拵・刀装具
鍔の種類①
拵・刀装具
鍔の種類①

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日本刀(刀剣)の「鍔」(つば)は、刀装具のひとつと言うだけでなく、独立した美術工芸品としての価値も高く、多くの愛好家に注目されています。その種類は多様で、とてもひとくくりにはできません。良く目を凝らせば、鍔の奥深い世界を垣間見ることができるでしょう。ここでは鍔工の系統別に取り上げ、使用されている地金の特徴や、図柄とそれを施す技法、さらに時代背景も織り交ぜてご紹介します。

鍔の各部分の名称

茎穴(なかごあな)
鍔の各部の名称

鍔の各部の名称

日本刀(刀剣)の茎を通すための中央部分の穴。
切羽台(せっぱだい)
茎穴の周辺部分。ここに切羽をかけて刀身を固定。作者の銘はこの部分に切る。
笄櫃(こうがいひつ)
切羽台の右側にある、笄を通すための州浜形の穴。
小柄櫃(こづかひつ)
笄櫃の反対側にある小柄を通す半円形の穴。
責金(せきがね)
茎穴の上下にはめ込み、刀身が揺れ動くのを防ぐための金具。
(じ)
鍔の表裏の地肌のこと。茎穴の幅の狭い方を上にした場合、州浜形の笄櫃が右側、半円形の小柄櫃が左側になる面が鍔の表。
(みみ)
鍔の外周部分の縁のこと。
(めい)
多くは切羽台の左側に切られる作者名。

刀匠鍔(とうしょうつば)

刀匠が日本刀(刀剣)を鍛えるときに、残った鉄を利用して作った鍔が「刀匠鍔」(とうしょうつば)です。完成した日本刀(刀剣)に添えて、注文主に納めていたと伝えられています。

室町時代に制作された古い刀匠鍔、つまり「古刀匠鍔」は、やや厚手で平坦、形は大振りな丸形、または外周にへこみを入れた「木瓜形」(もっこうがた)が多く、耳部分にはあまり手を加えてはいません。

地肌は磨き仕上げなどをせず、槌打ちの跡を残した「槌目仕上」(つちめしあげ)のシンプルな作りです。わずかに桜や梅花、大根などの簡単な透彫(すかしぼり)をひとつかふたつ、茎穴の右上または右下に彫り込んであります。

「櫃穴」(ひつあな)は開ける必要のない時代であったため、もし開いていればのちの時代に加工された物か、偽物です。

全体として飾り気のない実戦向きの造形ですが、鍛えられた地鉄の表面に滲み出た錆色が、長い時間の経過と共に深みを増し、素朴なおもむきと力強さを感じさせてくれます。南北朝時代より前の作品は少なく、多くは室町時代から戦国時代の制作です。ただし江戸時代後期には、数多くの模倣品が作られました。

太刀金具師鍔(たちかなぐしつば)

「太刀金具師」(たちかなぐし)とは、奈良時代の頃より、仏具などの金属彫刻を本業とした金物細工師を指しています。「毛彫」(けぼり)や「鋤出彫」(すきだしぼり)、「打ち出し」の技術に優れ、副業として日本刀(刀剣)の金具や鍔を制作するようになりました。

平安時代から安土桃山時代にかけて、彼らが手掛けた鍔を「太刀金具師鍔」(たちかなぐしつば)と呼び、古い時代の物では平安時代の「毛抜形太刀」(けぬけがたたち)や、鎌倉時代の「兵庫鎖太刀」(ひょうごびょうのたち)などに付属していた物が現在も残っています。

太刀金具師鍔のほとんどは、山銅(やまがね:よく精錬していない粗銅)や赤銅(しゃくどう:銅に金を加えた合金)の地金で、鉄製ではありません。

木瓜形や菱形、楕円形などの変わった形の地金に、唐草、菊花、花鳥などが精緻な毛彫の他、透彫、象嵌(ぞうがん)などで表され、さらに鍍金(めっき)を施して美しく仕上げています。立体的な組み立て式の鍔さえあり、実戦向きとは言えません。

実際、この鍔は儀礼用に日本刀(刀剣)の装飾の一部として制作された物なのです。初めから地金の硬度や鍛えよりも毛彫、透彫などに力が注がれており、実戦で使用することは考えられていませんでした。

古い時代の太刀金具師鍔には立派な名品が多く、その技法と太刀金具師の血統は、後代まで連綿と受け継がれ、のちに金工界の権威となる「正阿弥」(しょうあみ)と「後藤家」へと繋がっていきます。

