女剣士ヒストリー
板額御前
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板額御前

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平安時代末期(12世紀後半)に活躍した女武将として名高い「巴御前」(ともえごぜん)とほぼ同時期に、もうひとり、その勇猛ぶりを称えられた女武将がいます。越後(新潟県)の有力な豪族で、越後平氏とも言われた城氏(じょうし)の姫・「板額御前」(はんがくごぜん)です。

板額御前が女武将となった時代背景

板額御前

板額御前

板額御前は、鎌倉幕府の事跡を記した歴史書とされる「吾妻鏡」(あづまかがみ)にも登場する、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍したとされる女武将です。「坂額」(はんがく)と記されることもあります。

彼女は、当時、越後一帯に勢力を張っていた平家の流れを組む城一族の城資国(じょうのすけくに)の娘でした。彼女はなぜ、姫でありながら武将として歴史に名を残すことになったのでしょうか。

院政による世の混乱

板額御前が生まれた平安時代後期は、律令制が崩れ、皇位を後継者に譲った天皇が上皇となり、政務を直接行なう「院政」(いんせい)の時代。このいびつな政治構造は対立を生み、盗賊なども増え、都だけでなく地方も含めて世の中が乱れる原因にもなっていました。そういった混乱を鎮めるために朝廷に登用されたのが、平氏や源氏などの武士です。

武家政権の起こり

そんななか起こったのが、保元の乱です。鳥羽法皇(とばほうおう)の崩御により、崇徳上皇(すとくじょうこう)と後白河天皇(ごしらかわてんのう)の間の勢力争いが顕著となり、それぞれが武士を使っての武力衝突へと発展したのです。

上皇についたのが源為義(みなもとのためよし)・為朝(ためとも)親子、天皇側についたのが平清盛(たいらのきよもり)と源義朝(みなもとのよしとも=為義の子)です。結果、天皇側が勝利します。

しかしわずか3年後、平時の乱(へいじのらん=1159年)が起こります。保元の乱後の立場に不満を持った義朝と、当時実質的な権力を握っていた平清盛が対立。清盛がこれに勝利し、義朝は殺されます。

源頼朝

源頼朝

そしてこのとき、伊豆に流されたのが義朝の3男で、のちの鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)です。

のちの世から見ると、公家の内部紛争の解決を武士に委ねたことで、その存在感はクローズアップされ、その後、約700年にも及ぶ武家政権への道が開かれたのです。板額御前は、このような時代に生まれた、いわゆる武士の娘でした。

強弓で鎌倉幕府の大軍を立ち止まらせた板額御前

では、板額御前の生い立ちと、女武将としての活躍ぶりをご紹介しましょう。

越後で栄華を極めていた城氏

都で清盛を筆頭とする平家が栄華を極めていたころ、越後を支配していたのが、越後平氏である城氏です。板額御前の父・城資国は、白鳥山(新潟県胎内市=たいないし)に難攻不落とうたわれた鳥坂城(とっさかじょう)を築き、広い越後を支配していました。

妻として迎えたのは、奥州藤原氏の基を築き、平泉の中尊寺(世界遺産)を建立した藤原清衡(ふじわらのきよひら)の孫娘です。板額御前は、その2人の娘として、一説によれば1172年に飯角(いいずみ)と呼ばれる地区で生まれたと言われ、この「飯角」が「はんがく」とも読めたことから、板額御前と呼ばれたのではないかとも伝わります。

10歳で運命が大きく変わった板額御前

板額御前が10歳を過ぎたころ、情勢は大きく変わり始めます。平家の栄華が陰りを見せ始め、1180年には源頼朝や木曽義仲(きそよしなか)などが、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)の平家追討の令旨(りょうじ)を受け、挙兵。板額御前には兄が2人おり、このときの城氏の当主は、長兄・資永(すけなが)でした。

