

繊細優美な平安城透鍔に比べ、「尾張透鍔」(おわりすかしつば)はやや大きくて重ねが厚く、特に文様の繋ぎ目も太く貫禄があります。鉄骨が現れた槌目仕上げの地肌には深みがあり、愛好家の賞賛を集める物です。施された文様はほぼ左右対称。人物の図柄や象嵌の細工はまったくありません。

尾張透鍔の名品が数多く制作されたのは、戦国時代から安土桃山時代。その流れは江戸時代中期にまで及んでいます。ただ、時代が新しくなるにつれ、技巧に走り過ぎた構図や赤味を含んだ錆色が現れるなど、貫禄が感じられなくなるのは残念と言わざるを得ません。

金山鍔(かなやまつば)
「金山鍔」(かなやまつば)の制作地には諸説あります。戦国時代、熱田神宮の御用を担っていた尾張国の太刀金具師達が、金山神社域内(現在の名古屋市南区)に住み、副業として、需要の増えた鍔の制作に従事したことから付いた名前だと言う説。

それより古い室町時代、美濃国の稲葉山城下(現在の岐阜市)の金山神社管内で制作に携わった鍔工達を指すと言う説。これは、美濃鍛冶の制作した日本刀(刀剣)に金山鍔が使用されていたことなどを考え合わせると有力な説とも言えます。

また、木曽川の上流、飛騨川に沿った鉄の集散地である金山町が発祥の地であり、時代も南北朝時代だと言う説も見逃せません。いずれにしても、広い意味では同じ尾張透鍔のカテゴリに入る作品です。

最も盛んに作られた時代は、関鍛冶の繫栄に合わせるように戦国時代をピークとして、江戸時代中期まで続きます。

初期の作品は、小振りな丸形で重ねが厚く、鉄骨がはっきりと現れた逞しく素朴な作りです。その構図は、茎穴を中心として上下、左右対称の幾何学模様。槌目仕上げの地肌に地透されています。象嵌が施されることはなく、銘もありません。

後代には、優れた尾張透鍔に同化していったとも言われますが、素朴な重量感は、同じ尾張鍔の先輩格としての魅力十分です。

法安鍔(ほうあんつば)
武田信玄

武田信玄

初代「法安」は尾張国の武家出身で、甲冑(鎧兜)師から鍔工へ転じたと言われています。「武田信玄」に仕えたと言うこともあり、作品は豪放で迫力満点。造形美や鍛錬の緻密さはないものの、槌目仕上げの地肌に黒味を帯びた錆や鉄骨が現れ、実用的な古雅の風味を感じさせてくれます。

2代目の「久次」(ひさつぐ)が法安の姓を継ぎ、代々これを名乗ったため、この系統の作品は「法安鍔」(ほうあんつば)と呼ばれるようになりました。

2代目法安は、仕えた浅野家が紀州和歌山城主から芸州広島城主へと国替えになると、主人に従い広島へ移住。以後、芸州法安と称されることとなります。芸州法安は、のちに長州藩の金工達の作品、つまり「長州鍔」の影響を受け、錆色は黒紫色から赤味がかった物となり、高彫色絵の手法も取り入れて、初期の鍔とはまったく異なる作品になりました。

初代の銘は「法安」の二字銘。2代目は、さらに「紀州住法安」と切り、3代目以降は「芸州住法安」など居住地を付け加えた物が多いです。

山吉鍔(やまきちつば)
「山吉鍔」(やまきちつば)は、古い尾張鍔を代表する一派です。初代の「山坂吉兵衛」(やまさかきちべえ)が銘を「山吉兵」、「山坂吉兵」と切ったことからこの名前が付きました。初代は甲冑(鎧兜)師として織田信長に仕え、のちに鍔工に転業したと伝えられています。2代目は、尾州徳川家の支援を受け、そののち、同銘は7代続きました。

初代の作風は、信家や法安に似ています。しかし、一般的にイメージされる尾張透鍔のスマートさはなく、無骨な作り込みでわずかに小透かしがある程度。それでも、実戦を第一に考えた素朴な力強さからは目が離せません。

2代目の特色は「阿弥陀鑢」(あみだやすり)の名人であったこと。阿弥陀鑢とは、仏像の後背(こうはい)に見られるような後光や、太陽光線のような放射線状の物を指します。さらに、力のこもった耳の打ち返しや、鋤残しの技法も初代とは異なる部分です。

3代目からのちは槌目仕上げもより丁寧になり、透かしの技術も上がりますが、一方で素朴な風情は失われてしまいました。

時計鍔(とけいつば)
時計鍔

時計鍔

オランダから輸入された時計を手本に、太刀金具師達が制作したのが和時計です。彼らは、同時に時計の一部を図案化した異国情緒あふれる鍔も作りました。これが「時計鍔」(とけいつば)と言う名前の由来だと言われています。