甲冑師鍔(かっちゅうしつば)

甲冑師鍔

甲冑師鍔

「甲冑(鎧兜)師鍔」(かっちゅうしつば)は、実用的で味気ない刀匠鍔に満足できなかった上級武士の要望に応じて、高い技術力を持つ甲冑(鎧兜)師が手掛けた物です。言わば高級鍔の制作を担った訳ですから、甲冑(鎧兜)師としてはありがたい副業となりました。

後代には注文制作の枠を越えて発展し、専門職としての鍔工を数多く生み出しています。

その制作期は長く、鎌倉時代から江戸時代にまで亘っていますが、全盛期と言えば戦国時代でした。当時の鍔の制作者はほとんど、この甲冑(鎧兜)師系の鍔工であったそうです。

甲冑(鎧兜)師鍔は、甲冑(鎧兜)制作の技術を応用しながら、技巧面でさらに進歩を遂げました。刀匠鍔よりも一回り大きな丸形に、重ねはやや薄い鉄板鍔。地肌は磨き上げられ、さらに「角耳」(かくみみ)、「打ち返し耳」、「土手耳」など、細部まで手が込んでいます。

地肌も鍛えたままの平坦な物ではなく、鍔の中ほどが盛り上がっていたり、中央から耳際へかけて少しずつ地肉を薄くするなどの工夫も施されました。

また、その装飾も多彩となり、塔、鎌、桜花、蝶などの地透かしの他に、南無阿弥陀仏、南無八幡大菩薩などの仏教に由来する文字や、縁起をかつぐ物、教訓的な言葉なども多く彫られています。

時代が新しくなるにつれて、ますます技巧的に発展。鍛え方も単なる「丸鍛」(まるぎたえ:ひと塊の金属からひとつの鍔を作ること)から、「渦巻鍛」(うずまききたえ)や「五鉄練鍛」(ごてつれんぎたえ)などと称される「肌物鍛」(はだものきたえ:鍛錬によって模様が現れた物)が考案されました。

しかしその反面、古い時代の風流は失われ、品格の劣りも見られるようになったと言われています。

鎌倉鍔(かまくらつば)

鎌倉鍔

鎌倉鍔

「鎌倉鍔」(かまくらつば)の「鎌倉」と言う言葉の意味は、鎌倉時代と言う年代や、相州鎌倉といった地名を示す物ではありません。「堆朱彫」(ついしゅぼり)やお盆、下駄などに彫られている「鎌倉彫」の漆芸(しつげい)が応用されていることから、明治時代に付けられた新しい名前です。

鎌倉鍔の制作者は、甲冑(鎧兜)師鍔と同じ系列に属していますが、鎌倉彫の工法や図模様を用いて制作にあたった別個のグループを指します。ただ、鎌倉鍔を専門とした家系は確認されていません。

鎌倉鍔の構図や技法は、刀匠鍔や甲冑(鎧兜)師鍔よりもさらに一歩進んでおり、鎌倉彫の手法で菊、唐草などの草花や、塔、橋、または中国風の楼閣山水といった絵風文様が浅く鋤出彫され、独自性が感じられます。切羽台や櫃穴、耳の周辺を高く鋤き残すのも特徴のひとつです。

後期には簡単な真鍮象嵌(しんちゅうぞうがん)を施すなど、荒削りながらもその発想や技巧は進歩的で、のちの鍔工に少なからず影響を与えました。

しかしながら、鎌倉鍔は戦国時代の大量需要に応じて量産された作品であるため、鍛えは上等とは言えず、地肌も荒く、ざらざらとしています。彫り自体も丁寧さに欠ける浅彫り。構図的には見るべき物が多く、味もありますが、実戦向きの大量生産品の域は出ません。

鎌倉鍔の制作地は京都や相州小田原ですが、後代にはオリジナルを真似た写し物が各地で作られるようになっています。

応仁鍔(おうにんつば)

「応仁鍔」(おうにんつば)と言う名称は、1467年(応仁元年)の「応仁の乱」の頃から、京都を中心として各地で制作されたことから、鎌倉鍔と同じく明治時代に名付けられました。応仁鍔の制作者も甲冑(鎧兜)師の流れを汲んでいますが、まったく別の制作意図を持ったグループです。