清盛から支援を頼まれた資永は、義仲の地元・信濃(長野県)への出兵を決めますが、出陣直後に急死。跡を継いだ弟の長茂(ながもち)が4万の大軍を率いて信濃の横田河原(よこたがわら)で義仲と対戦するも、三方から攻めてきたわずか数千の義仲軍の奇襲戦法に敗れてしまい、以降、城氏の勢力は急速に衰退します。

1185年、壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい=山口県)で敗れた平家は滅亡。平家の流れを組む城氏は、鎌倉幕府が成立後は一族の存亡をかけた時代を送ることになります。

鎌倉幕府軍の足を止めた板額御前の強弓

板額の弓

板額の弓

長茂は、鎌倉に囚われの身となり、板額御前は、亡くなった長兄・資永の子・資盛(すけもり)の後見人として鳥坂城を切り盛りし、武術・学術に優れた女武将に成長していました。そして1201年、鎌倉幽閉後、一時は頼朝の家臣となっていた長茂は、京都で幕府打倒の行動を起こすも失敗、頼朝の追手により斬首されます。

これをきっかけに、板額御前は、甥の若き当主・資盛と共に鳥坂城に立てこもり、鎌倉幕府討幕を掲げ挙兵。鎌倉幕府軍と板額御前率いる城軍による合戦に突入します。

【吾妻鏡(あづまかがみ)】は、このときに目覚ましい活躍をしたのが、ひときわ優れた強弓の持ち主・板額御前だったと詳細に伝えています。白鳥山の麓から鳥坂城を目指して攻め上ってくる幕府軍に対し、少年の姿になって櫓に上がり、次々と弓を引き、射倒します。

そのあまりの命中率と、当たると確実に死ぬほどの強い威力に、幕府軍は足が止まったというのです。そして、板額御前をはじめとする城軍の必死の反撃で、幕府軍を率いる武将も負傷し、多くの兵士が死傷するという大打撃を受けます。

しかし、次第に追い詰められた城軍は、敗色が濃厚となり、板額御前は資盛を逃がします。その後、幕府軍は彼女の後方の高みに回るという策を講じ、鎧からはずれた腿を弓矢で狙います。

これにはさすがの板額御前もたまらず倒れ、ついに生け捕られ、鎌倉へと移送されます。これにより、5代にわたって越後で栄華を誇った城氏は滅亡。板額御前はそのとき、推定年齢30歳であったと言われています。

弓の名手同士の結婚―女武将・板額御前のその後

「百発百中の強弓で鎌倉幕府の大軍の足を止めた」という伝説が残る越後の城氏の姫・板額御前は、幕府の捕虜となったのち、どのような人生を歩んだのでしょうか。

板額御前のストーリーが「巴御前のその後」を作った?

巴御前

巴御前

板額御前とほぼ同時期を生き、同じように男顔負けの勇猛ぶりが今に伝わる女性がいます。木曽義仲の愛妾としても知られる巴御前です。

巴御前は、江戸時代以降に彼女を題材にした能や歌舞伎が多数演じられた影響もあり、日本の女武者の代名詞となっていますが、実は、巴御前の後半生のエピソードは、実在した可能性の高い板額御前のストーリーをもとに創り出された物とする説が有力です。そんな板額御前の後半生を紹介しましょう。

2代将軍・頼家の命により鎌倉へ護送

平安時代末期、平家の流れを組む越後の大豪族・城氏の姫として誕生した板額御前は、鎌倉時代前期に、甥の城資盛と共に鎌倉幕府に反乱を起こし、居城・鳥坂城で幕府の大軍と籠城戦を繰り広げます。その戦いで、「板額御前が放った矢のあまりの命中率と強い弓の威力に鎌倉幕府軍は恐れをなし、城を攻め上がろうとする彼らの足を止めさせた」と、鎌倉幕府の日誌とも言われる歴史書【吾妻鏡(あづまかがみ)】は記しています。

