武将・歴史人
池田輝政
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池田輝政

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「池田輝政」は姫路城の大規模改築や「岐阜城の戦い」などで有名な武将です。この輝政ゆかりの刀剣では、国宝の「大包平」や重要文化財の「池田来国光」をはじめ、数多く存在します。では、これらの刀剣は輝政とどのような関係があったのでしょうか。輝政の経歴と共にご紹介します。

広い分野で活躍した輝政

池田輝政

池田輝政

池田輝政は、1564年(永禄7年)12月29日に織田信長の重臣・池田恒興の子として清洲城愛知県)で生まれました。

輝政の父・恒興が織田信長と乳母兄弟であったこともあり、父や兄と共に信長に仕え、輝政は信長の近習として勤めていました。

1582年(天正10年)、本能寺の変で信長が亡くなったあとは豊臣秀吉に仕え、「小田原の役」や「奥州征討」などで、数多くの功績を上げています。

1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」では、東軍(徳川方)に属し、福島正則と共に岐阜城攻略に臨み、決戦では先陣を務めています。

関ヶ原の戦い以後は、姫路城の大改築や田高川の河川敷開発、高砂の都市計画事業や伊勢神宮の本堂・摩尼殿の再建など、広い分野で活躍し、多くの業績を残してきました。

輝政と日本刀

輝政は数々の戦いで多くの功名を上げており「若狭正宗」や「蜂屋江」など、様々な名刀を下賜され、輝政が所有していた名刀は多数存在しています。

輝政はその中でも特に「大包平」(おおかねひら)を「一国に替え難い名刀である」ととても高く評価していました。

刀剣/大包平

大包平は日本有数の日本刀(刀剣)として広く知られており、その高名たるや、天下五剣のひとつであり国宝でもある「童子切安綱」と合わせて「東西の両横綱」と並び称されているほどです。

この大包平という名前も、平安時代末期の刀工・包平の最高傑作であることから名付けられました。佩表には「備前国包平作」とあり、通常は二字銘を切る包平が、大包平には六文銘を切っていることからも、包平の自信のほどが伺えます。

その質は非常に高く、長さ89.2cm、反り3.4cmの大太刀ながらもむらなく鍛え上げられており、刃文と地金がとても美しく、1936年(昭和11年)9月18日には重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日には国宝に指定されました。

このように刀剣史上最高の名作のひとつと評価されている大包平ですが、多くの事実が謎に包まれています。輝政の手元に渡った経緯などもそのひとつで、池田家所伝によると輝政の佩刀だったとのことですが、いつ・どのようにして大包平が池田家に伝来したのかは分かっていません。

輝政の亡きあとも長らく池田家にて伝来してきた大包平ですが、文部省が1967年(昭和42年)に6,500万円で買い上げ、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

太刀 名物大包平

太刀 名物大包平

ランク 刃長 所蔵・伝来
備前国包平作 国宝 2尺9寸4分 東京国立博物館

刀剣/池田来国光

「池田来国光」は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工・来国光の制作した短刀です。池田輝政が所持していたことから、このような名前が付きました。のちに前田家に伝来し、1660年(万治3年)には本阿弥家の鑑定で千五百貫の折り紙が付けられたそうです。1931年(昭和6年)1月19日に重要文化財に指定。

池田来国光

池田来国光

ランク 刃長 所蔵・伝来
来国光 重要文化財 8寸7分 日本美術
刀剣保存協会

刀剣/若狭正宗

若狭正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工・正宗の制作した刀剣です。

正宗の中でも傑物で、本阿弥家の目利きで金一万両と評価されました。この若狭正宗も、1612年(慶長17年)9月2日、徳川家康より蜂屋江などの名刀と共に輝政に下賜されています。

しかし、輝政はこの頃すでに病に冒されており、翌年1月に急死してしまいます。若狭正宗は輝政亡きあと池田家にて伝来し、1672年(寛文12年)に輝政の孫・綱政によって、将軍家へ献上されました。

若狭正宗

若狭正宗

ランク 刃長 所蔵・伝来
正宗 旧皇室御物 2尺2寸6分 宮内庁
三の丸尚蔵館

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