この鍔の形は、刀匠鍔や甲冑(鎧兜)師鍔よりもおおむね小形。その多くは2通りの工法に分けられます。

ひとつは、塔、笠、草花などの透彫や、切羽台、櫃穴の周辺に真鍮を用いて縁取りした物。もうひとつは、家紋や唐草などを浅肉彫して真鍮象嵌を施し、据金物(すえかなもの:甲冑(鎧兜)などの飾りに付ける金物)のようにはめ込んだ物。象嵌は地肌より浮き上がっていて、厚みが加えられました。

当時、真鍮は非常に高価な輸入品でした。つまり応仁鍔はたいへんに手間のかかった、高級品であったのです。

一方で、いかにも乱世の作品らしい無骨さも備えていました。鍛えに甘さがあり、「平安城象嵌鍔」(へいあんじょうぞうがんつば)に見られるような土手耳や打ち返し耳などの技巧や、耳際の精巧な細工はありません。

しかしその貫禄は疑いようもなく、応仁鍔の工法は後代へ伝わり、平安城象嵌鍔や正阿弥鍔、また「与四郎鍔」の象嵌にも活かされています。

美濃鍔(みのつば)

美濃鍔

美濃鍔

太刀金具師の副業から発達した「美濃鍔」(みのつば)。刀匠鍔や甲冑(鎧兜)師鍔とはおもむきを異にしており、のちに後藤家の基礎を築きます。安土桃山時代以前の作品は「古美濃鍔」と呼ばれ、江戸時代以降の物が美濃鍔です。

もともと美濃国(現在の岐阜県南部)は京都にも近く、豊かな土地柄でした。また、「飛騨街道」をはじめ「中山道」(信州、甲州)や「東海道」(尾張、三河、相模国)と繋がる交通の要衝でもあります。

古くから公卿達の荘園も多くあり、京都が戦禍に巻き込まれた際には避難地として利用されるなど、京都との交流も盛んでした。

こういった理由から、京都が南北両朝の争いで焼け野原になったとき、京都の太刀金具師達も美濃国の赤坂(現在の大垣市)周辺へ避難します。彼らはここで暮らしながら技を磨き、美濃金工の礎(いしずえ)となりました。

やがて足利幕府が確立して京都に平和が戻ると、美濃国の金工家達はその技術を活かし、京好みの優美な作風を発展させていきます。

この頃、後世の金工家達から神とも仰がれる「後藤祐乗」(ごとうゆうじょう)が登場。祐乗は美濃国から、のちに京都へ出て「足利義政」に仕え、古美濃彫の技法を原点とした後藤彫を完成させます。これは以降の金工家達のお手本となる物で、祐乗を始祖とする金工後藤家は幕末まで繁栄を続けました。

金工界に大きな影響をもたらした美濃鍔。特に古美濃鍔はそもそもが太刀金具師の細工物の系統でもあり、格調の高い美しい作品が数多く作り出されています。

素地には鉄を使わず、太刀金具師達が用いた赤銅や素銅(すあか:精錬された純粋な銅)に、秋草文様と、そこに描き込まれた鈴虫、蝶、蜂、鹿、兎などを垂直に掘り下げ、さらに金銀をちりばめると、地肌は必ず魚子地(ななこじ)としました。また、耳や切羽台のまわりは鋤き残すという手法で力強さも表現しています。

一口に美濃鍔と言っても、江戸時代にはその完成度に違いが生じてきました。初期の作品は安土桃山時代の伝統を残し、秋草の彫りも丁寧である上に、上質な金銀で厚く彩られ、図柄にも躍動感があふれる立派な物です。

ところが、中期頃になるとやや技巧に走る傾向が見られるようになります。例えば、草花の中にいる鈴虫や鹿などが、大きく誇張して描かれたり、逆に小さくなり過ぎていたり、技術上の工夫と言えなくもありませんが、鏨運び(たがねはこび)に切れはなくなり、立体感もありません。

より時代が新しくなると、文様には重苦しさが漂い荒削りで、しかも垂直彫の技法が薄れて、全体的に迫力のない作品となりました。

古美濃鍔には銘がありませんが、江戸時代になると、例えば「吉教」(よしのり)や「喜基」(よしもと)などの金工銘が現れます。とりわけ元禄時代以降の鍔には在銘も数多く、銘は「美濃住」、「光政」のように、左右に分けて切られました。

鍔写真集鍔写真集
職人の技が光る芸術性の高い鍔を、画像にて細部までご覧頂ける写真集です。

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