結果的に城軍は敗れますが、鳥坂城の合戦(建仁の乱=けんにんのらん)で板額御前の名は一躍天下に響き渡り、2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)は、その女武者の姿を一目見たいと彼女を生け捕りにし、鎌倉に護送するように命じたのです。

勇敢な女武将を救った浅利与一義成の機転

居並ぶ重臣の中を頼家の前に進み出た板額御前の凛とした様子を吾妻鏡は次のように伝えています。

「板額の容色は花のように美しく、まるで陵園の妾(りょうえんのしょう=唐の詩人・白楽天の詩に詠われた薄命の美女)であった」

死罪か流刑か、そのどちらかしかないと覚悟を決めていた板額御前でしたが、幕府の御家人のひとりであった甲斐源氏(山梨県)の一族・浅利与一義成(あさりよいちよしなり)が、板額御前の堂々たる姿に深く感銘を受け、頼家に、「彼女を妻として迎えたい」と申し出るのです。

「幕府に弓を引いた不届き者を、なぜか?」と問う頼家に、「別に深い理由がある訳ではなく、夫婦となって男子をもうければ、必ずや幕府のお役に立てる武将になりましょう」と答える与一。彼は板額御前と同じく弓の名手で、源平最後の合戦となった壇ノ浦の戦いでは平家の弓の名手を射落とした武将でした。

頼家は、勇敢な女武将の板額御前を救うための彼の機転に気付き、その願いを許したと伝わります。こうして、板額御前は、浅利与一義成の妻として甲斐に移り住み、そこで生涯を終えたとされています。

女武将・板額御前ゆかりの地を行く

平安末期、越後平氏として越後(新潟県)で栄華を極めていた城氏の姫として誕生した板額御前。しかし、10歳にしてその運命はガラリと変わり、逃れられない運命の渦の中で否応なく武術・学術共に優れた女武将に成長する道を歩みます。そんな板額御前のゆかりの地を紹介しましょう。

誕生から戦いの日々、そして静かな余生の足跡を訪ねる

板額御前の像

板額御前の像

板額御前には兄が2人いたものの、源平合戦の中でどちらも帰らぬ人となり、甥の若き当主・資盛の後見人として鳥坂城を切り盛りすると共に、鎌倉幕府軍との間の籠城戦ではひときわ優れた強弓により、数で勝る敵の足を止めさせます。彼女の戦いぶりに思いを馳せられる場所を訪ねてみましょう。

飯角(いいずみ)地区

のどかな田舎町の風景が広がる新潟県胎内市飯角(いいずみ)地区は、板額御前が生まれたと言われる場所です。一説には、この飯角がはんがくとも読めたことから、板額御前の名が付いたのではないかと言われています。

鳥坂城

城氏の居城であった鳥坂城は、日本一小さな山脈である櫛形山脈の北端、白鳥山に築かれたいわゆる山城です。鳥坂城跡の白鳥山山頂には板額御前の活躍ぶりが紹介された説明板があり、展望台からは日本海まで続く眺めを見ることができます。

樽ケ橋

同じく胎内市には、「樽ヶ橋」(たるがはし)と呼ばれる橋があります。板額御前の活躍によって佐々木三郎盛綱率いる鎌倉幕府の大軍に痛手を負わせたものの、最終的には攻め込まれ、敗北が濃厚になったとき、板額御前は甥の若き当主・資盛を逃がします。

そのとき、彼女が岩をけって川に橋をかけたという伝説が残されており、資盛は「小太郎」と呼ばれていたことから、「小太郎ヶ橋」となり、それが転じて樽ヶ橋になったと。資盛は、橋を渡って秋田の方に落ち延びたのではないかと考えられています。

板額御前の墓所「板額塚」

鎌倉幕府の捕虜となったのち、幕府の御家人のひとりであった甲斐源氏の一族・浅利与一義成の妻となった板額御前は、甲斐に移り住み、現在の中央市浅利で生涯を閉じたと伝わります。その浅利からほど近い笛吹市境川町小黒坂に板額御前の墓所と伝わる板額塚があります。

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