代表的な甲冑(鎧兜)
当世具足③
代表的な甲冑(鎧兜)
当世具足③

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「当世具足」(とうせいぐそく)における胴の主流は、(鉄)板を用いた「板物胴」(いたものどう)でしたが、それ以外の材料でも制作されていました。その他の代表的な材料として挙げられるのが、鉄や革などで作られている「伊予札」(いよざね)。この札の両端を浅く重ね合わせて綴じていく手法は、従来に比べ、つなぎ合わせる作業を簡易に行なえることもあり、当世具足制作の現場でも用いられていたのです。ここでは伊予札製の胴をはじめとした、板物胴以外の制作について考察します。

伊予札製の胴

伊予札製の胴は、①「伊予札縫延革包胴」(いよざねぬいのべかわつつみどう)、②「伊予札縫延一枚革包胴」(いよざねぬいのべいちまいがわづつみどう)に大別できます。

この2つは、伊予札縫延革包胴が札板を1段ごとに革で包んで上段と下段を皮紐や組紐などで綴じているのに対し、伊予札縫延一枚革包胴は、胴全体を1枚の革で包んでいる点で異なります。なかでも、伊予札縫延革包胴については、当世具足が登場した初期段階から行なわれていたと考えられており、当世具足形式が定まるまでの成立過程が垣間見えるのです。

伊予札縫延革包胴

伊予札黒糸威胴丸具足

伊予札黒糸威胴丸具足

「縫延」(ぬいのべ)とは、鉄や革で作られた伊予札の端を浅く重ねた板札を薄い馬革などで包み、漆で塗り固める手法。

この手法によって1段ごとに革で包んだ「縫延板」を威したり、革紐や組紐などで綴じたりして形成した胴が伊予札縫延革包胴です。

当世具足が登場した室町時代末期には、戦闘が大規模化したことで、兵士の身を守る甲冑の大量生産が求められていました。もっとも、それまでの「小札」(こざね)を糸などで威していく方法では、大量生産は望めません。

そこで考えられたのが、縫延の手法。1段ごとに札板がまとまり、従来の手法よりも簡単に胴を制作することができるようになったことで、当世具足の制作現場でも取り入れられたのです。

伊予札縫延革包胴の構成は、札板の弾力性を活かし、「蝶番」(ちょうつがい)を用いないで胴を一周し、右側で引き合わせる「丸胴」(まるどう)が一般的でした。もっとも、前胴と後胴に分け、胴の左側に蝶番を入れてつなぐ「2枚胴」の物もありました。

伊予札縫延一枚革包胴

伊予札で形成した胴の全体を1枚の革で包んだ物を、伊予札縫延一枚革包胴と言います。中世においても、革包の手法はありましたが、小札の「緘の穴」(からみのあな:小札の上から1段目、2段目に開けられた穴)に皮紐を通して×印で綴じ合わせていく、威毛に代わる機能を果たす物でした。

しかし、革包胴の手法は、伊予札を横方向だけでなく、縦方向にも縫延べることで、胴全体を1枚の板状にした物。これにより小札の伸縮を抑え、着用者の着心地を良くすると共に、敵の攻撃に対する防御力を確保したのです。

伊予札縫延一枚革包胴のうち、金具廻から「発手」(ほって:胴の下端)までを1枚革で包んだ物は「包仏胴」(つつみほとけどう)と呼ばれます。この胴においては、表面に蒔絵(まきえ)で文様を描く装飾が行なわれました。

毛利元就

毛利元就

その代表例として挙げられるのが、山口県にある「毛利博物館」所蔵の「栗色韋包瓢箪唐草蒔絵四枚胴具足」(くりいろかわづつみひょうたんからくさまきえよんまいどうぐそく)。この具足は、戦国大名の「毛利元就」(もうりもとなり)の所用と伝えられ、唐草模様の金蒔絵が施された革包の仏胴は、芸術品としても高い価値のある1領です。