時計姓を名乗る一派のルーツは、尾張徳川家のお抱え時計師だった津田家にあります。

2代目が藩主より「時悦」(ときえつ)の称号を授かって以来、津田家一門はみな時計を姓として、名古屋で時計制作のかたわら鍔作りを手掛け、幕末まで継承しました。

時計鍔の作風は、尾張鍔としては珍しい鉄地金の磨地に、和時計の歯車を思わせるギザギザを地透にした素朴な作品です。形はおおむね真丸形(まんまるがた)。鉄地肌は平面的で上質とは言えませんが、一見して時計鍔と分かるこの斬新なデザインは当時の人気を博しました。

光善寺鍔(こうぜんじつば)
町人の脇指用の鍔という特色ある作品です。幕末の鍔工「犬助」が、京都から名古屋の善光寺境内へ移り住んで制作しました。作品は赤銅の地金に、唐草や桔梗などの草花を金象嵌した物がほとんどです。傑作揃いの美濃後藤の作品に似たところもありますが、できばえは美濃後藤にはとても及びません。
柳生鍔(やぎゅうつば)
尾州藩主徳川家の剣術指南役であった「柳生厳包」(やぎゅうとしかね)が、実戦向けとして、これまでの尾張鍔に新たな工夫をこらして作らせた鍔です。制作年代は江戸時代中期になります。当時としては、一流の鍔工達が丹精込めて制作しました。

形は小振りな丸形か木瓜形。重ねは厚く、槌目仕上げの荒いくすんだ地肌に鉄骨が現れ、大胆な透かしにも武芸者好みの気合がみなぎっています。

柳生厳包は鍔の意匠を考案するにあたり、当時の名画家「狩野探幽」(かのうたんゆう)に武道の真髄を示して、これを表現させたとも伝えられています。探幽が描いた「三十六歌仙」(さんじゅうろっかせん)と呼ばれる三十六種類の図柄のいずれかにあてはまるのが、この鍔の条件だということです。

それだけに、「柳生鍔」(やぎゅうつば)には従来の尾張鍔にはない構図が取り入れられ、力強く、躍動感があります。剣術の達人、柳生厳包の人となりすら表現されていると言えるでしょう。また、柳生鍔はすべて無銘です。

大野鍔(おおのつば)
尾張国知多郡大野村で制作されたことから、「大野鍔」(おおのつば)と呼ばれています。始祖は鎌倉時代に近江国から移り住んで、日本刀(刀剣)や馬具類を作っていました。

しかし、新刀時代になって日本刀(刀剣)の注文が減ると、鍬(くわ)、鋤(すき)などの農具類制作に転向。副業で鍔作りにも携わることに。そして、江戸時代中期になると、尾州藩士柳生厳包に手腕を認められ、柳生鍔の制作者に名を連ねました。

こうした経緯から、大野鍔の多くは柳生鍔の影響を受けており、似たところがたくさんあります。一方で独自性も備え、地肌は柳生鍔が赤紫色なのに対して、黒味がかった鉄色。風帆(かざほ)や帆掛船(ほかけぶね)、稲穂などが大きな模様で透彫されています。柳生鍔に比べ丁寧な作りとは言えませんが、地方色豊かな朴訥とした味のある作品です。鍔銘には「福」の文字を含んだ物が多く見受けられます。

金家鍔(かないえつば)

金家鍔

金家鍔

「金家鍔」(かないえつば)は信家鍔と並び、現代の鍔愛好家からの人気が高い鍔です。

初代金家の家柄は「円明流」(えんめいりゅう)の武芸の宗家であり、彼は父から秘伝を学んで名人のレベルに達した武人でした。

そんな初代金家は、人柄も優れていたと伝えられ、最初に鍔に絵画的図柄を取り入れた鍔工としても名を残しています。

制作の拠点としていた「山城国伏見」は京都、大坂にも近く、新旧の世相に敏感な新興地であったため、現代にも通じる垢抜けした感覚を磨く一助となったと言えるでしょう。金家はのちに江戸へ移住しても、銘には「山城国伏見住」と名前に併せて明記しています。

金家鍔の形は、一般に「金家の拳形」(かないえのこぶしがた)と呼ばれる少しふくらみのある丸形の薄手の物。丁寧に仕上げられた槌目肌の鉄地金に、山水、人物、風景などを絵画風に鋤出彫し、これに金、銀、素銅などを少量使用した高彫色絵象嵌を施しています。

いわゆる「奇麗寂」(きれいさび)の佇まいには、観る人の心を打つ気迫と、豊かな詩情が宿っているのです。

鍔写真集鍔写真集
職人の技が光る芸術性の高い鍔を、画像にて細部までご覧頂ける写真集です。

鍔の種類②

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