【薩摩義士伝】で知られる平田弘史(ひらたひろし)。劇画を普及させたさいとう・たかをと同時期に貸本漫画で活動を始め、【名刀流転】などを描きます。平田は寡作になるほど時代考証や実証研究に徹底的にこだわります。【首代引受人】という独自の時代劇漫画も数行の歴史資料をもとに考え出します。
平田弘史は、大阪の貸本漫画〔剣豪ブック 魔像〕に掲載された【愛憎必殺剣】で漫画家デビューします。
宮地正弘等が拠点とし、時代劇を取り上げた〔魔像〕創刊の年に掲載されました。魔像は、さいとう・たかを等が拠点とした現代劇を取り上げた〔探偵ブック 影〕の姉妹編でした。
平田は魔像での発表と同時に、【士魂物語】と付けたシリーズも描いていきます。【牢人】、【遺恨】、【悲愁の太刀】、【無双奥義太刀】、【孤影】、【人足侍】、【鬼刃】、【闘魂】、【牢獄の剣士】、【刀匠】、【仇敵】、【侍】、【名刀流転】、【落城の譜】、【オタニ伝】、【幕末士魂伝】です。
時代劇を描くうえで平田は、自宅近くの天理大学の図書館に通い詰めては時代考証を行ない、偽物だったものの井上和泉守国貞とされる日本刀を手に入れて居合抜きの研究も行ないました。
小林正樹監督(代表作【人間の條件】など)初の時代劇映画【切腹】の過去に往復する手法に感銘を受け、脚本を手がけた橋本忍の脚本作品(黒澤明、岡本喜八など)の影響も受けていきます。
士魂物語の第13巻名刀流転(1965年「日の丸文庫」発行)では、独自の物語設定で刀匠が描かれます。戦国時代、足利将軍家のとある親族は刀匠を集め、刀の技術を競わせる「競刀」を開いています。ある年、刀のさらなる向上を図るべく、優勝した刀匠は前年の優勝者に命以外、何でも要求してよいとのお達しが出ます。
主人公は、隻眼隻腕の刀工・太刀川龍三郎(たちかわりゅうざぶろう)です。龍三郎は、前年競刀優勝者である師匠の娘の許婚でしたが、師匠のライバルから競刀で優勝したあかつきには、師匠の娘を息子の嫁に貰い受けると宣言されてしまいます。勝負の結果、師匠の刀は折れ、優勝したライバルに龍三郎の許婚は連れ去られてしまいました。さらに娘を取り戻そうとした師匠は返り討ちにされてしまいます。
龍三郎は、許婚を取り戻す一心で刀を鍛えて競刀に挑もうとするも、謎の刺客に襲われ、隻眼隻腕の姿になります。刀工をあきらめた龍三郎は、許婚が暮らすことになった館の門前で琴を弾き続けますが袋叩きに遭います。ひん死の重傷を負いましたが、旅の武芸者に助けられた龍三郎は、武芸者の熱意に打たれ、渾身の一刀を鍛え上げ、ようやく競刀に挑むことができました。
【名刀流転】より
【名刀流転】より
平田は中世の説話的な世界に、林不忘【丹下左膳】の主人公・隻眼隻腕の剣客像を独自に持ち込みました。
やがて貸本漫画は衰退し、平田は上京します。折しもさいとう・たかをらが提唱した「劇画」のブームが起こり、青年劇画・漫画雑誌が多数創刊されます。
青年劇画雑誌の第1号ともされる雑誌で平田は、小島剛夕とともに中心となり、柴田錬三郎、南條範夫、滝口康彦、白井喬二の原作物や、貸本漫画時代に理不尽な差別への抵抗を描いた絶版漫画【血だるま剣法】をリメイクした【おのれらに告ぐ】(1968年〔コミックmagazine〕掲載)などを発表しました。
劇画ブームは週刊少年漫画雑誌に及び、平田もその流れに加わります。映画と連動した物(【片目の軍師】、【座頭市】、【御用金】、【人斬り】)や、貸本漫画時代に描いた【復讐つんではくずし】をリメイクした【大地獄城】(1969年〔週刊少年キング〕連載)、同じく貸本時代の闘魂をリメイク長編化した【弓道士魂】(1969-1970年〔週刊少年キング〕連載)などを描きました。
南條範夫原案とも言える復讐つんではくずしでは【日本残酷物語】(谷川健一企画編集、宮本常一・山本周五郎ら監修)刊行以来流行していた残酷な描写で描き切り、現地取材に基づいた闘魂では江戸時代に京都三十三間堂にて藩対抗で行なわれていた弓競技・通し矢を題材にしました。
後発の青年漫画雑誌の創刊にあたり、平田は【首代引受人】(1973年〔漫画ベストセラー〕連載)を発表します。数行の歴史資料をヒントに描いた読み切り【約束手形】(1971年〔コミックmagazine〕連載)をもとにシリーズ化しました。
平田は、戦場で命の代わりに大金を支払う約束をした侍の手形をもとに取り立ての代行を行なう首代引受人(くびだいひきうけにん)を創作しました。主人公・首代半四郎は、編笠で顔を隠して手形とともに現れ、ほとんど顔を見せることはありません。交渉だけでなく、難航すればその剣の腕前で取り立てを実行する剣客でもあります。
「恨みの輩」
【首代引受人】より
「恨みの輩」
【首代引受人】より
平田はより精彩な刀を描くための手法をこう述べています。
「刃の筋は五本ありますよね。見えるところで四本ありますね、刃の部分、しのぎの部分、それから背の部分、峰の部分、それを適当にずらしながら描いていくんです、カーブが違ってくるので注意しながら」「刀が根元から先まで同じカーブでいっていると刀らしくないんですよね」(荒俣宏編著【日本まんが 第弐巻 男が燃えた! 泣いた! 笑った!】)
より正確な描写にこだわった平田はその後、遅筆から依頼が減少するも、【薩摩義士伝】(1977-1982年〔増刊ヤングコミック〕〔週刊漫画ゴラク〕連載)で久々の長編を発表。
江戸幕府から困難な治水工事の命を受けた無名の薩摩藩の侍達の史実をもとに描き記しました。
以後、無名の人々を描いていくことに注力していきます。また、アメリカで展覧会も行ない、平田のファンだった大友克洋(代表作【AKIRA】など)によって再評価が行なわれていきます。
時代考証や実証研究に基づいた精細な描写だけでなく、独自の物語設定をひねり出した平田の刀剣漫画は、時流に左右されることのない存在としてあり続けています。