本小札製の胴

「本小札」(ほんこざね)とは、小札を横に並べ重ねて革で綴じ、漆で塗り固めて板状にした物のこと。伊予札を重ねて革で包んだ縫延板に比べて制作するのに手間と時間がかかることから、大量生産には向かず、当世具足の時代においては、衰退していきました。もっとも、完全に消滅した訳ではありません。本小札製の胴は、少数ではありましたが、高級品として引き続き制作が行なわれていたのです。

本小札製の胴は、胴の右で引き合わせる「胴丸」(どうまる)の形式を引き継いでいましたが、①札板を各段ごとに皮紐で綴じている点、②札板の動き(伸縮)を抑えている点、③「揺糸」(ゆるぎのいと:胴と草摺をつなぐ糸)を長く仕立てている点、④肩の上に籠手を取り付けるための「綰」(わな)がある点において、胴丸とは異なっています。

2枚胴

2枚胴

また、本小札製の胴の構成は、小札板以外の硬い材料を用いた通常の「立胴」(たてどう)と比べ、小札板を曲げることは容易だったこともあり、丸胴が一般的。

もっとも、なかには蝶番で各パーツをつなぐ「2枚胴」、「5枚胴」なども制作されていました。

草摺・揺糸

草摺・揺糸

本小札製の胴も、当世具足である以上、敵の槍や鉄砲による攻撃から着用者の生命・身体を守ることが求められていたため、小札を鉄製の物にしたりするなどの方法で防御力の強化が図られました。もっとも、「草摺」(くさずり)の制作には革製の小札が用いられます。その理由は、着用者の足さばきをよくするため。柔軟性があり、軽量な革を使うことで、軽快に足を動かすことが可能となることから、合理性が重視されたのです。

その他の形式の胴

上述した2つの形式の他、伊予札、本小札、板札などを混合して胴が制作されることもあり、これらは「段替胴」(だんかえどう)と呼ばれました。その他、「家地」(いえじ:甲冑の下地に貼り付ける布)に鎖や鉄製の板などを綴じ付けた「畳具足」(たたみぐそく)などがあります。

段替胴

段替胴

段替胴

段替胴は、いくつかの胴の形式を組み合わせて制作した胴の構成で、段ごとに形式を替えて構成したことから、こう名付けられました。当世具足は、それ以前の「日本式甲冑」に比べて制作においての自由度が高いのが特徴。

例えば「立挙」(たてあげ:胸の部分)を「毛引威」(けびきおどし:隙間なく威していく手法)で形成し、「長側」(ながかわ:胴を一巡している部分)を伊予札で形成するといったように、様々な形式の具足が制作されたのです。

畳具足

「畳具足」とは、鎖、「骨牌金」(かるとがね)、「蝶番札」(ちょうつがいざね)、「鱗札」(うろこざね)、「馬甲札」(ばこうざね)などを家地に縫い付けて形成された胴のこと。表面の骨牌金などは、鎖でつながっており、鎖部分に沿って折り曲げることで、小さく畳むことができ、持ち運びに便利だったことから、このように呼ばれるようになったと言われています。

鎖でつながれた鉄製の札などを家地に縫い付けていく手法で制作された畳具足は、他の具足に比べて制作が容易で、大量生産されていました。そのため、当初は自分専用の甲冑を持つことができない足軽などの下級武士に対する「御貸具足」(おかしぐそく:戦のたびに将が貸し出す具足)として用いられていたと言われています。

その後、持ち運びの便利さから、上級武士が旅行先などで緊急事態に遭遇したときの備えとして携帯するようになったのです。

畳具足の表面には、鉄製の札などが縫い付けられていることから、相応の防御力があったと考えられ、また、鉄製の札を鎖でつないでいる点で、通常の当世具足に比べて軽量であり、鎖によって柔軟性も確保されていました。畳具足は、正式な甲冑であるとは言い切れませんが、実用性の高い点において、合理性を重視する当世具足の精神は受け継がれていると言えるのです。

当世具足③

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大鎧①

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胴丸・腹当・腹巻

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